第七十五段 ― 2022年03月01日
ひょっとしたら、「キエフ」という都市名を「Saint Vladimirsburg」に改名したいのかな?
まさか「Putingrad」という事も無さそうだが、何とも言えない。
「丸い卵も切りようで四角」である。
・追記。
それにしても、彼は何にそんなに怯えているんだろう?
まあ、古今東西「独裁者(dictator)」というのは常に怯えているものだが。
他国は勿論、政敵や、「自国の民」そのものに。
祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。
沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理を表す。
奢れる人も久しからず、唯春の夜の夢の如し。
猛き者も遂には滅びぬ、偏に風の前の塵に同じ。
・追記。
久々に「might is right(力は正義なり)」という言葉を聞いた。
『坊っちやん 四』
學校には宿直があつて、職員が代る代る之をつとめる。但し狸と赤シヤツは例外である。何で此兩人が當然の義務を免かれるのかと聞いて見たら、奏任待遇だからと云ふ。面白くもない。月給は澤山とる、時間は少ない、夫で宿直を逃がれるなんて不公平があるものか。勝手な規則をこしらへて、それが當り前だと云ふ樣な顏をしてゐる。よくまああんなに圖迂々々しく出來るものだ。これに就ては大分不平であるが、山嵐の説によると、いくら一人で不平を竝べたつて通るものぢやないさうだ。一人だつて二人だつて正しい事なら通りさうなものだ。山嵐は might is right といふ英語を引いて説諭を加へたが何だか要領を得ないから聞き返して見たら強者の權利と云ふ意味ださうだ。強者の權利位なら昔から知つて居る。今更山嵐から講釈ををきかなくつてもいゝ。強者の權利と宿直とは別問題だ。狸や赤シヤツが強者だなんて誰が承知するものか。(以下略)
なお、主人公は数学の教師という設定だが、作者の漱石自身は英語の教師だった。作中人物について訊かれると「特定のモデルはいない。そんなことを言えば赤シャツのモデルは僕という事になってしまう」と答えていたらしいが、半藤一利氏の研究に依れば漠然としたモデルがいたという説もある。詳細は『漱石先生ぞな、もし』を参照されたい。
第七十六段 ― 2022年03月02日
やはり天然ガスが頭痛の種か。石油は兵器にも必要だろうし。常温核融合は未だ「科学的虚構(Science Fiction)」の中にしか存在しないとは思うが、実験室レヴェルではどうなっているんだろう。
それにしても、ゼレンスキー大統領は大したものだ。同じ俳優出身と言っても、エストラーダ元大統領とは腹の括り方が違う。
そう言えば、名作の誉れが高いフランク・キャプラ(Frank Capra、1897年-1991年)監督の映画『スミス都へ行く(Mr. Smith Goes to Washington)』(1939年)も家の何処かにある筈だ。やれやれ。
新・第二十三段 ― 2022年03月03日
「はだかの王さま(皇帝のあたらしい着物)」矢崎源九郎訳
いまからずっとずっとむかしのこと、ひとりの皇帝がいました。皇帝は、あたらしい、きれいな着物がなによりも好きでした。持っているお金をのこらず着物に使って、いつもいつも、きれいに着かざっていました。皇帝は、自分のあたらしい着物を人に見せたいと思うときのほかは、兵隊のことも、芝居のことも、森へ遠乗りすることも、なにからなにまで、きれにさっぱり忘れているのでした。
とにかく、皇帝は、一日のうち一時間ごとに、ちがった着物に着かえるのです。ですから、よその国ならば、王さまは、会議に出ていらっしゃいます、というところを、この国ではいつも、「皇帝は、衣装部屋にいらっしゃいます」と、言いました。――
皇帝の住んでいる大きな町は、たいへんにぎやかなところでした。毎日毎日、よその国の人たちが大ぜい来ました。
ある日のこと、ふたりのうそつきがやってきました。ふたりは、
