ロビン・フッド 5 ― 2022年05月23日
五、タック坊主仲間になる
あるお天気のいい日、もう森は美しい緑のさかりになって、太陽は光と影との模様を、やわらかな草地の上に投げていた。ロビンの仲間たちは、たいへん気持がよかったので、この日をお休み日にした。みんなは子供にかえったように、かけっこをしたり、はねまわったり、棍棒をふったり、すもうを取ったり、おどったり、森でできるあらゆる遊びを楽しんでいた。けれど一番最後に、みんなの一番好きな弓の射くらべをすることになり、あれこれといろんな的を立てて腕だめしをした。やがてそれにもあきると、弓でやれる新しい遊びかたを思いついて、それをやってみることとなった。
みんなは数組(すうくみ)に別れて鹿狩りに出た。ロビンと、リツル・ジョンとマッチ、それから赤色のウィルが、一組(ひとくみ)となったが、かれらは一群(いちぐん)の鹿が草を食べているのを、まもなく見つけることができた。
「おまえたちのなかで、誰か、七十間(けん)も離れている雌鹿(めじか)か兎(うさぎ)を射ることができるか?」
と、ロビンが言ったが、その言葉のおわらないうちに、もう赤色のウィルが雌鹿を射殺(いころ)し、マッチが兎を射殺した。リツル・ジョンも、大きな弓を引いて力をこめた矢をぶうんとうならしたと思ったら、七十間さきの、一番遠くにいる大鹿(おおじか)の心臓を射とめてしまった。それを見たロビンが叫んだ。
「うまい当りだ、神業(かみわざ)だ! 弓でおまえにかなう者があるなら、五十マイル先へでも探しにゆく。」
赤色のウィルは、それ聞くと笑った。
「五十マイル先までゆかなくてもいいよ。ロビン、もっと手近で見つけられるよ。」
「どこへゆけばいいのか?」
「どこって? ファウンテン寺にいけばいい。あすこに短い衣を着た托鉢坊主(たくはつぼうず)がいる。そいつは誰にも負けない強い弓をひく。リツル・ジョンだって、たぶん負けるだろうよ。」
ロビンは、強い者を仲間にしたいという、頭(かしら)らしい欲が起り、さっそく旅じたくをして馬にのって出かけた。ファウンテン寺のある村は、見つかったら最後、非常に危険な場所だったので、ロビンは用心深く身をかためた。すなわち、鋼(はがね)づくりの帽子をかぶり、剣をさげ、たてをかかえ、矢筒(やづつ)を腰にしばり、頼りにしている長い弓を肩にかけた。
とうとうファウンテン寺のある美しい谷間に馬をのり入れた。かれは手綱をおさえて馬をとどめ、その景色をながめていると、ふと川岸を歩く人影が目にとまった。それは、托鉢坊主の着る短い衣を着て、針金の胴じめをして、鋼の帽子をかぶり、剣とたてとを腰にさげている変ったかっこうの男であった。
ロビンは、その姿を見て考えた。
「たしかに、あれが托鉢坊主(たくはつぼうず)にちがいない。しかし、托鉢坊主であっても、まるでいくさをしそうな坊主だ。ぜひ、仲間にしたい。どれ、ひとつためしてやろう。」
そこで、ロビンはくらからとびおりて、馬を樹につなぎ、托鉢坊主に会いに行った。
「あすこに浅瀬がある。ぬれずに渡るくふうはないかな。そうだ。托鉢坊主におれをかつがせてやろう。だが、あいつはどこへ行ったんだ?」
気がつくと、変ったかっこうの托鉢坊主の姿は、川岸に生えている小やぶのかげに見えなくなっていた。
まもなく、托鉢坊主の姿があらわれた。かれは礼拝書を手に持って読んでいた。かれはロビンのほうへ帰ってくる時、さんび歌をうたっていたが、その声は牛のうなり声そっくりだった。ふいにかれの声は、歌の半ばでぱったりとまった。かれは小道が川にかくれた地点まできて、そこに見知らぬ男が、弓をひいて、まともにかれにむかって、矢をつがえているのを見たからであった。
