オリヴァー・ツウィスト 22023年06月09日

二、孤児預り所

 それからの十月(とつき)程の間といふもの、オリヴァーは、全く組織立つた欺瞞(ごまかし)の犠牲にされてゐた。彼は勿論、人工栄養で育てられた。幼児(こども)の栄養が足りないといふことは、救貧院の役員から教会区の役員へと報告された。教会区の役員は又救貧院の役員の資格を以つて、院内の住居者でオリヴァーに栄養と慰藉(いしや)をば授け得べき女性があるや否やを、救貧院役員へ照会したが、救貧院役員が謹んでさういふ女性のないことを答ふるに至つて、教会区役員は満場一致で、しかも、慈悲深くも、オリヴァーを「預ける」ことにしてしまつた。言葉を換へて言へば、その市(まち)から三哩(マイル)ばかり離れたところに、救貧院の分院とも見るべきものがあつて、其処では、一人の老女の監理の下(もと)に、何時も二三十人の孤児が床(ゆか)の上を転げ廻つてゐるのであつたが、其所(そこ)へオリヴァーを預けるといふのであつた。
 その孤児一人頭(ひとりあたま)の入費(にふひ)は一週六片(ペンス)半といふのであつたから、それだけの銭では、幼児は皆不快になるくらゐにまで満腹させられ得る筈であつたのだが、その老女は世智(せち)にも経験にも長けた一筋縄ではいかぬ女であつたので、幼児等(こどもら)には何(ど)れだけにすればいゝものであるか、何うすれば何れだけが自分の利徳になるかといふやうな点をば詳細にはつきりと知つて居(を)つた。で、老女は幼児等の費用の大部分をば自分の懐中(ふところ)へ入れてしまつて、幼児等の諸費用を本来の高(たか)よりグツと切り詰めたのだ。詰まり、さういふ風にして、この老女は、物の下の深所(ふかみ)の先きに、なほ一層の底の深所があるものだといふことをば発見したのであつて、自身が其所で偉大なる実験派哲学者であることをしめしたわけであつた。
 昔時(むかし)或る実験派哲学者があつて、馬は何も食はずに生きてゐることが出来るものだといふ学説をば唱導し、馬が一日に藁一本で生きてゐられるといふところまではその学説を証明し、今一歩で馬は全く何も食はずに勢ひ好く飛び跳ねることのできる動物であるといふ生きた実例をば何等(なんら)の疑点なく世上(せじやう)に提示することができる筈であつたのだが、惜しいかな、その馬は空気といふ飼料(かひば)の最初の旨さをば味はひ得るに先だつこと二十四時間にして、バツタリ死んでしまつたといふ話は、誰でも知つてゐるであらう。運悪るくも、オリヴァー・ツウィストの世話を依託された女性の実験哲学にあつても、大抵何時もこの馬の運命と同じやうな結果が老女の方法の実行には伴ふのであつた。即ち、一人の幼児ができるだけ最も栄養の少い食物のできるだけ最も少い量で生存し得るやうに自ら処置することができた丁度その刹那に、意地悪くも、十中八半(はん)ぐらゐの割り合ひで、その児は栄養不良とか、感冒とかで倒れるとか、附き添ふ者がなかつたがために火のなかへ落ちるとか、運悪くも何(ど)うかして半窒息になつてしまつたとか、いふやうな事が起つて、さういふ場合には、何時でも、哀れな幼ない者どもは大抵彼(あ)の世へと喚ばれて行つて、其処で、この世では名も顔も知らなかつた父親たちの膝の下(もと)へと集められてしまふのであつた。
 時々は寝台掃除の時に幼児(こども)のゐることを忘れて、教会区の幼児を圧(お)し潰してしまつたとか、家の洗ひ日であつたがために、幼児が都合悪くも煮湯(にえゆ)のなかへ落ちて、大火傷(おほやけど)で死んだとかいふやうな場合には、尤も、洗ひ日に似寄(によ)つたやうなことは此所(こゝ)の幼児(えうじ)預り所では極く稀有(まれ)であるので、火傷の場合は先づ余りない事であるのだが、さういふ場合には、何時(いつ)もにない一般の興味を惹く検屍裁判が開かれ、陪審官は面倒な審問をしようと思ひだし、教会区の住民は住民で、反抗的に詰問書に書名はするにはする。