「美しいヴァシリーサ」アファナーシェフ編2023年06月22日

『美しいヴァシリーサ』アファナーシェフ編、神西清訳。

 むかし、ある国に、あきんどが住んでいました。妻といっしょに十二年くらしたが、美しいヴァシリーサという、ひとり娘があるだけでした。おかあさんが亡くなったとき、娘はまだ八つでした。
 おかあさんは、いよいよ亡くなるまぎわに、娘を呼びよせて、フトンの下から人形をとりだし、それを娘に渡して、こう言いました。
「よくお聞き、かわいいヴァシリーサや。わたしの言うことを忘れずに、しっかり守るのですよ。わたしは、もう死にます。ですから、おかさんとしての祝福をこめて、この人形をあなたにあげます。いつも身からはなさず持っていて、だれにも見せるのではありませんよ。そして、なにか悪いことがおきたら、この人形にオヤツをやって、どうしたらいいか相談なさい。人形はオヤツを食べてしまうと、あなたが苦労をきりぬける手だてを、教えてくれるでしょうよ」
 そう言って、おかあさんは娘にキスすると、息をひきとりました。
 妻が亡くなると、あきんどは世間なみに、悲しみの涙にくれたが、やがてそのうちに、もう一ぺん妻をもらう気になりました。
 あきんどは、りっぱな男でしたから、よめにくるひとは、いくらでもあったけれど、なかでも、あきんどの気にいったのは、ある後家(ごけ)さんでした。その後家さんは、もう相当の年配だし、それにヴァシリーサとあまり年のちがわない娘が、ふたりもあるので、一家の主婦としても、おかあさんとしても、おあつらえ向きの人だ――と、あきんどは考えたのです。
 あきんどは、その後家さんを妻にむかえたが、がらちと当てがはずれて、その人はヴァシリーサにとって、良いおかあさんでないことが、やがてわかったのです。
 ヴァシリーサは、村いちばんの美しい娘でした。まま母や、つれ子の娘ふたりは、ヴァシリーサの器量をねたんで、いろんなつらい仕事をいいつけて、さんざんにいじめました。ヴァシリーサが、つらい仕事のため、やせればいい、風や太陽にさらされて、まっ黒になればいい――と、そう思ったからです。かわいそうにヴァシリーサは、生きた心地(ここち)もありませんでした。
 けれどヴァシリーサは、じっとこらえていました。そして日ましに、ますます美しく、ますますふとってゆくのでした。それにひきかえ、まま母やふたりの娘は、まるで奥方やお姫さまのように、いちんちじゅう、なにもしないでいるくせに、くやしい、くやしいと思う一念で、だんだんやせて、みっともなくなってゆきました。
 どうして、そんなふしぎなことになったのでしょう。それはあの人形が、ヴァシリーサを助けてくれたからです。その助けがなかったら、どうしてそんなつらい仕事が、できたでしょうか?
