読書に関して2023年11月03日

「0655・2355」に倣って、ある小説の冒頭を。

 "The night was young, and so was he. But the night was sweet, and he was sour."

――ウィリアム・アイリッシュ(コーネル・ウールリッチ)『幻の女(Phantom Lady)』(1942年)。

因みに、ポビュラー・ソング『恋人よ我に帰れ(Lover, Come Back to Me)』の出版は 1928年。その歌詞が影響している蓋然性は否定できないだろう。
まぁ、こう言う「対句的表現」は、古今東西よくある事ではあるが。

・『吾輩は猫である』二章より。

 (略)「此間(こなひだ)うちは利いたのだよ、此頃は利かないのだよ」と對句の樣(やう)な返事をする。(略)

エド・マクベイン『87分署シリーズ』中どの作品か失念したが、「英語で書かれた小説の冒頭を出来るだけたくさん覚える」と言う妙な男が出てくる。本筋とは無関係なサブ・キャラクターだが。

・追記。
「江碧鳥逾白 山青花欲然(江碧にして鳥逾々白く、山青くして花然えんと欲す)」 杜甫

音楽に関して 282023年11月03日

本日は「文化の日」だそうだ。確かに筆者が子供の頃からの「公休日」だった(無論新暦」)。
と言う訳で。


小学校か中学校の歌集(つまり音楽の「副読本」)に掲載されていた。

――「世界的空気」として、「インターネット上」に掲載するのも、如何なものかとは思わなくも無いが。

地球に関して 142023年11月07日

英国で、アルパカとリャマ(ラマ)が集団脱走したそうだ。

不謹慎ながら、思わず笑ってしまった。

「どれがアルパカで、どれがリャマ(ラマ)なんだ!」

……と言う地元の人々の大混乱を想像してしまったので。

・アルパカ ↓


・リャマ(ラマ) ↓



画像はウィキペディアより。なお、いづれも「ラクダ科」だそうだ。

読書に関して 22023年11月08日

「読書週間」と言うが、実質は 10月27日~11月9日の「読書2週間」だそうだ。これが「十日間」なら「読書旬間」になるのだが。
んで、別の小説の冒頭を。


    It was the best of times, it was the worst of times, it was the age of wisdom, it was the age of foolishness, it was the epoch of belief, it was the epoch of incredulity, it was the season of Light, it was the season of Darkness, it was the spring of hope, it was the winter of despair, we had everything before us, we had nothing before us, we were all going direct to Heaven, we were all going direct the other way--in short, the period was so far like the present period, that some of its noisiest authorities insisted on its being received, for good or for evil, in the superlative degree of comparison only.

――チャールズ・ディケンズ『二都物語(A Tale of Two Cities)』(1859年)。


 それはすべての時世の中で最もよい時世でもあれば、すべての時世の中で最も悪い時世でもあった。叡智の時代でもあれば、痴愚の時代でもあった。信仰の時期でもあれば、懐疑の時期でもあった。光明の時節でもあれば、暗黒の時節でもあった。希望の春でもあれば、絶望の冬でもあった。人々の前にはあらゆるものがあるのでもあれば、人々の前には何一つないのでもあった。人々は皆真直に天国へ行きつつあるのでもあれば、人々は皆真直にその反対の道を行きつつあるのでもあった。――要するに、その時代は、当時の最も口やかましい権威者たちの或る者が、善かれ悪しかれ最大級の比較法でのみ解さるべき時代であると主張したほど、現代と似ていたのであった。

―― 同。佐々木直次郎訳。


力の入ったオープニングである。ディケンズの長篇小説としては、最も「全体の構成」が意識された作品。。
「フランス革命」と言う歴史的題材のせいか、いつもの「ディケンズ節」とは異なる(「舞台化」が念頭にあったのかも知れない)。
なお、「外国語の翻訳」と言う a point of view からすれば、「語彙」と「語順」と言う辺りが面白いだろう。

因みに、次作の冒頭は以下の通り。


    My father’s family name being Pirrip, and my Christian name Philip, myinfant tongue could make of both names nothing longer or more explicit than Pip. So, I called myself Pip, and came to be called Pip.

――『大いなる遺産(Great Expectations)』(1860-1861年)。

 私の父方の苗字はピリップで、私の洗礼名はフィリップという。しかし私は幼い頃、舌がよくまわらなかったので、両方を一緒にして、ピップと言っていた。そのため私は自分のことをピップと呼び、まわりからもピップと呼ばれるようになった。

――山本政喜訳。


ディケンズお得意の「一人称に依る成長物語(Bildungsroman)」と言う感じである。以前に述べたとおり、この作品も映画化されている。

アシモフに関して2023年11月08日

「ロシア生れ」の「ユダヤ人」で、後に家族ごと「アメリカ」に帰化した。

・余談。
無論、「イギリス」と言う「国名」は無い。(「ソヴィエト」は抑も「国名」では無い)。

・余談の余談。
サミー・デイヴィス・ジュニアと言うエンターテイナーは、「ユダヤ教」の信者だったそうだ。本人の意思で改宗したらしいが。
――それは、「ユダヤ人」と定義すべきなのかな?