「わたしどもは、機織(はたお)りでして、みなさんの思いもおよばない、美しい織物を織ることができます。それに、その織物は色とがらとが、びっくりするほど美しいばかりではございません。その織物でこしらえた着物は、まことにふしぎな性質をもっておりまして、自分の役目にふさわしくない人や、どうにも手のつけられないようなばかものには、この着物は見えないのでございます」と、言いふらしました。
「ふうん、それはまた、おもしろい着物だな」と、皇帝は考えました。「そのような着物を着れば、この国のどの役人が役目にふさわしくないか、知ることができるわけじゃな、それから、りこうものと、ばかものを見わけることもできるわけだ。そうだ、さっそく、その織物を織らせるとしよう」
そこで、ふたりのうそつきにたっぷりお金をやって、仕事にかかるように言いつけました。
ふたりは、機(はた)を二台すえつけて、いかにも働いているようなふりをしました。けれども、ほんとうは、機の上には、なんにもなかったのです。ふたりは、すぐに、
「いちばん上等の絹と、いちばんりっぱな金(きん)をください」と、願い出ました。
ところが、絹と金とをもらうと、それをさっさと、自分たちのさいふの中に入れてしまいました。そして、からっぽの機にむかって、夜おそくまで働いていました。
「織物は、もう、どのくらいできたかな」と、皇帝は考えました。
けれども、ばかなものや、自分の役目にふさわしくないものには、それが見えないという話を思い出しますと、ちょっとへんな気持になりました。もちろん、自分はそんなことを気にする必要はないと思っていましたが、それでも、ひとまず、だれかを先にやって、どんなぐあいか見させることにしました。
もうそのころには、町の人たちも、この織物が世にもふしぎな性質を持っていることを知っていました。みんながみんな、おとなりに住んでいるのは、わるい人ではあるまいか、それともばかではなかろうか、知りたいものだと思っていたのです。
「機織りのところへは、あの年とった、正直者の大臣をやることにしよう」と、皇帝は考えました。「あの男なら、織物がどんなぐあいか、いちばんよくわかるにちがいない。頭もいいし、それに、あの男くらい役目にぴったりのものは、まずないからなあ!」
そこで、年とった正直者の大臣は、ふたりのうそつきが、からっぽの機にむかって働いている広間へはいっていきました。
「どうか、神さま!」と、年よりの大臣は、心の中で祈りながら、目を大きくあけました。「や、や、なにも見えんぞ!」
けれども、もちろん、見えない、とは言いませんでした。
「さあ、もっと近よってごらんください。いかがでございましょう。がらもきれいですし、色合いも美しいではございませんか」などと、うそつきどもは、しきりに言いながら、からっぽの機を指さしました。
気の毒に、年よりの大臣は、なおも目を開いて見ましたが、やっぱりなんにも見えません。それもそのはず、機には、なんにもないのですからね。
「これは、たいへんだ!」と、大臣は思いました。「このわしが、ばかだというのか。そんなことは、まだ考えてみたこともない。それにしても、これは人に知られてはならん! このわしが、役目にむかんというのか、こりゃいかん、織物が見えないなどと、うっかり言おうものなら、たいへんだぞ」
「いかがでございましょう。なんともおっしゃっていただけませんが」と、織っていたひとりが言いました。
「おお、みごとじゃ! まことに美しいのう!」と、年とった大臣は言って、めがねでよくながめました。
「このがらといい、色合いといい! さよう、わしはたいへん気に入ったぞ、皇帝に、そう申しあげておこう」
「それは、まことにありがたいことでございます」と、ふたりの機織りは言いました。
それから、色の名前や、めずらしいがらの説明をしました。年とった大臣は、皇帝のところへもどっても、同じことが言えるように、よく気をつけて聞いていました。そして、そのとおりに申しあげました。
さて、うそつきどもは、前よりももっとたくさんのお金と、絹と、金(きん)とを願い出ました。そういうものが、反物(たんもの)を織るのに必要だというのです。ところが、それをもらうと、みんな、自分たちのさいふの中へ入れてしまいました。ですから、機の上には、あいかわらず、糸一本はられません。それでも、ふたりは、前と同じように、からっぽの機にむかって、せっせと働きつづけました。
