第七十八段 ― 2022年03月05日
懲りずに他人の褌で。因みに筆者の顔面の皮膚は蛙より厚く「私の耳は馬の耳」である。
久方振りで、TVドラマ『相棒』に米沢守が登場した事を祝して。
前回は、season16第5話「手巾」だった。そのモチーフ(?)となった作品を。
芥川龍之介『手巾』より。
東京帝國大學法科大學教授、長谷川謹造先生は、ヴエランダの籐椅子に腰をかけて、ストリントベルクの作劇術(ドラマトウルギイ)を讀んでゐた。
(中略)
先生は、本を置いて、今し方小間使が持つて來た、小さな名刺を一瞥した。象牙紙に、細く西山篤子と書いてある。どうも、今までに逢つた事のある人では、ないらしい。交際の廣い先生は、籐椅子を離れながら、それでも念の爲に、一通り、頭の中の人名簿を繰つて見た。が、やはり、それらしい顏も、記憶に浮んで來ない。そこで、栞(しをり)代りに、名刺を本の間へはさんで、それを籐椅子の上に置くと、先生は、落着かない容子(ようす)で、銘仙の單衣(ひとへ)の前を直しながら、ちよいと又、鼻の先の岐阜提灯へ眼をやつた。誰もさうであらうが、待たせてある客より、待たせて置く主人の方が、かう云ふ場合は多く待遠しい。尤も、日頃から謹嚴な先生の事だから、これが、今日のやうな未知の女客に對してでなくとも、さうだと云ふ事は、わざわざ斷る必要もないであらう。
やがて、時刻をはかつて、先生は、應接室の扉をあけた。中へはいつて、おさへてゐたノツブを離すのと、椅子にかけてゐた四十恰好の婦人の立上つたのとが、殆(ほとんど)、同時である。客は、先生の判別を超越した、上品な鐵御納戸(てつおなんど)の單衣を着て、それを黒の絽の羽織が、胸だけ細く剩(あま)した所に、帶止めの翡翠を、涼しい菱の形にうき上らせてゐる。髪が、丸髷に結つてある事は、かう云ふ些事に無頓着な先生にも、すぐわかつた。日本人に特有な、丸顏の、琥珀色の皮膚をした、賢母らしい婦人である。先生は、一瞥して、この客の顏を、どこかで見た事があるやうに思つた。
――私が長谷川です。
先生は、愛想よく、會釋(ゑしやく)した。かう云へば、逢つた事があるのなら、向うで云ひ出すだらうと思つたからである。
――私は、西山憲一郎の母でございます。
婦人は、はつきりした聲で、かう名乘つて、それから、叮嚀に、會釋を返した。
西山憲一郎と云へば、先生も覺えてゐる。やはりイプセンやストリントベルクの評論を書く生徒の一人で、專門は確か獨法だつたかと思ふが、大學へはいつてからも、よく思想問題を提(ひつさ)げては、先生の許(もと)に出入した。それが、この春、腹膜炎に罹つて、大學病院へ入院したので、先生も序ながら、一二度見舞ひに行つてやつた事がある。この婦人の顏を、どこかで見た事があるやうに思つたのも、偶然ではない。あの眉の濃い、元氣のいい青年と、この婦人とは、日本の俗諺が、瓜二つと形容するやうに、驚く程、よく似てゐるのである。
――はあ、西山君の……さうですか。
先生は、獨りで頷きながら、小さなテエブルの向うにある椅子を指した。
――どうか、あれへ。
婦人は、一應、突然の訪問を謝してから、又、叮嚀に禮をして、示された椅子に腰をかけた。その拍子に、袂から白いものを出したのは手巾(はんけち)であらう。先生は、それを見ると、早速テエブルの上の朝鮮團扇をすすめながら、その向う側の椅子に、座をしめた。
――結構なおすまひでございます。
婦人は、稍(やや)、わざとらしく、室(へや)の中を見廻した。
――いや、廣いばかりで、一向かまひません。
かう云ふ挨拶に慣れた先生は、折から小間使の持つて來た冷茶を、客の前に直させながら、直に話頭を相手の方へ轉換した。
――西山君は如何です。別段御容態に變りはありませんか。
――はい。
婦人は、つつましく兩手を膝の上に重ねながら、ちよいと語(ことば)を切つて、それから、靜にかう云つた。やはり、落着いた、滑(なめらか)な調子で云つたのである。
――實は、今日も伜の事で上つたのでございますが、あれもとうとう、いけませんでございました。在生中は、いろいろ先生に御厄介になりまして……
