第六十四段 ― 2022年02月01日
またもや漱石の『自転車日記』に関して。個人的に好きなんだから仕方ない。
この作品を読む度に頭に浮かぶ曲がある。
G・ガーシュウィン(George Gershwin、1898年-1937年)の『パリのアメリカ人(An American in Paris)』(1928年)である。I・ガーシュウィン(Ira Gershwin、1896年-1983年)では無い。その弟である。
初めてこの曲を聴いたのは、学校の音楽の授業か、TV番組『題名のない音楽会』か、同『オーケストラがやって来た』かは覚えていない。詳細な解説があったような気もするからTV番組だったかも知れない。G・ガーシュウィンの著作権は切れている筈(兄のアイラの著作権は存続中)だが、改訂版の著作権については不明。
更にこの曲から連想する別の曲がある。同じくG・ガーシュウィンの『霧深き日(A Foggy Day)』である。然もある特定の演奏で。
チャールズ・ミンガス(Charles Mingus、1922年-1979年)のアルバム『直立猿人(Pithecanthropus Erectus)』(1956年)に収録されているインストゥルメンタル・ヴァージョンである。かるが故に兄アイラの書いた歌詞は無い。冒頭のタイトル曲を聴いた時、思わず背筋が伸びるような緊張感を覚えた。が、2トラック目のこの曲で力が抜けて思わず笑ってしまった。「そりゃ霧が深けりゃ渋滞もするだろう」と思ったからである。後に所謂「ミュージック・コンクレート(musique concrete)」として感心すべきだったと気が付いた。汗顔の至りである。
・教訓。
「蟹は己が甲羅に似せて穴を掘る」。
・追記。
この場合「ミュージック・コンクレート」という語句は適切では無いような気がする。
……恥の上塗りになってしまった……。
第六十四段の続き ― 2022年02月03日
『パリのアメリカ人』には、こちらの方がふさわしいかも知れない。同じく漱石の作。
「(前略)丸(まる)で御殿場の兎が急に日本橋の眞中(まんなか)へ抛り出された樣な心持であつた。表へ出れば人の波にさらはれるかと思ひ、家に歸れば汽車が自分の部屋に衝突しはせぬかと疑ひ、朝夕(あさゆふ)安き心はなかつた。此響き、此群集の中に二年住んで居たら吾が神經の繊維も遂には鍋の中の麩海苔(ふのり)の如くべとべとになるだらうとマクス、ノルダウの退化論を今更の如く大眞理と思ふ折さへあつた。
しかも余は他の日本人の如く紹介状を持つて世話になりに行く宛もなく、又在留の舊知とては無論ない身の上であるから、恐々(こはごは)ながら一枚の地圖を案内として毎日見物の爲(た)め若(もし)くは用達(ようたし)の爲め出あるかねばならなかつた。無論汽車へは乘らない、馬車へも乘れない、滅多な交通機關を利用仕樣(しやう)とすると、どこへ連れて行かれるか分らない。此廣い倫敦を蜘蛛手(くもで)十字に往來する往來する汽車も馬車も電氣鐵道も鋼條鐵道も余には何等の便宜をも與へる事が出來なかつた。余は已(やむ)を得ないから四ツ角へ出る度に地圖を披(ひら)いて通行人に押し返されながら足の向く方角を定める。地圖で知れぬ時は人に聞く、人に聞いて知れぬ時は巡査を探す、巡査でゆかぬ時は又外(ほか)の人に尋ねる。何人(なんにん)でも合點の行く人に出逢ふ迄は捕へては聞き呼び掛ては聞く。かくして漸くわが指定の地に至るのである。(後略)」
『倫敦塔』より。
・音楽的補足。
この曲には、4個の「taxi horn」なんていう楽器(?)も用いられている。早い話が警笛(クラクション)である。
そう言えば、ルロイ・アンダースン(Leroy Anderson、1908年-1975年)もタイプライターや紙やすりを楽器として使用していた。
第三十二段の取り零し ― 2022年02月05日
そう言えば、「穀物メジャー(major grain companies?)」なんて言葉を最初に知ったのも、フォーサイスの小説か『ゴルゴ13シリーズ』か覚えていない。やれやれ。
・追記。
理由は不明だが、またもや「ミゾーユー」という意味不明にして珍妙な言葉が脳内に響いて来た。陽気のせいだろうか。
第六十五段 ― 2022年02月08日
本日驚いた事。
・「冬来たりなば春遠からじ」という言葉の出典は漢籍でも日本の諺でも無く、英国の詩人シェリー(Percy Bysshe Shelley、1792年-1822年)の詩にある語句だそうだ。『フランケンシュタイン(Frankenstein: or The Modern Prometheus)』の作者ではない。それと一緒に駆け落ちした亭主……もとい伴侶である。
題名は『西風の賦(Ode to the West Wind)』原文は「If Winter comes, can Spring be far behind?」との事。
・2月8日は「蕎麦の日」だそうだ。まあ、何にでも「~の日」ってなキャッチ・コピーがあるので特には驚かないが。それを讃えて月遅れの書き初めを。
「弘法筆を択ばず」……逆もまた真なりである。
第六十六段 ― 2022年02月09日
大リーグボール2号では無いが、東京は雪に弱い。
「I do think that, of all the silly, irritating tomfoolishness by which we are plagued, this “weather-forecast” fraud is about the most aggravating. It “forecasts” precisely what happened yesterday or the day before, and precisely the opposite of what is going to happen to-day.」
『ボートの三人男』より。
まあ、この作品が書かれた19世紀の英国と異なり、今日の日本に於ける天気予報は当る確率が高いので準備をするに越した事は無い。
「Snow is not a wolf in sheep's clothing - it is a tiger in lamb's clothing」
デズモンド・バグリイ(Desmond Bagley、1923年-1983年)作『The Snow Tiger』からの孫引き。
いずれも日本語訳の著作権は存続している。なお、バグリイの著作権も存続しているが、引用元であるMathias Zdarsky(1856年-1940年)の著作権は切れている筈である……と思う。
・余談(1)。
在日米軍内でもCOVID-19の感染が拡大しているらしい。個々の「camp」や「base」に言っても仕方無いだろう。軍隊こそ典型的な上意下達組織である(でなければ効率的に機能しない)。意見を述べるなら、在日米軍の司令部(headquarters)である横田基地に対してすべきである。
……まあ、「日米地位協定」なんてものが現存するので言った所で仕方無いだろうが。
・余談(2)。
まだ「マスクをかけない権利は日本国憲法で補償されている」などと寝言を言う人がいるようだ。日本国憲法の条文は以下の通り。
「第十二條 この憲法が國民に保障する自由及び權利は、國民の不斷の努力によつて、これを保持しなければならない。又、國民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。
第十三條 すべて國民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に對する國民の權利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の國政の上で、最大の尊重を必要とする。」
憲法の条文を知らないのか、「感染症」と言う語を知らないのか。「感染症」が蔓延すれば「公共の福祉に反する」ことは小学生にも理解出来る。
こんな程度の人間が「税金で祿を食む公僕(public servant)」とは……いやはやなんとも。
……まあ、「投票した有権者の民度が問われる」とまでは言わないが。