江戸川乱歩『続・幻影城』より「科学小説の鬼」2023年06月07日

科学小説の鬼 〔宝石、昭和二十八年八月号〕

  ――S・Fの勃興・その歴史
     附・ヴェルヌ邦訳書誌

 一月ほど前、(二十八年五月頃)突然、神戸から一人の青年が訪ねて来た。青年といっても、或る会社の社員で、英語ができるので、渉外の仕事をしている人のようであった。実は旅券が思ったより早く貰えたので、明日横浜からの船で、アメリカへ立つのですが、立つ前に、日本のその方面の方々に会って、よくお話を伺っておこうと考えていたのに、その暇がなくなってしまいました。今日一日しかないのです。それで先ずこちらへお伺いしたのですが、私はアメリカの科学小説同好クラブから招かれて、二三ヶ月各地のクラブを廻ってくるつもりです。それについて、向うの会合で、日本の科学小説の現状についてスピーチするように頼まれていますので、何か材料になるお話を伺いたいのです、という話であった。
 どうしたわけで、そういうクラブから招かれたのですかと訊くと、彼は、向うのクラブから来ている手紙を何通か取出して、でたらめでない証拠を示しながら、実はこういうわけです、私は探偵小説は余り好きでありませんが、S・F(サイエンス・フィクションの略号)は大好きで、アメリカのいろいろなS・F雑誌を読んでいるのですが、それらの雑誌の読者欄へ、たびたび投書をして、幾つかの雑誌に私のS・F礼讃の短文がのったものですから、日本にこういう熱心家がいるということを、同好者クラブの人達に知られ、シカゴのS・Fクラブの本部から招待状が来たというわけです。往きの船賃は自弁ですが、先方での旅費、滞在費、帰りの船費は向う持ちで、その上、自動車を一台くれるそうです。それでアメリカ各地を乗り廻した上、帰りには持って帰ってもいいというのです、とホクホクしている。
 どうも少しうますぎるような話だが、向うから来ている手紙を見ると、嘘でもないらしい。そこで、私は、日本にはポピュラー・サイエンス風の通俗科学雑誌は幾つかあるけれども、科学小説の専門雑誌というものは一つもない。古くから科学ものを出版している誠文堂新光社が、戦後「アメージング・ストーリーズ」を飜訳して、叢書にして出したが、売行きが充分でなく中絶してしまった。
 外国作家では、明治初期にはフランスのジュール・ヴェルヌが大いに歓迎され、明治から大正にかけてはイギリスのH・G・ウェルズが飜訳愛読されたが、そのほかには、これという作家も知られていない。日本人ノ作家では押川春浪が子供相手の科学小説めいたものを書いたことがあるけれど、専門ではなかったし、新らしい所では、われわれの仲間の海野十三が大いに科学小説を書き、現在では橘外男、香山滋などがそういう傾向の作家だが、科学小説雑誌もなければ、同好者クラブもなく、日本ではどうもS・Fは振わないようですね、と答えるほかはなかった。そういうわけだから、一つ香山滋君を訪ねて見られたらどうかと勧め、青年もその気になって、同君を訪ねた模様であった。
 アメリカ探偵作家クラブは、とても日本人を招待するような資力はないが、S・Fの方のクラブは、なかなかお金持らしい。それに、世界に同好者を求める熱意は、探偵小説同好者の比ではないように思われる。アメリカのS・Fファンは、そんなに熱心なのかなあと、半信半疑でいたところ、二三日前、イギリスの週刊書評誌「ジョン・オ・ロンドン」の四月三日号が配達され、その巻頭に、「S・F……宇宙小説(スペース・フィクション)のブーム」という表題で、ヴィンセント・クラークという人が、長い評論を書いているのが目についた〔サイエンス・フィクション即ちS・Fの方が一般名称だが、近年はその中でも宇宙旅行ものが圧倒的に多く、スペース・フィクションと云えばS・Fを代表するほどになっている。スペース・マンだとか、スタア・マンだとかいう小説の表題に屡々お目にかかる〕。アメリカほど盛んでないイギリスの書評誌が、これほど大きく扱うのだから、S・Fの流行も相当なものだと思い、その評論を読んで見ると、科学小説の伝統とその現状を書いたもので、アメリカでは今三十数種の科学小説雑誌が発行され、無数の科学小説が出版されているが、その出版者は科学小説同好者の団体が起したもの、又は後援しているものが多いと書いてある。優れたS・F作家が出現して流行を来したものではなく、素人の同好者、即ちS・Fの鬼共が、このブームを作っているという感じなのだ。同好者クラブが有力で積極的なのも尤もなわけである。私はやっと神戸の青年の話をうなずくことが出来た。
 このクラーク氏の評論は、科学小説の略史を述べているので、この方面に無智であった私には大いに興味があった。結局ヴェルヌ、ウェルズに追随するような大作家は、過去にも現在にも存在しないということがわかったにすぎないのではあるが、それだけでも、漠然たる無智には勝るのである。そこで、クラーク氏の文章の大要を左に摘記して見る。註は凡て私の入れたもの。

