第七十九段 ― 2022年03月06日
『相棒』で思い出した。
『相棒 season5』第10話「名探偵登場」。
ニール・サイモン(Neil Simon、1927年-2018年)脚本の映画『Murder by Death』(1976年)では無い。その映画でピーター・フォーク演ずる「私立探偵サム・ダイアモンド」とは全く無関係とも言えないが。
プレ・シーズンの2時間物から現在に至るまで、最も好きなエピソードの一つである。
この回には、「チャンドラー探偵社」という私立探偵社が登場する。尤も社員は、所長兼秘書(兼小使いさん?)の「矢木明」一人である。因みに西日暮里界隈では「マーロウ矢木」で通っているそうだ。但し、戸越銀座では「サム・スペード・矢木」らしい(ここで前記映画と多少関係がある……と言える……かも)。
書棚にロバート・B・パーカーやポケミスが並んでいるのは判るにしても、ポプラ社版南洋一郎訳『怪盗ルパン全集』や偕成社文庫、青い鳥文庫まであるのは、プロの探偵として些かどうかと思う。リンドグレーン(Astrid Lindgren、1907年-2002年)の『名探偵カッレくん』まである。
場合に依っては「ドブ浚い」の仕事まで引受けるらしい。亀山薫の台詞にもあるが、「私立探偵」と言うより「街のなんでも屋さん」と言った感じである(さりながら、その「ペット捜し」のスキルが事件解決に役立つ事になる)。
ここまでで明らかなように、うだつの上がらぬ迷探偵といった感じだが、意外になかなかの切れ者である事が判明する。
・この回で最も好きな台詞。
亀山 薫「『チルチルミチル』かよ、もう」
杉下右京「『ヘンゼルとグレーテル』です」
西遊記 1 ― 2022年03月06日
試しにやってみる。
一 美猴王(びこうおう)の誕生
昔むかし世界は、東勝神州(とうしょうしんしゅう)、西牛賀州(せいぎゅうがしゅう)、南贍部州(なんせんぶしゅう)、北鉅蘆州(ほくごろしゅう)の四大州(しだいしゅう)にわかれていたという。さて、そのうちのひとつ、東勝神州の海のかなたに、傲来国(ごうらいこく)という国があり、そのまた大海中に花果山(かかざん)とよぶ、名高い島山があった。山のいただきには高さ三丈六尺五寸、周囲二丈四尺という、ひとつのふしぎな石がそびえ、あたりには一本のかげさす木さえなかった。ある日のこと、そのふしぎな石は破裂して、けまりぐらいの石の卵をうんだ。それが雨風にさらされて、ひとつの石ザルとなり、目鼻も手足もそろってくると、たちまち、はったり歩いたりしはじめた。
そのサルは山の中で、とんだりはねたりできるようになると、草木をたべ、谷川の水をのみ、山の花をつんだり、木の実をとったりして、いろいろのけものとも友だちとなり、夜は岩がけのしたに宿り、ひるは峰の洞(ほら)にあそびなどして、まことにのんきに、月日のたつのも知らずに暮らしていた。
ある、焼けつくような暑い日、大ぜいのサルといっしょに、松かげで暑さをさけてあそんでいたが、やがてそれにもあきて、谷川へ水浴びにゆき、谷の清水がこんこんと泡だち流れているようすをみると、サルたちは声をそろえていった。
「いったいこの水は、どこから流れてくるんだろう。おれたちはきょうはひとつ、谷川をさかのぼって、水源(みなもと)をさぐってみようじゃないか。」
そしてワァッとさけぶと、大ザルも小ザルも、雄(お)ザルも雌(め)ザルもどっとばかりにかけだして、われがちにと山をよじ登り、たちまち水上へとゆきつくと、そこにはなんと、ひとつの滝がかかっていた。サルたちは手をうって、
「やあ、すごいぞ! こんな滝にお目にかかったのははじめてだ!」と、感嘆していると、そのなかの一ぴきが、
「だれかとびこんでいって、底を見とどけてくるような、えらいやつはいないかなあ。そうすりゃ、おれたちは、王さまにするんだがなあ。」
こう三(み)たびつづけてよぶと、たちまち一群(いちぐん)のなかから、れいの石ザルが、
「おう!」と答えて、おどり出してさけんだ。「おれがいこう、おれがいこう!」
勇ましくもかれは、目をつぶり、身をかがめて、ざんぶと滝つぼの中へおどりこんだ。ふとかれが目をひらき、頭をもたげてみると、そこにはなんと水も波もなく、くっきりとひとつの橋がかかっている。おちついてよく見ると、それは鉄の橋で、橋の下を水が、岩のあいだをつらぬいてほとばしり、さらに逆流してしぶきをあげ、橋からの出口をふさいでいるだけであった。
かれが橋の上に立って、こてをかざしてながめると、むこうに、まるで人の住みかのような、とてもよさそうな場所がみえる。はじめはへっぴりごしで進み、ようやく橋をわたってうかがうと、正面にひとつの建石(たていし)があり、その面(おもて)には大きな字で、「花果山福地(かかざんふくち)、水簾洞洞天(すいれんどうどうてん)」と彫りつけてあった。石ザルは大よろこびで、これだけさぐるとひき返して、また目をつぶり身をかがめて、水のそとへおどりだして、大にこにこでいった。
「やあ、諸君! しめたぞ、しめたぞ!」
「なかはどんなだったい? 水は深かったかい?」と、大ぜいのサルどもは口々にいう。
「なあに、水などはありはしない。ただひとつの鉄の橋があるだけで、そのむこうは、天然自然にできた住みかになっているんだ。」
「なんだ、なんだ、住みかだって?」
「つまりこの水は、橋の下をくぐって逆流し、しぶきをあげて入口をふさいでいるだけなんだ。橋のむこうは、木もあれば花もあり、いわば石の洞を利用した、けっこうな仙人の住まいで、中には石でできた鍋や、かまなどや、わんや、鉢や、寝台、腰かけまでそなわっていて、まったくおれたちの、もってこいの身のおちつけ場所だよ。それになかはひろくて、千人以上も住まえるくらいだ。おれたちはみんなでそこへいって、いつまでも暮らそうじゃないか。」
大ぜいのサルどもは、小おどりしていった。
「まず、きみがさきに立って、案内してくれたまえ。」
石ザルはそこで、またもや目をつぶり、おどりこんで、
「みんな、おれにつづいて、こい、こい!」
すると、二,三びきの大胆なものが、まずおどりこみ、臆病ものはもじもじしていたが、やがてぜんぶがとびこんでいった。そして橋をかけ渡ると、てんでにかまどや寝どこをとりあい、鉢やわんをうばいあって、あっちへはこび、こっちへうつつぃ、まさにあさましいサルの根性をさらけだしていたが、やっとへとへとにつかれはてて、しぜんにしずまった。とこのとき、石ザルはかたちをただして、上座(じょうざ)にすわり、
「諸君! 人間でも約束をまもらないものは、とりえがない、といっているが、さて諸君はさっき、ここを往復して、手傷ひとつおわないほどの腕まえのある者は、王にしようといったが、ぼくはたった今、とびこんだり出たり、また出たりとびこんだりして、諸君に安心して住まえる、こんなけっこうな住みかをあたえたんだから、ぼくを王としてもいいだろうね。」
大ぜいのサルはこれをきくと、即座におそれいって、年かさの順にならんで礼拝(らいはい)し、いっせいに、
「ばんざい、ばんざあい! 大王さま!」とよばわった。これより石ザルは王位にのぼって、「石」の字をとって、「美猴王」(訳者註:猴はサルの意味)と称し、もろもろのサルどもをしたがえ、家来どもにも役目をわけ、ひるは花果山にあそび、夜は水簾洞にねむって、王者としてのたのしい生活を送っていた。
こうして美猴王は、いつのまにか四、五百年を送ったが、ある日家来のサルどもと、ゆかいな酒もりのさいちゅう、ふと、ぽたりと涙をおとした。サルどもはびっくりして、一同頭をさげてたずねた。
「大王さまは、なにごとに心を痛めておられますか。」
「わしはな、こうしてたのしんでいるときでも、ふと将来のことが気にかかり、きゅうに悲しくなるんだよ。」
すると、大ぜいのサルはわらって、
「大王さま、われわれは毎日ゆかいに、こんな仙人の洞のようなけっこうなところで暮らし、人間どもや他の霊獣(れいじゅう)にも支配をうけず、自由にふるまっていられるなんて、こんなしあわせなことはございません。どうして将来のことなど考えて、くよくよしていられるんですか。」
「されば、こんにちはなにものの威光にも、おそれないでいられるが、やがては血気おとろえて、いったん命をうしなうと、かならず生きかわり死にかわりして、いつになってもとうとい神仙(しんせん)にはなれないものじゃ。わしはあすにもおまえたちに別れをつげて、地のはて海のすみまでもさまようて、きっと不老長生(ふろうちょうせい)の術(じゅつ)をまなんでこようと思うが、どうじゃ。」
これをきくと、一同は手をうって感心して、
「それはおめでたい! ではわれわれはあした、峰々(みねみね)をかけまわって、いろいろなくだものをあつめてまいり、大王さまをお送りする、大壮行会(だいそうこうかい)をひらきましょう。」
つぎの日には、サルどもはてんでに、めずらしいくだもの、薬草、花などをとってきて、石の食卓、石の腰かけをはらい、お酒やたべものを山ともって、美猴王を上座にすえ、じぶんたちは下座(げざ)にならんで、かわるがわるあるいは花、あるいは酒、あるいはくだものなどをささげたりして、一日中じゅうぶんにたのしみ暮らした。そのつぎの日の朝、美猴王はさっそく出発することにして、
「わしのために枯れ松を折って、いかだをあみ、竹をきって水馴(みなれ)ざおをつくり、木(こ)の実を少々あつめてくれ。」と命じた。こうしてひろちでいかだにのり、力まかせにこぎながら、波のまにまに大海へとのりだした。
かれがいかだでのりだしてからは、連日(れんじつ)東南の順風(じゅんぷう)がふきつづけたので、いつとはなく南贍部洲の西北岸へふきつけられた。かれは浅瀬へいかだをすてて、岸へおどりあがった。と見ると、人々がしきりに漁(りょう)をしている。かれがうまいことを思いつき、トラのまねをしてとびだすと、人々はびっくりして、ワッとかごや網まですてて、ちりぢりに逃げ去った。逃げおくれたひとりをとらえて、衣類をはぎ、見よう見まねで、それを身につけ、かれはなにくわぬ顔で人里に入り、またそこで人の作法やことばをならい、ただ一心に長生不老の術をえようと、神仙をたずねてまわったのだった。
