「吾輩は猫である」英訳題に関する a modest proposal2023年06月04日

以前述べたように、漱石自身はタイトルを決めていなかったようだ。
『ホトトギス(ホトヽギス)』に掲載する際、編集の高浜虚子にタイトルをどうするか訊かれて、漠然と『猫伝』はどうかと答えたらしい。虚子は、冒頭の一文を取って『吾輩は猫である』にしたらどうかと代案を出し、漱石も同意したとの事。

以上を踏まえて、『吾輩は猫である』の英訳題私案。

『The Life and Opinions of a Nameless Cat』
若しくは
『The Life and Opinions of a Cat, No Name』とか。

無論、ローレンス・スターン作『The Life and Opinions of Tristram Shandy, Gentleman』(1759年~1767年)の「もじり」である。


・夏目漱石『トリストラム、シヤンデー』(『江湖文學』三〇、三、五)

 今は昔し十八世紀の中頃英國に「ローレンス、スターン」といふ坊主住めり、最も坊主らしからざる人物にて、最も坊主らしからぬ小説を著はし、其小説の御陰にて、百五十年後の今日に至るまで、文壇の一隅に餘命を保ち、文學史の出る毎に一頁又は半頁の勞力を著者に與へたるは、作家「スターン」の爲に祝すべく、僧「スターン」の爲に悲しむべきの運命なり、
 さはれ「スターン」を「セルバンテス」に比して、世界の二大諧謔家なりと云へるは「カーライル」なり、二年の歳月を擧げて其書を座右に缺かざりしものは「レツシング」なり、渠の機智と洞察とは無盡藏なりといへるは「ギヨーテ」なり、生母の窮を顧みずして驢馬の死屍に泣きしは「バイロン」の謗れるが如く、滑稽にして諧謔ならざるは「サツカレー」の難ぜしが如く、「バートン」「ラベレイ」を剽竊する事世の批評家の認識するが如きにせよ、兎に角四十六歳の頽齢を以て始めて文壇に旗幟を飜して、在來の小説に一生面を開き、麾いて風靡する所は、英にては「マツケンヂー」の「マン、オフ、フヒーリング」となり、獨乙にては「ヒツペル」の「レーベンスロイフヘ」となり、今に至つて「センチメンタル」派の名を歴史上に留めたるは、假令百世の大家ならざるも亦一代の豪傑なるべし、
 僧侶として彼は其説教を公にせり、前後十六篇、今收めて其集中にあり、去れども是は單に其言行相背馳して有難からぬ人物なる事を後世に傳ふるの媒となるの外、出版の當時聊か著者の懷中を暖めたるに過ぎねば、固より彼を傳ふる所以にあらず、怪癖放縱にして病的神經質なる「スターン」を後世に傳ふべきものは、怪癖放縱にして病的神經質なる「トリストラム、シヤンデー」にあり、「シヤンデー」程人を馬鹿にしたる小説なく、「シヤンデー」程道化たるはなく、「シヤンデー」程人を泣かしめ人を笑はしめんとするはなし、
(略)
「シヤンデー」は如何、單に主人公なきのみならず、又結構なし、無始無終なり、尾か頭か心元なき事海鼠の如し(略)

・註記(5日)。
『The Life and Opinions of WAGAHAI, Cat』では「Wagahai」と言う「名」がある事になってしまう。

音楽に関して 122023年06月04日

ビゼーの「ハバネラ」を最初にソロで引用したジャズ・ミュージシャンは誰だろう?

筆者の記憶では、ディジー・ガレスピー(tp)だと思う。どのアルバムかは忘れたが。
……まぁ、後輩(?)のサド・ジョーンズ辺りも演りそうとは思うが。