皇帝は、まもなく、今度は、べつの正直なお役人をやって、仕事はどのくらい進んでいるか、織物はもうすぐできあがるか、見させることにしました。このお役人も、大臣とおんなじでした。何度も何度も見なおしましたが、なんにも見えません。からの機のほかには、なにもないのですから、それもむりもない話です。
「いかがでしょう。美しい織物ではございませんか」
ふたりのうそつきは、こう言って、ありもしない美しいがらを指さしながら、説明しました。
「おれが、ばかだなんてはずはない」と、この役人は考えました。「そうすると、このおれは、いまの、ありがたい役目に向いていないというのか、おかしな話だな。だが、人に気づかれんようにしなくてはまずい」
そこで、見えもしない織物をほめて、きれいな色合いも、美しいがらも、すっかり気に入ったと、うけあいました。そして皇帝には、
「はい、まことに、たとえようもないほど美しいものでございます」と、申しあげました。
町の人たちは、寄るとさわると、このすばらしい織物のうわさばかりしていました。
さて、皇帝も、その織物が機にあるうちに、一度見ておきたい、と思いました。そこで、えりぬきのご家来を大ぜい連れて、ずるいうそつきどものところへ行きました。ご家来の中には、前にお使いに行ったことのある、ふたりの年とった、正直者のお役人もまじっていました。うそつきどもは、このときとばかり、いっしょうけんめいに織っていました。けれども、もちろん、一すじの糸もありません。
「まことにすばらしいものではございませんか!」と、正直者のふたりのお役人が言いました。「陛下、ようくごらんくださいませ、なんというよいがら、なんという美しい色合いでございましょう!」
こう言いながら、ふたりは、からの機を指さしました。なぜって、ほかの人たちには、この織物が見えるものと知ったからです。
「や、や、なんとしたことじゃ!」と、皇帝は思いました。「わしには、なんにも見えんわい。こりゃ、えらいことになったぞ。このわしが、ばかだというのか、わしは、皇帝にふさわしくないというのか、わしにとっては、なによりもおそろしいことじゃ」
けれども、口に出しては、こう言いました。
「おお、なるほど、じつにきれいじゃのう! 大いに気に入ったぞ」
こう言って、満足そうにうなずきながら、からっぽの機をよくよくながめました。もちろん、わしには、なにも見えん、などとは言いたくなかったのです。
おともの人たちも、きょろきょろ見まわしましたが、みんな同じこと、なにひとつ見えません。けれども、だれもかれも、皇帝のまねをして、
「たいへんおきれいなものでございます」と、申しました。そして口々に、「近いうちにおこなわれるご行列のときに、このあたらしい、りっぱなお着物をお召しになってはいかがですか」と、すすめました。
「みごとなものでございます! おきれいです! すばらしゅうございます!」
こういう言葉が、人々の口から口へとつたわっていきました。みんながみんな、心から満足しているようすを見せました。
皇帝は、うそつきどものひとりひとりに、ボタン穴にさげる騎士十字勲章をさずけ、また、「御用織物匠(ごようおりものしょう)」という称号をあたえました。
うそつきどもは、行列のおこなわれる日の前の晩は、ろうそくを十六本以上もつけて、一晩じゅう起きていました。ふたりが、皇帝のあたらしい着物をしあげようとして、いそがしく働いているようすは、だれの目にもよくわかりました。ふたりは、織物を機から取りあげるようなふりをしたり、大きなはさみで空(くう)を切ったり、糸の通っていない針でぬったりしました。そうしてしまいに、
「ようやく、お着物ができあがりました」と、言いました。
皇帝は、身分の高い宮内官(くないかん)を連れて、そこへ行きました。すると、うそつきどもは、なにかを持ちあげようとするように、片方の腕を高くあげて、言いました。
「ごらんくださいませ、これが、おズボンでございます。これが、おがいとうでございます」などと、さかんに申したてました。「このお着物は、まるでクモの巣のように軽うございます。ですから、お召しになりましても、なにも着ておいでにならないような感じがなさるかもしれません。しかしながら、それこそ、このお着物のすぐれたところでございます」