かれが仙道(せんどう)をもとめて、南贍部洲をさまよっているあいだに、はや八、九年はたった。そしていつしか西洋大海の岸辺まできていた。かれは、――海のかなたには、かならず神仙がいますであろうと思ったので、またもやいかだをくんで、西牛賀州におしわたった。岸にのぼってしばらくいくと、まえに美しい高山がそびえ、ふもとにはこんもりと木がしげって、いかにも仙人が住みそうに、清らかに見える。やがてひとつの洞府(どうふ)[訳者註:ほらずまい]のまえに出たが、洞門(どうもん)はぴったりとしまり、ひっそりかんとして、たえて人影(ひとかげ)はない。ふと横をみると、岩のうえに建石が立っている。高さ三丈余(さんじょうよ)、はば八尺(はっしゃく)ばかり、「霊台方寸山(れいだいほうすんざん)、 斜月三星洞(しゃげつさんせいどう)」の十字がほってあった。
美猴王は、うれしさのあまり、しばらくは門をたたくこともわすれて、キャッキャッとはしゃぎ、ひさしぶりで松の木にかけのぼったりして、ひまをつぶしていると、かすかな物音とともに洞門がひらいて、なかからひとりの童(わらべ)がでてきた。仙童(せんどう)というのであろう、すがた顏立ちのすぐれて上品なことは、世のつねの子どものようではない。
童は外の様子をうかがうと、大声でよばわった。
「どなたさまですが、そこでさわいでいらっしゃるのは。」
美猴王は、ドサッと木からどびおり、かしこまっていった。
「わたくしは修業をつみ、仙術(せんじゅつ)をまなぼうとしているものです。ここでさわいでいるわけではございません。」
童はうなずいて、
「わが師(し)は、さきほど講壇(こうだん)にのぼって教えを説(と)かれようとするまえに、わたくしに、出ていって門をあけるようにお命(めい)じになり、『そとには修行者(しゅぎょうじゃ)がきているから、もてなしてやれ』といわれましたが、では、あなただったのですね。」
「さよう、さよう。まさにわたくしです。」
大にこにこでこういい、美猴王は身なりをととのえ、童にしたがって洞(どう)の奥にすすみ入ってみると、師の菩提祖師(ぼだいそし)は、台上にかたちを正してすわり、左右の台下(だいか)には、三十人ばかりの弟子たちが、ずらりと立ちならんでいる。このさまをひと目みるや、美猴王ははっとひざまずき、頭を地に打ちつけながら、うやうやしく言上(ごんじょう)した。
「お師匠(ししょう)さま! わたくしめを、どうぞお弟子のはしにお加えください。」
「なんじはいずれのものか。して生国(しょうごく)と姓名はなんと申すか。」
「わたくしめは、東勝神州傲来国(とうしょうしんしゅうごうらいこく)、花果山水簾洞(かかざんすいれんどう)のものでございまして……」と、いいかけると、祖師は声高(こわだか)にしかって、
「出てうせろ! そちはいつわり者じゃのう。なんのさとりの道などが修められるものか! 東勝神州からここまでには、ふたつの大海と、南贍部洲とをへだてているぞ。どうしてまいられよう。」
美猴王は、さらに頭をさげて、
「それがし海あれば海に浮かび、国あれば国をへめぐり、十数年にして、ようやくここまでまいりました。」
「なるほど、一歩々々と、まいったと申すのじゃな。してそちの姓(せい)は。」
「それがし姓はございません。」
「しからば、父母の姓はなんと申したか。」
「それがしには父母もございません。」
「それでは、木の又(また)からでも生まれたのか。」
「いえいえ、石のなかで育ったのでございます。なんでも花果山のいただきに、ひとつのふしぎな石がありまして、それが破裂いたしましたとき、それがしが生まれたのでございます。」
祖師はこれをきくと、たいへんよろこんで、
「さすれば、天地自然(てんちしぜん)の子じゃな。まず起きあがって、わしに歩いてみせよ。」
美猴王は、そこですっくと立ちあがり、しゃちこばって歩くことふたまわりばかり、と祖師はわらって、
「そちのようすはみにくいが、松の実をくらって生くる猢猻(こそん)[訳者註:サルの俗語]そのままじゃのう。わしはそれにちなんで、姓をつけてとらそう――猢(こ)はけものへんに古い月であるが、月は陰(いん)であるからよろしくない。つぎの猻(そん)の字は、けものへんに子(し)と系(けい)で、子は男子を意味し、系は血筋をあらわすから、めでたい字じゃ。よって猻(そん)からけものへんをけずって、『孫』としてつかわそう。どうじゃ。」
美猴王はこれをきいて、うれしくてたまらない。
「ありがたや! こんにちにしてはじめて姓をえましたのは、ただただお師匠さまのおかげでございます。……さてすでに姓をえましたからには、さらに名をも賜(たまわ)りましたほうが、呼びよくはございませんか。」
「わしのところでは、十二の字をとって、じゅんじゅんに名をあてているが、ちょうどそちは、十ばん目の字にあたる番だわい。」
「その十二の字と申しますると?」
「すなわち広大智慧(こうだいちえ)、真如性海(しんにょしょうかい)、穎悟円覚(えいごえんかく)――との経文の十二字じゃ。順(じゅん)にあてて、そちが『悟(ご)』の字にあたるから、そちの法名(ほうみょう)を『孫悟空(そんごくう)』と呼ぶことにいたそう。」
「ありがたや! ではこれより、孫悟空と名のることにいたしまする。」
美猴王(びこうおう)は、いや、もう孫悟空(そんごくう)になったかれは、大よろこびである。
当代きってのマルチ・エンターテイナー堺正章氏主演のTVドラマ『西遊記』のオープニングを思い出す。Go-Die-Go の主題歌「Monkey Magic」も好きだった。三蔵法師役のキャスティングには驚いたが見事にハマっていた。あの作品以来、三蔵法師を女優が演ずることに抵抗を感じなくなった。
文字化けしている場合に備え、画像をアップする。

第八十段 ― 2022年03月07日
ゲルト・フレーベからの連想。
彼が演じた最も有名なキャラクター(の一つ)は007シリーズ第3作『007/ゴールドフィンガー(Goldfinger)』(1964年)のラスボス(と言っても冒頭から出ているが)だろう。シャーリー・バッシー(Dame Shirley Veronica Bassey)の歌った主題歌も有名だが、その歌詞「He's the man, the man with the Midas touch」はギリシア神話に由来する。そのミダス(「マイダス」は英語読み)王の話。
前出ブルフィンチ『伝説の時代』より。
Bacchus, on a certain occasion, found his old schoolmaster and foster-father, Silenus, missing. The old man had been drinking, and in that state wandered away, and was found by some peasants, who carried him to their king, Midas. Midas recognized him, and treated him hospitably, entertaining him for ten days and nights with an unceasing round of jollity. On the eleventh day he brought Silenus back, and restored him in safety to his pupil. Whereupon Bacchus offered Midas his choice of a reward, whatever he might wish. He asked that whatever he might touch should be changed into GOLD. Bacchus consented, though sorry that he had not made a better choice. Midas went his way, rejoicing in his new-acquired power, which he hastened to put to the test. He could scarce believe his eyes when he found a twig of an oak, which he plucked from the branch, become gold in his hand. He took up a stone; it changed to gold. He touched a sod; it did the same. He took an apple from the tree; you would have thought he had robbed the garden of the Hesperides. His joy knew no bounds, and as soon as he got home, he ordered the servants to set a splendid repast on the table. Then he found to his dismay that whether he touched bread, it hardened in his hand; or put a morsel to his lips, it defied his teeth. He took a glass of wine, but it flowed down his throat like melted gold.
