ルルージュ事件 1 E・ガボリオ ― 2022年09月01日
一 寡婦の家
千八百六十二年の春まだ浅い三月六日、恰度(ちょうど)四旬斎の懺悔火曜の翌々日――木曜日のことであった。
パリから程近いブウジバールという町の警察へ、近所のジョンシェール村の女たちが五人も揃って、只ならぬ様子で駆けこんで来た。
「大変です、人殺しがありましたから、早く調べて下さい」
という訴えだ。
署長がすぐに面会して聞いてみると、そのジョンシェール村の一軒家に住まっている独り者のルルージュという寡婦(ごけ)さんの家は、戸が開かなくなってから今日で三日になるが、窓には鎧戸をおろし、戸口は鍵をかけたまま厳重に閉めきってあって、誰が叩いても返事がないし、それ以来村で寡婦さんの姿を見かけた者がない。彼女はてっきり家の中で殺されているにちがいないというのだ。
警察では、この訴えを聞いて俄かに緊張した。
一体このブウジバール界隈は、セエヌ河に沿うた、ごく閑静な船著場(ふなつきば)で、住民は大てい船乗が多いから、平生(ふだん)酔払いとか、喧嘩というような小さな警察事故はちょいちょいあるが、強盗だの殺人だのという大犯罪は滅多にないのであった。
「とにかく打捨(うっちゃ)ってはおけない。直ぐに俺が行こう」と、署長は早速部下の巡査部長と、二人の警官と、附近の鍵屋とを従え、訴えに来た女たちを案内者として、そのルルージュ寡婦の家へ出かけて行った。
それは恰度ブウジバールとマルメエゾンとの中間に位する丘の中腹に建った、小じんまりとした一軒家で、そこから広々としたセエヌ河の景色が一目に見晴らされた。パリのある商人の所有(もっ)ている家作で、小別荘(カテイヂ)まがいの、ごく質素ながら気持よく出来た家だ。
周囲に荒れた庭があって、その外側は、高さ四尺ぐらいの石塀で囲まれ、門のところには、板扉が蝶つがいの代りに針金で無雑作に止めてあった。
「この家でございます」
女たちが署長にいった。
途中から次第に殖えた野次馬が、その時はもう四五十人の群衆となって、うようよ尾いて来ていた。
「モシモシモシモシ」
署長はしばらくその閉まっている戸口や鎧戸を叩きながら、声をかけたが、森閑として返事がないので、
「こりや可かん、早く開けろ!」
そこで鍵屋は、道具函から鍵束を取りだして、穴に合う鍵を発見するためにがちゃがちゃ試(や)っていると、
「やあ、鍵がありました鍵がありました」
野次馬が口々に叫んだ。
一人の少年が、ふと路ばたの溝に投りこんであった大きな鍵を拾って、大威張で持って来たのが、此家の鍵に相違なかった。
鍵屋は早速それを使って、わけなく戸口を開けた。
署長は、巡査部長と鍵屋だけをつれて、屋内(なか)へ踏込んで行った。
警官に遮断された野次馬連は、足踏をやったり、石塀に取りついたりして、屋内の様子を覗こうと犇めいていた。
犯罪があったらしいという予感は果して誤たず、それは署長たちが突っかけの部屋へ足を踏入れた瞬間からわかったのだが、その部屋では、用箪笥と二つの大トランクの錠前がこじ開けられていたし、更に奥の部屋へ行くと、一層ひどい乱雑さで、ルルージユ寡婦は、この奥の部屋の炉ばたに、屍体となって横たわっていたのである。
彼女は俯伏せに灰の中へのめり込んだまま、顔の半面が黒焦げになって、髪も少しばかり焼けていた。その火が著衣(きもの)に燃えうつらなかったのは、全く奇蹟だった。
「酷いことをやりましたな。こんな頼りない女を殺さんでもよさそうなもんですがね」
と巡査部長がいった。
「だが致命傷はどこだい」署長は眉をひそめた。「血が見えんようだが」
「ここです、背中を二突きやられていますが、これじゃアッという暇もなかったでしょう」