けれども、権威者に対するさういふ干犯(かんぱん)の行為は、医者の鑑定と教区吏(けうくり)の証言で一(ひ)と堪(たま)りもなく圧倒されてしまふのだ。詰まり、医者の方は何時も幼児の屍体を切り開いて見るが、中には何もない、(物をロクに食はせてないのだから、それは先づ大抵腹のなかは空虚(から)であるべきはずである)それから教区吏の方はといふと、これは何時も変らず、教会区の人々が教区吏の口をとほして言はせたいと思ふ通りの証言をする。教会区の人々は皆自分の区の体面ばかり重んじてゐるのだから、事実通りの証言などを誰も要(えう)しはしないのだ。幼児虐待といふやうな事実はこの教会区には決してないといふ証明がよし表面だけでも立てばそれで宜しいのであつた。その外(ほか)、救貧院委員が幼児預り所へ定時の視察をすることになつてゐたが、何時もその前日に教区吏をやつて自分たちの翌日行くことを知らせるのであつた。だから、委員たちが視(み)に行つた時には、幼児等は何時も小綺麗なのだ。誰が視てももうそれで沢山であつた訳(わけ)だ。
 かういふ育児所の方法が、極く非常な盛んな収穫を齎(もた)らすものだとは誰も思はぬであらう。オリヴァー・ツウィストは九回目の誕生日を迎へたが、顔の蒼い痩せた児童(こども)で、身長(せい)も幾らか低く、胴廻りも余程細かつた。が、天然か、遺伝か、オリヴァーの胸には善い確乎(しつかり)した元気が植ゑつけられてゐた。この育児所の食ひ物の少なかつたことのお蔭でもあらうが、オリヴァーの胸の内はさういふ元気が膨張するだけの十分な余地があつた。で、或ひは、オリヴァーが九回目の誕生日をさへ迎へることができたのは、さういふ事情のお蔭であつたかも知れぬのだ。が、そんな事は何(ど)うでもいゝとして置いて、とにかく、それはオリヴァーの九回目の誕生日であつて、彼は他の二人の若い紳士(幼児のこと)と共に特に選び出されて、石炭貯蔵の穴倉で、その誕生日を祝つてゐたのだ、詰り、その三人の児童(こども)は、大胆不敵にも腹がすいたなどと言ひだした罪によつて、散々打(ぶ)ちのめされた後で、その穴蔵へ閉ぢ籠められてゐたのであつた。ところが、丁度その時、家の主婦(あるじ)のミセス・マンの眼に、庭門(にはもん)の網代戸(あじろど)を押し開けようとしてゐる教区吏バンブル氏の姿が忽然として入つたのだ。
「あら、まア、バンブルさんですわねえ」
 ミセス・マンは如何にも嬉しさうな態を装(よそほ)つて、窓から、顔を突き出して言つて置いて、室内(へや)の方へは極く小声で、
「それ、スウザンや、お前、直ぐオリヴァーとあと二人の頑童(がき)共をさ、早く二階へ引きずつてつて、綺麗に洗つておくれよ、さ早くさ」
 それから、バンブル氏の方へ向いて、
「あら、まア、嬉しいですわねえ。何(ど)うもまア好くいらしつてくださいましたわね、まア、ほんたうに」
 ところが、バンブル氏は肥つた短気な男なので、ミセス・マンのお世辞たらたらの言葉を耳にも掛けず、開かない網代戸を、揺すぶつたり、蹴つたりしてゐた。
 もうそれまでには児童(こども)の始末をつけさしてしまつたので、十分安心したミセス・マンは家のなかから駈けだして行つて、
「あら、まア、あたし、何(ど)うしたらいゝでせう。ほんとに何うしたらいゝでせう。児童(こども)たちが大切なんで、門をなかから締めて置いたのを、すつかり忘れてしまつてましたわね。さア、まア、お入りください、さア、ずつとお入りください、バンブルさん、さア何うぞ」
 いかな無愛想な教会番人の心でも和(やはら)げ得るやうなこの愛嬌たつぷりの挨拶でも、この教区吏バンブル氏の不機嫌は直らなかつた。
「これ、ミセス・マン、教区の役員が、教区の孤児に就いての用務で参つた時に、それを庭戸の外へ締め出して待たして置くちうのは、無礼な怪しからんことだとは、あんた思ひなさらんかな? ミセス・マン、あんたは、教区の雇員(こゐん)で、手当を受けてゐなさることを忘れさしやつたかな?」