 科学小説の萌芽は古代ギリシアのルキアノス〔ルシアン、紀元二世紀の風刺作家〕まで遡ることができる。〔註、クラーク氏はルキアノスの作品名を記していないが、多分 Icaro-Menippus を指すのであろう。この作の前半にはメニプスが人工の翅(はね)をつけて、月世界にいたることが書いてある。〕
 中世紀では、一六三八年に、フランシス・ゴドウィン司教が「月世界の人」を書き、その三年後に、ジョン・ウィルキンス司教〔いずれも英人〕が科学上の発明予想物語を書いている。下って一七六〇年には Tiphaigne de la Roche〔註、フランス画家のデ・ラ・ローシュとは別人、上記三人とも手元の人名辞典類にはないので解説できない〕の Giphantia という作品にはテレビジョン、ラジオ、写真などの可能性が記されていた。又、十八世紀フランスのヴォルテールは Micromegas という作品で、他の星の生物が地球へ移住してくる話を書いている。〔註、一方に於てヴォルテールの作「ザディッグ」が探偵小説の祖先とされていることを注意せよ〕
 しかし、現在の意味での科学小説が生れたのは、機械発明の盛行と、科学智識の普及を見た産業革命以後のことで、その最初の最も傑出した作家はフランスのジュール・ヴェルヌ(一八二八ー一九〇五)であった。彼は海底旅行、空中旅行、月世界旅行など、飛行機もロケットも潜水艇も知られなかった十九世紀としては、驚くべき斬新な科学小説を夥しく発表して、全世界の読書界に持てはやされた。〔註、ヴェルヌの邦訳は、明治前半期に二十種も出ている。その表を文末に記す。尚、別のことだが、クラーク氏はここに科学小説の先駆者としてのポーを抜かしている。彼の「モルグ街」その他がドイルを生んだように、彼の「ハンスプファール」その他がヴェルヌに影響を与えたことは、史家の定説となっている。ポーは一時代前のフランスのヴォルテールと同じく、「探偵」「科学」両小説の先駆者を兼ねている点でも、忘れてはならない作家である。又、ポーの「ハンスプファール」の文末に「附記」として、当時までに発表された月世界旅行の物語が幾つか挙げてあること、ご存じの通りだが、あの文献も、科学小説史を考えるときには、漏らし得ないものであろう〕
 ヴェルヌについで、十九世紀末にはイギリスのH・G・ウェルズ氏が現われた。一八九五年の処女長篇「タイム・マシン」〔涙香訳「八十万年後の世界」〕をはじめとして「見えぬ人」(透明人間)(一八九七)「宇宙戦争」(一八九八)「空間と時間の物語」(一八九九)「眠れる者目ざむる時」(一八九九)「月世界に達した最初の人間」(一九〇一)「新ユートピア」(一九〇五)「流星時代」(一九〇六)など、また小説ではないが「自由世界」(一九一四)には、早くも原子爆弾のことが記されている。〔註、古くから多くの思想家によって書かれたユートピア物語は、主眼は政治や社会にあるとしても、遠い未来の科学化された日常生活が描かれている点では、やはり一種の科学小説とも見られるわけで、科学小説史には見逃がすことが出来ない〕
 ウェルズの晩年の作は、科学的創意の面白味よりも、説法の方が多くなり、小説としては飽かれてしまったが、しかし、彼以後、イギリスの科学小説が一向栄えなかったのは、この先駆者に対しても申訳ない次第である。ウェルズ以後は不振であったと云っても、二三注意すべき作家がいなかったのではない。例えば、ウィリアム・ル・キューは、イギリスが独、仏、露の諸国から侵略されるという軍事科学小説を二冊書いているし〔註、書名不明〕、コナン・ドイルは「滅びた世界」と「毒帯」の二長篇その他を、キプリングは「夜間郵便車」「ABCの如くたやすく」の二作を書いている。その他にも若干の作家がこの分野に筆を染めはしたが、いずれも片手間仕事にすぎなかった。
