続・第八十段の訳 補足2022年03月17日

「プロ」と言っても、「自称プロ」とか「な~んちゃってプロ」とか言う代物も浜の真砂の如く存在する。
そう言う有象無象との同一視を避ける為、具体的な山本政喜の翻訳作品を挙げる

1)
私の父方の苗字はピリップで、私の洗礼名はフィリップという。しかし私は幼い頃、舌がよくまわらなかったので、両方を一緒にして、ピップと言っていた。そのため私は自分のことをピップと呼び、まわりからもピップと呼ばれるようになった。

2)
バックは新聞は読まなかった、もし読んでいたら、彼のみでなく、ピュージェット・サウンドからサン・ディエゴまでの間にいる筋肉が強くて長い暖かい毛の犬全体に災難がさしせまっていることを知ったことであろう。

3)
えぞまつの暗い森が、凍った水路の両側できむずかしい顔をしていた。木々は先程吹いた風に白い霜の覆いをはぎとられていた、そしていまやうすれてゆく光の中に、黒々と不吉に、互にもたれかかっているように見えた。茫漠たる沈黙が地上一帯を支配していた。土地そのものが荒涼の極みで、生命もなく動きもなく、いかにも淋しく冷たいので、その精神は悲哀さえも越えていた。そこには笑いを思わせるものがあったが、いかなる悲哀よりも恐るべき笑い――スフィンクスの冷笑のように喜びのない笑い、霜のように冷たく、絶対確実性のもつきびしさに通ずる笑いであった。それは生命の無効と生活の努力を嘲笑する永遠の、専横でひとにもらされぬ智恵であった。それは荒野、未開で心臓の凍りついた北国の荒野であった。

4)
私達の世界の来歴はまだあまり完全には知られていない。二百年前には人々は三千年来のこと以上は殆んど知らなかった。それ以前に起きたことは伝説と憶測に属していた。文明世界の大部分にわたって、この世界は西暦紀元前四千四年に突如として創造されたもの、と信じられていた。この幻想的にすっかり誤った考えは、ヘブライの聖書(バイブル)のあまり文字通りに過ぎる解釈と、それに関係する独断にすぎる神学上の仮定に基いたのであった。こういう考えはもうずっと前から宗教の教師達も放棄していて、今では私達が住んでいるこの宇宙は、どう見たところで途方もない昔から存在していたのであって、恐らく無限の後まで存在するものだ、ということが一般に認められている。私達が住んでいる宇宙が六・七千年しか経っていないなどということは、もう論破された考えと見做してよろしい。



全て訳文の冒頭1段落である。作品名を伏せてクイズ形式にしてみた。ちょっと面白いかなと思っただけである。
たぶん簡単だろうと思う順にした。何しろ、最初の2題は主人公名が出ている。
次の文章は、2)と同じ作者の別作品。場所の雰囲気もあり、前問が解ければ、ほぼ条件反射的に出て来ると思う。
最後はかなりの難問。作者名は大抵の人が知っているし、作者の小説を読んだり映像化された作品を観たりした人も多いだろう。但し、この文章の出典は作者のノン・フィクション作品である。この作品名自体、ご存じの人はあまり多くないと思う。表記は新字新仮名に改めた。
全て、公に市販されている(いた)書籍である。客観的な物的証拠として法廷でも採用される筈だ。なお、「伝聞」では証拠として採用されない、念の為。
最後のもの以外の3作品は小説で、いずれも映画化されている。

正解は、いずれそのうち。なお、原作は全て英語で書かれていて、パブリック・ドメインのテクストがある。

・4問めのヒント。

原著者序

(前略)これは歴史について、念の入った複雑なところを省いた、私達の知識の話を、極く一般的に話しているのである。これからして読者は、或る特殊な時代或は特殊の国の歴史の研究のために極く必要な、全般的な歴史観を得ることが出来るであろう。これは著者の更に充実した更に明確な著書「歴史の輪廓」の読破を企つる前に、準備的散策としても有用だろうと思う。しかしその特別の目的は、あまり忙しくてかの「輪廓」の中の地図や時代表を細かに見てはいられない。自分の薄れてしまった或は断片的な、人類の偉大な冒険についての観念を新鮮にし補正することを望んでいる、多忙な一般読者の必要に応ずるということにある。これは前著の抜萃でも圧縮でもない。「輪廓」はその目的の中にあれ以上の圧縮を許す余地がない。これは更めて計画して書いた、ずっと一般的な歴史なのである。

  (著者名)


書名と著者名のみ伏せた。作者には類書もあるが、これで原書名は特定出来ると思う。

・さらに補足(3月20日)
4問めの作者は、H・G・ウェルズ(Herbert George Wells、1866年-1946年)である。