 バンブル氏は、杖をしつかり握つて、さう言つた。
「イエ、それはもう、バンブルさん、あたくしは、ほんとに、貴下(あなた)、貴下をお好き申してます。可愛い児童(こども)たちに、貴下がおいでなさることを話して聞かして居りましたんですわ」
 ミセス・マンは、極くうやうやしい態度でさう答へた。
「あア、あア、ミセス・マン。まア、それはあんたの言ふ通りかも知れん。ともあれ、家内(うち)へ案内さつしやい、わしは用務で来ましたで、話もありますでな」
 バンブル氏も、ずつと静かな声になつた。
 ミセス・マンは、教区吏をば小さい客間へと案内した。そして、児童(こども)の病気の時に、薬に混ぜるのだがと言つて、ジン酒(しゆ)をバンブル氏に羞(すゝ)めた。バンブル氏は、水を割つたジン酒を啜りながら用談を始めた。
 バンブル氏は柔皮(かは)の手帳を出して、
「さて、そこで、用事なんぢやが――オリヴァー・ツウィストといふ名で、仮洗礼(かりせんれい)を受けさせたあの童(こども)は、今日丁度九歳(こゝのつ)になりましたわい」
「ほんとに可愛さうな童(こども)ですわ」
と、ミセス・マンが、エプロンの隅で左の眼を擦(す)り赤(あか)めながら、言(くち)を挟(い)れた。
「初めは十磅(ポンド)、後ではそれを二十磅(ポンド)に増して賞金を懸けたですわい。さういふ風にこの教会区の方で、最高の努力をしたですけれどもな、彼童(あれ)の父親も、母親の住居(すまい)も、名も、身分も一切分らんぢやつた」
 それで、オリヴァー・ツウィストといふ名は、バンブル氏は、無名の孤児に名を附ける時に、何時もABC順で附けるので、オリヴァーの番が丁度Tの番に当つたので、バンブル氏がツウィストと名附けたといふのであつた。
「あら、まア、貴下(あなた)ほんとに文学者でいらつしやいますわね」
 ミセス・マンはさう褒めそやした。
「いや、いや」
 そのお世辞でひどく満足したらしい教区吏は、
「さうかも知れんです。それはさうかも知れんですわい、ミセス・マン」
 バンブル氏は、そこでジン酒を飲み終つて、それから話を続けた。それは、オリヴァーはもうこの育児所に置く年齢(とし)を越えてしまつてゐるので、役員会は、オリヴァーをば救貧院へ伴(つ)れて帰らうといふことに決した。それでバンブル氏自身が、オリヴァーを伴れにとやつて来た。で、直ぐ、その童(こども)をバンブル氏の前へ伴れて来いといふのであつた。
「直ぐ伴れて参るでございますよ」
 さう言つて、ミセス・マンは、オリヴァーを伴れにと部屋を出た。オリヴァーは、もう此時(このとき)は、彼の顔や手をべつたり蔽つてゐる垢や埃の外皮(かは)をば、一度の洗ひでこそげ落すことのできるだけを落されて、その所謂恩人の主婦に伴れられて、バンブル氏のゐる部屋へと入つて来た。
「旦那にお辞儀をしなさい、オリヴァー」
 さうミセス・マンが言つた。
 オリヴァーは、椅子に腰掛けてゐるバンブル氏と、卓子(テーブル)の上のバンブル氏の船底の帽子[註:cocked hat]の、丁度間(あひだ)の所へ向けてお辞儀をした。
「わしと一緒に来るかね、オリヴァー」
 さう言つたバンブル氏の声には、威儀厳然たるものがあつた。
 オリヴァーは、誰とでも喜んでこの家を出ると言はうとしたのであつたが、その時、ひよいと見上げると、教区吏の掛けてゐる椅子の後へと廻つたミセス・マンが、恐ろしい怖い顔付で、オリヴァーに向つて拳固を振つてゐるのが眼に入つた。オリヴァーは、そこで本当のことを言つては不可(いけ)ないのだといふことが直ぐ分つた。拳固は度々身体(からだ)に当てられてゐたので、それの意味は直ぐに分るやうになつてゐたのだ。
「伯母さんも一緒に来て呉れるんですか」
 哀れなオリヴァーは、抜からずさう訊ねた。
「いや、伯母さんは行けない。だが、時々お前に会いに来てくれる」
 バンブル氏の答はさうであつた。