 その恩がえしに、ヴァシリーサのほうでも、ごはんをすっかり食べてしまわずに、一ばんおいしそうなところを、人形に取っておいてやったのです。夜になって、みんなが寝しずまると、ヴァシリーサは、自分の居間になっている小さな物置にとじこもって、人形にごちそうをしながら、こう言うのでした。
「さあさあ、お人形(にんぎょ)さん、おあがりなさい。そして、わたしの苦労を聞いてちょうだい。わたしは、おとうさんのうちにいるけれど、ちっとも楽しい気もちがしないのよ。あの意地わるな、ままおかあさんが、わたしをこの世から、追いはらおうとしているのよ。どうしたらいいか、どう生きていったらいいか、何をしたらいいか、それを教えてくださいな」
 人形は、オヤツを食べてから、いい智慧を貸したり、ヴァシリーサの苦労をなぐさめたりしたうえ、あくる朝までにどんな仕事でも、ヴァシリーサの代りに、ちゃんと片づけておいてくれるのでした。ですからヴァシリーサは、涼しい木(こ)かげでゆっくり休んで、花でもつんでいればいいので、そのひまに、畑のアゼの草とりもすむし、キャベツの水まきもすむし、水オケもいっぱいになっているし、カマドの火もおこっているのでした。そのうえ人形は、日やけどめの薬草までも、教えてくれました。ヴァシリーサにとって、この人形は、ありがたい恩人でした。
 なん年か過ぎました。ヴァシリーサは大きくなって、およめにゆくとしごろになりました。町じゅうの若者たちは、われもわれもと、ヴァシリーサをおよめにもらいたがったけれど、まま母のふたり娘のほうは、だれひとり見向きもしませんでした。まま母は、ますますいきり立って、その若者たちみんなに、
「上の娘たちがよめにいかないうちは、下の娘はあげられませんよ」
と返事をして、若者たちを送りだしながら、ヴァシリーサをぶったり、たたいたりして、腹いせをするのでした。
 さて、あるとき、あきんどは、商売の用事があって、長いあいだ、うちをあけることになりました。そこでまま母は、べつの家へひっ越しをしました。その家のそばには、深い深い森があって、その森のなかのあき地に、一軒の小屋が立っていて、その小屋には、ババ・ヤガーという魔女が住んでいました。ババ・ヤガーは、だれひとり自分の小屋へは近よらせず、まいにちまいにち人間を、まるでヒヨコのように食べていました。
 新しい家に引っ越すと、まま母は、いろんな用をこしらえて、憎らしいヴァシリーサを、しょっちゅう森へ使いに出しました。ところがヴァシリーサは、いつもぶじで、うちへ帰ってきました。人形が道案内をして、ババ・ヤガーの家のそばへはゆかせなかったからです。
 やがて、秋になりました。まま母は三人の娘に、それぞれ夜(よ)なべの仕事を、あてがいました。いちばん上の娘には、レースを編ませ、つぎの娘には、靴下を編ませ、ヴァシリーサには、糸をつむがせました。みんな、期限つきの仕事でした。
 まま母は、うちじゅうの明りを消して、娘たちが仕事をしている部屋だけに、ロウソクを一本つけておいて、自分はグウグウ寝てしまいました。
 娘たちは、仕事をしていましたが、そのうちに、ロウソクがいぶりだしました。そこで上の娘が、ハサミを持って、シンを切ろうとしましたが、かねて母親から言いふくめられたとおり、まちがったふりをして、わざとロウソクを消してしまったのです。
「あら、どうしましょう」と、口々に娘たちが言いました。「うちじゅうさがしても、もう火の気(け)がないのに、わたしたちの仕事は、まだすんでいないのよ。ババ・ヤガーのところへいって、火をもらってこなくてはならないわ」
 そこで、レースを編んでいた娘が言うことには、
「わたしは、ピンが光っているからいいの。わたしはいかないわ」
 靴下を編んでいた娘が言うことには、
「わたしもいかないわ。編み針が光って明るいんだもの」
 そこで、ふたりは声をそろえて、
「火をもらってくるのは、あなただわ」と、大ごえで言いました。「さあ、ババ・ヤガーのところへいってらっしゃい」
