第七十五段2022年03月01日

ひょっとしたら、「キエフ」という都市名を「Saint Vladimirsburg」に改名したいのかな?
まさか「Putingrad」という事も無さそうだが、何とも言えない。
「丸い卵も切りようで四角」である。

・追記。
それにしても、彼は何にそんなに怯えているんだろう?
まあ、古今東西「独裁者(dictator)」というのは常に怯えているものだが。
他国は勿論、政敵や、「自国の民」そのものに。


 祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。
 沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理を表す。
 奢れる人も久しからず、唯春の夜の夢の如し。
 猛き者も遂には滅びぬ、偏に風の前の塵に同じ。


・追記。
久々に「might is right(力は正義なり)」という言葉を聞いた。

『坊っちやん 四』
學校には宿直があつて、職員が代る代る之をつとめる。但し狸と赤シヤツは例外である。何で此兩人が當然の義務を免かれるのかと聞いて見たら、奏任待遇だからと云ふ。面白くもない。月給は澤山とる、時間は少ない、夫で宿直を逃がれるなんて不公平があるものか。勝手な規則をこしらへて、それが當り前だと云ふ樣な顏をしてゐる。よくまああんなに圖迂々々しく出來るものだ。これに就ては大分不平であるが、山嵐の説によると、いくら一人で不平を竝べたつて通るものぢやないさうだ。一人だつて二人だつて正しい事なら通りさうなものだ。山嵐は might is right といふ英語を引いて説諭を加へたが何だか要領を得ないから聞き返して見たら強者の權利と云ふ意味ださうだ。強者の權利位なら昔から知つて居る。今更山嵐から講釈ををきかなくつてもいゝ。強者の權利と宿直とは別問題だ。狸や赤シヤツが強者だなんて誰が承知するものか。(以下略)

なお、主人公は数学の教師という設定だが、作者の漱石自身は英語の教師だった。作中人物について訊かれると「特定のモデルはいない。そんなことを言えば赤シャツのモデルは僕という事になってしまう」と答えていたらしいが、半藤一利氏の研究に依れば漠然としたモデルがいたという説もある。詳細は『漱石先生ぞな、もし』を参照されたい。

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