「さようか」と、宮内官たちは、口をそろえて言いました。けれども、もともと、なにもないのですから、なんにも見えませんでした。
「おそれながら、陛下には、お着物をおぬぎくださいますよう」と、うそつきどもは言いました。「わたくしどもが、この大鏡の前で、あたらしいお着物をお着せ申しあげます」
皇帝が着物をすっかりぬぎますと、うそつきどもは、できあがったことになっている、あたらしい着物を、一枚一枚着せるようなふりをしました。それから、腰のあたりに手をまわして、なにかを結ぶような手つきをしました。つまり、それは、もすそというわけだったのです。皇帝は、鏡の前で、ふりむいてみたり、からだをねじまげてみたりしました。
「ほんとうに、ごりっぱでございます! まことに、よくお似合いでございます!」と、みんなが口々に申しました。「がらといい、色合いといい、なんというけっこうなお着物でございましょう!」――
「みなのものが、お行列のさいに、おさしかけ申しあげる天がいを持ちまして、外でお待ちいたしております」と、式部長が申しあげました。
「よろしい、わしも容易ができたぞ」と、皇帝は言いました。「どうだ、よく似合うかな?」
それから、もう一度、鏡のほうをふりむきました。こうして、自分の着かざった姿を、よくながめているようなふりをしなければならなかったのです。
もすそをささげる役目の侍従たちは、両手を床のほうへのばして、もすそを取りあげるようなふりをしました。こうして、何かをささげているようなかっこうをしながら、歩きだしました。なんにも見えないということを、人に気づかれてはたいへんです。
こうして、皇帝は行列をしたがえて、美しい天がいの下を歩いていきました。往来にいる人々も、窓から見ている人たちも、だれもかれもが口々に言いました。
「まあまあ、皇帝のあたらしいお着物は、たとえようもないじゃないか! お服についているもすそも、なんてりっぱだろう! ほんとうに、よくお似合いだ!」
みんながみんな、なんにも見えないということを、人に気づかれまいとしました。さもなければ、自分の役目にふさわしくないか、とんでもないばかものだということになってしまいますからね。皇帝の着物の中でも、こんなに評判のよいものはありませんでした。
「だけど、なんにも着ていらっしゃらないじゃないの!」と、だしぬけに、小さな子供が言いだしました。
「ちょいと、この罪のない子供の言うことを聞いてやっておくれ」と、その父親が言いました。そして、子供の言った言葉が、それからそれへと、ささやかれていきました。
「なんにも着ていらっしゃらない。あそこの小さな子供が言ってるとさ。なんにも着ていらっしゃらないって!」
「なんにも着ていらっしゃらない!」
とうとうしまいには、町じゅうの人たちが、ひとりのこらず、こうさけびました。これには、皇帝もこまってしまいました。というのは、みんなの言うことのほうが、なんだか、ほんとうのような気がしたからです。しかし、「行列は、いまさら、取りやめるわけにはいかない」と、思いました。
そこで、前よりもいっそう胸をはって、歩いていきました。侍従たちも、ありもしないもすそをささげて歩いていきました。
坪内雄藏(逍遥)『領主の新衣』の別訳である。前者は1900(明治33)年、こちらは1967(昭和42)年の出版。日本独自タイトルの「はだかの王さま」がメインになり、原題が副題扱いになっている。と言うことは、この訳以前に「裸の王様」と言う言葉が定着していた(しつつあった)のだろう。
原文を読む語学力が無いので英訳版のみを部分的に参照したが、こちらの方が原作の結末に近いのかも知れない。
・追記
流行りの言葉を用いれば、「放置プレイ」って事かな?
第七十七段 ― 2022年03月04日
「高名の木のぼり」