 そう言いながら、ふたりでヴァシリーサを、部屋から押しだしてしまいました。
 ヴァシリーサは、物置に帰ってくると、かねてこしらえてあった食べものを、人形の前にならべて、こう言いました。
「ねえ、お人形(にんぎょ)さん、おあがりなさい。それから、いい智慧を貸してちょうだい。ねえさんたちが、火をもらいに、ババ・ヤガーのところへゆけと言うのよ。わたし、ババ・ヤガーに食べられてしまうわ」
 人形は、ゴチソウを食べてしまうと、その二つの目は、まるで二本のロウソクのように、キラキラ光りました。そして言うことには、
「心配はいりませんよ、ヴァシリーサさん。どこへでも、かまわず出かけていらっしゃい。ただ、わたしだけは忘れずに、身につけておいでなさいね。わたしがついているかぎり、いくらババ・ヤガーだって、なにひとつ、あなたに悪いことはできませんよ」
 ヴァシリーサは身じたくをすると、人形をポケットに入れて、お祈りの十字のしるしを切って、深い森へ出かけていきました。
 あるきながら、ぶるぶるふるえていました。するととつぜん、すぐそばを、ひとりの騎士が駈けぬけていきました。まっ白な顔をして、まっ白な服をきて、まっ白な馬にまたがって、おまけに、その馬のクラもアブミも、まっ白でした。――すると、夜(よ)があけはじめました。
 ヴァシリーサが、なおも歩いてゆくと、また別の騎士が、駈けぬけてゆきました。まっかな顔をして、まっかな服をきて、まっかな馬にまたがっています。――すると、太陽がのぼりはじめました。
 ヴァシリーサは、夜(よ)どおし歩いて、昼まも歩きつづけました。そして次の日の夕方、ババ・ヤガーの小屋が立っているあき地に、やっとたどり着きました。その小屋をかこんでいる垣根は、人間の骨できずいてあって、その垣根の棒グイには、ちゃんと両目のある人間のサレコウベが、突きさしてあります。戸ぐちの柱は、人間の足の骨で、カンヌキは、腕の骨です。そして錠まえは、とがった歯のある人間の口でした。
 ヴァシリーサは、おそろしさのあまり、気が遠くなって、その場に立ちすくんでしまいました。するととつぜん、三人めの騎士が、駈けぬけてゆきました。まっ黒な顔をして、まっ黒な服をきて、まっ黒な馬にまたがっています。その騎士は、まっしぐらにババ・ヤガーの家の門まで乗りつけると、まるで地の底へ、のみこまれでもしたように、消えうせてしまいました。――すると、とっぷり日が暮れました。
 しかし、くらがりは、長くは続きませんでした。垣根の上にならんでいるサレコウベが、みんな目を光らせはじめて、そのあき地が、一めん、まるでま昼のように明るくなったのです。ヴァシリーサは、こわくてぶるぶるふるえながら、どこへ逃げていったらいいのかわからないので、その場に立ちすくんでいました。
 やがて森のなかに、おそろしい音が聞こえだしました。木々はメリメリと鳴り、枯れ葉はざわめきたちました。森をわけて、ババ・ヤガーが出てきたのです。ウスに乗って、キネでこぎながら、ホウキで自分の通ったあとを掃(は)いてきます。門のところまでくると、ぴたりととまって、あたりをかぎまわしながら、こう叫びました。
「くん、くん。人間のにおいがするぞ。だれだえ、そこにいるのは?」
 ヴァシリーサは、びくびくしながら、魔女の前へ出ると、ていねいにおじぎをして、こう言いました。
「わたしですよ、おばあさん。義理のねえさんたちの言いつけで、火種(ひだね)をいただきに来たのです」
「よしよし」と、ババ・ヤガーは言って、「あのねえさんたちのことは、ちゃんと知ってるよ。だがその前におまえは、しばらくここに泊って、わたしの用事をしておくれ。そしたら、火種をあげるからね。もしそれがいやなら、そのままおまえを食べてしまうよ」
 そう言うと、門へむかって、こうさけんだ。
「さあさ、丈夫なカンヌキや、さっさとおはずれよ! 広々したわたしの門や、さっさとお開(ひら)きよ!」