In consternation at the unprecedented affliction, he strove to divest himself of his power; he hated the gift he had lately coveted. But all in vain; starvation seemed to await him. He raised his arms, all shining with gold, in prayer to Bacchus, begging to be delivered from his glittering destruction. Bacchus, merciful deity, heard and consented. "Go," said he, "to the River Pactolus, trace the stream to its fountain-head, there plunge your head and body in, and wash away your fault and its punishment." He did so, and scarce had he touched the waters before the gold-creating power passed into them, and the river-sands became changed into GOLD, as they remain to this day.
ローマの詩人オウィディウス(Ovidius、Ovid、 紀元前43年-紀元後17(18?)年)作『変身譚(Metamorphoses)』ヴァージョン。原文がラテン語の詩なので英訳も脚韻を踏んでいる。
The Fable of Midas
Nor this suffic'd; the God's disgust remains,
And he resolves to quit their hated plains;
The vineyards of Tymole ingross his care,
And, with a better choir, he fixes there;
Where the smooth streams of clear Pactolus roll'd,
Then undistinguish'd for its sands of gold.
The satyrs with the nymphs, his usual throng,
Come to salute their God, and jovial danc'd along.
Silenus only miss'd; for while he reel'd,
Feeble with age, and wine, about the field,
The hoary drunkard had forgot his way,
And to the Phrygian clowns became a prey;
Who to king Midas drag the captive God,
While on his totty pate the wreaths of ivy nod.
Midas from Orpheus had been taught his lore,
And knew the rites of Bacchus long before.
He, when he saw his venerable guest,
In honour of the God ordain'd a feast.
Ten days in course, with each continu'd night,
Were spent in genial mirth, and brisk delight:
Then on th' eleventh, when with brighter ray
Phosphor had chac'd the fading stars away,
The king thro' Lydia's fields young Bacchus sought,
And to the God his foster-father brought.
Pleas'd with the welcome sight, he bids him soon
But name his wish, and swears to grant the boon.
A glorious offer! yet but ill bestow'd
On him whose choice so little judgment show'd.
Give me, says he (nor thought he ask'd too much),
That with my body whatsoe'er I touch,
Chang'd from the nature which it held of old,
May be converted into yellow gold.
He had his wish; but yet the God repin'd,
To think the fool no better wish could find.
But the brave king departed from the place,
With smiles of gladness sparkling in his face:
Nor could contain, but, as he took his way,
Impatient longs to make the first essay.
Down from a lowly branch a twig he drew,
The twig strait glitter'd with a golden hue:
He takes a stone, the stone was turn'd to gold;
A clod he touches, and the crumbling mold
Acknowledg'd soon the great transforming pow'r,
In weight and substance like a mass of ore.
He pluck'd the corn, and strait his grasp appears
Fill'd with a bending tuft of golden ears.
An apple next he takes, and seems to hold
The bright Hesperian vegetable gold.
His hand he careless on a pillar lays.
With shining gold the fluted pillars blaze:
And while he washes, as the servants pour,
His touch converts the stream to Danae's show'r.
To see these miracles so finely wrought,
Fires with transporting joy his giddy thought.
The ready slaves prepare a sumptuous board,
Spread with rich dainties for their happy lord;
Whose pow'rful hands the bread no sooner hold,
But its whole substance is transform'd to gold:
Up to his mouth he lifts the sav'ry meat,
Which turns to gold as he attempts to eat:
His patron's noble juice of purple hue,
Touch'd by his lips, a gilded cordial grew;
Unfit for drink, and wondrous to behold,
It trickles from his jaws a fluid gold.
The rich poor fool, confounded with surprize,
Starving in all his various plenty lies:
Sick of his wish, he now detests the pow'r,
For which he ask'd so earnestly before;
Amidst his gold with pinching famine curst;
And justly tortur'd with an equal thirst.
At last his shining arms to Heav'n he rears,
And in distress, for refuge, flies to pray'rs.
O father Bacchus, I have sinn'd, he cry'd,
And foolishly thy gracious gift apply'd;
Thy pity now, repenting, I implore;
Oh! may I feel the golden plague no more.
The hungry wretch, his folly thus confest,
Touch'd the kind deity's good-natur'd breast;
The gentle God annull'd his first decree,
And from the cruel compact set him free.
But then, to cleanse him quite from further harm,
And to dilute the relicks of the charm,
He bids him seek the stream that cuts the land
Nigh where the tow'rs of Lydian Sardis stand;
Then trace the river to the fountain head,
And meet it rising from its rocky bed;
There, as the bubling tide pours forth amain,
To plunge his body in, and wash away the stain.
The king instructed to the fount retires,
But with the golden charm the stream inspires:
For while this quality the man forsakes,