 オリヴァーに取つては、ミセス・マンが会いに来てくれやうがくれまいが、別に大した慰めになるのではなかつた。けれども、彼は幼いとはいひながら、この家を出る別れが如何にも悲しいといふ感情を装(よそほ)ふだけの智慧(ちゑ)は十分あつた。オリヴァーに取つて、眼に涙を出す位のことは何でもないことであつた。何時でも泣きたいと思へば食ひ物もロクに貰へないことゝ、この頃の虐待とを思ひ出しさへすればよかつたのだ。オリヴァーは全く本当に泣く事ができたのだ。ミセス・マンは、オリヴァーを幾度となく抱き上げた。そして、オリヴァーに取つて尚(な)ほ一層有難いことには、パンの幾片(いくきれ)かに、バタを添へて渡してくれた。これはオリヴァーが救貧院へ行つた時に、余り腹が減つてゐて物を食ひたがると、自分の家で、児童(こども)に食ひ物をロクに与へないといふことが、発覚しては大変だと思つたからであつた。手にパンの片(きれ)を持ち、頭に小さい鳶色の布の教区帽を被つて、オリヴァーは、彼の幼年時代の暗黒の中で、一つの親切な言葉さへ聞かず、一度の親切な顔付(かほつき)さへ向けられなかつたその悲しい家をば、バンブル氏に伴(つ)れられて出た。で、そんな家であつたけれども、家の扉が彼の後で閉まるといふと、幼童(こども)らしい悲しみの苦しさにわツと泣きだして終(しま)つた。彼が今別れて行く不幸の中での小さい友達は、賤しい哀れな者どもであつたけれども、オリヴァーが生れてから持つた遊び友達といふのは、さういふ者ども限(き)りであつた。今、それらの友達にさへ別れて、たつた独り、大きい広い世間へ出るといふ何んとも言へぬ淋しい心持が、茲(こゝ)で初めてこの幼童(こども)の心の底へと沈んで行つたのだ。
 バンブル氏は大股で歩いた。小さいオリヴァーは、バンブル氏の金糸(きんし)で縢(かゞ)つた袖口(カフ)を掴んで、チヨコチヨコ走(ばし)りに附いて行きながら、三四丁行く度に「もう直(ぢ)きなのか」と、尋ね尋ねした。その度にまたバンブル氏は、極く短い素気(そつけ)ない返辞をした。ジン酒のお蔭で、一時機嫌好くなつてゐた心持が、もうすつかり消えてしまつて、バンブル氏は又ふたゝび元の無愛さうな教区吏に戻つてしまつたのだ。
 救貧院へ着くと、バンブル氏はオリヴァーを一人の老女の手に渡して、何処かへ引つ込んでしまつたが、軈(やが)て十五分も経たぬうちに、即ち、オリヴァーが、パンの二つ目の片(きれ)を食ひ了(おは)らぬうちに、バンブル氏は又出て来て、それは役員会議の晩なので、役員会の命令で、オリヴァーに其処へ出ろと言ふのであつた。
 英語では、役員会のことをボオドと言ふ。即ち日本の言葉のボオルド(黒板)と同じ字なのだ。で、オリヴァーは、それまでは板のボオルドしきや知らなかつたので、今生きたボオルドといふものは一体どんなものであるのか、どうも分らず、さういふものがあると聞いてひどく驚き、笑つていゝものか、泣いていゝものか全く分らなかつた。けれども、そんなことをもつとよく考へる暇もあらせず、バンブル氏は、オリヴァーに眼を覚(さめ)さす為にと、杖でオリヴァーの頭をコツンと叩き、尚(なほ)しやんしやんと振るまはせようと、頭の後をもう一つ叩き、後へ附いて来いと言つて、白塗りの壁の大きな部屋へとオリヴァーを伴(つ)れこんだが、其所(そこ)には、八人から十人程の肥つた紳士達が、卓子(テーブル)の周囲(まはり)に坐つてゐた。上座の所に、他の席よりは少し高い肘掛椅子に、ひどく丸い赤い顔の殊(こと)に肥つた紳士が腰掛けてゐた。
「役員会の方々(ボオルド)にお辞儀をしろ」
 さうバンブル氏が言つたので、オリヴァーは眼に溜つてゐる二三粒の涙を払つて、ボオルドがあるかと、そこらを見廻したが、ボオルドは無かつたが、卓子(テーブル)があつたので、運好くそれに向つてお辞儀をすることができた。
 高い椅子の紳士から名を訊かれたけれども、そんな偉さうな人々が大勢ゐるなかへ、不意に呼び出されたのではあり、バンブル氏からは又頭を一つコツンとやられたのとで、オリヴァーは泣きだして、オドオドしてよく返辞ができなかつた。それを見ると、白直衣(しろチヨツキ)の紳士が、オリヴァーは白痴(ばか)なのだと言つた。
