第百九十六段2023年05月31日

随筆(essay)の冒頭2種。

・『徒然草』(14世紀)より「序段」(橘純一校註)

つれづれなるままに、日暮し硯に対ひて、心に映りゆくよしなしごとを、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそ物狂ほしけれ。

・ジェローム・K・ジェローム『閑人閑語』(1886年)より「閑散無為」(佐々木邦訳)

 これこそ、実際、僕の得意物と自負する題目である。僕の子供の頃、一学期九ギニーで、臨時費用一文もなしという学校で、僕に知識の洗礼を授けてくれた小学校の先生は、この子位、余計に時間がかかって、僅かしか仕事の出来ない子供を見たことがないとよく云った。又、或る時、お祖母さんが祈祷書の用法に就(つい)て教えてくれた時、この子は祈祷書の文句の「なすべからざることをなす」ことは決してありそうもないが「なすべきことをなさず」という点は、全くその通りにちがいないと、偶然に仰ったのを覚えて居る。
 けれ共、失礼ながら、僕はお祖母さんの予言の半分を裏切ったと思う。僕は怠け者ながらなすべからざる沢山のことをなした。併し、僕が疎(おろそ)かにしてはならぬことを等閑(とうかん)に附した点に於いては、お祖母さんの予言に間違いないことを十分確認する。怠けて暮すことは僕の一大強味である。それを敢て僕の手柄と思うわけではない――単に天賦の方(ほう)に過ぎぬ。この天稟(てんぴん)を有する人は、極めて少ない。仕事嫌いの人も、野呂馬(のろま)も、沢山あるが、本当の怠け者は中々得難い。ポケットに両手を突っ込んで、ノラクラして居る者必ずしも怠け者ではない。反対に怠け者の最も著しい特長は、何時でも猛烈に忙しいことである。
 人間は沢山の仕事をもって居ない時には、本当の怠け心を楽しむことは出来ない。何にも仕事の無い時、ブラリとして居たって何の変哲もない。そういう時には、時間を浪費するのが一つの仕事で、然も中々心身を労する仕事である。怠け心は、キッスと同様、密かに楽しむ処に、云うべからざる味がある。
(後略)

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