An equal pow'r the limpid water takes;
Informs with veins of gold the neighb'ring land,
And glides along a bed of golden sand.
第八十段の訳 1900年 ― 2022年03月08日
手がさはると黄金(上)
昔、或國に、黄金(オーゴン)ずきの王がありました。黄金でこしらへた器物類を、多く集めて、倉にをさめ、折々、それを見るのをば、第一の樂みとなされました。
此の王に、ことし五つになる王女がありました。王は、王女をちょーあいの餘り、どうか、黄金を、山程に集めて、此の子に殘したい、というて居られました。
或日、王は、例の通り、倉にはいって、黄金の器物を見て居られますと、金光りの神樣が、ふいと、王の前に現れて、「いかに、國王、わたしは、黄金の神ぢゃ。金がほしくば、幾らでもやりませうが、一たい、どれ程ほしいぞ。」と云はれました。
王は驚き喜んで、「どうか、あの向うの山程ほしうございます。」とおっしゃると、神樣は笑って、「たったそればかりでよいか。」と言はれます。さう言はれると、よくが出て、「そんならば、どうか、此の手のさはる物、何でもかでも、皆、金になるよーな術をさづけて下さい。」とおっしやる。「それは易いこと、そんなら、明日からは、お前の手がさはる物、皆、金にならうぞ。」といって、神樣の姿は、いつか、きえて無くなりました。
手がさはると黄金(下)
明くる朝、王は目をさまして、おき上り、着物を着かへようとせられると、ねまきがすぐ、金になった。「これはふしぎ。」と、そばの椅子(イス)に、手を掛けられると、椅子もすぐ、金になった。「何でも、此の通りか知らぬ。」と、机に、手をかけられると、机が金、書物に、手を掛けられると、書物が金、柱でも、窓掛でも、手のさはる限りの物が、殘らず、金に變りました。
王は驚き喜んで、氣ちがひのよーになって、庭じゅーをかけ歩いて、草だの、花だの、燈ろーだの、手水鉢(テウヅバチ)だの、ほとんど庭中を、金だらけになされました。
さて、奥殿にもどり、朝飯をたべようとなされますと、王女が、しくしくなきながら來られました。「なぜなくぞ。」と、王が問はれますと、「今、ばらをつみに、庭へ出たら、ばらが、皆、此のよーにかたうなって、金色になって、香ひが無くなってしまうた。」と云うて、ないて居られます。王は、少々案外ながら、いろいろになぐさめ、「まー、御飯でもおたべ。」といって、膳の上のはしを取られますと、其のはしが金、椀を持たれますと、其の椀が金、どうもしよーがありませぬ。
王女は、もーこらへかねて、聲をあげてなき出されました。王は困って、「なくななくな。」というて、だきよせられますと、や、大變、王女は、忽ち、なき顔のまゝ、金の像(ゾー)になってしまひました。
王は驚きかなしんで狂氣(キョーキ)のよーになり、「醫者を呼べ醫者を呼べ。」とさわぎ、さまざま手をつくされても、もとの王女にはなりませぬ。そこで、王は、始めて、目のさめたよーに、心得ちがひをくい、それから、すぐに、神樣に、願ひさげをなされました。其のおかげで、王女もいきかへり、金になったいろいろの草木、器物も、もとの通りになりました。めでたしめでたし。
『國語讀本 尋常小學校用』坪内雄藏(逍遥)著(1900年)より。
既出『高等小學校用』の姉妹篇。
ブルフィンチともオウィディウスとも異なる、他の原書からの訳と思われる。
やはり、「仮名遣い」「長音記号」「小書き」などの表記が統一されていないようだ。いろいろと試行錯誤(trial and error)していたのかも知れない。まあ、教育現場では教師が実際に指導するわけだから、少なくとも音読の教材としては問題が無いだろう。
ひょっとしたら、音読のトレーニングのために故意に表記を混在させているのかも知れないが。
・余談。
せっかくなので(?)、TV番組『オーケストラがやって来た』のテーマ曲を。
こういうタイプの曲はメロディ・ラインだけ取り出してもあんまり面白くない。
実際には、これをアレンジして演奏していた。
第八十段の訳 1932年 ― 2022年03月09日
何でも金(きん)になる話

昔々一人のたいへんなお金持がありました。その方はおまけに王樣で、名はマイダスといひました。この王樣には、一人の小さな王女がありましたが、その王女のことは僕のほかに知つてゐる者はなく、その僕でさへ、王女の名はつい聞きもらしたか、或は聞いたにしても、すつかり忘れてしまひました。だから、小さな女の子には妙な名前をつけることの好きな僕は、その王女を假にメアリゴウルドと呼んでおくことにしませう。
このマイダスといふ王樣は、世の中の他の何よりも金(きん)が好きでした。彼が自分の王冠を大切に思ふのも、主(おも)にそれが金で出來てゐるからでした。もしも彼が何か金以上に、或はほとんど金と同じ位に、愛してゐたものがあるとすれば、それは彼の足置臺のまはりで樂しく遊ぶたゞ一人の姫でした。しかし彼は姫を可愛く思へば思ふほど、一層お金(かね)が欲しくなるのでした。彼はおろかにも、彼がこの可愛い姫のためにしてやれる一番いゝことは、この世が始まつて以來、まだ積まれたこともないやうな、山吹色の、光り輝く金貨の大きな山を、彼女に遺してやることだと考へました。そんなわけで、彼は彼の頭と時間との全部を、この一つの目的のために費しました。彼はふと日沒の金色の雲に目をとめて、しばらくそれに見入ることでもあれば、それが本當の金であつて、彼の金庫の中へ大切にしまつておくことが出來たらどんなにいゝだらうと考へるのでした。また、メアリゴウルドが、きんぽうげやたんぽぽの花束を持つて、彼の方へ驅け寄つて來る時には、彼はいつも「へん、つまらない、娘や! もしもその花束が見かけ通り本當の金だつたら、摘む値打があるんだがね!」と言ふのでした。
そのくせ、もつと若い時分、まだ彼がそんなにお金(かね)ほしさの氣違ひになり切らないうちは、マイダス王も大變草花に趣味を持つてゐたのでした。彼は花園を造つて、そこには誰も今までに見たことも嗅いだこともないやうな、大きな、美しい、匂ひのいゝ薔薇が植ゑてありました。その薔薇は、マイダスがいつもそれを眺めたり、匂ひを嗅いだりしながら何時間も過ごした時と同樣に、大きく、美しく、匂ひもそのまゝに、今もその花園に咲いてゐました。しかし今では、彼が假にそれを一寸でも見るとすれば、もしもその數へ切れない程の花びらの一つ一つが薄い金の板で出來てゐるとして、この花園がどれ位の値打になるだらうと勘定して見るために過ぎませんでした。それからまた、(彼の耳は驢馬のやうだつたなんて、つまらない噂を立てる人もありますが)、一時彼は音樂を好いたこともあつたのですが、今では、氣の毒なマイダスにとつての唯一の音樂は、金貨同士がかち合つてちんちんと鳴る音でした。
とうとう(一體人間はだんだん利口になるやうに心がけないと、必ずだんだん馬鹿になるにきまつたものだから)、マイダスは金でないものは、どんなものでも、ほとんど見ることも手にすることもいやだといふやうな、てんで物の分らない人間になつてしまひました。その結果、彼は毎日の大部分を、彼の王宮の土臺の下の、暗い、淋しい地下室で送るやうな癖がつきました。彼は其處に金をしまつてゐたのです。彼は特に幸福になりたい時はいづでも、この陰氣な穴の中――といふのは、其處は土牢も同然だつたから――へはいつて行きました。彼は其處で、念入りに扉に錠を下してから、金貨のはいつた袋や、洗盤ほどもある金のコップや、重い金の延棒や十リットルもある金粉を取り出し、それを部屋の薄暗い隅つこから持ち出して來て、土牢のやうな窓から射し込む一筋の、明るい、細い日光に當てて見るのでした。彼が日光を有難く思つたのは、その助けがなくては彼の寶も光らないからだけのことでした。それから彼は、袋の中の金貨をすつかり數へて見たり、延棒を抛り上げて、落ちて來るところを受けて見たり、指の間から金粉をさらさらと落として見たり、それから、コップのつるつるした胴廻りにうつる自分の顏のをかしな映像(かげ)を眺めたりしては、「おう、マイダス、お金持の王樣マイダスよ、御身は何といふ仕合せ者だらう!」と獨りでささやいて見るのでした。しかし、彼の顏のかげが、コップのつるつるした表面から、彼に向つて齒をむき出して笑つてゐる樣子は、見るも滑稽なものでした。それは彼のおろかな行ひをちやんと知つてゐて、彼を馬鹿にし度がつてゐるやうにも見えました。
マイダスは自分を仕合せな人と呼んでは見たものの、まだ自分の望んでゐるほど幸福になり切つてゐないといふ氣がしました。全世界が彼の寶の庫となつて、それに全部自分のものである黄金が一杯にでもならなければ、すつかり滿足し切るところまでは行かなかつたのでせう。
さて、君達のやうな利口な子供には、こんなことを言ふ必要はないかと思ふが、マイダス王が生きてゐた古い古い昔には、今日(こんにち)此の國で起つたならば、われわれも不思議だと思ふやうなことが、いろいろ澤山ありました。その代りにまた、今日(こんにち)のいろいろの出來事のうちには、われわれにとつて不思議な氣がするばかりでなく、昔の人が見たら目をまるくしてしまふやうな事も澤山あるでせう。全體からいふと、昔と今とでは、今の方が僕は不思議な時代だと思ふ。しかし、それはどうでもいゝとして、僕は話を進めなければならない。
マイダスが或る日例によつて、寶の庫にはいつて樂しんでゐる時、山と積んだ金の上に影がさすのに氣がつきました。ふと顏を上げると、これはまたどうしたことか、一人の見たことのない人の姿が、明るい、細い日光の中に立つてゐるのです! それは快活さうな、血色のいゝ顏をした青年でした。あたりの物すべてが金色を帶びて見えるのは、マイダス王の氣のせゐか、それとも何かまた原因があるかは知らないが、彼はその見知らぬ人が彼に向ける微笑の中に、一種の金色の光が含まれてゐるやうな氣がしてなりませんでした。たしかに、見知らぬ人の姿が日の光をさへぎつてゐるにも拘らず、積み重ねられたすべての寶が、今では、前よりも一層光り輝いてゐるのです。一番隅つこの方までが、その人がにつこりと笑ふと、まるで焔や火花に照らされたやうに、ぱっと明るくなるのでした。
マイダスは錠前の鍵をちやんと下しておいたこと、それから人間の力ではとてもこの寶の庫に侵入することが出來ないことを知つてゐましたので、勿論、この人は人間以上の何者かに違ひないと判斷しました。その人は誰だつたかといふことは、別にこゝで言はなくてもいゝでせう。まだ地球が比較的新しい物だつたその頃には、男や女や子供達の喜びや悲しみに、半分は冗談に、半分は眞面目に、興味を持つた、超自然的な力を具(そな)へた、神樣みたいな人が、よくやつて來たらしいのです。マイダスは前にもそんな人に出會つたことがあるので、またやつて來られて困つたとは思ひませんでした。實際、その見知らぬ人の樣子は、慈悲深いとは云へないまでも、たいへん愛想がよく、やさしさうなので、何か惡いたくらみがあつて來たのではないかと疑つたりすることは間違つてゐるやうな氣がしました。それよりもずつと、マイダスに好意を持つて來てくれたらしい氣がしました。とすれば、彼の寶の山をもつと大きくしてやらうといふ以外に、好意はない筈ぢやないかしら?
