爺(ちゃん)の看病 三浦修吾役 ― 2022年03月31日
「爺の看病」 三浦修吾訳
頃(ころ)は弥生(やよひ)の半(なかば)春雨(はるさめ)しとしとと降(ふ)る或る日の朝、田舎者(ゐなかもの)らしい男の子が、雨と泥とにづぶぬれになつて、片手には着替(きがへ)の包(つゝみ)を抱(かゝ)へて、ネープルスの市内(まち)に、知らぬ人なき何(なに)がし病院をおとづれた。門番に逢つて、一封(いつぷう)の手紙を差し出(だ)し、近い頃入院した筈の、我が父親に面会を求めた。その少年は丸顔で、色(いろ)青黒く、深い物思ひに沈める眼付(めつき)、厚い唇が半(なかば)開(あ)いて、真白(ましろ)な歯が見えて居(ゐ)る。この子の父は、昨年国を出て、仏蘭西(ふらんす)に出稼(でかせぎ)に行つて居たが、先日、伊太利(いたりい)に帰つて、ネープルスに上陸してから、俄(には)かに病(やまひ)にかゝつて、この病院に入(い)り、一本の手紙を故郷(こきやう)に送つて、この度(たび)帰国したこと、また入院の由(よし)を言ひやつたのである。妻はその手紙を見て、心配に堪(た)へぬけれども、一人の子は病んで居(ゐ)るし、乳呑子(ちのみご)もあるので、家(うち)を明けることが出来ず、已(や)むを得ず、其(その)長男を、ネープルスに遣(つか)はして、その父(ちゝ)――家族が皆、爺(ちやん)と呼んでゐる――を見せにやつたのだ。少年は、今朝(けさ)、未明(みめい)に家(いへ)を出て、十哩(まいる)の道を、此処(こゝ)まで歩いて来たのである。
門番は、手紙を一目見て、一人の看護婦をよんで、この子を案内して呉(く)れと頼んだ。
「お父さんの名は何といふんですか」と看護婦がとふ。
少年は、若(も)しや、病人に変(かはり)でもありはせぬかと、気遣(きづか)つて、慄(ふる)へながらその名をこたへた。
看護婦は一寸(ちよつと)そんな名を思ひ出さぬ。
「外国から帰つた、老人(らうじん)の職工ですか」ときく。
「ハー、職工だで。そんねえに老人(としより)ではねえだが。いま外国から帰つたばかりだで」と益々(ますます)心配になる。
「何時(いつ)、入院したんですか」
少年は手紙の日付を見て「五日前(いつかまへ)だんべえ」
看護婦は一寸立ち止つて、考へて居たが、俄(にはか)に思ひ付いたといふ風(ふう)で、「アヽ、第四室(しつ)の一番向うの寝台(ねだい)だよ」といふ。
「えらう、悪いんだかえ。どんなだかえ」と少年は、気にかゝつて問ふ。
看護婦は、少年を見つめた儘(まゝ)、返事もせず、「私(わたくし)について来なさい」といふ。
二人は階子段(はしごだん)を二つ登つて、長い廊下の端(はし)まで行(ゆ)くと、一つの大きな室(へや)の戸が開(あ)いて居(ゐ)る。その中には、寝台(ねだい)が二列に並んで居(ゐ)る。「こちらへ御入(おはひ)り」看護婦が言ふので、少年は、勇気をおこしてついて行(ゆ)く。左右に並んで居(ゐ)る病人を見ると、皆(みな)青い顔をして、痩せて、骨ばかりになつて居(ゐ)る。目をつぶつて居(ゐ)るのもあり、目をあげて上の方(はう)を見つめて居(ゐ)るのもある。又(また)子供の様(やう)に泣いて居(ゐ)るのもある。大きな室(へや)が、薄暗くて、薬の香(にほひ)がきつく鼻につく。二人の看護婦が瓶(びん)をもつて廻つて居(ゐ)る。
室(へや)の端(はし)までゆくと、看護婦は寝台(ねだい)の頭(かしら)の方に立つて、幕(カーテン)を引きあけて、「こゝだよ」といふ。
少年は泣き出して、包(つゝみ)を下におろし、病人の肩に顔を押しつけ、片手には蒲団(ふとん)の上に出て居(ゐ)る腕を握る。病人は少しも動かぬ。