〔さて、これから後が、われわれの余り知らない部分になる〕イギリスでは、第一次大戦後にも S. Fowler Wright や John Gloag や Olaf Stapledon なぞを除いては、これというS・F作家も現われなかった。〔註、この三人の作品は記してない。前二者は手元の辞典類ではわからず、最後のステープルドンは英の哲学者で、小説には Last and First Men(1931)The Last Men in London(1932)Waking World(1934)Star Maker(1937)などがある〕
 これに反して、アメリカでは、第一次大戦後に、S・F史上特筆すべき出来事があった。即ち一九二六年に Hugo Gernsback が最初の通俗科学小説雑誌「アメージング・ストーリーズ」を創刊した。彼は SCIENTIFICTION(科学小説の意)という新語を作り、その略称を Stf と定めた〔註、しかし現在の略号はS・Fが一般的である〕。この雑誌は、初めはウェルズやヴェルヌや Edgar Rice Burroughs〔註、このバロウズはターザン物語の作者で、ターザンものの夥しい著述のほかに、The Gods of Mars(1918)以下、火星を題材とした長篇小説が十篇ほどあり、また木星を題材とした長篇が二つ以上ある〕などのアンコールものをのせていたが、やがて新らしい科学小説作家グループを作りあげ、盛んに執筆させた。一九二九年に Gernsback は「アメージング・ストーリーズ」の発行権を他に譲り、別に「空中驚異物語」「科学驚異物語」という二種の雑誌を創刊したが、間もなくこれを一誌に合併して「驚異物語」Wonder Stories と改題した。これにつづいて別の出版者が、同じような誌名の Astounding Stories を創刊した。
 科学小説の読者には特別の性格がある。単なる傍観的読者ではなくて、主体性を持っている。彼等は盛んにS・F雑誌に投書し、又自から科学小説を試作する。自然、同好者のクラブが組織されるようになり、又、素人の同人雑誌が方々で発刊される。〔日本の探偵小説の鬼に似ているが、アメリカのS・Fの鬼はもっと大がかりのようである〕
 このアメリカの流行がイギリスに影響し、アメリカよりおくれること十一年の一九三七年に、初めてイギリスに於ける大人の読物としてのS・F雑誌 Tales of Wonder が誕生した(子供用の絵入本の類は、英米とも従来から沢山あった)、つづいて Fantasy 誌が発行されたが、両誌とも第二次大戦のために廃刊された。二次大戦の影響はアメリカも同様で、戦前の一九四一年には二十種に及んだS・F雑誌が、一九四五年には八種に減っている。
 ところが、二次大戦の後には、原子爆弾やV2などの現実の科学上の進歩が動機となって、科学小説の需要が格段に増加して来た。これに応ずるために、S・Fファンは団体を作り、出版を行い、過去のS・F雑誌にのった作品を片っぱしから本にした書店の店頭には特徴のある表紙のS・F本が非常に目立つようになって来た。そして、過去十五年間にアメリカS・F雑誌に現われた小説は残りなく猟(あさ)りつくされ、今では、連載第一回がのったばかりなのに、その全篇が本になって出てしまうというような奇現象まで見るに至った。
「サタデイ、イヴニング・ポスト」「コリヤーズ」「エスクァイヤ」などの大雑誌も好んでS・Fをのせるようになり、ラジオ、テレビイにも大いに歓迎され、百万の会員を持つアメリカ最大の読書クラブ「ブック・オヴ・マンス・クラブ」も通俗科学ものを取上げるようになった。アメリカでは現在三十種以上のS・F雑誌が発行されているが、嘗つての「アメージング・ストーリーズ」誌の創刊者 Gernsback も最近この世界にカムバックしている。
 イギリスでも、アメリカから輸入されるS・F雑誌や本がはんらんしているが、イギリス自身のS・F雑誌は今のところ四種しか出ていない。その内の二つは、イギリスS・F同好者クラブがバックする出版社によって発行されている。イギリスの放送局BBCもラジオにテレビイにS・Fを取上げている。英米以外でも、フランス、オランダ、メキシコなどにはS・F雑誌や叢書が出ている。〔註、その誌名記さず〕