見知らぬ人は部屋を眺めまはしました。そして彼の光を放つやうな微笑で、部屋の中の金で出來たいろいろの品物をみんなきらきらと光らせてから、またマイダスの方に向きなほりました。
「マイダスさん、あなたはお金持ですね!」彼は言ひました。「かうしてあなたが一生けんめいこの部屋に積上げられたほどの金のはいつた部屋は、世界中何處へ行つても、ほかにはなささうですね。」
「わしも可なり集めましたよ――可なりね、」とマイダスは、まだ滿足出來ないといつた調子で答へました。「しかし結局、これだけ集めるのに、一生かゝつたことを思ふと、あんまり少なすぎますよ。人間も千年くらゐ生きられるものなら、金持になる暇もありませうがね!」
「何ですつて!」と見知らぬ人は叫びました。「あんまり變つてゐるので、一寸お訊きするだけのことですが、是非一つ、うかゞひたいものですなあ。」

マイダスはちよつと考へ込みました。彼は、やさしい微笑に金色の光をさへ含んだ、この見知らぬ人は、彼の最大の望みを叶へる力もあり、またそれを叶へてくれるつもりで來たのぢやないかといふやうな蟲の知らせを感じました。だから、今こそ、彼の頭に浮かんだ、出來さうな相談は勿論、ちよつと出來ないやうな相談でも、たゞ口に出して頼みさへすれば、聞いてもらへるといふ、またとない機會なのです。そこで彼は考へに、考へて、黄金の山の上に、また黄金の山と、頭の中でいくつも積み重ねて見ましたが、なかなかこれでいゝといふ大きさにはならないのでした。とうとう、すばらしい考へがマイダスの胸に浮かびました。それは本當に、彼の大好きな金にも負けない位すばらしいもののやうな氣がしました。
彼は頭を上げて、この光り耀く見知らぬ人をまともに見ました。
「どうしました、マイダスさん、」とその人は言ひました。「何か氣に入つた考へが浮かんだやうですね。あなたの望みを言つて下さい。」
「たゞかういふことなんですが、」とマイダスは答へました。「こんなに骨を折つて寶を集めて、力一杯やつた結果が、こんなちつぽけなものかと思ふと、わしはうんざりしてしまふのです。わしはさはつた者が何でも金になつてくれたら、どんなにいゝかと思ひますな!」
その見知らぬ人の微笑が、あまりあからさまになつたので、それは、こんもりとした谿間へお日樣がぱつと射し込んだやうに、部屋中を照らすかに見えました。そして金塊や金粉は、明るい光の中に散り敷いた、黄色い秋の木(こ)の葉のやうに見えたのでした。
「さはれば何でも金になる力ですつて!」とその人は叫びました。「そんなにすばらしいことを考へつくなんて、マイダスさん、あなたもたしかに相當なもんですね。しかし、それで間違ひなくあなたは滿足するでせうか?」
「それで滿足しないなんてことがあつてたまるもんですか!」
「そんな力が出來て、あとで困つたなんてことは、絶對にないでせうか?」
「一體、どうして困るなんてことになるでせう?」とマイダスは問ひ返しました。「わしは、このことさへ聞き入れてもらへれば、完全に幸福になれるんです。」
「では、あなたの望み通りになるやうに、」と、その見知らぬ人は答へて、別れのしるしに手を振りました。「明日、日の出る時になれば、あなたは何でも金にする力を授つてゐるでせう。」
と言つたかと思ふと、その見知らぬ人の姿がとても光り出したので、マイダスは思はず目を閉ぢました。今度目をあけて見ると、部屋の中にはたゞ、一筋の日の光と、それから、彼の周り中に、彼が一生かゝつてため込んだ金がきらきらと耀いてゐるのとが見えるばかりでした。
マイダスがその晩、平常通り眠つたかどうかは、この話に出てゐません。しかし、眠つたにしても、覺めてゐたにしても、彼の心はおそらく、明日になつたら新しい、いゝ玩具を上げようと約束された子供みたいに、わくわくしてゐたことだらうと思はれます。とにかく、お日樣が山から顏を出すか出さないうちに、マイダス王はすつかり目を覺まして、寢床の中から腕を伸ばして、手の屆くところにある物をさはり始めました。彼は果してあの見知らぬ人の約束通り、何でも金にしてしまふ力が出來たかどうか、ためして見たくてならなかつたのです。だから彼は寢臺の傍の椅子や、そのほかいろいろなものに指を觸れて見ましたが、それがまるでもとのまゝで、少しも變つたものにならないので、ひどくがつかりしました。實際彼は、どうかするとあの光り耀く見知らぬ人の夢を見てゐただけなのか、それともあの人が彼をからかつたのではないかしらと、たいへん心配になつて來ました。あんなに樂しみにしてゐたのに、何でも一寸さはつて金にしてしまふといふのではなくて、相變らず普通の方法で、わづかな金を掻き集めて、行くことに滿足しなければならないとしたら、どんなにつまらないでせう!
その時はまだ明け方のうす暗がりで、東の空の下の方が、ほんの一すぢ明るくなつてゐただけでしたが、マイダスの寢てゐるところからは、それは見えませんでした。彼は大變がつかりした氣持になつて、あてがはづれてしまつたのをいまいましく思ひ、だんだん悲しくなるばかりでしたが、そのうちにとうとう朝の最初の日影が窓からさしこんで來て、彼の頭の上の天井を金色に染めました。マイダスには、この黄色い日影が、寢床の白い覆布(おほひ)に何だか變な風にうつつてゐるやうな氣がしました。それをもつとよく見て、リンネルの布地が、まるでまじりけのない、きらきらした金の織物のやうに變つてゐたことを知つた時の彼の驚きと喜びとはどんなだつたでせう! さはれば何でも金になる力が、朝日の光と一しよに、彼に授つたではありませんか!
マイダスは喜びのあまり、氣違ひのやうになつて飛び起きました。そして部屋中を驅け廻つて、何でもその邊にある物を手當り次第につかみました。彼は寢臺の柱の一つをつかむと、それはたちまち丸溝(まるみぞ)のついた金の柱になりました。彼は自分がおこなつてゐる奇蹟を、もつとはつきりと見るために、窓掛を一枚引きよせましたが、窓掛の總(ふさ)がまた手の中で重くなつたと思ふと――もう金のかたまりになつてゐました。彼は机から一册の本を取り上げました。一寸さはつただけで、その本はわれわれが近頃よく見るやうな立派な裝幀の、金縁(きんぶち)の本みたいになりましたが、指を紙の間に通すと、これはしたり! それは金箔を綴(と)じたやうになつて、中に書いてあつた立派な文句はすつかり見えなくなつてしまひました。彼は急いで着物を着ました。それがまた金の布地で仕立てた堂々たる衣裳に變つたので、彼は夢中になりました。それはいくらかその重みで、荷になるやうな氣がしましたが、地質の柔軟(やはらか)さはもとのまゝに殘つてゐました。彼は小さなメアリゴウルドが縁取(ふちどり)をしてくれたハンカチを取り出しました。そのハンカチもまた、可愛いメアリゴウルドが手際よく、きれいに縁をずうっと縫つたあとが金絲となつてついたまゝ、金になつてしまひました。
どうしたわけか、このハンカチが金になつたといふことだけは、マイダス王もあまりうれしく思ひませんでした。彼も、小さな姫の手藝品だけは、姫が彼の膝に上つて、彼の手に渡した時そのまゝであつてほしかつたのです。
しかし些細なことで氣を揉んでもつまりません。マイダスはそこで、自分のやつてゐることを一層はつきりと見るために、ポケットから眼鏡を取り出して、鼻にかけました。その時分には、一般の人達が使ふ眼鏡は出來てゐなかつたが、王樣達はもうかけてゐました。でなければ、どうしてマイダスだつて眼鏡を持つてゐる筈がありませう? ところが、彼が大變面喰(めんくら)つたことには、その硝子は上等だのに、ちつとも見えないことが分つたのです。しかしこれほど當り前なことはないわけで、といふのは、はづして見ると、透徹(すきとほ)つてゐた筈の上等ガラスが、金の板になつてしまつてゐて、勿論、金としては値打があつても、眼鏡としては使ひものにならなくなつてゐたからでした。いくらお金があつても、役に立つだけの眼鏡を二度と持つことが出來ないやうな貧乏人も同樣になつたといふことは、どうも困つたことだとマイダスは思ひました。