少年は立ち上(あが)つて、病人の姿を見て、又泣き出す。すると、病人はパツチリと少年を見つめて、少し分つた様(やう)な眼付をしたが、唇は矢張(やは)り動かぬ。随分やつれたもので、之(これ)が自分の父であらうとは思はれない位(くらゐ)に相好(さうがう)が変つて居(ゐ)る。髪(かみ)は白くなる、鬚(ひげ)はのびる、顔は脹(は)れふくれて、青黒くなつて、皮が張り切れさうになつて居(ゐ)る。眼は小さくなり、唇は厚くなつて、殆(ほと)んど少しの似た所もない様(やう)だが、只(たゞ)顔付(かほつき)と眉のあたりが、どこか父親に似て居(ゐ)る。息が漸(やうや)う通(かよ)つて居(ゐ)るのだ。少年は、――
「爺(ちやん)よ爺よ、私(おれ)だよ、分らないか、シシロだよ。お母(かあ)が来られないので、迎へに来たんだ。よく御覧よ。分らんのか。物を言つてお呉(く)れよ」
病人は暫(しばら)く少年を見て居たが、又(また)目をとぢた。
「爺(ちやん)よ爺よ、どうしたのか、シシロだよ」
病人はやはり少しも動かない、苦しさうに息をして居(ゐ)る。少年は泣きながら、椅子を引きよせて腰を下(おろ)して待つて居(ゐ)る。父親の顔から、目を少しも離さぬ。「大方(おほかた)お医者が見えるであらうから、その時になつたら、何とか様子が分らう」と思つてゐた。悲しい思ひに沈んで、父の事を色々(いろいろ)考へ出す。昨年、見送つて行つて、船で分(わか)れた事、金をまうけて帰るといつて、家族が楽しんで待つて居(ゐ)る事、手紙が届いてから、母の失望落胆(しつばうらくたん)、それから父の死ぬる事を考へる。父が死んで、母が喪服をつけて、一家族(いつかぞく)が泣いて居(ゐ)る様子が、目の前に浮ぶ。暫くして、軽い手が自分の肩にさはる。驚いて見上げると、看護婦である。
「私(わし)んとこの父(とう)さん、どんなのだ」と口早(くちばや)にきく。
「これがあなたのお父さんですか」と看護婦がやさしく問(と)ふ。
「さうだ、私(わし)、看病に来たのだ、父さんどこが悪いのだか」
「御心配なさるなね。今にお医者が見えますからね」といつて、外(ほか)に何もいはず、行つてしまふ。
半時間程経(た)つて、鈴の音(おと)が聞えると、医者と助手とが、室(へや)の向側(むかふがは)から、はひつて来た。看護婦が二人、それについて居(ゐ)る。医者は病人の診察を初(はじ)めて、寐台(ねだい)を一つ一つ見て廻る。待つて居(ゐ)る間(ま)が大層(たいそう)長い。医者が近よつて来る程、段々心配が増して来る。とうとう隣の寐台(ねだい)まで来た。医者は、背の高い、少し前に屈(こゞ)んだ、真面目(まじめ)な顔の老人(らうじん)だ。まだ隣の病人の診察がすまぬ内(うち)に、シシロは立ち上つた。医者が愈々(いよいよ)、我がそばに来ると、遂々(とうとう)泣き出した。医者は少年を見る。
「これは、この患者の息子(こ)で御座います。今朝(けさ)田舎(ゐなか)から、来たので御座います」と看護婦がいふ。
医者は少年の肩に片手をあてゝ、それから病人の上に俯(うつむ)いて、脈を見たり、額(ひたひ)にさはつて見たりして、看護婦に容態を問ふ。
医者は、「別に変つた事もないから、今迄の通りに手当をするのだ」といふ。
少年は勇気を起して、涙声(なみだごゑ)になつて、「父さんは、どうなので」と問ふ。
医者は再び少年の肩に手を当てゝ、――
「心配なさるな。顔に丹毒(たんどく)が出たのです。随分(ずゐぶん)悪いのではあるが、まだ望みがあるから、気をつけてあげなさい。お前が居(ゐ)なされば、きつと善(よ)いでせう」といふ。
「けんど、私(わし)いふ事が分らねえんだ」と少年は、苦しい息を絞る。
「今に分(わか)らう。明日(あす)にでもなつたら。まあどうでも、治さねばならぬから、気を落さないで居(ゐ)なさい」と医者が慰める。
シシロは、も少(すこ)し聞きたかつたのだけれど、口に出しかねて居(ゐ)た。医者は行つて仕舞(しま)つた。
