『古事記物語』より 鈴木三重吉編2022年06月13日

「女神の死」 『古事記物語』より 鈴木三重吉編

    一

 世界が出来たそもそものはじめ、まず天と地とが出来上(できあが)りますと、それと一(いっ)しょに、われわれ日本人(にほんじん)の一ばん御先祖の、天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)と仰(おっしゃ)る神様が、天(てん)の上の高天原(たかまのはら)というところへお生れになりました。そのつぎには高皇産霊神(たかみむすびのかみ)、神産霊神(かみむすびのかみ)のお二方(ふたかた)がお生れになりました。
 そのときには、天も地もまだしっかり固(かたま)りきらないで、両方とも、ただ、脂を浮かしたように、とろとろになって、水母(くらげ)のように、ふわりふわりと浮んでおりました。その中へ、丁度(ちょうど)葦(あし)の芽が生え出るように、二人の神さまがお生れになりました。
 それからまたお二人、その次には男神(おがみ)女神(めがみ)とお二人ずつ、八人の神さまが、つぎつぎにお生れになった後(のち)に、伊弉諾神(いざなぎのかみ)と伊弉冉神(いざなみのかみ)と仰る男神女神がお生れになりました。
 天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)はこのお二方の神さまをお召しになって、
「あの、ふわふわしている地を固めて、日本(にほん)の国を作り上げよ。」と仰って、立派な矛(ほこ)を一(ひと)ふりお授けになりました。
 それでお二人は、早速、天(あめ)の浮橋(うきはし)という、雲の中に浮んでいる橋の上へお出(で)ましになって、いただいた矛でもって、下の、とろとろしているところを掻きまわして、さっとお引上げになりますと、その矛の刃先についた潮水(しおみず)が、ぽたぽたと下へおちて、それが固(かたま)って一つの小さな島になりました。
 お二人はその島へ下りて入(い)らしって、そこへ御殿をたててお住いになりました。そして、まず一ばんさきに淡路島(あわじしま)をおこしらえになり、それから伊予(いよ)、讃岐(さぬき)、阿波(あわ)、土佐(とさ)とつづいた四国の島と、その次には隠岐(おき)の島、それから、そのじぶん筑紫(つくし)と言った今の九州と、壱岐(いき)、対馬(つしま)、佐渡(さど)の三つの島をお作りになりました。そして、一ばんしまいに、蜥蜴(とかげ)の形をした、一ばん大きな本州をおこしらえになって、それに大日本豊秋津島(おおやまととよあきつしま)というお名前をおつけになりました。
 これで、淡路の島からかぞえて、すっかりで八つの島が出来ました。ですから一ばんはじめには、日本のことを、大八島国(おおやしまぐに)と呼び又の名を豊葦原水穗国(とよあしはらのみずほのくに)とも称(とな)えていました。
 こうして、いよいよ国が出来上ったので、お二人は、今度は大ぜいの神さまをお生みになりました。それと一しょに、風の神や、海の神や、山の神、野の神、川の神、火の神をもお生みになりました。ところがおいたわしいことには、伊弉冉神(いざなみのかみ)は、そのおしまいの火の神をお生みになるときに、お体にお火傷(やけど)をなすって、そのためにとうとうおかくれになりました。
 伊弉諾神(いざなぎのかみ)は、
「ああ、わが妻の神よ、あの一人の子ゆえに、だいじなお前を亡くするとは。」と仰って、それはそれは大そうお嘆きになりました。そして、お涙のうちに、やっと、女神のお空骸(なきがら)を、出雲(いずも)の国と伯耆(ほうき)の国との堺(さかい)にある比婆(ひば)の山にお葬りになりました。
 女神は、そこから、黄泉(よみ)の国という、死んだ人の行く真っ暗な国へ立っておしまいになりました。
 伊弉諾神(いざなぎのかみ)は、そのあとで、早速十拳(とつか)の剣(つるぎ)という長い剣(つるぎ)を引きぬいて、女神の災(わざわい)のもとになった火の神を、一(ひと)うちに斬り殺しておしまいになりました。
 併(しか)し、神のお悔(くや)しみはそんなことでお癒(い)えになる筈もありませんでした。神は、どうかしてもう一度、女神に会いたくおぼしめして、とうとうそのお後を追って、真っ暗な黄泉の国までお出かけになりました。