高名(かうみやう)の木のぼりといひしをのこ、人をおきてて、高き木にのぼせて、梢を切らせしに、いと危く見えしほどはいふ事もなくて、下るる時に、軒長(のきたけ)ばかりになりて、「過(あやま)ちすな。心して下りよ」と、言葉をかけ侍りしを、「かばかりになりては、飛びおるともおりなん。如何にかくいふぞ」と申し侍りしかば、「其の事に候ふ。目くるめき、枝危ふきほどは、己(おのれ)が恐れ侍れば、申さず。過ちは、易き所になりて、必ず仕(つかまつ)る事に候ふ」といふ。
あやしき下﨟(げらふ)なれども聖人の誡めにかんへり。鞠も難き所を蹴出だしてのち、やすく思へば、必ず落つと侍るやらん。
『徒然草』第百九段。続いて『吾輩は猫である 七』より。
(前略)蝉取りの次にやる運動は松滑りである。是は長くかく必要もないから、一寸述べて置く。松滑りと云ふと松を滑る樣に思ふかも知れんが、さうではない矢張り木登りの一種である。只蝉取りは蝉を取る爲に登り、松滑りは、登る事を目的として登る。此が兩者の差である。元來(ぐわんらい)松は常磐(ときは)にて最明寺の御馳走をしてから以來今日(こんにち)に至る迄、いやにごつごつして居る。從つて松の幹程滑らないものはない。手懸りのいゝものはない。足懸りのいゝものはない。――換言すれば爪懸(つめがゝ)りのいゝものはない。その爪懸りのいゝ幹へ一氣呵成に馳け上(あが)る。馳け上つて置いて馳け下がる。馳け下がるには二法(にはふ)ある。一はさかさになつて頭を地面へ向けて下りてくる。一は上(のぼ)つた儘の姿勢をくづさずに尾を下にして降(おり)る。人間に問ふがどつちが六(む)づかしいか知つてるか。人間の淺墓(あさはか)な了見では、どうせ降りるのだから下向(したむき)に馳け下りる方が樂だと思ふだらう。夫(それ)が間違つてる。君等は義經が鵯越(ひよどりごえ)を落としたこと丈(だけ)を心得て、義經でさへ下を向いて下りるのだから猫なんぞは無論下(し)た向きで澤山だと思ふのだらう。さう輕蔑するものではない。猫の爪はどつちへ向いて生えて居ると思ふ。みんな後ろへ織れて居る。夫だから鳶口(とびぐち)のやうに物をかけて引き寄せる事は出來るが、逆に押し出す力はない。今吾輩が松の木を勢(いきほひ)よく馳け登つたとする。すると吾輩は元來地上の者であるから、自然の傾向から云へば吾輩が長く松樹(しようじゆ)の巓(いたゞき)に留(とゞま)るを許さんに相違ない。只置けば必ず落ちる。然し手放しで落ちては、あまり早過ぎる。だから何等かの手段を以て此(この)自然の傾向を幾分かゆるめなければならん。是即ち降りるのである。落ちるのと降りるのは大變な違(ちがひ)の樣だが、其實(そのじつ)思つた程の事ではない。落ちるのを遲くすると降りるので、降りるのを早くすると落ちる事になる。落ちると降りるのは、「ち」と「り」の差である。吾輩は松の木の上から落ちるのはいやだから、落ちるのを緩めて降りなければならない。即ちあるものを以て落ちる速度に抵抗しなければならん。吾輩の爪は前申(ぜんまを)す通り後ろ向きであるから、もし頭を上にして爪を立てれば此(この)爪の力は悉く、落ちる勢(いきほひ)に逆(さから)つて利用出來る譯である。從つて落ちるが變じて降りるになる。實(じつ)に見易(みやす)き道理である。然るに又身を逆(さか)にして義經流に松の木越(ごえ)をやつて見給へ。爪はあつても役には立たん。づるづる滑つて、どこにも自分の體量(たいりやう)を持ち答へる事は出來なくなる。是(こゝ)に於てか折角降り樣(やう)と企てた者が變化して落ちる事になる。此(この)通り鵯越(ひよどりごえ)は六(む)づかしい。猫のうちで此藝が出來る者は恐らく吾輩のみであらう。(後略)
この後「垣巡(かきめぐ)り」という運動に関する話になり、途中で3羽のカラスと睨み合いになる。まるで映画『駅馬車』か『真昼の決闘』である。
上記の2例とも、木は上るより下る方が難しいことを述べている。
「豚もおだてりゃ木に上る」という言葉がある。広辞苑第3版にはないが第6版には掲載されている。この言葉の場合も下る事を想定していないようだ。
まあ、上ったきりで下るつもりが無けりゃ、それはそれで結構な事かも知れないが。
但し、「イタリア語を習得する事」が必須条件かも知れない。

「振り上げた拳の下ろし方」と言う話がよくあるが、「そのまま相手の頭に振り下ろす」のが最もシンプルである。