婦人が手にとらないのを遠慮だと解釋した先生は、この時丁度、紅茶茶碗を口へ持つて行かうとしてゐた。なまじひに、くどく、すすめるよりは、自分で啜つて見せる方がいいと思つたからである。所が、まだ茶碗が、柔な口髭にとどかない中に、婦人の語(ことば)は、突然、先生の耳をおびやかした。茶を飮んだものだらうか、飮まないものだらうか。――かう云ふ思案が、青年の死とは、全く獨立して、一瞬の間、先生の心を煩はした。が、何時までも、持ち上げた茶碗を、片づけずに置く譯には行かない。そこで先生は思切つて、がぶりと半碗の茶を飮むと、心もち眉をひそめながら、むせるやうな聲で、「そりやあ」と云つた。
――……病院に居りました間も、よくあればお噂など致したものでございますから、お忙しからうとは存じましたが、お知らせかたがた、お禮を申上げようと思ひまして……
――いや、どうしまして。
先生は、茶碗を下へ置いて、その代りに青い鑞を引いた團扇をとりあげながら、憮然として、かう云つた。
――とうとう、いけませんでしたかなあ。丁度、病院の方へも御無沙汰してゐたものですから、もう大抵、よくなられた事だとばかり、思つてゐました――すると、何時になりますかな、なくなられたのは。
――昨日が、丁度初七日でございます。
――やはり病院の方で……
――さやうでございます。
――いや、實際、意外でした。
――何しろ、手のつくせる丈は、つくした上なのでございますから、あきらめるより外は、ございませんが、それでも、あれまでに致して見ますと、何かにつけて、愚痴が出ていけませんものでございます。
こんな對話を交換してゐる間に、先生は、意外な事實に氣がついた。それは、この婦人の態度なり、擧措なりが、少しも自分の息子の死を、語つてゐるらしくないと云ふ事である。眼には、涙もたまつてゐない。聲も、平生の通りである。その上、口角には、微笑さへ浮んでゐる。これで、話を聞かずに、外貌だけ見てゐるとしたら、誰でも、この婦人は、家常茶飯事を語つてゐるとしか、思はなかつたのに相違ない。――先生には、これが不思議であつた。
――昔、先生が、伯林(ベルリン)に留學してゐた時分の事である。今のカイゼルのおとうさんに當る、ウイルヘルム第一世が、崩御された。先生は、この訃音(ふいん)を行きつけの珈琲店で耳にしたが、元より一通りの感銘しかうけやうはない。そこで、何時ものやうに、元氣のいい顏をして、杖を脇にはさみながら、下宿へ歸つて來ると、下宿の子供が二人、扉(ドア)をあけるや否や、兩方から先生の頸に抱きついて、一度にわつと泣き出した。一人は、茶色のジヤケツトを着た、十二になる女の子で、一人は、紺の短いズボンをはいた、九つになる男の子である。子煩惱な先生は、譯がわからないので、二人の明い色をした髪の毛を撫でながら、しきりに「どうした。どうした。」と云つて慰めた。が、子供は中々泣きやまない。さうして、洟(はな)をすすり上げながら、こんな事を云ふ。
――おぢいさまの陛下が、おなくなりなすつたのですつて。
先生は、一國の元首の死が、子供にまで、これ程悲まれるのを、不思議に思つた。獨り皇室と人民との關係と云ふやうな問題を、考へさせられたばかりではない。西洋へ來て以來、何度も先生の視聽を動かした、西洋人の衝動的な感情の表白が、今更のやうに、日本人たり、武士道の信者たる先生を、驚かしたのである。その時の怪訝(くわいが)と同情とを一つにしたやうな心もちは、未(いまだ)に忘れようとしても、忘れる事が出來ない。――先生は、今も丁度、その位な程度で、逆に、この婦人の泣かないのを、不思議に思つてゐるのである。
が、第一の發見の後には、間もなく、第二の發見が次いで起つた。――
丁度、主客の話題が、なくなつた青年の追懷から、その日常生活のディテイルに及んで、更に又、もとの追懷へ戻らうとしてゐた時である。何かの拍子で、朝鮮團扇が、先生の手をすべつて、ぱたりと寄木(モザイク)の床の上に落ちた。會話は無論寸刻の斷續を許さない程、切迫してゐる譯ではない。そこで、先生は、半身を椅子から前へのり出しながら、下を向いて、床の方へ手をのばした。團扇は、小さなテエブルの下に――上靴にかくれた婦人の白足袋の側に落ちてゐる。
