『沙翁物語』「巻頭に」平田禿木 ― 2022年03月29日
巻頭に
『沙翁物語(さおうものがたり)』は一八〇六年(文化三年)ウィリアム・ゴドウィン編『児童文庫(ジュヴニル・ライブラリ)』の一冊として出たもので、ラムが姉のメリイと一緒にこれを書いた頃は、彼はまだ「随筆(エッセイ)」のエリアとしてなど知られていず、三十を出たばかりの青年で、一二の詩集と試みの劇作で、覚束(おぼつか)なくも文壇に打って出ようと踠(もが)いていたのである。姉弟(ふたり)はまた、老父母の死後テムプルの地内(じない)へ戻って来て、貧しい暮しをしていたのだ。印度(インド)商会の方もまだ薄給でやりきれず、せめて五六磅(ポンド)でも余分の収入にありつきたいと、左様(そう)した必要に駆られて、劇の方へも指を染めたのであったが、それが縁(えん)に文壇、梨園(りえん)の方面に知人も出来(でき)、自然客の出入(でいり)も多く、交際(つきあい)も張(は)って来て、生計はなかなかに苦しく、その上また、ラムが酒と煙草を過(すご)して、甚(いた)く健康を害すなど、一家の家政を背負(しょ)って立っていた、姉の苦労は実(じつ)に一(ひ)と通りでなかったのである。
ラムが廿一歳の折、不図(ふと)したことから姉の発病以来、愛情に於て彼女に対するそれに取って代るべき、また、傍(かたわ)らにあって彼女を慰めるに障害となるべき、一切の他の絆と絶(た)ち、その生涯の守り役たるべきよう、悲壮な決心を彼はしたのであったが、さて、事実に於ては、病める人は却(かえっ)て守る人の力となり、守る人は却て守られる人に縋(すが)るという風で、持ちつ持たれつ、互いに相倚(あいよ)り相扶(あいたす)けてい、ラムあってのメリイであり、メリイあってのラムであったのである。
姉弟(ふたり)はまた、その骨肉(こつにく)の愛に依(よ)って繋がれるばかりでなく、心意(しんい)の共鳴に依って結ばれていたのである。趣味、傾向をこそ異(こと)にすれ、二人は共に読書し、詩に、物語に、共に筆を執(と)っていたので、この『沙翁物語』の如きも、姉あって初めて生れ出たものと云ってよい。エリザ朝(ちょう)の文学、殊(こと)に沙翁劇は、ラムが夙(つと)に身を入れていたものではあったなれど、叙事の文に至っては、これを筆にするどころか、その繙読(はんどく)をすら彼は嫌っていたので、斯(こ)うした筋の定(きま)ったものでさえ、辛(かろ)うじてこれを書き了(お)えたのであろう。『沙翁物語』二十篇のうち、悲劇六篇が彼の手に成ったもので、余(よ)は皆(みな)姉の筆なのである。後(のち)に出た『レスタア夫人の塾(じゅく)』に至っては、ラムは僅(わずか)に三篇を寄せたのみで、全く姉の独り舞台である。うちに収めた『父の婚礼日』の一篇の如き、スコットの『ラマムアーの花嫁』を除いては、古代、近代を通じて、あらゆる国語に於ける散文の物語中、最も麗(うる)わしきものと、文豪ランドルは激称(げきしょう)している。同じその簡浄(かんじょう)、幽雅(ゆうが)の筆に成ったこの『沙翁物語』が、ラムを文壇へ送るの縁(よすが)となり、後に少年文学中の白眉と称(たた)えられて、広く世に行(おこな)われるに至ったも尤(もっと)もなことである。