「しかし、大したことぢやない、」と、マイダスは大變落着いて、獨り言をいひました。「多少の不便が伴はないで、大變いゝことがあるなんて思ふのは蟲がよすぎるんだ。さはれば何でも金になるやうな力のためには、少なくとも盲にさへならなければ、眼鏡の一つ位は棒に振つてもいゝ。わしの目は普通のことには不自由はしないし、それに小さなメアリゴウルドも、ぢきにものを讀んで聞かせてくれる位の大きさにはなるだらう。」
お目出度いマイダス王は、彼の幸運をあんまり喜んでしまつて、王宮さへも彼が彼がはいつてゐるには少し狹いいやうな氣がしました。そこで彼は階下(した)へ下りて行きましたが、そのとき彼が手でずうっと撫でて下りた階段の手欄(てすり)が、磨いた金の棒になつてしまつたので、またにこにこ顏になりました。彼は扉の「かきがね」を上げて(それもほんの今し方まで眞鍮だつたののが、彼の指が離れた時にはもう金になつてゐた)、庭へ出ました。丁度其處では、澤山の美しい薔薇が滿開で、そのほかに蕾やら、八分咲きやら、いろいろありました。それが朝のそよ風の中に、えもいはれぬ香氣(にほひ)をたゞよはせてゐました。それらの薔薇の、美しい赤らみは、ほかではちよつと見られない程のもので、とてもやさしく、つゝましく、何ともいへない靜かさに滿ちてゐました。
しかしマイダスは、彼一流の考へ方から云つて、この庭の薔薇を、今までのどんな薔薇よりもずつと値打のあるものとする方法を知つてゐました。そこで彼は一生けんめいに薔薇の藪から藪へと飛び廻つて、とても根氣よく彼の魔力を振ひましたので、とうとう花も蕾も一つ殘らず、いやその心(しん)にもぐつてゐた蟲までが、金になつてしまひました。この結構な仕事がすつかり終らないうちに、マイダス王は朝飯に呼ばれましたが、朝の空氣のために大變お腹がすいてゐたので、急いで宮殿へ歸つて行きました。
マイダスの時代には、王樣の朝御飯がどんなものだつたかは、僕は本當に知らないし、又こゝでそれを穿鑿してゐるわけにもゆきません。しかし、この記念すべき朝の食卓には、ホットケイキ、おいしい小さな川鱒(かはます)、ロース燒の馬鈴薯、新鮮な茹卵(ゆでたまご)、それからコーヒーなどをマイダスに、そして姫のメアリゴウルドのためには一杯のパン入りミルクが供へてあつたことと思ひます。とにかく、これならば王樣の前に供へても恥づかしくない朝飯でせう。マイダス王が果してこんな朝飯を食べたかどうかは分らないが、まあこれ以上のことはなかつたらうと思ひます。
小さなメアリゴウルドは、まだ姿を見せませんでした。マイダスは彼女を呼ぶやうに言つて、朝飯を始めるために食卓について、姫の來るのを待つてゐました。公平に見て、彼は本當に姫を愛してゐました。今朝はまた、彼にふりかゝつて來た幸運のために、その愛情が一層深くなつてゐました。しばらくするうちに、姫がひどく泣きながら廊下をやつて來るのが聞えました。姫が泣くなんて彼には意外なことでした。何故なら、メアリゴウルドは夏の日に遊びたはむれてゐるのをよく見かけるやうな子供達のうちでも一番元氣な一人で、年中ちよつとでも涙を流すやうなことない子でしたから。マイダスは彼女が泣きじやくるのを聞いた時、あつと驚いて喜びさうなことをやつて見せて、可愛いメアリゴウルドの機嫌を直させようと決心しました。そこで、テイブルの上へ乘り出して、彼女の鉢にさはりました。それは支那出來の鉢で、まはりに綺麗な人物が描いてありましたが、それをきらきらした金の鉢にしてしまつたのです。
そのうちにメアリゴウルドが、しぶしぶと扉をあけて、目にエプロンを當てたまゝ、まだ胸も張り裂けるばかりに泣きじやくりながらはいつて來ました。
「おや、どうしたの、姫や!」とマイダスは叫びました。「このお天氣のいゝ朝に、一體どうしたことぢや?」
メアリゴウルドは目にエプロンを當てたまゝ、手をさし出しましたが、その手にはマイダスが今しがた金にしたばかりの薔薇の一つがありました。
「美事ぢや!」と父は叫びました。「してこの大した金の薔薇の何處が氣に入らなくて泣くのかね?」
「あゝ、お父さま!」と姫はすゝり泣きのうちにも、出來るだけはつきりと答へました。「これ美しかあないわ、こんなきたない花つてないわ! あたし着物を着るとすぐに、薔薇を摘まうと思つてお庭へ驅けて行つたのよ。だつて、お父さまは薔薇がお好きでしよ、あたしが摘んだのは餘計にお好きでしよ。だのに、まあ、まあ! どんなことになつてゐたと思つて? とてもひどいことになつちやつたのよ! あんなにいゝ匂ひがして、あんなにとりどりのきれいな紅色(べにいろ)をしてゐた美しい薔薇が、みんな病氣になつてめちやめちやになつちやつたのよ! これ、この通り、みんなまるで黄色くなつちやつて、もう匂ひもなんにもないの! 一體どうしたといふんでせうね?」
「なあんだ、わしの可愛い姫や――そんなことで泣くんぢやないよ!」とマイダスは言つたものの、姫をこんなにひどく悲しませた變化を自分の手でおこなつたのだと打明けることは、恥づかしくて出來ませんでした。「坐つてパン入りのミルクをおあがり! 何百年でも保(も)つやうな、こんな金の薔薇を持つてれば、一日で凋(しぼ)むやうなたゞの薔薇となら、何時でも取換へられるからね。」
「あたしこんな薔薇はいやです!」とメアリゴウルドは叫んで、それを三文の値打もないもののやうに投げ棄てました。「ちつとも匂ひはないし、固い花瓣が花を刺して痛いんだもの!」
姫はもう食卓についてゐましたが、黄色くなつてしまつた薔薇に對する悲しみで心が一杯だつたので、彼女の支那鉢の驚くべき變化にも氣がつきませんでした。多分その方がずつとよかつたのでせう、といふのは、メアリゴウルドは、鉢のまはりに描いてある奇妙な人物や、變つた木や家を見て、いつも喜んでゐたのに、今ではそれらの繪がすつかり金の黄色の中に消え去つてゐたからです。
その間にマイダスは、一杯のコーヒーを注(つ)いでゐました。勿論コーヒー注ぎも、彼がそれを取り上げた時はどんな金屬(かね)で出來てゐたにせよ、それを下に置いた時にはもう金になつてゐました。彼は自分みたいな質素な日常を送る王樣としては、金づくめの食器で朝飯をたべるなんて、隨分贅澤なやり方だなあと、獨りで考へました。そして、こんな風にどんどん出來て來る寶物を安全にしまつておくことは容易ぢやないので、閉口し始めました。もはや戸棚や臺所では、金の鉢やコーヒー注ぎのやうな高價なものをしまつておく場所としては、大丈夫とは云へませんでした。
こんなことを考へながら、彼はコーヒーを一匙すくつて口へ持つて行きました。そしてすゝつて見て、それが唇に觸れた瞬間に、熔かした金になり、次の瞬間には金のかたまりになつたのを見てびつくりしました。
「はあ!」マイダスはすこしあきれて叫びました。
「どうしたの、お父さま?」と小さなメアリゴウルドは尋ねて、目に涙をためたまゝで、じつと彼を見つめました。
「何でもない、娘や、何でもないんだよ!」マイダスは言ひました。「冷めないうちにミルクをおあがり。」
彼は皿の上のおいしさうな川鱒を一尾取つて、試驗の意味で、その尻尾を指でさはつて見ました。驚いたことには、そのおいしさうに出來た川鱒のフライが、金の魚になつてしまひました。但し金の魚といつても、客間の裝飾としてガラス鉢の中によく飼はれてゐるやうな金魚になつたのではありません。さうぢやなくて、本當に金で出來た魚になつたのでした。そして、世界一の金細工師の手でたくみに作られたかのやうに見えました。その小さな骨は今では金の針金となり、鰭と尻尾とは薄い金の板となり、フォークで突ついた痕までついてゐて、上手に揚がつた魚の、こまかい、つぶつぶした外觀までが、すべてそつくりそのまゝ金で出來てゐるのでした。君達も想像がつくことと思ふが、實にきれいな細工物でした。たゞマイダス王も、この時ばかりは、こんな手の込んだ、高價な魚の模型よりも、眞物(ほんもの)の川鱒がお皿に乘つてゐた方がどんなにいゝか知れないと思ひました。
「これぢや一體どうして朝飯を食べたものか、まるで分らなくなつてしまふ、」とマイダスは獨りで考へました。