「小童(こども)、これ。お前は孤児だといふことを知つて居(を)るぢやらうな?」
 高い椅子の紳士がさう言つた。
「孤児つて何(な)んですか」
 哀れなオリヴァーは尋ねた。
「この小童(こども)は白痴(ばか)だ――わしの思つた通りだ」
 さう白直衣(しろチヨツキ)の紳士が言つた。
 最初に口を出した紳士は、
「しいツ」
と言つて、
「お前は、お父(とつ)さんもお母(つか)さんもなくつて、教会区のお蔭で育てられたといふことを知つて居るぢやらうね。さうぢやらう?」
「さうです」
 オリヴァーはひどく泣きながら答へた。
「何で泣くのだ?」
 白直衣(しろチヨツキ)の紳士が尋ねた。この人には、オリヴァーが何故泣くのか不思議で堪(たま)らなかつた。何でその小童(こども)が泣くことがあるのだらう? この人には、オリヴァーの泣く心持が少しも分らなかつたのだ。
「毎晩祈祷(いのり)を上げなさい。お前に食ひ物をくだされ、お前の世話をしてくださる方たちの為に祈りなさい――基督(キリスト)教徒らしくな」
 もう一人の紳士が濁声(だみごゑ)で言つた。
「へえ」
 オリヴァーは吃(ども)りながらさう言つた。最後に言葉を出した紳士の言つたことは、自分では気が附かなかつたらうが、全くその通りであつた。若(も)し、オリヴァーが、彼に食ひ物をくれ、彼の世話してくれた(言葉を換へて言へば、彼に食ひ物をくれず、彼の世話もしてくれなかつた)人々の為に祈つたのであつたら、オリヴァーは至極の基督(キリスト)教徒、しかも、又驚くべき立派な基督(キリスト)教徒らしくあつたであらう。だが、オリヴァーは、誰も彼に祈祷(いのり)を教へてくれた人がなかつたので、祈りなどはしなかつたのだ。
 そこでオリヴァーは、翌朝六時から起きて填絮(まいはだ)を造るやうにと言ひ附けられて、教区吏の指図で低くお辞儀をして、大きな院部屋(いんべや)へと急いで伴(つ)れて行かれた。そこで、オリヴァーは、粗末な硬い寝台の上で、泣き寝入りに寝入つてしまつた。これは英国の慈悲ある法律の何といふ好(よ)き実例であらう。貧者さへ寝さしてくれるのだ。
 オリヴァーはさういふ風に何も知らずに寝て終(しま)つたが、役員会は丁度その日に、或る決議をして、それが、オリヴァーの将来に大影響を及ぼすことになつた。
 その役員会の紳士達の如き、極めて賢明にして、哲学的な人々から見ると、救貧院といふものは、貧民が其所(そこ)にはひつて、何もせずに寝て、食つて、茶を飲んで、面白可笑しく暮らせる飛んだいゝ楽土(らくど)であるのだと思はれた。そこで、貧民にさう旨(うま)いこと許(ばか)りはさしては置かれないといふ考へから、一つの規則を設けた。即ち、それは、凡(あら)ゆる貧民に対して、救貧院へ入つてそろそろと餓死せしめられるか、外に居(ゐ)て忽(たちま)ちに餓死するか、どちらかその一つを撰ぶの自由を与えた。流石に自由を貴(たつと)ぶ英国の紳士達で、貧民にさへさういふ自由を与へたのだ。決して強制などをするのではなかつた。そこで、さういふ規則の結果として、規定の食事は、一日三度とも、薄い粥(かゆ)で、一週に二度玉葱を一つ添へ、日曜日には半斤のパンをつけることになつたのであつた。これ等(ら)並びにその救貧院の処置に就いては、多少の意見もあつたであらうが、若し救貧院といふものがなかつたなら、この市(まち)の貧民を一人一人救助する教会区の負担はどれ程になるか分らなかつたのであるから、救貧の負担がなるべく小額で済む限り、院に収容された貧民が、朝から晩まで水ばかり飲まされてゐやうが、三度三度粥ばかりしきや食はされなからうが、そんなことは公衆の一向構つたことではなかつた。公衆は只救貧の負担の増すことばかりを恐れたのだ。