 以上がクラーク氏の文章の概略であるが、同氏はアメリカに於けるS・F出版のブームを記すのみで、現代のS・F作家の名を一人も挙げていない。恐らく代表作家として挙げるほどのものが、まだ出現していないためだろうと思う。しかし、この流行の勢は、やがて優れた作家を生み、名実ともにS・Fの黄金時代がやってくるのではないかと思われる。
 これに反して、日本人はS・F雑誌一冊すら持たない現状だが、昔を振りかえって見ると、文明開化の明治初期には、いちはやくジュール・ヴェルヌ Jules Verne を輸入し、明治十年代から二十年代にかけて、ヴェルヌの長篇二十種以上も飜訳を出版している。当時の外国文学飜訳では、一作家の作品がこれほど訳されたのは、他に余り例がないようである。昔は日本人も随分S・Fが好きであったとみえる。それを記録しておく意味で、私の調べ得たヴェルヌ邦訳を、左に列記する。

(邦訳表は省略)

 以上が明治二十年代末までのヴェルヌ邦訳表である。三十年代に入って重版は勿論、新訳も出ているかも知れぬが、ヴェルヌ邦訳全盛時代は大体前記で終っている。この中で最も多く訳している井上勤は、春泉と号し、嘉永三年徳島に生れ、昭和三年七十九才で歿している。この人は明治初期に最も多く外国小説を飜訳紹介した一人として非常に目立っているが、ヴェルヌのほかにも、多方面に亘る訳業がある。
 この飜訳について面白いのは、十三年の「月世界旅行」の表紙には「米国ジユールスベルン氏原著」と印刷され、十四年の「北極一周」以下数種には英国のジユールスベルン氏となっており、二十年の「造物者驚愕試験」になって、やっと仏国ジユール・ベルネと本当の国籍が記されている。ヴェルヌの仮名書きも、「ジユールス・ベルン」が一番多く、訳者によって「ジユールス・ベルネ」「ジユール・ベルーヌ」「ウヱルーヌ」など様々である。右の表ではどの訳者のも殆んど英訳からの重訳らしいが、最も早い明治十一年の川島忠之助の「八十日間世界一周」には仏人シユル・ウヱルヌと記している。これだけは仏文の原本から訳したのではないかと思われる。
 尚、ついでに、近年のヴェルヌ邦訳で、私の気づいたものを記しておくと、昭和四年八月発行の改造社「世界大衆文学全集」第二十四巻に、ヴェルヌの「海底旅行」と、ウェルズの「宇宙戦争」が入っている。訳者は木村信児。また昭和五年八月発行の同全集第四十巻に、ヴェルヌの「十五少年」が「ロビンソン・クルーソー」と一緒に入っている。訳者は白石実三。ごく新しい所では、この六月に、ジュール・ヴェルヌ作、佐々木基一、永井郁共訳、「世界大探検物語」(東洋書館)が出版された。これは小説ではなく、「大陸発見」という原題の新世界探検史を訳したものである。
 もう一つ、ついでにつけ加えておくと、私が探偵小説を書きはじめた頃には、丸善の棚にヴェルヌ英訳本が沢山並んでいたものだが、今では原文も英訳も、古本屋を探しても手に入るまい。ところが、探偵作家クラブ会員の二宮栄三君は、戦後間もなく、洋書の古い珍本がいろいろ古本屋に現われた頃、丸ビルの古本屋で、英訳のヴェルヌ全集を手に入れた。私もその本屋へ二三日あとで行ったのだが、二宮君にまんまと先手をうたれて、くやしがったものである。ヴェルヌ英訳全集などというものは、もう西洋でも珍らしいと思うが、二宮君はそれを持っておられることを、ここにお伝えしておく。