    二

 女神は無論、もう疾(と)くに、黄泉の神の御殿に着いて入(い)らっしゃいました。
 すると、そこへ、夫(おっと)の神が、はるばるたずねてお出(い)でになったので、女神は急いで戸口へお出迎えになりました。
 伊弉諾神(いざなぎのかみ)は、真っ暗な中から、女神をおよびかけになって、
「いとしきわが妻の女神よ。お前と一しょに作る国が、まだ出来上らないでいる。どうぞもう一度帰ってくれ。」と仰いました。すると女神は、残念そうに、
「それならば、もっと早く迎えに入(い)らしって下さいませばよいものを。私(わたくし)は最早、この国の穢(けが)れた火で炊いたものを食べましたから、もう二度とあちらへ帰ることは出来ますまい。併し、せっかくお出で下さいましたのですから、ともかく一応黄泉の神たちに相談をして見ましょう。どうぞその間は、どんなことがありましても、決して私(わたくし)の姿を御覧にならないで下さいましな。後生(ごしょう)でございますから。」と、女神はかたくそう申し上げておいて、御殿の奥へお這入(はい)りになりました。
 伊弉諾神(いざなぎのかみ)は永い間戸口にじっと待って入(い)らっしゃいました。併し、女神は、それなり、いつまでたっても出て入(い)らっしゃいません。伊弉諾神(いざなぎのかみ)は、しまいには、もう待ちどおしくて堪(たま)らなくなって、とうとう、左の鬢(びん)の櫛(くし)をおぬきになり、その片はしの大歯(おおば)を一本欠き取って、それへ火をともして、僅かに闇の中をてらしながら、足さぐりに、御殿の中深く這入(はい)ってお出でになりました。
 そうすると、御殿の一ばん奥に、女神は寐て入(い)らっしゃいました。そのお姿を灯(あかり)で御覧になりますと、お体中(からだじゅう)は、もうすっかりべとべとに腐りくずれていて、臭(くさ)い臭いいやな臭(にお)いが、ぷんぷん鼻へ来ました。そして、そのべとべとに腐った体中には蛆(うじ)がうようよとたかっておりました。それから、頭と、胸と、お腹(なか)と、両股(りょうもも)と、両手両足のところには、その穢(けが)れから生れた雷神が一人ずつ、すべてで八人で、怖ろしい顔をしてうずくまっておりました。
 伊弉諾神(いざなぎのかみ)は、そのありさまを御覧になると、びっくりなすって、怖(おそろ)しさのあまりに、急いで遁(に)げ出しておしまいになりました。
 女神はむっくと起き上って、
「おや、あれほどお止(と)め申しておいたのに、とうとう私のこの姿を御覧になりましたね。まあ、何という憎いお方でしょう。人にひどい恥をおかかせになった。ああ、くやしい。と、それはそれはひどくお怒(いか)りになって、早速女の悪鬼(わるおに)たちをよんで、
「さあ、早く、あの神をつかまえてお出で。」と、歯がみをしながらお言いつけになりました。
 女の悪鬼(わるおに)たちは、
「おのれ、待て。」と言いながら、どんどん追っかけて行きました。
 伊弉諾神(いざなぎのかみ)は、その鬼どもにつかまっては大変だとおぼしめして、走りながら、髪の飾りにさしてある黒い葛(かずら)の葉を抜き取っては、どんどん後(うしろ)へお投げつけになりました。
 そうすると、見る見るうちに、その葛の葉のおちたところへ、葡萄の実がふさふさと実(な)りました。女鬼(おんなおに)どもは、いきなりその葡萄を取って食べはじめました。
 神はその間に、一生けんめいに駈け出して、やっと少しばかり遁(に)げ延びたとお思いになりますと、女鬼どもは、間もなく、またじき後(うしろ)まで追いつめて来ました。
 神は、
「おや、これはいけない。」とお思いになって、今度は、右の鬢の櫛をぬいて、その歯を引っ欠いては投げつけ投げつけなさいました。そうすると、その櫛の歯が、片はしから筍(たけのこ)になって行きました。
 女鬼たちはその筍を見ると、また早速引きぬいて、もぐもぐ食べ出しました。
 伊弉諾神(いざなぎのかみ)は、そのすきを狙って、今度こそは、大分(だいぶ)向うまでお逃げになりました。そしてもうこれなら大丈夫だろうとおぼしめして、ひょいと後(うしろ)を振り向いて御覧になりますと、意外にも、今度はさっきの女神のまわりにいた八つの雷神どもが、千五百人の鬼の軍勢を引きつれて、死にものぐるいで追っかけて来るではありませんか。
 神はそれを御覧になると、あわてて十拳(とつか)の剣(つるぎ)を抜きはなして、それでもって後(うしろ)をぐんぐん切りまわしながら、それこそ一生けんめいにお遁(に)げになりました。そして、ようよう、この世界と黄泉の国との境(さかい)になっている、黄泉比良坂(よもつひらざか)という坂の下まで遁(に)げ延びて入(い)らっしゃいました。