と巡査部長は屈みこんで、屍体に触りながらいった。
「すっかり冷くなって、硬直しています。死んでから、少くも三十六時間は経過しているようですな」
そこで署長は、手早く簡単な報告書を認(したた)めてから、
「さア、愚図々々しちゃいられない。ブウジバールの町長と保安判事へ、この事を大至急知らせてくれ。それからこの報告書をパリの裁判所へとどけさせてくれ。そうすると予審判事が二時間と経たぬうちに臨検にやって来るだろう。俺はその間に、所轄署長として取調べをはじめなければならん」
と巡査部長に命じて、その後ですぐに正式の審問に取りかかった。
一体この被害者のルルージユ寡婦というのは、どういう素性の女か。何処からこの土地へやって来て、何によって生活していたのか。日常の習慣や、行状や、それから交遊関係はどうか。敵をもたなかったか。内福という評判でもあったか。それらの点を、署長はまず突止めようとするのだった。
そこで、門前に騒いでいた近所の者達を、片ッぱしから証人として呼出したが、彼等はもともと証言を述べるために来たわけではなく、単に好奇心から集まって来た野次馬に過ぎないので、申し立はどれもこれも断片的で、不完全だった。尤もこのルルージユ寡婦は、この土地に生れた女ではなくて、代所者(よそもの)だから、村人が彼女のことを詳しく知らぬのも無理がなかった。
それでも、約二時間審問をつづけて、多くの証人から聞出したところを綜合してみると、このルルージュという女は、今から十二年前にこの家作を借りると自費で修繕を加えて、それ以来ずっとここに住まっているのだ。齢は五十四五だが、極めて壮健で、元気よく立働いていた。何処からどうして、この知らぬ土地へ来て暮らすことになったのか、その間の事情は誰も知らないがときどき白モスリンの頭巾をかぶっている習慣から察して、多分ノルマンディの方から移って来たらしく思われる。しかしその頭巾をかぶるのは夜間だけで、昼間は齢にも似合わずひどく色っぽい衣物を著(き)ている女であった。
いつも小綺麗な服装(みなり)をして、帽子に華美(はで)なリボンを捲いて、ジプシイのように沢山の宝石を身につけている女だったが、ここへ来る以前にも何処かの船著場に住まっていたらしく、船乗とか、海に関係した話は、彼女の会話の中に絶えず出て来る題目であった。
良人(おっと)は船乗だったが、船が難破したために死んでしまったということを、ちょいちょい他に洩したけれど、不思議なことに、その良人について詳しい話をしたことがない。兎角良人の噂をすることを避けたがる風が見えた。
或る時、彼女は牛乳配達やその他二三の村人と世間話をした序(ついで)に「わたしほど夫婦仲の不幸な女は、たんとありはしない」と歎(こぼ)したこともあり、また或る時は、「何もかも新規捲き直しで、さばさばした気持です。船乗りの亭主は、たった一年間わたしを可愛がったきりよ」
そんなことも云ったそうだ。
そのくせ彼女はこの界隈では、よほど小金を持っていると思われていた。とにかく工面がよさそうで、決して吝(けち)ではなかった。食べ物なんかも可成り贅沢な方で、好きな葡萄酒はいつも豊富に買込んでいた。近所の友達にもときどきすばらしい御馳走をすることがあった。
「あなたは御裕福で結構ですわねえ」
と友達がお世辞をいうと、
「わたしはね、地所も家屋も自分の所有じゃないけれど、何一つ不自由がありません。もっと金持ちになろうと思えば、幾らでもなれたのよ」
そんなことを誇らしげにいうこともあった。
だが、可成り饒舌で、自慢好きなくせに、何処か用心ぶかいところがあって、殊に自分の前身については絶対に語らなかった。しかし何しろ広く世の中を見て来た女で、世態人情の表裏を知りぬいていたことは確かだった。