そんな時、たいていの者はおどろくにちがいないが、この坊主は顔色ひとつ変えなかった。ぶたのような小さな目つきは、むしろおもしろがっているのを示していた。かれは鋼の帽子をかぶりなおして、人さし指で、てかてか光るはげ頭を、がりがりかきながら言った。
「おい、弓をひっこめろ。青二才(あおにさい)! おれから銭をとろうと言うのならむだだぞ。おれは一文なしだ。だが、ほかに何かわけがあるのか?」
すると、ロビンが言った。
「いや、托鉢坊主(たくはつぼうず)、おまえの生命(いのち)も銭もほしくない。雨あがりで浅瀬が深くなっているから、おぶっておれをむこう岸まで渡してくれ。」
托鉢坊主はだまって顔をしかめたが、その顔つきがあんまりおかしかったので、ロビンはもう少しで吹き出すところであった。けれど、やっと笑うのをこらえた。托鉢坊主は、ていねいに礼拝書を下におくと、肩幅の広い、ふとった背中に、ロビンをのせる用意をした。
ロビンは、おもしろがってその背中にとびのった。托鉢坊主はだまって川のなかへはいり、まもなくむこう岸についた。
むこう岸につくとすばやく、ロビンは背中からとびおりて、お礼を言おうとしてむきなおると、のどをしめられ、目の前に剣をつきつけられた。
「おれの血を流そうと言うのか? 坊さんは、血を流すことはとめられているぞ。」
ロビンがそう言うと、托鉢坊主はあざけるように笑って、
「血が流れりゃ、罪はおまえにあるのさ。おれの簡単な命令に従えば、おまえの皮は安全だ。」
と、言った。
「それじゃ、命令というのはなんだ?」
「礼拝書をむこう岸に置いて来たから、今度はおまえがおれをおぶって、取りに行ってもらいたいのだ。」
ロビンは苦い丸薬(がんやく)を飲まされたような気がしたが仕方がない。背中をまげて、背と横幅が同じくらいの、肥っちょの重い托鉢坊主をおぶった。その重さときたら、まるで背骨がくだけそうであったが、足に力をこめて川を渡りはじめた。ところが川の浅瀬をよく知らなかったので、石ですべったり、穴へのめったりして、倒れそうになった。すると托鉢坊主は、大声でどなり、いやがる馬をはげますようにかれの横腹をけった。
やっとむこう岸につくと、托鉢坊主は、肥ったからだに似あわぬはしこさでとびおりた。けれど、ロビンはそのかかとをつかんで、かれを地面にころがし、剣をぬいて馬のりになった。
「さあ、坊主! 今度はまたおれが勝ちだ! さあ、もう一度おれをおぶって渡すか、それともこのはげ頭を二つにさかれたいか?」
「よし、よし、約束するよ。」
と、托鉢坊主は息をはずませながら言った。
そこで、また托鉢坊主は、その幅の広い背中にロビンをのせて、流れのなかへはいった。ところが川のまんなかで、かれは立ちどまった。ロビンは、かれが足がかりをさがしているのだと思って、おかしくなったが、いきなりかれはロビンを川のなかへふり落してしまった。
「さあ、沈むとも泳ぐとも、勝手にしろ!」
かれはそう言って、急いで岸へかけあがってしまった。
ロビンは、流れに押し流されて、反対の岸につき、草の根をつかんで岸へはいあがった。見ると、ずるい敵は、むこう岸で大きな赤い顔に笑いをたたえながら、こちらをながめていた。
「よし、坊主め! 今に見ろ!」
ロビンは、心のなかでそう叫んで、弓を取るが早いか、勢いよく矢を射た。けれど、いくら射てもあたらなかった。なぜなら托鉢坊主は、巧みな早業(はやわざ)で、ロビンの矢を鉄のたてで防いだからである。そして、とうとうロビンの矢筒(やづつ)はからになってしまった。
この上は、剣に頼るほかはなかった。それで、ロビンはたてをふりかざし、剣をぬいて川におどりこんだ。托鉢坊主はそれを見ると、鋼の帽子をひろって頭にかぶり、剣とたてをとりあげた。