その時、先生の眼には、偶然、婦人の膝が見えた。膝の上には、手巾を持つた手が、のつてゐる。勿論これだけでは、發見でも何でもない。が、同時に、先生は、婦人の手が、はげしく、ふるへてゐるのに氣がついた。ふるへながら、それが感情の激動を強ひて抑へようとするせゐか、膝の上の手巾を、兩手で裂かないばかりに緊(かた)く、握つてゐるのに氣がついた。さうして、最後に、皺くちやになつた絹の手巾が、しなやかな指の間で、さながら微風にでもふかれてゐるやうに、繍(ぬひとり)のある縁(ふち)を動かしてゐるのに氣がついた。――婦人は、顏でこそ笑つてゐたが、實はさつきから、全身で泣いてゐたのである。
團扇を拾つて、顏をあげた時に、先生の顔には、今までにない表情があつた。見てはならないものを見たと云ふ敬虔な心もちと、さう云ふ心もちの意識から來る或滿足とが、多少の芝居氣で、誇張されたやうな、甚(はなはだ)、複雜な表情である。
――いや、御心痛は、私のやうな子供のない者にも、よくわかります。
先生は、眩しいものでも見るやうに、稍、大仰(おほぎやう)に、頸を反らせながら、低い、感情の籠つた聲でかう云つた。
――有難うございます。が、今更、何と申しましても、かへらない事でございますから……
婦人は、心もち頭を下げた。晴々した顏には、依然として、ゆたかな微笑が、たたへてゐる。……
(後略)
米沢が「鉄ヲタ」で事件に繋がるのは『劇場版IV』以来だろう。元々は「落語好き」という点で杉下右京と繋がった筈だ(season1第3話「秘密の元アイドル妻」)。その点で事件に関わるのは、スピンオフ映画『鑑識・米沢守の事件簿』とseason10第15話「アンテナ」くらいか。前者の演目は『四段目』、後者は『火事息子』演者は「秘密の元アイドル妻」の橘亭青楽(しょうらく)。米沢の「相棒」相原誠刑事再登場。三浦(元)刑事の妻の名が「トシ子」と判明したのもこの回。月本幸子が『花の里』を任されてから米沢が立寄った初めての回でもある。なお、特命係の公務として飲食した際の領収書の名は「警視庁刑事部臨時付特命係 組織犯罪対策部組織犯罪対策第五課内都合」だそうである。
なお、『相棒 劇場版IV』での登場シーンは以下のとおり。
杉下右京「電車と言えば日本広しと雖も米沢守」
米沢 守「そんな突然フルネームで呼ばれても」
右京「(略)路線が判明すればアジトの場所が絞り込めるかも」
米沢「私は絞り込みません。断乎、きっぱり、お断りします!」
走って逃げ去る米沢守(「逃げるように去る」のでは無く、実際に走って逃げる)。
映画館で観た記憶では、ここで「コマ落し」を使ったような印象だったが、観直したらノーマル・スピードだった。まあ、わざわざサイレント映画みたいな手法を使うのも、ちょっとクサい演出になってしまうだろう(監督は橋本一)。ケン・アナキン(Ken Annakin、1914年-2009年)監督『素晴らしきヒコーキ野郎(Those Magnificent Men in their Flying Machines; Or, How I Flew from London to Paris in 25 Hours and 11 Minutes)』(1965年)の、ゲルト・フレーベ(Gert Frobe、1913年-1988年)じゃあるまいし。
この後、本人の台詞にもある通り「不条理」にも例によって特命係に協力する。
・追記。
そう言えば、ゲルト・フレーベは仏米合作映画『パリは燃えているか』(1966年)にも出演していた。原作はノンフィクションなので、彼が演じたディートリヒ・フォン・コルティッツ将軍(Dietrich von Choltitz、1894年-1966年)は実在した。
もし現在のロシア軍に彼のような人物がいたら……まあ、ドストエフスキーやソルジェニーツィンのように「流刑」では済むまい。引き籠もった執務室の奥から「Is Kyiv Burning?」と喚く必要も無さそうだ。
……いずれにせよ、英語では言わないだろうが……。