第六十四段の続き2022年02月03日

『パリのアメリカ人』には、こちらの方がふさわしいかも知れない。同じく漱石の作。

「(前略)丸(まる)で御殿場の兎が急に日本橋の眞中(まんなか)へ抛り出された樣な心持であつた。表へ出れば人の波にさらはれるかと思ひ、家に歸れば汽車が自分の部屋に衝突しはせぬかと疑ひ、朝夕(あさゆふ)安き心はなかつた。此響き、此群集の中に二年住んで居たら吾が神經の繊維も遂には鍋の中の麩海苔(ふのり)の如くべとべとになるだらうとマクス、ノルダウの退化論を今更の如く大眞理と思ふ折さへあつた。
しかも余は他の日本人の如く紹介状を持つて世話になりに行く宛もなく、又在留の舊知とては無論ない身の上であるから、恐々(こはごは)ながら一枚の地圖を案内として毎日見物の爲(た)め若(もし)くは用達(ようたし)の爲め出あるかねばならなかつた。無論汽車へは乘らない、馬車へも乘れない、滅多な交通機關を利用仕樣(しやう)とすると、どこへ連れて行かれるか分らない。此廣い倫敦を蜘蛛手(くもで)十字に往來する往來する汽車も馬車も電氣鐵道も鋼條鐵道も余には何等の便宜をも與へる事が出來なかつた。余は已(やむ)を得ないから四ツ角へ出る度に地圖を披(ひら)いて通行人に押し返されながら足の向く方角を定める。地圖で知れぬ時は人に聞く、人に聞いて知れぬ時は巡査を探す、巡査でゆかぬ時は又外(ほか)の人に尋ねる。何人(なんにん)でも合點の行く人に出逢ふ迄は捕へては聞き呼び掛ては聞く。かくして漸くわが指定の地に至るのである。(後略)」

『倫敦塔』より。

・音楽的補足。
この曲には、4個の「taxi horn」なんていう楽器(?)も用いられている。早い話が警笛(クラクション)である。
そう言えば、ルロイ・アンダースン(Leroy Anderson、1908年-1975年)もタイプライターや紙やすりを楽器として使用していた。

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