村の者以外に、他処から彼女を訪ねて来る客というものは滅多になかった。只、一人の上品な婦人が若者をつれて二三度来たことがあり、それから二人の紳士――その一人は年老った堂々たる風采の紳士で、もう一人は眉目秀麗の青年紳士だった――が一緒に立派な馬車に乗って訪れたのを、村人が一二回見かけたということだ。
なおこの外に、訪問客という程度ではないが、ときどきやって来る男が二人あった。一人は鉄道にでも働いているかと思われる若い労働者風の男、もう一人は四十以上の年輩で、作業服を著て、顔が陽に炎けて赤ちゃけた頤髭のある、一見人相の悪い男であった。
近所の観察によれば、この二人がどうも彼女の情夫だろうと想像された。
多くの証人を調べた結果、大体、これだけのことがわかったのである。
そこで署長は、これらの供述の要点を自分でせっせと記述しはじめたが、恰度最後の一枚を書き終ってペンを擱いたとき、予審判事の一行が到著した。即ちパリ裁判所の予審判事ダブロン氏が、警視庁の有名な探偵長ゼブロール警部と、その部下のルコック刑事とを従えて、臨検にやって来たのである。
このダブロン判事は、齢は三十八という働き盛り、非常な精勤家で、頭もよく、どんな複雑した事件でもてきぱきと片附けて行く、恰度代数の難問題を解いて既知数から未知数を得るように多くの些細な事実や証拠を取捨銓衡して、推理によって事件の中から真犯人を摘出することに於ては、非凡な頭脳をもっている。だから部内では評判がいい。而も冷厳な中にも一脈の人情味があって、涼しく澄んだ、人好きのする容貌ながら、何処かに寂しそうな哀愁を湛えている人だ。
ゼブロール探偵長は、警視庁でも蛮勇をもって聞えた人物で、七面倒な推理よりも、経験と度胸で押して行こうという、所謂力の探偵、見込捜査の名人である。
この探偵長に従うルコック刑事に至っては、後に一代の名探偵と謳われ、フランス切っての名物男となっただけに、その鋭鋒は包もうとしても自ずから顕われるのだが、何をいうにも、この時分は駆けだしの若手刑事で、まだまだ重くは用いられず、ひそかに脾肉の嘆を発していた時代なのである。
今この一行がやって来たので、署長はほっとして、何だか肩の重荷が軽くなったのを感じた。そして直ちに、たった今作製した調書に基いて、事の大略をダブロン判事に報告した。
判事は熱心にその報告に耳を傾けていたが、全部聞き終ると、
「御苦労々々々、それでよく解りました。ところで、もう一つ確めるべきことがありますね」
「といいますと?」
「この被害者を村の者が最後に見かけたのは、何日の何時頃でしたかね」
「私も今それを申し上げようと思ったところです。最後に彼女に会った者の申し立によると、それは懺悔火曜日――つまり一昨日の夕方で、五時二十分過ぎ頃だったそうです。彼女はそのときブウジバールへ買物に出かけた帰りがけで、何か食糧品を入れた籠を手に提(さ)げていたそうです」
「その時刻は正確でしょうな?」とゼブロール探偵長が傍から念をおした。
「間違いはありません。これには二人の証人があります。村のテリエという女と、もう一人は近所の桶屋ですが、この二人が一昨日の夕方乗合馬車から降りるとすぐ、四つ角でルルージュ寡婦と出っ会(くわ)したので、何か世間話をしながら一緒に歩いて来て、此家の戸口の前で別れたということです」
「被害者が提げていたその籠には、何が入っていたかね」と判事が訊いた。
「その点は証人等もはっきり判らなかったが、ただ葡萄酒の壜が二本とブランデーの壜が一本ちらと見えたそうです。ルルージュ寡婦はそのとき頭痛がするといって『今晩は懺悔火曜日で、人が面白可笑くお祝いでもしようというのに、わたしはこれから帰って、寝なければならない。ほんとうにつまらないわ』そんなことをいって歎(こぼ)していたそうです」