そう言えば、リトヴィネンコ氏は、外国のレストランで、入手経路も入手できる人物も限られる「特殊な兇器」で殺されたようだ。
それにしても、他人(ひと)の褌で相撲を取るのは、お気楽お手軽でよろしい。何より自分の頭を使わなくて済む。
……衛生面に多少の不安はあるが……。
第七十八段 ― 2022年03月05日
懲りずに他人の褌で。因みに筆者の顔面の皮膚は蛙より厚く「私の耳は馬の耳」である。
久方振りで、TVドラマ『相棒』に米沢守が登場した事を祝して。
前回は、season16第5話「手巾」だった。そのモチーフ(?)となった作品を。
芥川龍之介『手巾』より。
東京帝國大學法科大學教授、長谷川謹造先生は、ヴエランダの籐椅子に腰をかけて、ストリントベルクの作劇術(ドラマトウルギイ)を讀んでゐた。
(中略)
先生は、本を置いて、今し方小間使が持つて來た、小さな名刺を一瞥した。象牙紙に、細く西山篤子と書いてある。どうも、今までに逢つた事のある人では、ないらしい。交際の廣い先生は、籐椅子を離れながら、それでも念の爲に、一通り、頭の中の人名簿を繰つて見た。が、やはり、それらしい顏も、記憶に浮んで來ない。そこで、栞(しをり)代りに、名刺を本の間へはさんで、それを籐椅子の上に置くと、先生は、落着かない容子(ようす)で、銘仙の單衣(ひとへ)の前を直しながら、ちよいと又、鼻の先の岐阜提灯へ眼をやつた。誰もさうであらうが、待たせてある客より、待たせて置く主人の方が、かう云ふ場合は多く待遠しい。尤も、日頃から謹嚴な先生の事だから、これが、今日のやうな未知の女客に對してでなくとも、さうだと云ふ事は、わざわざ斷る必要もないであらう。
やがて、時刻をはかつて、先生は、應接室の扉をあけた。中へはいつて、おさへてゐたノツブを離すのと、椅子にかけてゐた四十恰好の婦人の立上つたのとが、殆(ほとんど)、同時である。客は、先生の判別を超越した、上品な鐵御納戸(てつおなんど)の單衣を着て、それを黒の絽の羽織が、胸だけ細く剩(あま)した所に、帶止めの翡翠を、涼しい菱の形にうき上らせてゐる。髪が、丸髷に結つてある事は、かう云ふ些事に無頓着な先生にも、すぐわかつた。日本人に特有な、丸顏の、琥珀色の皮膚をした、賢母らしい婦人である。先生は、一瞥して、この客の顏を、どこかで見た事があるやうに思つた。
――私が長谷川です。
先生は、愛想よく、會釋(ゑしやく)した。かう云へば、逢つた事があるのなら、向うで云ひ出すだらうと思つたからである。
――私は、西山憲一郎の母でございます。
婦人は、はつきりした聲で、かう名乘つて、それから、叮嚀に、會釋を返した。
西山憲一郎と云へば、先生も覺えてゐる。やはりイプセンやストリントベルクの評論を書く生徒の一人で、專門は確か獨法だつたかと思ふが、大學へはいつてからも、よく思想問題を提(ひつさ)げては、先生の許(もと)に出入した。それが、この春、腹膜炎に罹つて、大學病院へ入院したので、先生も序ながら、一二度見舞ひに行つてやつた事がある。この婦人の顏を、どこかで見た事があるやうに思つたのも、偶然ではない。あの眉の濃い、元氣のいい青年と、この婦人とは、日本の俗諺が、瓜二つと形容するやうに、驚く程、よく似てゐるのである。
――はあ、西山君の……さうですか。
先生は、獨りで頷きながら、小さなテエブルの向うにある椅子を指した。
――どうか、あれへ。
婦人は、一應、突然の訪問を謝してから、又、叮嚀に禮をして、示された椅子に腰をかけた。その拍子に、袂から白いものを出したのは手巾(はんけち)であらう。先生は、それを見ると、早速テエブルの上の朝鮮團扇をすすめながら、その向う側の椅子に、座をしめた。
――結構なおすまひでございます。
婦人は、稍(やや)、わざとらしく、室(へや)の中を見廻した。
――いや、廣いばかりで、一向かまひません。
かう云ふ挨拶に慣れた先生は、折から小間使の持つて來た冷茶を、客の前に直させながら、直に話頭を相手の方へ轉換した。
――西山君は如何です。別段御容態に變りはありませんか。
――はい。
婦人は、つつましく兩手を膝の上に重ねながら、ちよいと語(ことば)を切つて、それから、靜にかう云つた。やはり、落着いた、滑(なめらか)な調子で云つたのである。