 すると門があいたのでババ・ヤガーは口笛を吹きながら、ウスをこいで、はいっていきました。つづいて、ヴァシリーサがはいると、あとはまた元どおり、すっかりしまりました。
 部屋へはいると、ババ・ヤガーは長々と寝そべって、ヴァシリーサにこう言いつけました。
「カマドの中のものを、みんな持ってきておくれ。わたしは、おなかがすいたよ」
 ヴァシリーサは、垣根の上のサレコウベから火を取って、タイマツをともすと、カマドのなかのごちそうを取り出して、ばあさんの前にならべはじめました。そのごちそうは、たっぷり十人前はありました。それから穴倉(あなぐら)へおりていって、クヴァスという飲み物や、ミツや、ビールや、ブドウ酒を、持ってきました。ばあさんはそれを残らず、食べたり飲んだりしてしまったのです。それで、ヴァシリーサに残っているのは、キャベツのスープがほんの少しと、パンの皮が一かけらと、子ブタの肉が一きれだけでした。
 やがてババ・ヤガーは、寝じたくをすると、こう言いつけました。
「あした、わたしが出かけたあとで、忘れずに用事をするのだよ。庭をよく掃いて、小屋のなかもきれいにして、夕食のしたくをして、洗濯をして、それがすんだら穀倉(こくぐら)へいって、小麦を二百リットル出して、なにかほかの豆粒(まめつぶ)がはいっていないように、きれいにより分けておくのだよ。これがすっかりできなかったら、おまえを食べてしまうから」
 そう言いつけると、ババ・ヤガーは、ぐうぐうイビキをかきはじめました。ヴァシリーサは、ばあさんの食べ残しを、人形の前にならべると、さめざめと涙をながしながら、言うことには、
「さあ、お人形(にんぎょ)さん、お食べなさいね。それから、いい智慧を貸してちょうだい。ババ・ヤガーは、とてもむずかしい仕事を言いつけて、それができなかったら、わたしを食べてしまうと、おどかすのよ。いい子だから、助けてね」
 すると、人形が答えるには、
「心配しないでもいいのよ、美しいヴァシリーサさん。夕食をたべて、神さまにお祈りをして、ぐっすりおやすみなさい。一晩ねたら、いい智慧も出ようというものですよ」
 あくる朝はやく、ヴァシリーサが目をさますと、ババ・ヤガーはもう起きていました。窓のそとを見ると、サレコウベの目の光は、そろそろ消えかかっています。そこへとつぜん、白い騎士の姿がチラリと見えて、すっかり夜(よ)があけました。
 ババ・ヤガーは、庭へ出ると、ヒュッと口笛を吹きました。するとウスが、キネやホウキといっしょに出てきました。赤い騎士の姿がチラリと見えて、太陽がのぼりました。ババ・ヤガーはウスに乗ると、キネでこいで、ホウキでとおったあとを消しながら、庭から出てゆきました。
 ヴァシリーサはひとりになると、ババ・ヤガーの家のなかを見てまわって、なにからなにまで、どっさりあるので、あきれかえって、さてどうしたものか、思案にくれました。いったい、なにから先に手をつけたらいいのでしょう。
 ところが、ふと気がついてみると、言いつけられた仕事は、すっかりできあがっていました。人形が、小麦のなかから、ほかの豆粒を、すっかりより分けてくれたのです。
「ああ、おかげで助かったわ」と、ヴァシリーサは人形に言いました。――「あなたは、わたしの命の大恩人よ」
 人形が、ヴァシリーサのポケットへはいこみながら、答えて言うことには、
「あとはもう、夕食のしたくをするだけですよ。うまくお料理をなさいね。すんだら、一休(ひとやす)みして、元気を養っておきなさい」
 夕方になると、ヴァシリーサは食卓の用意をととのえて、ババ・ヤガーの帰りを待ちました。だんだん薄暗くなって、やがて黒い騎士の姿が、門のそとにチラリと見えたかと思うと、とっぷり日が暮れました。ずらりと並んだサレコウベの目が、ぎらぎら光っているだけです。木々がめりめりと鳴りだし、枯れ葉がざわざわと騒ぎはじめました。ババ・ヤガーが帰って来たのです。ヴァシリーサが出迎(でむか)えると、
