イソップ「猿と海豚」 ― 2023年07月13日
イソップ「猿と海豚」楠山正雄訳
よく長旅の折などの退屈凌(しの)ぎに、手飼ひの狆(ちん)や猿などを連れて行く人がある。
これもその一つで、東洋からアテネへ帰国の旅に向ふ人が猿を一匹連れて船に乗り込んだ。船がやがて本国アチカの海岸に近づかうといふ時になつて、不幸にも俄かに時化(しけ)がおこつて、船はひつくり返つてしまつた。船中の客は残らず海の中に放り出されたが、各自(てんで)に一生懸命泳いで、どうかして命を助からうとあつぷあつぷやつてゐた。その中に例の猿も居たが、その時一匹の海豚(いるか)がそこを通りかゝつてこの猿を人間だと思つて背中に載せてやつて、海岸に向つて泳いで行つた。やがてアテネの港のピレエウス近くなつた時、海豚は猿に向つて、お前さんはアテネのお人かと云つて聞いた。猿はその通りだと答へた上に、自分はアテネでも立派な身分のものだと余計なことをつけ加へた。
「それでは無論、あなたはピレエウスを御存じでせう」
と海豚は重ねて聞いた。
猿はピレエウスを知らなかつたけれど、これはきつと羽振りのいいお役人か何かの名前だらうと当推量(あてずいりやう)して、
「あゝ知つてるとも、あの男はわしの昔からの友達さ」
と高慢らしく云つた。
この言葉を聞いて居るかは直ぐに猿の虚言家(うそつき)だといふことを悟つて、忌々(いまいま)しさうに、なんにも云はずそのまゝすつと海の底へ深く潜つてしまつた。仕合(しあ)はせの悪い猿は早速溺れて死んでしまつた。
【訓言】嘘吐きは必ず見得坊だ。