まもなく、土手の上で、はげしい戦いがはじまった。剣はひらめき、たては剣を受けとめるたびに鳴りひびいた。戦いはたっぷり一時間つづいた。二人は土手の上で戦うだけでなく、川のなかでも戦った。突く、受ける、打ちこむ、押しのけるというふうに、あらんかぎりの技(わざ)で戦った。とうとう二人ははげしい戦いにつかれて、からだをやすめるために、剣にもたれてしまった。すると、ロビンが言った。
「おまえはまったく強い! おれが見つけたいと思う人間と、おまえはそっくりだ。頼む、願いをかなえてくれ!」
「なんの願いを求めているんだ?」
「この角笛を三度吹き鳴らすあいだだけ、剣をうちこまずにいてほしいんだ。」
「好きなだけ吹け、角笛なんかなんとも思っていないよ。」
ロビンは、にっこり笑って、大きな息を吹きこんで、三度角笛を鳴らした。そのひびきが森に消えないうちに、五十人の仲間が、弓をひきしぼったまま急いでかけてきた。
「あの連中はなんだ?」
「おれの仲間で、頭(かしら)のロビン・フッドを助けにくるのだ。」
「ふん、おれは托鉢坊主のタックだ。この七年間、この谷間を守ってきた。おれの許しを受けずに、ここへ無理にやってくる連中を、たたきのめしてきた。」
「どうだい、おれたちと一緒に、シャアウッドの森へこないか。おれたちは謀反人だから町の教会へもゆけないから、おまえが来てくれて、坊さんの役目をやってくれるとありがたいな。」
「よかろう。おまえたちの愉快な仲間に心がひかれた。行ったらおれは、坊さんの仕事をやってやる。まてよ、飼犬たちも連れてゆこう。犬どもを森にかけさせ、ほえさせて、鹿をかり出そう。」
こういうわけで、托鉢坊主のタックがロビンの仲間となり、歌や物語に名をあらわした。
河畔の悲劇 10 ― 2022年05月23日
一〇、無免許医
「では、捕縛されたゲスパンという男は、この犯罪に関係がないんですね。」
問いかけたのは、ドクトルであった。
「ええ、私も明らかに左様(そう)思っています。」とルコックが答えた。「尤(もっと)も、今の私の話だけでは、伯爵がほんとうに逃亡したかどうか、危(あぶな)っかしく思われる点もありましょうが……」
といいかけた時、ルコックは庭の方に何か物音でも聞いたのか、聞耳(ききみみ)を欹(た)てるような風で、ちょっと言葉を杜切(とぎ)らしたが、やがて後をつづけた。
「実は一つ確かなことを突止めているのです。それは外(ほか)でもないが、先刻(さっき)私が伯爵邸を検(しら)べている間に、彼邸(あすこ)の執事のフランソアと二人っきりで話してみましたが、そのとき執事に、伯爵の靴の数が判るかと訊いたら、それははっきり判っているというので、早速(さっそく)靴棚を調べさせたところが、露西亜革(ロシアがわ)の長靴が一足紛失しているのです。なお執事の話によれば、前日伯爵がつけていた青縞(あおじま)の襟布(クラバット)が見えないといっていました。」
「そんなら、もう疑う余地がないね!」とプランタさんが叫んだ。
「ですから、その見込で猛進(もうしん)して差支えないわけです。そこで今度は、伯爵がこんな兇行を演ずるに至った事情を精査(あら)って見ることが、必要になって来ましたがね――」
いいかけて、ルコックはまた物音に耳を欹てている風だったが、突然、身を躍らして、窓から庭へ跳びだした。
と、庭の方で罵る声、息塞(いきづま)るような叫び、どたばたする跫音(あしおと)――たしかに格闘が始まったらしい。
窓から覗いてみると、恰度(ちょうど)暁(あ)け方(がた)で、物の形が仄(ほの)かに見えていたが、芝生に罩(こ)めた白い靄(もや)の中に、二つの人影が組(く)んづ解(ほぐ)れつ、倒れつ起きつして、激しい格闘をやっているらしかった。
「さア取詰(とっつ)めたぞ。灯(あかり)を見せて下さい。」