「すっかり、できたかえ?」と、ばあさんがききました。
「どうぞ自分で見てください、おばあさん」と、ヴァシリーサが答えます。
 ババ・ヤガーは、すっかり見てまわって、ぷりぷり腹を立てました。何ひとつ、文句のつけようがなかったからです。それで、
「まあ結構だよ」と、言いました。
 それから、大きな声で言うことには、
「さあさ、わたしの忠僕(ちゅうぼく)たち、出ておいで。仲よしさんたち、出ておいで。出てきて、わたしの小麦をひいておくれ」
 すると、両手が三組(みくみ)あらわれて、小麦をかかえると、たちまち見えない所へ、はこんでいってしまった。
 ババ・ヤガーは、腹いっぱい食べてしまうと、寝じたくをしながら、またヴァシリーサに、用事を言いつけました。
「あしたもね、きょうと同じ仕事をするのだよ。もう一つおまけに、穀倉(こくぐら)からケシ粒を出して、ひと粒ずつ、きれいに土を落としておくのだよ。だれかいたずらをして、すっかり土をまぜてしまったからね」
 そう言うと、ばあさんは、くるりと壁のほうを向いて、イビキをかきだしました。ヴァシリーサは、人形に夕食を食べさせます。人形は、食べてしまうと、ゆうべと同じことを言いました。
「神さまにお祈りをして、ぐっすりおやすみなさい。一晩ねたら、いい智慧も出ようというものですよ。なあに、すっかりできますよ、かわいいヴァシリーサさん」
 あくる朝、ババ・ヤガーはまたウスに乗って、庭から出てゆきました。ヴァシリーサは人形に手伝ってもらって、さっさと用事を片づけてしまいました。ババ・ヤガーは、帰ってくると、すっかり見てまわって、大きな声で言うことには、
「さあさ、わたしの忠僕たち、出ておいで。仲よしさんたち、出ておいで。出てきて、ケシの油をしぼっておくれ」
 すると、両手が三組あらわれて、ケシ粒をかかえると、たちまち見えない所へ、はこんでゆきました。ババ・ヤガーは、夕食をはじめます。ばあさんが食べていると、ヴァシリーサは黙って、そばに立っていました。ババ・ヤガーが言うことには、
「なぜおまえは、わたしと話をしないの。まるでオシみたいに、つっ立っているじゃないか」
 ヴァシリーサが答えるには、
「遠慮していたのですよ、おばあさん。でも、もし口をきいていいのなら、二つ三つ、お聞きしたいことがあります」
「じゃ、遠慮なく、おきき。でもね、なんでも聞けば、それがみんなタメになるとは限らないよ。あんまり物を知りすぎると、早く年をとるものだよ」
「わたしがお聞きしたいのは、ねえ、おばあさん、この目で見たことだけなのです。わたしが、ここへくるとき、ひとりの騎士が追い越してゆきました。まっ白な馬に乗って、まっ白な顔をして、まっ白な服を着ていました。あれは、だれですか」
「あれはね、わたしの夜あけだよ」と、ババ・ヤガーは答えました。
「それからまた、またべつの騎士が、わたしを追い越してゆきました。まっかな馬に乗って、まっかな顔をして、まっかな服を着ていました。あれは、だれですか」
「あれはね、わたしの赤い太陽だよ」と、ババ・ヤガーは答えました。
「では、あのまっ黒な騎士は、だれでしょう。あなたの家の門のところで、わたしを追い越していきましたが」
「あれはね、わたしのやみ夜だよ。三人とも、わたしの忠義な家来なのさ」
 ヴァシリーサは、三組の両手のことを思いだしましたが、わざと黙っていました。
「なぜ、もっと聞かないのだえ」と、ババ・ヤガーが言います。
「もうこれで、たくさんです。だって、おばあさん、あんまり物を知りすぎると、早く年をとるって、今おっしゃったじゃありませんか」
 ババ・ヤガーが、言うことには、
「おまえが、わたしの家のそとで見たことばかり聞いて、家のなかで見たことを聞かなかったのは、いいことだよ。わたしはね、うちのなかのことが外に知れるのが、だいきらいなのさ。だから、あんまり物を聞きたがる人間は、食べてしまうのだよ。そこで、こんどはこっちから聞くけれど、わたしの言いつけた仕事を、どうしておまえは、ちゃんとやりあげられたの?」