【追記】科学小説は益々盛んになりそうである。このせちがらい地球の、蝸牛角上の争いを見捨てて、広い宇宙に憬(あこが)れるスペース旅行の空想は、原子力の万能と結びついて、だんだん可能性を増しているという漠然たる考え、これが科学小説を推進する。前記ジョン・オ・ロンドンズの筆者は、現代の科学小説家の名を挙げていないが、もう挙げるに値するような作家が幾人か現われているのではないかとも想像される。私は、何かそれを知る手掛りはないかと考えていたが、右の文章の最初に記した神戸の青年がアメリカから手紙をくれて、最新刊の参考書を教えてくれた(彼は矢野徹(やのとおる)という人だが、アメリカで色々の会合にも出、大いに満足しているらしい。渡米以来二度手紙をくれた)。それは Modern Science Fiction:Its Meaning and Its Future(本年七月中旬に発売)という本で、探偵小説評論家であり、且つマーキュリ社の科学小説雑誌の編集をやっているアントニー・バウチャーの論文も含まれているというから、同書は色々の人の科学小説評論を集めたものかも知れない。早速タットル商会から注文しておいたが、この追記を書くまでには着かなかった。
 一方、アメリカの週刊「土曜評論」は昨年あたりから、探偵小説批評欄と同じような体裁で Of Time and Space という科学小説批評欄を設けた。探偵批評の方は殆んど毎号のるのに比べて、科学批評欄は二ケ月に一度ぐらい十数冊まとめてのせる程度にすぎないが、「土曜評論」にこういう欄が出来たということは、やはりインテリ読者の科学小説への関心が高まっていることを示すものと云えよう。
 少し古い話だが、昨年二月二十三日の「土曜評論」にフレッチャー・プラットという人が「小説、空間と時間に挑む」と題して、科学小説界展望のようなものを書いている。それによっても、まだ大した作家は現われていないという方が正しいように思われる。十数人の作家と作品を挙げて批評しているが、大部分はパルプ・マガジン出身の作家で、小説としてあげつらうに足らないようなものが多いらしい。その中で、ちょっと目を惹いたのは、探偵小説家のジョン・D・マクドナルドが Wine of Dreamers という科学小説を書いていること、やはり探偵小説のオーガスト・ダーレスが科学小説傑作集を編纂していること、Isaac Asimov の Foundation という作がちょっと面白いらしいことなどだが、この評者はどの作にもまして Fredric Brown の Space on My Hands という短篇集を高く買っている。「ブラウンの最もつまらない作でも他の作家の最上作より優れている」とさえ書いている。この評論の中には例の「緑の心」のジョン・コリアが出てくる。あの作風は科学小説とは云えないので、Straight fantasy 純幻想小説と名づけて区別しているが、コリアの作などに比べると一般の科学小説は、小説技巧としてひどく見劣りがするという口吻を漏らしている。又、トーマス・マンの科学小説 The Holy Sinner にも言及し、しかし文豪の作ながら科学小説としては大したものでないと書いている。
 尚、「土曜評論」の昨年から最近までの科学小説批評欄で好評を博しているものでは、
 Martin Greenberg, Travelers of Space.  Arthur C. Clarle, The Sands of Mars.  Leigh Bracket,The Starmen.  Edgar Pangborn, West of the Sun.  などが注意を惹いた。
【追記】この本の校正中、昭和二十八年十一月上旬に、右の文章の冒頭に記した矢野徹君がアメリカから帰って来た。そして色々な参考書や報告を送ってくれた。それについては、いずれ別の機会に書きたいと思っている。尚、前文に漏れている古典科学小説の一つに、フランス十七世紀の作家シラノ・ド・ベルジュラックの「月世界旅行記」があり、有永弘人氏の邦訳が、昭和十五年、弘文堂から出版されていることを附記しておきたい。この原作者はロスタンの劇「シラノ・ド・ベルジュラック」によって周知のあのシラノである。



・補足。
1)「ジョン・オ・ロンドン」は「John O'London's Weekly」。
2)ルキアノスの作品は現在邦訳がある。丸谷才一氏も前出『闊歩する漱石』で、「メニッポス」「空を飛ぶメニッポス」等の作品に触れている。但し、諷刺小説としてだが。
3)「空中驚異物語」は「Air Wonder Stories」、「科学驚異物語」は「Science Wonder Stories」。
4)「土曜評論」は「Saturday Review(The Saturday Review of Literature)」。

これは、1953(昭和28)年の文章である、念の為。

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