「ははア、そんなことを云いましたか?」と探偵長が勇み立った。「そりゃ来客を避ける口実にすぎないので、実は情夫と楽しもうという算段なんですね。そんならもう犯人の目星がつきましたよ」
「えっ、誰だね?」判事が訊いた。
「先刻署長も云われたように、作業服を著た陽に炎けた男が時々此家へ訪ねて来るそうですな。其男が怪しいと思います。そのブランデーや葡萄酒もその情夫のために寡婦が仕入れて来たもので、多分両人差向いでゆっくり食事をしようという寸法だったでしょう。彼奴はその晩やって来たにちがいない」
「さあ、それはどうですかな。彼女はもういい加減な婆さんで、見っともない女ですよ」
と巡査部長が不平らしくいった。その情夫のことは自分達所轄署の者だって迅(と)うに気づいて、一応は考えてみた問題なのに、探偵長が如何にもれいれいしく云いだしたので、少し侮辱を感じたらしかった。
するとゼブロールは、憫れむ眼附でこの率直な巡査部長を見かえした。
「部長、それは君、金持の女というものは、しようと思えば何時だって若々しく化粧(ばけ)られるもんだよ」
「それも左様(そう)だが」と判事が口を挿んだ。「第一に、その陽に炎けた男が果して情夫だったかどうか。私は疑わしいと思う。それよりも『もっと金持になろうと思えば、幾らでもなれた』とかいったルルージュ寡婦の言葉に意味がありそうだがね。そこに何か秘密がないかな」
「私も実はその言葉に何かありそうに思いますがね」
と署長も判事に同意した。
けれど、ゼブロールはそれには耳を貸さずに、飽くまでも自説を固執した。そして早速自分で部屋の中を検べはじめたが、やがて突然に署長に向って問いかけた。
「今思いだしたが、最近に雨が降ったのは、たしかこの兇行のあった火曜の晩でしたね。殆ど二週間振りの珍しい雨だったが、ここでは何時頃でしたか、あの雨が降りだしたのは?」
「九時半頃です」巡査部長が引取って答えた。「私が晩餐を終えてからダンスホールを見廻りに出かけると間もなく、恐ろしい土砂降りで、往来の舗石(しきいし)の上半インチも水が流れたくらいでした」
「じゃ、犯人が九時半過ぎに此家(ここ)へやって来たとすれば、靴が濡れていた筈だ。もし濡れていなければ、九時半前に来たわけです。第一にこの点を確めるべきだと思うが、どうです署長殿、床にそれらしい足跡がありましたか?」
「いや、実はそこまで気がつかなかったので」
「うむ、それは手ぬかりでしたな」と探偵長は頗る不機嫌だ。
「しかしゼブロール君、それを調べようと思えば、まだ遅くはない。奥の方へ入ったのは、私と巡査部長だけだから、犯人の足跡が残っておれば見分けが出来るわけです」
署長がそういって奥の部屋の戸をあけようとすると、ゼブロールは慌てて遮った。
「ま、お待ちなさい――人が入らぬうちに、先ず私が単独で検べたいんですがね、判事殿?」
「それがよかろう」ダブロン氏が同意した。
そこで探偵長は、独りでつかつかと奥の部屋へ入って行ったので、他の人々は、遠慮して閾際に立っていた。
・前述した通り、ガボリオのルコック物第1作。とは言えルコックは傍役。
「史上初の長篇探偵小説」と言う歴史的意義に関しては概ね衆目(作家・評論家)の一致する所のようだが、作品としては第2作『書類第113(Le dossier No. 113)』や、第5作『ルコック探偵(Monsieur Lecoq)』の方が評価が高いようだ。いずれにせよ、現代から見れば「old fashioned」の感は否めないと思われるが。