シシロは之(これ)から、爺(ちやん)の看病にかゝつた。何とも別に仕様(しかた)を知らないので、病人の蒲団を直してやつたり、時々手にさはつて見たり、蠅(はい)を追つたり、呻(うめ)くたびに、顔の上からのぞいて見たり、又看護婦が、何か飲物をもつて来た時は、茶碗と匙とをその手から取つて、看護婦に代つて病人に飲ませたりして居た。病人は時々シシロを見るけれど、一向(いつかう)分る様子でもない。それでも、一回(いつくわい)毎(ごと)に、顔を見つめる時間が長くなる。そして、シシロが眼にハンケチを当てゝ泣く時には、何時(いつ)でもヂツとそれを見詰めて居(ゐ)る。
こんな風でその日は暮れた。夜になると、シシロは、室(へや)の隅に椅子を二つ並べて、その上に寐た。夜(よ)が明けると又看病を初(はじ)める。その日は病人の眼付(めつき)が、少し、物が分りかけた様(やう)に見えた。シシロが色々いつて慰めると、病人の眼に、何だか、感謝の色が見える様だ。一度は、何か物言(ものい)ひたげに、少し唇を動かした。一寸まどろんでは、又眼を開いて、看病人を捜す様である。医者が二度来たが、少しは善くなつた様に思ふと言つた。夕方シシロが、病人の口もとへ茶碗をもつて行つた時に、唇のあたりに、少し微笑(びせう)の影が見えた。それからシシロは稍(やゝ)元気づいて来た、病人に色々話を初(はじ)めた。母親の事や、妹等(いもとだち)の事や、又父の帰国を待つて居(ゐ)た事など、色々話してきかせ、親切をこめて病人を励ましてやる。分つてゐるだらうか、どうであらうかと、あやしまれることもあつたけれど、やはり、話をつづけた。話は分らないでも、病人は、シシロの情深(なさけぶか)い涙のこもつた声によろこんで、耳を傾けてゐるやうに見えた。
斯様(かやう)にして、二日目(ふつかめ)、三日目(みつかめ)、四日目(よつかめ)も過ぎた。少し宛(づゝ)、善くなる様(やう)であるかと思へば、又俄(には)かに悪くなりした。シシロは一生懸命に看病して居(ゐ)るので、一日(いちにち)に二回看護婦がパンやチーズを持つて来て呉れても、それを食べるか食べないかくらゐにして、自分の周りに何事が起つてゐるか、気もつかなつた。瀕死の病人ができる、夜中に看護婦がかけ上つて来る、見舞(みまひ)に来た親類などが、泣きもだえる、こんな病院内の痛ましい有様(ありさま)も目にとまらなかつた。時が経(た)ち日が過ぎた。彼(か)れは何処(どこ)までも爺(ちやん)から心を離さない。ちよつとした溜息にも、いささかの変つた眼付にもぎよつとした。少し心を安めることの出来るやうな希望と、心臓を氷(こほ)らせるやうな失望とのあひだに悶(もだ)えた。
五日目(いつかめ)に病人が俄かに悪くなつた。医者に問(たづ)ねて見ると、駄目といはんばかりに頭(かしら)を振るので、シシロは椅子の上に身を投げて啜泣(すゝりなき)をした。たゞ一つ気休めになる事は、病人が段々少しづゝ物が分る様(やう)になつた事である。熱心にシシロを見つめるやうになつて、嬉しさうな顔色があらはれてきた。薬でも飲物でも、外(ほか)の人の手からは飲まない。物言ひたさうに、唇を動かす事もある。時には、それが、明かに察(さつ)せられるので、シシロはやにはに、爺(ちやん)の腕に取りついて、嬉(よろこ)び余つて斯(か)う言ふのだ、「爺(ちやん)や、しつかりするだよ。もう直ぐになほるんだよ、お母(つかあ)の所(とこ)へ帰るんだ。もうちよつくらだ、しつかりしなよ」
その日の午後四時頃、シシロは例の如く、やるせなき涙にむせんで居た。その時、室(へや)の外側に、足音がきこえて、
「看護婦さん、さよなら」といふ声がきこえた。此(こ)の声にシシロは、飛び上つた、咽喉(のど)まで出かけた叫び声をじつと押(おさ)へた。
