ルルージュ事件 序 江戸川乱歩2022年08月19日

「ルルージュ事件 序」 江戸川乱歩

 短篇形式の推理小説の世界最初の作品はエドガア・ポーの「モルグ街の殺人」(一八四一年)であるが、長篇形式のそれはエミール・ガボリオの「ルルージュ事件」(一八六六年)である。尤もこの作の前にアレキサンダー・デュマの「ブラジュロンヌ子爵」(一八四八年)ディケンズの「ブレイク・ハウス」(一八五三年)コリンズの「白衣婦人」(一八六〇年)などがあるけれども、いづれも厳密な意味の推理小説ではなく、純推理小説としてはイギリスではコリンズの「月長石」が最も早く、併しそれは「ルルージュ事件」の翌々一八六八年の発表であるから、長篇形式の始祖はやはりガボリオであり、この「ルルージュ事件」は世界最初の長篇推理小説といふ栄誉を担ふわけである。
 エミール・ガボリオ(Emile Gaboriau、1835―1873)はフランスのシャラントン・アンフェリアール県の公証人の子として生れ、青年時代には暫く地方の騎兵聯隊に入つてゐたが、花の都の魅力に抗し難く、間もなくパリに出て、初めは運送会社などに勤めてゐる内、当時の作家ポール・フェヴァルの弟子となり、余り有名でない雑誌に作品を発表するやうになり、ユーモリストとして認められるに至つた。しかし一躍彼の名を高からしめたのは、三十二歳の時「ル・ペイ」紙に発表した「ルルージュ事件」であつた。この傑作を第一に認めたのは「プチ・ジュルナル」紙の創立者ミローであつた。彼は直ちにガボリオの連載推理小説を同紙にのせ、特別寄稿家として遇したが、その作品は新聞小説として大成功を収め、後には同紙のほかに「ル・ソレイユ」などにも連載ものを書くやうになり、ガボリオの推理小説はフランス新聞小説界の寵児となつた。彼の長篇は各国語に訳され、イギリスでも大いに歓迎せられたが(日本の涙香の翻訳は当時の英訳本によつたもの)これが後にコナン・ドイルのシャーロック・ホームズを生む一つの素地を為したのである。ドイルは処女長篇推理小説「緋色の研究」の中で、ホームズをしてポーの主人公デュパンとガボリオのルコックとを理想的な探偵ではないと非難させてゐるが、それはつまり彼がこの二人の先輩名探偵を最大の競争相手と考へてゐた証拠であり、彼が如何にポーとガボリオの影響を受けてゐたかを語るものである。
 しかし、ドイルはガボリオ風の長篇小説ではなく、直接ポーを継ぐ短篇作家として成功したので、その影響から推理小説界は短篇全盛時代に入り、ガボリオの作品はいつとはなく忘れられて行つたが、第一次世界大戦後再び長篇推理小説が勃興するに及んで、ガボリオは英語国民の間にも復活した。その直接の導火線となつたのは一九二九年「イヴニング・スタンダード」誌に発表されたアーノルド・ベネットのガボリオ礼讃の評論である。彼は「ルルージュ事件」を評して「ガボリオの話術は読者を掴んで放さぬ妙味を持つてゐる」といひ、更にその内容を分析して「この素人探偵の推理過程、犯罪発覚の場面等は見事に描かれてゐて、推理小説としても確かに優れてはゐるが、しかしこの作の全体の構成から云ふと、推理の部分よりも人情小説(ヒューマン・ドラマ)の部分が一層強く現はれ、その興味が全巻を貫いてゐる。仮にこの作から推理小説的な部分を全く取除いたとしても、猶充分読むに堪へる古風ながら甚だ優れた人情小説である。ガボリオは推理作家としてよりも、寧ろ物語作家として優れてゐる」と書いてゐる。ベネットが当時のイギリス読書界に持つてゐた力は非常に大きかつたので、この推称文が直ちに影響し、「オルシヴァルの罪」「ルルージュ事件」「書類百十三号」などが続けさまに再度英訳され、「大ガボリオ復活」時代を現出したのである。
 第一次世界大戦から第二次大戦までの二十年は本格長篇推理小説の最盛期であつて、現在ベスト・テンに挙げられてゐる作品は大部分この期間に生れたのであるが、第二次大戦直前あたりから戦後にかけて、推理小説の様相が変つて来た。本格的な謎と推理の所謂ゲームとしての作風のほかに、アメリカに起つたハード・ボイルド派、イギリスに起つたサスペンス派又は心理的スリル派などが本格派と並んで推理小説界に重きをなして来た。これら非本格派の特徴は推理的部面に於ける独創よりも、人間を描くことに力点を置き、或はアメリカ・ギャングの悪の世界の人情を直写し、或は戦時スパイの生活を活写し、或は恋愛の心理葛藤より生じ来る殺人の恐怖を描くなど、推理要素以外の興味の優越する点に於て、ガボリオ時代の作風と一脈の相通ずるものがある。ある批評家はこの新傾向をホレース・ウォルポールなどのゴシック恐怖小説の現代的な復活であると云つたが、もつと近い所にガボリオがゐる。その非推理的要素は必ずしも同一ではないけれども、ベネットの所謂ヒューマン・ドラマに力点が置かれてゐる意味では、これらの傾向は現代化されたガボリオと見ることも出来、こゝにガボリオ再度の復活を考へ得ないでもないのである。
 ガボリオが日本に輸入せられたのは、やはりこの「ルルージュ事件」が最初で、明治二十年(或は二十一年か)黒岩涙香が、「人耶(か)鬼耶(か)」と題して「今日新聞」に連載し、原作がフランスの新聞小説として成功したやうに、日本でも非常な好評を博し、完結すると直ちに単行本として出版され、其後戦前までの数十年間、色々な形の本となつて何回となく版を重ねてゐる。この涙香の訳は必ずしも原作に忠実でなく、謂はゞ翻案に近いものであつたが、それを原文に忠実な普通の翻訳にしたのは田中早苗氏の訳業が最初であつた。田中氏は大正年代三津木春影などについで海外推理小説輸入の大先輩で、推理小説雑誌「新青年」の創始者森下雨村氏の親友であつた。田中氏はガボリオの長篇を四篇訳してをり、明治の涙香と共にガボリオ訳者として知られてゐた。又同氏の代表的な訳業には同じフランスのコント作家ルヴェルの短篇集があり、共に名訳の聞えが高い。田中氏は後に現はれた延原謙、妹尾韶夫などの諸氏と共に推理小説翻訳陣の最も有力な一員として、戦前まで健筆を揮つてゐたが、戦争中奈良の疎開先で惜しくも病死せられた。この「ルルージュ事件」は同氏代表作の一つと考えてよいと思ふ。遺族のご承諾を得てこの集に収め、一本を同氏の霊前に捧ぐるものである。    (昭和二十二年九月)



・文中の西暦年・固有名はすべて原文ママ。
ベネットの評にある「素人探偵」とは、ルコックの師匠であるタバレ老人を指す。