 オリヴァー・ツウィストが救貧院へ伴(つ)れて来られてから、最初の半年の間は、この新規則が十分に強行された。其(その)新規則の結果、死者の数がずつと多くなつて、葬式の費用がぐつと増し、それから、一二週間も粥を食はせると、在院者の体躯(からだ)がぐつと痩せてしまつて、着物がダブダブになるので、それを取り替へるなどの費用が加はるといふ風で、最初のうちこそ金はなかなかかゝつたのであるが、在院者の体躯が痩せるとともに、在院貧者の数が余程少くなつたのであるから、役員会は大喜びであつた。
 小童等(こどもら)の食堂は、大きな石造(せきざう)の広間で、一つの端に銅の欄干(てすり)が附いてゐて、そこから、エプロンを掛けた食堂長が、一人か二人の女に手伝はせて、粥を柄杓(ひしやく)で盛り分けてやるのであつた。どの小童(こども)も粥碗(かゆわん)に一ぱいきりで、それ以上はどんなことがあつても貰へなかつた。尤も、大きな公共の祝典といふものでもあれば、粥の他に、パンの二オンスと四分の一位は添へられることがあつた。男の児(こ)といふものは、大抵非常な食慾を持つてゐるものだ。オリヴァー・ツウィストと、彼の仲間たちは、そろそろ餓死して行く苦しみをば三ケ月に亙(わた)つて受けた。で、もうみんな腹が減つて堪らなくなつたので、みんな集まつて会議を開いて籤(くじ)を引き、その籤に当つたものが、その晩の夕食の時に、食堂長の前へ行つて、粥をもう少しくれと頼むことになつたが、その籤がオリヴァー・ツウィストに当つた。
 その晩みんな食堂へ出て、粥が何時もの通り一口で無くなつてしまふと、小童等(こどもら)は囁き合ひ、オリヴァーに向つて眼交(めくば)せをし、直ぐ隣の小童等はオリヴァーを突つついた。幼童(こども)ではあつたが、オリヴァーは腹が減つてゐるが為に絶望的になり、悲しさの為に向う見ずになつてゐたので、卓子(テーブル)から立ち上ると、椀と食匙(さじ)を手に持つて、食堂長の前へと進んで行つて、吾ながら自分の大胆さに少し驚いた風で、
「何卒(どうぞ)、あなた、もう少しください」
 食堂長は、肥つた丈夫な男であつたが、それを聞くと、真つ蒼(さを)になつて終(しま)つた。彼は一寸の間(ま)、その小さい謀叛人を驚いて呆れ返つて茫然(ぼんやり)した風で凝視(みつ)めて、それから欄干(てすり)を押へて、身を支へた。
「何(な)に」
 食堂長は、やつと弱々した声で言つた。
「どうぞ、あなた、もう少しください」
 食堂長は柄杓でオリヴァーの頭を一つ喰(くら)はし、腕を捉(つか)まへて羽翼締(はがいじ)めにし、大声を挙げて院長の教区吏を喚んだ。
 役員会は丁度何にか重大な会議中であつたが、そこへバンブル氏が大周章(おほあわて)に周章(あわて)て、飛び込んで来て、高椅子の紳士へと話し掛けた。
「リムキンスさん、貴下(あなた)、どうぞ一寸。オリヴァー・ツウィストが、もつとくれと申したです」
 誰も彼もがはツと驚いた。慄然(ぞつ)とした様子が誰の顔にも現はれた。
「何(な)に。もつとくれ」
 さうリムキンス氏は言つて、
「まア、落ち着きなさい、バンブル。判然(はつきり)言ひなさい。それでは、彼奴(あいつ)は食制で定(きま)つてゐる夕食を食つた後で、まだその上、もつとくれと言ふたのぢやね?」
「さう言ひましたぢや」
 バンブルはさう答へた。
「あんな奴は、行末(ゆくすゑ)屹度(きつと)絞罪になる。確かに絞罪になる」
 さう言つたのは白直衣(しろチヨツキ)の紳士であつた。
 この預言者的の紳士の説に異議を唱へるものは誰もなかつた。熱心な会議が開かれた。オリヴァーは直ぐ禁錮(きんこ)を命ぜられた。次の朝になると、教会区の手からオリヴァーを引き取つてくれる人には、誰にでも五磅(ポンド)の賞金を与へるといふ掲示が門の外へ貼り出された。言葉を換へて言へば、何(ど)んな商売、何んな職業に対してでも、年期小僧を要する男にでも、女にでも、先方(さき)さへ承知なら、オリヴァーに五磅(ポンド)附けてやつてしまふといふのであつた。