彼がほやほやのホットケイキの一つを取つて、こはすかこはさないうちに、ひどく困つたことには、一瞬間前まで眞白な小麥粉で出來てゐたものが、玉蜀黍(たうもろこし)の粉でつくつたやうに黄色がかつて來ました。實のところ、もしそれが本當に出來たての玉蜀黍のお菓子だつたら、ずつと有難かつたのですが、最早その固さと急に重くなつたこととで、これもまた金になつてしまつたことが、はつきり分り過ぎて、一向に有難くないのでした。殆どやけになつて、彼は茹卵(ゆでたまご)を取つて食べようとしましたが、これもすぐに川鱒やお菓子と同じやうに、金になつてしまひました。その卵は實際、お話の本に出て來るあの有名な鵞鳥が、いつも産んでゐたといふ金の卵の一つと間違へられさうでした。しかしその卵が金になつてしまつたのは、誰のせゐでもなく、マイダス王自身がさうしてしまつたのです。
「はてさて、これは困つたこどぢや!」と彼は考へながら、椅子にもたれて、小さなメアリゴウルドの方をひどくうらやましさうに見ました。彼女はもう大變おいしさうに、パン入りのミルクをたべてゐるのでした。「自分の前にはこんなに贅澤な朝飯がある。それてゐて、何一つ食べられるものはないのだ!」
今では相當厄介な氣がして來た。何でも金にしてしまふ力も、大急行で食べれば、避けられるかも知れないと思つて、マイダス王は、今度は熱い馬鈴薯をつかんで、口の中へ押込み、それを急いでのみ込まうとしました。しかし、觸れたものをたちまち金にしてしまふ力の速さにはかなひませんでした。彼の口は、粉を吹いた馬鈴薯ぢやない、こちこちの金の薯で一杯でした。それがまた彼の下を燒いたので、彼は大聲でうなつて、食卓から跳び上がつて、痛さとびつくりとで、踊つたり、どたばたと足を踏み鳴らしたりして、部屋の中を飛び廻り始めました。
「お父さま、ねえお父さま!」と孝行者の小さなメアリゴウルドは叫びました。「一體どうなさつたの? お口が熱かつたの?」
「あゝ、可愛い姫よ、」マイダスは悲しさうにうなりながら言ひました、「お前のお父さんはどうなつてしまふか分らないよ!」
本當に君達、生れてからこんななさけない話つて聞いたことがありますか? 王樣の前に供へることの出來る、文字通りこの上なしの金目(かねめ)の朝飯が出てゐるのに、その金目のためにこそ、却つてそれがなんにもならないものになつてゐるのです。これでは、本當にその重さだけの金(きん)の値打があるやうな御馳走を前にしたマイダス王よりも、パン屑と水とですましてゐつやうな、この上もなく貧乏な勞働者の方が、ずつと暮向(くらしむき)がいゝといふことになるわけです。ぢや、どうすればいゝんでせう? 朝飯の時に、もうマイダスは大變お腹がすいてゐました。晝御飯までにそれ以上お腹がすかないわけはありません。すると、晩御飯の時にでもなつたら、どんなにがつがつして來るか分りません。しかも、晩御飯とても、きつと今日の前にあるのと同じやうな不消化な御馳走に違ひありません! かうして、金づくめの贅澤な御馳走つゞきで、彼が幾日生きて行けると君達は思ひますか?
こんなことをいろいろと考へて見ると、さすが慾馬鹿のマイダス王も、心配になつて來て、果してお金(かね)さへあればほかになんにも要らないで通せるものかどうか、又いろいろとほしい物のうちでお金が第一のものかどうかさへも疑はしくなつて來ました。しかしこんなことは、ちよつと考へて見ただけのことでした。黄金の光に對するマイダスの迷ひ方と來ては、大變なものでしたので、朝飯のやうなつまらないことのために、何でも金にする力を棒に振つてしまふ氣には、まだまだなれませんでした。そんなことでもしたら、一回分の食膳がどんなに高いものにつくか、まあ考へてもごらんなさい! 少しばかりの川鱒と卵と馬鈴薯とホットケイキとコーヒー一杯とに對して、何百萬圓も何百萬圓も、いやその上いつまで數へても數へ切れないほどのお金を拂ふのとゞぢやありませんか? 「それぢや全く高すぎるわい、」とマイダスは思ひました。
それにしても、お腹のすき方はあまりひどいし、全くどうしていゝやら分らないので、彼はまた大きな聲で、その上たいへん悲しさうに唸りました。可愛いメアリゴウルドは、もうこの上辛抱は出來ませんでした。彼女は一寸の間父を見つめたまゝ坐つて、一生けんめい小さな頭を絞つて、父がどうしたのかを知らうと努めました。それから、父を慰めようとのやさしい、いぢらしい氣持から、椅子を立つて、マイダスのところへ驅け寄り、かたく彼の膝にすがりつきました。彼は屈み込んで、姫に接吻しました。彼は何でも金にする力によつて得たものよりも、彼の小さな姫の愛情の方が何千倍貴いか知れないと思ひました。
「わしの大事な、大事なメアリゴウルドよ!」と彼は叫びました。
しかしメアリゴウルドの返事はありませんでした。
あゝ、彼は何といふことをしてしまつたのでせう! あの見知らぬ人が彼に與へた力は、何とおそろしいものだつたのでせう! マイダスの唇がメアリゴウルドの額に觸れたその瞬間に、一つの變化が起つたのです。あんなに深い愛情に滿ちてゐた彼女の可愛い、薔薇色の顏が、きらきらした金色に變り、頬を傳ふ涙さへそのまゝ黄色くかたまつてしまひました。彼女の美しい鳶色の卷毛も同じやうな色になりました。彼女のやはらかい小さなからだは、父の腕に抱かれたまゝ、固く、しやちこばつてしまひました。おう、何といふおそろしい災難でせう! 彼のきりのないお金に對する慾望の犧牲となつて、小さなメアリゴウルドは、最早生きた子供ではなく、黄金の像になつてしまつたではありませんか!

さうです、彼女はやさしく、悲しく、氣の毒さうに、お父さまどうしたのとでも問ひたげな表情のまゝで、顏が固まつてしまつたのでした。それはこれまで人間が見たうちで、一番可愛らしく、しかも一番いたましい姿でした。メアリゴウルドの目鼻立や特徴はすべてそのまゝで、可愛らしい小さな靨(ゑくぼ)さへ、その金色の頤(あご)に殘つてゐました。しかし、そつくりそのまゝに似てれば似てるほど、娘の殘して行つた形見のすべてともいふべきこの黄金像を眺める父の悲しみは大きいのでした。姫が可愛くてならない時にはいつでも、お前はお前の重さだけの金の値打があると言ふのが、マイダスの好きなおきまり文句でした。そして今やその文句は、文字通りほんたうになつてしまひました。そして遂にもう間に合はない今となつて、彼は彼を愛してくれる暖い、やさしい心の方が、天地の間に積み上げることの出來る、どれほどの寶よりも、どんなに貴いか知れないといふことを、しみじみと感じたのでした。
いよいよ彼の願ひが十分に叶へられた時になつて、彼が手を揉み絞つて嘆き始めた有樣や、メアリゴウルドを正視するにも忍びないし、それかといつて彼女から目を離すことも出來なかつた彼の心のうちなどを、一々述べてゐたら、隨分と悲しい話になつてしまふでせう。とにかく、彼の目がその像に注(そゝ)がれてゐる時のほかは、彼はどうしても姫が金になつてしまつたとは信じられませんでした。しかし、またちらつと盜見(ぬすみゝ)すると、やはり黄色い頬に黄色い涙をつけた、大事なわが子の像があるのです。そのいぢらしい、やさしい顏附といつたら、まるでその表情の力で、きつと金をやはらげて、再びもとの生身(いきみ)に返るに違ひないと思はれるほどでした。しかし、さうは行きませんでした。だから、マイダスはたゞ手を揉み絞つて、もしも彼の財産を全部投げ出して可愛い姫の顏に少しでももとの薔薇色が返つて來るものなら、どんな貧乏人になつてもいゝと思ふばかりでした。
かうして絶望にあがき苦しんでゐた時、彼は見知らぬ人が戸口の傍に立つてゐるのにふと氣がつきました。マイダスは頭を垂れて、いふ言葉もありませんでした。といふのは、それが昨日彼の寶の庫に現れて、何でも金にするといふ飛んでもない力を彼に授けて行つたのと同じ人の姿だといふことが分つたからです。その人は相變らず顏に微笑を含んでゐましたが、その微笑は部屋中に黄色い光を放つて、小さなメアリゴウルドの像や、そのほかマイダスの手に觸れて金になつたいろんなものを照らしてゐるやうな氣がしました。
「どうです、マイダスさん、」とその人は言ひました、「何でも金にする力は、うまく行きましたかね?」
マイダスは頭を振りました。
「わしはとても不幸です。」と彼は言ひました。
「とても不幸ですつて、まさか!」と見知らぬ人は叫びました。「それはまたどうしてでせう? わたしはあなたに對して忠實に約束を守つたぢやありませんか。あなたは心の願ひのすべてを得たんぢやないですか?」