少年、殊に若い少女達の読物として、『沙翁物語』は飽くまで簡素な文字(もんじ)で書かれてある。沙翁劇中の原(もと)の句もやさしく浄化して、如何にも巧みに取り入れられてある。左様(そう)した手段であの原曲へ、一種の入門、手引(てびき)として、若い人達を誘い入れようと、ひたすら平易(へいい)に平易にと筆を運びながら、一方また、その雄渾(ゆうこん)の筆致(ひっち)、古雅(こが)の香(にお)いを失わぬよう、朧(おぼ)ろ気(げ)ながらその面影(おもかげ)を髣髴(ほうふつ)させようと、もとの佳句(かく)、警句は心(こころ)して地の文、対話の文へ挿入され、エリザ朝以後に英語へ入って来た語(ことば)など、断じてその使用を避けるまでに、至れり尽(つく)せりの、細心の注意が払われてある。左様(そう)した苦心で出来上った、我等の前に見る『沙翁物語』原文は、一体何(ど)ういう行き方のものであろう? 断じて簡素一方の、平板な現代文ではない。といって、単に典雅をのみ狙っている所謂(いわゆる)擬古文(ぎこぶん)でもない。山田美妙(やまだみみょう)が初めて言文一致体を創(はじ)めて後、「雅俗折衷(がぞくせっちゅう)」の一体を提唱したのが尾崎紅葉(おざきこうよう)であったが、この「雅俗折衷」こそ幾分(いくぶん)『沙翁物語』の筆致を説明するものかも知れない。これを邦文に訳するに当って、今の人達は平易な口語体を以(もっ)て、分りやすく分りやすくとやって行けば、それで能事了(のうじおわ)れりとするかも知れないが、私達にはそれでは満足出来ない。そこに何かクエインな雅味(がみ)が添わなければ、何となく落ち着かず、物足らぬ思いがしてならない。であるから、『沙翁物語』の翻訳は実に至難中の至難の業(わざ)といわねばならない。原文の文字通(もんじどお)りに平易な語(ことば)を列(つら)ねて行くと、味もそっ気(け)もなく、全くの乾燥無味の境(さかい)に堕(だ)して仕舞(しま)う。といって、それへ肉をつけて行けば、またもとの面影はまるで消えて仕舞う。一篇々々、最後まで試みでやって行って、結局出来上ったものは、徒(いたず)らにこちたく、くだくだしい、擬古的の悪文と化(か)して仕舞った。いつか機会を得て、せめて一二篇なりとも見本として、ぴたりと原文の呼吸(いき)とあったものを書き上げて見たいと思っているが、今回の全訳は、まったくの失敗であることを、幾重(いくえ)にも読者諸子(どくしゃしょし)にお詫びしなくてはならない。
固有名詞の発音に就(つい)ては、抑揚(よくよう)の激しい英語のそれを、成るべく我が国語の本性(ジニアス)にふさうよう、なだらかにこれを和(やわ)らげておいた。結局希臘(ギリシャ)、羅典(ラテン)の古名に対して英語国民のしたことを、反対にいったに過ぎない。であるから、Romeo はロミーオでなくロメオに、Ophelia はオフィーリアでなくオフェリアに、Othello はオセーロでなくオセロに、Macbeth はマクベースでなくマクベスになっている。単に在来の変則的訓(よ)み方に囚われたものと見られないことを望む次第である。(後略)
昭和二年六月 平田禿木
いわゆる「訳者まえがき」である。文芸作品、特に、こういう何層にも重なった文化の上に成り立っている作品の場合、いろいろと苦労があるようだ。
文中、本来は「チャールズ「(Charles)」とあるべき処が「ラム(Lamb)」となっている。言うまでもなく姉メリイ(Mary)の surname も「ラム」である。刊行当時の日本の世間的風潮(「空気」?)では表記に疑問を持たれなかったのかも知れない。
それにしても、「今回の全訳は、まったくの失敗である」とまで前書きに書かれると、これから読もうとする読者は複雑な心境になる。欠陥商品では困ってしまう。謙虚も度が過ぎると慇懃無礼になる。昨今トレンドになっている「クレーマー」だと出版社に文句を言うかも知れない。出版社ならまだしも、購入した書店に苦情を述べる人間も皆無とは言い切れない。ちなみに、「はっきり物を言う」とは「片っ端からいちゃもんをつける」という事と同義では無いと思うのだが。

例によって文字化け用の画像。