という声に、ドクトルが灯(あかり)を携(も)って、戸をあけると、ルコックが一人の男の利腕(ききうで)を捩(ね)じ上げながら、帰って来た。
「御紹介します。此奴(こいつ)はロベロオという無免許(もぐり)医者で、薬草商(やくそうしょう)というのは世を偽る表看板、実は毒薬の密売をやっている男です。」
と探偵は落ち着いたものだ。
捕まった男は、ルコックが云ったように、この町の無免許医(むめんきょい)で、旧(もと)ドクトル・ゼンドロンの助手だったが、不都合があって解雇されてからは、碌(ろく)でもないことばかりやっているのであった。
彼は、旧師(きゅうし)のドクトルがそこにいるのを見ると、遉(さすが)に顔を背けたが、大して悪びれた風もなく、昂然(こうぜん)と脣を囓(か)みしめていた。
「やっ、ルコック君、怪我をしたね。シャツに血が滲んでいますよ。」
プランタさんが驚いて注意すると、
「此奴(こいつ)の短刀で擦(かす)られただけです。何ともないんです。」ルコックは平気で、「おいロベロオ、お前は何のために此邸(ここ)へ忍んで来たんだ?」
ロベロオは答えがなくて、凄(すご)い目を伏せているばかりだ。
「こら、何故答えをしないか。何か目的があっただろう。」
旧師のドクトルが厳しく問い詰めると、
「盗みに来ました。」
「ナニ、盗みに? 一体何を盗むのだ?」
「何ということもありませんが――」
「冗談いっちゃ可(い)けない。塀を越えて他人の邸へ忍びこむからには、何(なん)ぞ確(かく)とした目的がなければなるまい。」
「実は温室の花が欲しかったので――」
「ふむ、短刀を持って、花を盗(と)りに来たというのか。」
ルコックは忌々(いまいま)しそうに呶鳴ってから、
「此奴はドミニ判事へいいお土産ですね。尤も判事は撰(え)り好みがあるから、こんな奴は嫌だなんて云うかも知れませんが――」
とプランタさんに云った。
「だがルコック君、此奴をどうしたらいいでしょう。」
「何処(どこ)ぞへ叩(たた)っ込んでおきたいが、いい場所がありませんか。」
「じゃ、物置にしよう。彼処(あすこ)なら壁が厚くて、扉が頑丈だから、逃げようたって逃げられやしない。」
とプランタさんが先に立って、物置の扉をあけたが、そこは真暗(まっくら)な小部屋で、古い本や書類のようなものが積み重ねてあった。
「さア、お前は此室(ここ)の王様だ。」
ルコックが冗談を云いながら、ロベロオを投(ほう)りこむと、彼は水を一杯と、灯(あかり)を貸して下さいと願ったが、コップに一杯の水を与えたっきり、
「灯(あかり)はお断りだ。何をやるか知れないからな。」
ぴしゃり扉をしめきって、鍵をかけた。
やがて書斎に戻って来ると、プランタさんはルコックと堅く握手をして、
「彼奴(あいつ)は私を殺しに来たにちがいないんだが、君のお蔭で、私は危(あぶな)いところを助かりました。有難う。この御恩は他日(たじつ)必ずお返しします。」
「飛んでもない。ただ、この事件で私が昇進したら、喜んで下さればいいんです。」
探偵は謙遜な口調でそう云ってから、
「今の騒ぎで、すっかり話の邪魔をされてしまいましたが、私がお訊きしたいと思ったのは、伯爵がどういう事情から、夫人を殺そうとまで決心をしたかです。」
「それは、他に可愛い女が出来て、夫人に厭気(いやけ)がさしたのでしょう。」
と、ドクトルが説を立てた。すると探偵は首をふって、
「男子(だんし)は、それだけのことでは、自分の妻を殺しはしません。その場合は単に離別して、恋女(こいびと)と一緒になったらいいじゃありませんか。この頃ざらにあることで、世間だってそう厳しく批難もしませんからね。」
「けれど、財産が夫人のものなら、それに目を呉れるでしょう。」