――實は、今日も伜の事で上つたのでございますが、あれもとうとう、いけませんでございました。在生中は、いろいろ先生に御厄介になりまして……
婦人が手にとらないのを遠慮だと解釋した先生は、この時丁度、紅茶茶碗を口へ持つて行かうとしてゐた。なまじひに、くどく、すすめるよりは、自分で啜つて見せる方がいいと思つたからである。所が、まだ茶碗が、柔な口髭にとどかない中に、婦人の語(ことば)は、突然、先生の耳をおびやかした。茶を飮んだものだらうか、飮まないものだらうか。――かう云ふ思案が、青年の死とは、全く獨立して、一瞬の間、先生の心を煩はした。が、何時までも、持ち上げた茶碗を、片づけずに置く譯には行かない。そこで先生は思切つて、がぶりと半碗の茶を飮むと、心もち眉をひそめながら、むせるやうな聲で、「そりやあ」と云つた。
――……病院に居りました間も、よくあればお噂など致したものでございますから、お忙しからうとは存じましたが、お知らせかたがた、お禮を申上げようと思ひまして……
――いや、どうしまして。
先生は、茶碗を下へ置いて、その代りに青い鑞を引いた團扇をとりあげながら、憮然として、かう云つた。
――とうとう、いけませんでしたかなあ。丁度、病院の方へも御無沙汰してゐたものですから、もう大抵、よくなられた事だとばかり、思つてゐました――すると、何時になりますかな、なくなられたのは。
――昨日が、丁度初七日でございます。
――やはり病院の方で……
――さやうでございます。
――いや、實際、意外でした。
――何しろ、手のつくせる丈は、つくした上なのでございますから、あきらめるより外は、ございませんが、それでも、あれまでに致して見ますと、何かにつけて、愚痴が出ていけませんものでございます。
こんな對話を交換してゐる間に、先生は、意外な事實に氣がついた。それは、この婦人の態度なり、擧措なりが、少しも自分の息子の死を、語つてゐるらしくないと云ふ事である。眼には、涙もたまつてゐない。聲も、平生の通りである。その上、口角には、微笑さへ浮んでゐる。これで、話を聞かずに、外貌だけ見てゐるとしたら、誰でも、この婦人は、家常茶飯事を語つてゐるとしか、思はなかつたのに相違ない。――先生には、これが不思議であつた。
――昔、先生が、伯林(ベルリン)に留學してゐた時分の事である。今のカイゼルのおとうさんに當る、ウイルヘルム第一世が、崩御された。先生は、この訃音(ふいん)を行きつけの珈琲店で耳にしたが、元より一通りの感銘しかうけやうはない。そこで、何時ものやうに、元氣のいい顏をして、杖を脇にはさみながら、下宿へ歸つて來ると、下宿の子供が二人、扉(ドア)をあけるや否や、兩方から先生の頸に抱きついて、一度にわつと泣き出した。一人は、茶色のジヤケツトを着た、十二になる女の子で、一人は、紺の短いズボンをはいた、九つになる男の子である。子煩惱な先生は、譯がわからないので、二人の明い色をした髪の毛を撫でながら、しきりに「どうした。どうした。」と云つて慰めた。が、子供は中々泣きやまない。さうして、洟(はな)をすすり上げながら、こんな事を云ふ。
――おぢいさまの陛下が、おなくなりなすつたのですつて。
先生は、一國の元首の死が、子供にまで、これ程悲まれるのを、不思議に思つた。獨り皇室と人民との關係と云ふやうな問題を、考へさせられたばかりではない。西洋へ來て以來、何度も先生の視聽を動かした、西洋人の衝動的な感情の表白が、今更のやうに、日本人たり、武士道の信者たる先生を、驚かしたのである。その時の怪訝(くわいが)と同情とを一つにしたやうな心もちは、未(いまだ)に忘れようとしても、忘れる事が出來ない。――先生は、今も丁度、その位な程度で、逆に、この婦人の泣かないのを、不思議に思つてゐるのである。
が、第一の發見の後には、間もなく、第二の發見が次いで起つた。――
丁度、主客の話題が、なくなつた青年の追懷から、その日常生活のディテイルに及んで、更に又、もとの追懷へ戻らうとしてゐた時である。何かの拍子で、朝鮮團扇が、先生の手をすべつて、ぱたりと寄木(モザイク)の床の上に落ちた。會話は無論寸刻の斷續を許さない程、切迫してゐる譯ではない。そこで、先生は、半身を椅子から前へのり出しながら、下を向いて、床の方へ手をのばした。團扇は、小さなテエブルの下に――上靴にかくれた婦人の白足袋の側に落ちてゐる。