「金(きん)さへあればいゝといふわけにはゆきません、」とマイダスは答へました。「その上、わしは本當に大切に思つてゐたものの全部を失つてしまひました。」
「あゝ! それぢやあなたは、昨日より一つ利口になりましたね?」と見知らぬ人は言ひました。「それぢやちよつと訊きますがね。何でも金にする力と、一杯のきれいな、つめたい水と――この二つのうちぢや、どつちが本當に値打があると思ひますか?」
「おう、それはもう有難い水の方です!」とマイダスは叫びました。「ところが、わしはいくら喉が乾いても、二度と水を飮むことが出來ないのです。」
「何でも金にする力ですか、」見知らぬ人はつゞけて言ひました、「それとも一片のパン屑ですか?」
「一切れのパンは世界中の金ほどの値打があります!」とマイダスは答へました。
「何でも金にする力ですか、」見知らぬ人はまた訊きました、「それとも一時間前のやうな、暖い、やはらかい、愛情のある、あなたの小さなメアリゴウルドですか?」
「おうそればわしの子、わしの可愛い子にきまつてゐます!」と氣の毒はマイダスは、手を揉み絞りながら叫びました。「この大きな地球全體を金のかたまりにしてしまふやうな力と取りかへようと言はれても、わしはあの子の頤(あご)にある小さな靨(ゑくぼ)一つもくれるんぢやなかつた!」
「あなたは前よりも賢くなりましたね、マイダス王、」と見知らぬ人は、眞面目な顏になつて言ひました。「なるほど、あなたの心までが、まだすつかり肉から金になつてしまつてゐたわけではなかつたんですね。もしさうなつてゐたらあなたは本當にもう見込みはなかつたでせう。しかしあなたはまだ、誰の手でも屆くやうな所にある極く平凡なものの方が、大勢の人達がそれをほしがつて溜息をついたり、爭つたりしてゐる財寶よりも貴いものだといふことがお分りのやうですね。さあ、あなたは心底(しんそこ)から、何でも金にする力を捨てたいと思つてゐるのか、それを聞かして下さい。』
「何でも金にする力なんてもういやです!」とマイダスは答へました。
蠅が一匹彼の鼻にとまつたと思ふと、すぐ床(ゆか)に落ちてしまひました。それもやはり金になつてしまつたからでした。マイダスはぞつと身ぶるひしました。
「では、あなたの庭の下をしづかに流れてゐるあの川へ行つて、水に飛び込みなさい、」と見知らぬ人は言ひました。「それと一しよに、あそこの水を瓶(かめ)に一杯持つて來て、何でも金から再びもとの物にしたいと思ふものにふりかけなさい。もしもあなたが本氣で心からさうすれば、あなたの慾ばりから起つたわざわひを、もとに返すことが出來るでせう。」
マイダス王は低く頭を下げました。そして彼が顏を上げた時には、もうその光り耀く人は消えてしまつてゐました。
マイダスがすぐさま大きな土燒の瓶を取り上げて(しかし、あゝ! それも彼がさはつたらもう土製ではなくなりました)、川へ急いだことはすぐ君達にも分るでせう。彼が驅けながら、灌木の間を押分けて行くと、ほかはさうでないのに、彼の通つたあとだけが、秋が來たやうに木の葉が黄色くなつて行く有樣を見てゐると、全く不思議な氣がしました。川の縁まで行くと、彼は服を脱ぐ暇も待たないで、頭から飛込みました。
「プーッ、プーッ、プーッ!」と、マイダス王は水から頭を出して鼻を鳴らしました。「なるほど、これは氣持のいゝ行水だ。これですつかり、何でも金にする力を洗ひ落してしまつたに違ひないと思ふ。さて、これから瓶一杯に水を入れるとしよう!」

彼は川の水に瓶を浸(つ)けた時、彼がそれを手にする前の通りに、金から立派な、ほんものの土燒の器(うつは)になつたのを見て、心からうれしく思ひました。彼はまた、自分のからだにも變化を覺えました。冷たく、固く、のしかゝつて來るやうな重みが、彼の胸から消え去つて行くやうな氣がしたのです。きつと彼の心臟も、だんだんと人間らしい性質を失つて、死んだ金に變りかゝつてゐたのですが、今度はまたもと通りのやはらかい肉に返つたのでせう。川の岸に生えてゐる菫の花を見つけて、指で一寸さはつて見ましたが、もう黄色に變つてしまふやうなこともなく、その可憐な花が紫のまゝだといふことが分つたので、マイダスは飛び立つばかりに喜びました。つまり、さはれば何でも金になるといふ厄介な力が、本當に彼から無くなつたのでした。
マイダス王は王宮へ急いで戻りました。召使達は、陛下が土燒の瓶に一杯水を入れて、大切さうに持つておいでになるのを見た時、さつぱりわけが分らなかつたことだらうと思ひます。しかし、彼のおろかさから來たわざはひのすべてをもと通りにしてくれる筈の、その水は、マイダスにとつては熔かした金の海よりも貴かつたのです。彼が先づ最初にしたことは、云ふまでもなく、その水を手に一杯すくつては、小さなメアリゴウルドの黄金像にふりかけることでした。
彼女に水がかゝると、みるみる姫の頬に薔薇色が返つて來るやら――くさめをしたり、ぺっぺっと水を吐いたりし始めるやら――自分がびしよ濡れになつてゐるのに、まだお父さんが水をぶつかけてゐるので、びつくりするやらで――君達がその有樣を見てゐたら、噴き出してしまつたことでせう!
「ほんとに止(よ)して頂戴、お父さま!」と彼女は叫びました。「あたしが今朝着たばかりのいゝ洋服を、こんなにびしよびしよにしてしまつたぢやないの!」
といふのは、彼女は小さな黄金像になつてゐたなんてことは知らなかつたし、また、氣の毒な父を慰めようとして、腕をひろげて、驅けて行つた瞬間から、あとはもうどんなことが起つたのか、なんにも覺えがなかつたからでした。
彼女のお父さんは、可愛い娘に、自分がどんなに大馬鹿だつたかをわざわざ話す必要もないと思つたので、今ではどんなに賢くなつたかを見せるだけにしておきました。さうして賢くなつたところを見せるために、彼はメアリゴウルドを庭へつれて行つて、殘りの水をすつかり薔薇の藪の上にふりかけました。するとその利目(きゝめ)がとてもよくあらはれて、五千以上の薔薇の花が、もと通り美事に咲き匂ひました。しかし、死ぬまでマイダス王に、何でも金にする力を思ひ出させたものが二つありました。その一つは、庭の下を流れる川の砂で、いつまでも金のやうに輝いてゐました。他の一つは、今では金色になつてゐるメアリゴウルドの髮の毛で、彼の接吻の力で彼女が金になるまでは、そんなことはなかつたのでした。この色合の變化は、本當に前よりもよくなつたといふもので、メアリゴウルドの髮を赤ちやんの時よりも立派に見せました。
マイダス王は、すつかりいゝおぢいさんになつて、いつもメアリゴウルドの子供達を膝にのせて、ぴよんぴよんさせたりしながら、この不思議な話を、僕が今君達にしたのと大體同じやうに、話して聞かせるのが好きでした。そのあとで、いつも彼は孫達のつやつやした卷毛を撫でながら、だからお前達の髮もお母さんの筋を引いて、やつぱり豐かな金色をしてゐるんだよと教へるのでした。
「そして、本當のことを言えばね、わしの可愛い孫達、」と、しきりにその間も子供を膝の上でぴよんぴよんさせながら、マイダス王は言ふのでした、「その朝からといふものは、わしはこのほかの金色のものはすべて、見るのもいやになつてしまつたんだよ!」

既出と同じく、ナサニエル・ホーソーン作、ウォルター・クレイン画、三宅幾三郎訳。
内容から推すと逍遥もこれを元本にしたのかも知れない。ブルフィンチもオウィディウスも、問題は「飲食物」のみで「娘」は出て来ない。
こんな台詞も思い出す。
「There are the bright stones ye love, white men, as many as ye will; take them, run them through your fingers, _eat_ of them, _hee! hee! drink_ of them, _ha! ha!」
H・ライダー・ハガード(Sir Henry Rider Haggard、1856年-1925年)作『ソロモン王の洞窟(King Solomon's Mines)』(1885年)より、ガグール(Gagool)の台詞。