その時、室(へや)の中に、手に繃帯した男が一人の看護婦に送られてはひつて来た。シシロは、鋭い声を出して、其処(そこ)に立ちすくんだ。男は見回(みかへ)つた、シシロを一目見ると、これも叫び出した。
「シシロ!」そして箭(や)のやうに飛んで行つた。
シシロは父の腕に倒れかゝつた。情緒(じやうちよ)溢(あふ)れてむせび泣く。
看護婦達が走(は)せ寄つた。皆、驚いて立つて居(ゐ)る。シシロはまだ、泣きやまぬ。
父親は幾度も子供にキスをしながら、かの病人を、熟(じつ)と視(み)たあとで、――
「マア、シシロ、これはどうしたのだ。では、貴様(きさま)、他処(よそ)の人のとこに行(いつ)てゐたんだ。おつ母(かあ)から、シシロをよこしたつて言つて来た切りで、貴様が来(こ)ねえもんだで、おら、どんねえに心配(しんぺい)したか知れねえ。アヽシシロ、お前、何時(いつ)来たんだつたか、どうしてこんねえな間違(まちげえ)が出来たあだか。おれえ治つてしまつたあだよ。おつ母(かあ)はどねえにしとる。コンセトラは? 赤ん坊は? 皆(みんな)どねえして居(ゐ)るだかよ。おれえ今(えま)、退院する所(とこ)だあよ。さあ行(い)かうべい。アア有難(ありがて)えや、こんねえな事、思ひもかけねえ!」
シシロは家(うち)の様子など、語らうとしたけれど、言葉が出なかつた。
「あゝ、嬉(うれ)しいあゝうれない、あゝおらあ、ひどかつたよ!」と言つて、父にキスをしてやめない。けれど彼(か)れはそこを動かなかつた。父は、
「来いよ。晩方(ばんがた)には家(うち)に帰(けえ)れるんだ」と言つて、息子を引き立てようとした。シシロは病人の方(はう)をふり回(かへ)つて、見た。
父は異(あやし)んで「これよ、皈(けえ)らねえのか」とうながした。
シシロは、又病人の方を見た。病人は、眼を開(あ)いてシシロを見つめて居(ゐ)る。
その時シシロの魂の底から、次の様な言葉が、自(おのづか)ら、逆(ほとば)しり出た――
「否(うんにや)、爺(ちやん)よ、待つと呉(く)れよ。おらあ、よう行(ゆ)かねえや。このお爺(ぢい)やんがよ。おらあこゝに五日(いつか)居ただ。おらあこの人(ふと)を、爺(ちやん)と思つて居ただ。おら、この人(ふと)可愛(かわい)さうだ、あんねえに、おらあ見て居(ゐ)るんだ。おらが、何でも呑ませてやるんだ、この人(ふと)、おらがついて居(ゐ)ねえだあ、いけねえんだ。この人(ふと)は、余程(よつぽど)悪(わり)いから、辛抱してくれなよ。おらあ、どうしても、今日は帰(けえ)れないだ。明日(あす)帰(けえ)るだでえ、待つといてくんねえよ。この人(ふと)を棄(すて)つておくと出来ねえだ。あんねえに、おらを見て居(ゐ)るだよ。何処(どこ)の人(ふと)か分んねえけんど、おらが居(ゐ)ねえと、一人(ふとり)で、死んで、しまふのだ。爺(ちやん)や、もう、ちよつくら、おらを此処(こけ)えおいとくんなよ」
「感心な子だこと」と周囲(まはり)の人が声を揃へていふ。
父は当惑(たうわく)して、我が子を見つめ、又、病人を見やつて、立ちすくんでゐた。「この人(ふと)、誰ですか」と問ふ。
「あなたと同じ様(やう)な田舎(ゐなか)の方(かた)ですが、外国から帰つた許(ばか)りで、丁度(ちやうど)あなたと同じ日に、入院したんです。病院に連れて来た時は、もう何もかも分らぬ様(やう)になつて居(ゐ)て、物も言へなかつたんです。家族が大方(おほかた)遠い所にあるんでせう。あなたの息子さんを、我が子と思つて居(ゐ)る様(やう)ですよ」
病人はやはり、シシロを見て居(ゐ)る。
父は我が子に向つて、「ぢや居(ゐ)ねえな」といふ。
「長く居なくてもすむでせう」と看護婦が低い声でいふ。
父は又「居ねえなよ、お前、親切だ、おらあ直(ぢき)家へ帰(けえ)つて、おつ母(かあ)に安心させてやらあ。これ二円(にゑん)、小使(こづけえ)におくだあ。ぢや暫(しばら)くだべえよ」といつて、我が子を、抱いて、額にキスをして、出て行つた。