その時、先生の眼には、偶然、婦人の膝が見えた。膝の上には、手巾を持つた手が、のつてゐる。勿論これだけでは、發見でも何でもない。が、同時に、先生は、婦人の手が、はげしく、ふるへてゐるのに氣がついた。ふるへながら、それが感情の激動を強ひて抑へようとするせゐか、膝の上の手巾を、兩手で裂かないばかりに緊(かた)く、握つてゐるのに氣がついた。さうして、最後に、皺くちやになつた絹の手巾が、しなやかな指の間で、さながら微風にでもふかれてゐるやうに、繍(ぬひとり)のある縁(ふち)を動かしてゐるのに氣がついた。――婦人は、顏でこそ笑つてゐたが、實はさつきから、全身で泣いてゐたのである。
團扇を拾つて、顏をあげた時に、先生の顔には、今までにない表情があつた。見てはならないものを見たと云ふ敬虔な心もちと、さう云ふ心もちの意識から來る或滿足とが、多少の芝居氣で、誇張されたやうな、甚(はなはだ)、複雜な表情である。
――いや、御心痛は、私のやうな子供のない者にも、よくわかります。
先生は、眩しいものでも見るやうに、稍、大仰(おほぎやう)に、頸を反らせながら、低い、感情の籠つた聲でかう云つた。
――有難うございます。が、今更、何と申しましても、かへらない事でございますから……
婦人は、心もち頭を下げた。晴々した顏には、依然として、ゆたかな微笑が、たたへてゐる。……
(後略)
米沢が「鉄ヲタ」で事件に繋がるのは『劇場版IV』以来だろう。元々は「落語好き」という点で杉下右京と繋がった筈だ(season1第3話「秘密の元アイドル妻」)。その点で事件に関わるのは、スピンオフ映画『鑑識・米沢守の事件簿』とseason10第15話「アンテナ」くらいか。前者の演目は『四段目』、後者は『火事息子』演者は「秘密の元アイドル妻」の橘亭青楽(しょうらく)。米沢の「相棒」相原誠刑事再登場。三浦(元)刑事の妻の名が「トシ子」と判明したのもこの回。月本幸子が『花の里』を任されてから米沢が立寄った初めての回でもある。なお、特命係の公務として飲食した際の領収書の名は「警視庁刑事部臨時付特命係 組織犯罪対策部組織犯罪対策第五課内都合」だそうである。
なお、『相棒 劇場版IV』での登場シーンは以下のとおり。
杉下右京「電車と言えば日本広しと雖も米沢守」
米沢 守「そんな突然フルネームで呼ばれても」
右京「(略)路線が判明すればアジトの場所が絞り込めるかも」
米沢「私は絞り込みません。断乎、きっぱり、お断りします!」
走って逃げ去る米沢守(「逃げるように去る」のでは無く、実際に走って逃げる)。
映画館で観た記憶では、ここで「コマ落し」を使ったような印象だったが、観直したらノーマル・スピードだった。まあ、わざわざサイレント映画みたいな手法を使うのも、ちょっとクサい演出になってしまうだろう(監督は橋本一)。ケン・アナキン(Ken Annakin、1914年-2009年)監督『素晴らしきヒコーキ野郎(Those Magnificent Men in their Flying Machines; Or, How I Flew from London to Paris in 25 Hours and 11 Minutes)』(1965年)の、ゲルト・フレーベ(Gert Frobe、1913年-1988年)じゃあるまいし。
この後、本人の台詞にもある通り「不条理」にも例によって特命係に協力する。
・追記。
そう言えば、ゲルト・フレーベは仏米合作映画『パリは燃えているか』(1966年)にも出演していた。原作はノンフィクションなので、彼が演じたディートリヒ・フォン・コルティッツ将軍(Dietrich von Choltitz、1894年-1966年)は実在した。
もし現在のロシア軍に彼のような人物がいたら……まあ、ドストエフスキーやソルジェニーツィンのように「流刑」では済むまい。引き籠もった執務室の奥から「Is Kyiv Burning?」と喚く必要も無さそうだ。
……いずれにせよ、英語では言わないだろうが……。