「おかあさんの祝福が、わたしを助けてくれたからです」と、ヴァシリーサは答えました。
「おやおや、そうなの。じゃ、さっさと出ていっておくれ、祝福された娘さん。わたしは、祝福された人間は、きらいだからね」
 そう言うと、ヴァシリーサを部屋から引きずり出して、門のそとへ押し出してしまいました。そこでばあさんは、ぎらぎら目玉の光っているサレコウベをひとつ、垣根から取ると、それを棒の先にさして、ヴァシリーサに渡しながら、こう言いました。
「さあ、これを持っておいで、義理のねえさんたちのほしがっている火種だよ。おまえは、その使いにきたのだったね」
 ヴァシリーサは、そのサレコウベの明りをたよりに、自分のうちを目ざして、いっさんに駈けだしました。その明りは、朝になると、やっと消えました。そうして、あくる日の晩がた、ヴァシリーサはようやく、うちへたどり着いたのです。
 門のところで、ヴァシリーサは、サレコウベを捨てようとしました。もううちでは、火種なんかいらないだろうと、思ったからです。ところが不意に、サレコウベが、うつろな声で言うことには、
「わたしを捨てないで、ままおっかさんのところへ持っていきなさい」
 そこで、まま母の家を見ると、どの窓もまっくらで、明りが見えないので、サレコウベを持ったまま、はいってゆくことにしました。
 ヴァシリーサが、そんなに愛想よく迎えられたのは、生まれてはじめてでした。まま母もねえさんたちも、声をそろえて、ヴァシリーサが出ていってからというもの、うちのなかには、火の気がひとつもなかったと、話すのでした。いくら火打ち石を打っても、どうしても火がつきません。隣りのうちから火をもらって来ても、部屋へはいるが早いか、ふっと消えてしまうのでした。
「おまえの持って来た火は、どうやら持ちそうだね」と、まま母は言いました。
 そこで、サレコウベを部屋へ持ってはいりましたが、そのサレコウベの両眼は、ぐっと、まま母やねえさんたちをにらんで、じりじりと焼きこがすのです。驚いて、かくれようとしますが、どこへ逃げても、ふたつの目は追いかけてきます。朝になると、三人とも、すっかり黒こげになっていました。ヴァシリーサだけが、ぶじでした。
 その朝、ヴァシリーサは、サレコウベを地面に埋(うず)めて、家に錠をおろすと、町へいって、ひとり者の後家さんの家に、とめてもらうことにしました。そこで暮らしながら、おとうさんの帰りを待つのです。
 ある日、ヴァシリーサが、後家さんに言うことには、
「なんにもしないでいるのは、退屈ですねえ、おばさん。おもてへいって、いちばん上等の亜麻(あま)を、買ってきてちょうだい。せめて糸でも、つむいでみたいわ」
 後家さんが、亜麻を買ってくると、ヴァシリーサは仕事にとりかかりました。とても熱心に仕事をしたので、まるで髪の毛のように細い、きれいにそろった糸が、ずんずんできあがりました。糸がどっさりたまったので、こんどは織物(おりもの)にする番ですが、ヴァシリーサのつむいだ糸に合うようなオサは、どこにもありません。だれに頼んでも、こしらえてくれる人がありません。困ったヴァシリーサが、人形にたのむと、人形が言うことには、
「では、どんなのでもいいから、使いふるしのオサを一つと、やはり使いふるしの梭(ひ)を一つと、馬のタテガミを持って来てください。うまく作ってあげますよ」
 そこでヴァシリーサは、言われたものをみんな集めると、ぐっすり寝てしまいました。その晩のうちに、人形は、すばらしいハタ織り機械をこしらえあげました。
 冬のおわりになると、みごとに布が織りあがりましたが、その薄いことといったら、糸のかわりに、針のメドにとおすことができるほどでした。やがて春になると、その布をまっ白にさらして、ヴァシリーサが後家さんに言うことには、
「ねえ、おばさん。この布を売って、その代金は、あなたが収めてちょうだいね」