「ところが伯爵の場合は、それとも異(ちが)います。私の査(しら)べたところでは、伯爵が夫人の先夫(せんぷ)ソオブルジイの尽力で、借財を整理した上に、残した金が三十万法(フラン)、結婚契約によって自分の所有(もの)になった金が五十万法(フラン)です。八十万法(フラン)もあれば、何処へ行ったって贅沢な生活が出来ます。その上、所有地の権利は自分の名義になっているから、それを金に替えようと思えば、幾らでも出来るわけです。」
ドクトルが黙りこんでしまったので、ルコックはなお自分の意見をつづけた。
「それ故、伯爵がああした決心をするについては、他に延引(のっぴき)ならぬ事情がなければならん筈です。この事件は金銭以外に、何か旧(ふる)い犯罪に関係があると、私は睨んでいます。それに、今ロベロオがプランタさんを殺しに来たところを見ると、あの無免許(もぐり)医者もひょっとすると、その犯罪に関係したのではないかと思いますがね。」
そのときドクトルは、ふと或る連想から、
「事によると、ソオブルジイが原因(もと)になってるんじゃないかナ。」と云ってみた。
「そのソオブルジイですよ。」ルコックは声に一段と力を入れて、「伯爵が逃亡(にげ)る瞬間まで、危険を冒して探し廻った書類は、きっとそのソオブルジイに絡んだ犯罪について、有力な証拠となるものにちがいないのです。」
プランタさんは、何故か深く沈黙してしまった。魂は遠いところへ彷徨(さまよ)いだして、過去の霧の中に忘(わす)られた挿話を探し求めるかのごとく、きょとんとした眼付で、空間を見つめているのであった。
「実に不思議じゃありませんか。」ルコックはわざと誇張して、「トレモレル伯爵のような、若くて、金持ちで、幸福な人が、夫人を殺害(せつがい)して、地位も名誉も抛(なげう)つとは、なんて因業(いんごう)な過去をもったのでしょう。その上たった二十歳(はたち)の娘さんが、それがために自殺をするという騒ぎなんです――」
「そ、それは酷(ひど)い!」プランタさんは慌てて叫んだ。「ロオランス嬢は、その犯罪とは全然関係がないんです。」
探偵はそれを聞いて、にやりと口許(くちもと)を歪(ゆが)めたようであった。が、興奮しかけたプランタさんは、すぐ冷静に立ちかえって、
「ルコック君、この事件をかくまで見極めた君の天才には、驚きましたよ。こうなった上は、君の知らない部分を、何もかも私がお話(はなし)しよう。好んで口外するのではないが、もう口を噤(つぐ)んでいる必要がなくなりましたからね。」
と云いながら、鍵のかかった抽斗から厚ぼったい書類を取りだして、
「実はこれなんです。私は過去四年間、殆(ほとん)ど二六時中(にろくじちゅう)、この経緯(いきさつ)に注意していたが、ついにああした悲惨なことに終ってしまいました。最初私は一種の好奇心から、これに眼をつけはじめたけれど、後(のち)には私の可愛く思っている者の生命(いのち)にも係(かかわ)るような形勢が見えて来たので、急に真剣になったのです。それでは、なぜ早く適当な処置をとらなかったかと云うと、何分(なにぶん)にも確たる証拠が攫(つか)めないので、私としては結局、知って知らぬ振りをしているより外(ほか)はなかったのです。」
もう夜が明けたらしく、庭の方で早起きな小鳥がちちと鳴き交(か)わし、程近(ほどちか)い街道を野良へ行くらしい百姓の木履(サボ)の音がして、それにときどき、物置の方からロベロオの微(かす)かに呻(うめ)く声が聞えた。
プランタさんは、大切(だいじ)そうにその書類の頁(ページ)をくっていたが、
「しかし、諸君はお疲れでしょうな?」」
ルコックも、ドクトルも、疲れを感ずるどころではなかった。むしろ好奇心ではち切れるような気持だった。
「いや、疲れなんか何処かへ飛んで行ってしまいました。是非その話を聞かして下さい。」
「そんなら、お話(はなし)しよう。」