シシロが寐台(ねだい)の側(そば)にかへると、病人は気が安(やす)まつた様(やう)である。シシロは再び看護婦の役をはじめた。最早(もう)、泣きはせぬけれど、やはり前のやうな熱心と忍耐とで、薬をやつたり、蒲団をなほしたり、手をなでたり、物言(ものい)つて慰めたりした。その日も、その夜も、ずつと附き切つて居(ゐ)た。翌(あく)る日もやはり、側について居たが、病人は段々悪くなつて、苦しがつて、呻(うめ)いたり、悶(もだ)えたりした。熱が大層(たいそう)高くなつた。
医者がその夕方来て、今晩は六(む)つかしいといふ。シシロは益々注意をして、一寸(ちよつと)も眼を離さず、病人は始終シシロを見つめて、折々(をりをり)物言(ものい)ひたげに唇を動かした。時々はやさしい眼付をすることもあるが、その眼が段々小(ちひさ)くなつて、暗くなつて来る。シシロは、その晩(ばん)夜(よ)どほし看病した。窓から、暁(あかつき)の空が少し白(しら)んで見える頃に、看護婦が来て、病人を一寸(ちよつと)見て、急ぎ足にかけて行つた。暫(しばら)くすると、助手が看護婦をつれて来る。
「もう、息を引きとるところだ」と助手がいふ。
シシロが病人の手を握ると、病人は目を見ひらいて、シシロの方(はう)を見て、また目をとぢる。
その時、シシロは、病人が、自分の手を握りしめようとした様(やう)に感じた。
助手は暫く俯(うつむ)いて病人を見て居たが、やがて、のび上(あが)つた。
看護婦は、壁から、耶蘇(やそ)の十字架像を、取り下(おろ)して来た。
「死にましただね」とシシロがいふ。
「もう、御帰(おかへ)り、お前の仕事はすんだのだ。お前の様(やう)な人は、神様が守つて下さるから、御前の運がひらけるに違ひないよ。さあ御帰り」と医者がいふ。
一寸、其所(そこ)を立ち去つた看護婦が、窓の上に生けてあつた菫(すみれ)の花を取つて来て、少年に渡して、――
「何も上げるものがありません、この花を病院の紀念に、もつていらつしやい」といふ。
「有(あ)り難(がた)う」と少年は言つて、片手に花を取り、片手に眼を拭(ぬぐ)つて、「だが、私(おらあ)遠(とほ)え路(みち)い歩くだで、花あ枯れて仕舞(しまふ)だんでいよ」といつて、その花をわけて、病人の寐台(ねだい)の上に散らした。――
「之(これ)、紀念(かたみ)に、残すだ。有り難う、看護婦様、有難うお医者さま」と言つて、死人の方に向いて、――
「さよなら……」と言ひかけて、どんなに、名をよばうかと、暫く躊躇して居たが、五日(いつか)の間、言ひ慣れて来た言葉が、自(おのづ)から、口から出た、――
「爺(ちやん)や! さよなら」
斯(か)う言つて、着替(きかへ)の包(つゝ)みを取り上げた。そして疲れ切つて、徐々(そろそろ)と出て行つた。
夜(よ)は、あけはなれた。
1912(明治45)年刊行。
先行する抄訳や部分訳はあったようだが、初の全訳だそうだ。巻頭に徳富蘆花、岡倉由三郎(天心の弟)の序文(?)があり、巻末にも「推薦の言葉」が麗々しく掲載されている。原書は既に知られていたので、鳴り物入りの翻訳だったらしい。
なお、少年の名は(英訳版では)「Cicillo」である。原語での発音は知らない。
・追記。
「ちゃん」と言う訳語はここから始まっているのかも知れない。ちなみに英訳版では「Daddy's Nurse」である。確かに幼児語だろうが、さほど特殊な呼称ではない。『あしながおじさん』も『Daddy Long Leggs』である。原語(伊語)のニュアンスは知らない。
・さらに追記。
手許の最新版(と言っても2007年刊)では「おとうの看護人」となっていた。訳者は和田忠彦。初訳から1世紀近く経て、漸く新しい訳語になったようだ。