 後家さんは、その織物を見るなり、びっくりして、言うことには、
「とんでもない、娘さんや。こんなりっぱな布は、王さまのほかには、着る人はありませんよ。ひとつ、御殿へ持ってゆきましょう」
 そこで後家さんは、王さまの御殿へいって、窓の下を、いったりきたりしていました。王さまがそれを見て、たずねるには、
「これこれ、ばあさん、なんの用かね」
 後家さんが答えるには、
「ああ、王さま。わたくしは、とても珍しい品物を持ってまいりました。あなたのほかには、だれにもお見せしたくないのです」
 王さまは、後家さんをつれてこさせると、その布をひと目みて、びっくりしてしまいました。
「さて、望みの値段は、いかほどかな」と、王さまはききました。
「とんでもない、これに値段があるものですか、王さま。わたくしはただ、これを献上(けんじょう)にまいったのです」
 王さまは、礼のことばを述べて、後家さんにいろいろのみやげを持たせて、帰しました。
 さて王さまは、その布でシャツを縫(ぬ)わせることにしました。裁(た)つことは裁ちましたが、それが縫えるようなお針子(はりこ)は、国じゅうどこにも見あたりませんでした。さんざんさがしたあげく、王さまは、後家さんを呼び出して言うことには、
「おまえは、これほどの布を、つむいで織る腕があったのだな。であるからには、これでシャツが縫えないはずはあるまい」
 後家さんが答えるには、
「いいえ王さま、この布をつむいだり織ったりしたのは、このわたくしではありません。これは、わたくしの養(やしな)い子の、若い娘がしたことです」
「なるほど、それでは、その娘に縫わせるがいい」
 後家さんは、うちへ帰ると、いちぶしじゅうをヴァシリーサに話しました。ヴァシリーサが言うことには、
「この仕事が、どうせわたしの手にかかることは、初めからわかっていましたわ」
 そこで、部屋にとじこもって、仕事をはじめました。手を休めずに、一生けんめい縫ったので、まもなくシャツが、一ダース縫いあがりました。後家さんが、そのシャツを王さまへとどけに出かけると、ヴァシリーサはからだを洗って、髪をゆいあげて、着物をきかえて、窓ぎわにすわっていました。じっとすわったまま、ことのなりゆきを見ていたのです。
 すると、後家さんの家の庭へ、王さまの家来が、はいってきました。そして、ヴァシリーサの部屋へとおると、こう言いました。
「王さまは、あのシャツを縫いあげた、あっぱれな名人に、会いたいと言っておられます。そして王さま手ずから、ホウビをあげたいと言っておられます」
 ヴァシリーサはそこで、王さまのお目どおりに出ました。王さまは、美しいヴァシリーサを一目(ひとめ)みると、前後(ぜんご)のおぼえがないほど、すきになりました。そして、言うことには、
「いやいや、きれいな娘さん。あなたと別れることはできません。あなたは、わたしの妃(きせき)になるのです」
 そう言うと、王さまは、ヴァシリーサの白い手をとって、そばのイスにすわらせました。そこで、さっそく、婚礼のお祝いになりました。
 まもなく、ヴァシリーサの父親も、旅から帰ってきて、娘のよめいりを大(たい)そう喜び、いっしょに暮らすことになりました。ヴァシリーサは、年よりの後家さんも、引きとりましたが、あの人形は、一生じぶんのポケットに入れて大切にしました。



・筆者の手許にある著作権切れの飜訳で、「ババ・ヤガー(Baba Yaga)」の固有名詞が記されているのはこれのみ(他の訳文は「魔女」「老婆」と一般名詞)。近年の飜訳では固有名で訳されているようだ。

小咄「指揮者」2023年06月22日

小咄『指揮者』今村信雄編

  熊と八、初めてオーケストラを見にきて、

熊「あの野郎、何だ横着な野郎だ、あんなところへ突っ立ったまま踊ってやがる、オーイ動け動け」
八「そうじゃねェ、あれは踊ってるンじゃねェ、あれで太鼓や笛の音を、よくかきまぜてるンだ」



・新作小咄と思われる。