    三

 すると、その坂の下には桃の木が一本ありました。
 神はその桃の実を三つ取って、鬼どもが近づいて来るのを待ち受けて入(い)らしって、その三つの桃を力一ぱいにお投げつけになりました。そうすると、雷神たちはびっくりして、みんなちりぢりばらばらに遁(に)げてしまいました。
 神はその桃に向って、
「お前は、これから先も、日本中のものがだれでも苦しい目に合っているときには、今私(わし)を助けてくれた通りに、みんな助けてやってくれ。」と仰って、わざわざ大神実命(おおかんつみのみこと)というお名前をおやりになりました。
 そこへ、女神は、とうとうじれったくおぼしめして、今度は御自分で追っかけて入(い)らっしゃいました。神はそれを御覧になると、急いでそこにあった大きな大岩(おおいわ)を引っかかえて入(い)らしって、それを押しつけて、坂の口を塞いでおしまいになりました。
 女神は、その岩に遮(さえぎ)られて、それより先へは一足(ひとあし)もふみ出すことが出来ないものですから、恨(うらめ)しそうに岩を睨(にら)めつけながら、
「わが夫(おっと)の神よ、それではこのしかえしに、日本中の人を一日(いちんち)に千人ずつ絞(し)め殺して行きますから、そう思って入(い)らっしゃいまし。」と仰いました。神は、
「わが妻の神よ、お前がそんなひどいことをするなら、私(わし)は日本中に一日(いちんち)に千五百人の子供を生ませるから、一向かまわない。」と仰って、そのまま、どんどんこちらへお帰りになりました。
 神は、
「ああ、穢(きたな)いところへ行った。急いで体を洗って、穢れを払おう。」と仰って、日向(ひゅうが)の国の阿波岐原(あわきはら)というところへお出かけになりました。
 そこにはきれいな川が流れていました。
 神はその川の岸へ杖をお投げすてになり、それからお帯やお下袴(したばかま)やお上衣(うわぎ)や、お冠(かんむり)や、右左(みぎひだり)のお腕にはまった腕輪などを、すっかりお取りはずしになりました。そうすると、それだけのものを一つ一つお取りになるたんびに、ひょいひょいと一人ずつ、すべてで十二人の神さまがお生れになりました。
 神は、川の流(ながれ)を御覧になりながら、
  「上(かみ)の瀬(せ)は瀬が早い、
   下(しも)の瀬は瀬が弱い。」
と仰って、丁度いいころ合(あい)の、中程(なかほど)の瀬にお下(お)りになり、水をかぶって、お体中をお洗いになりました。すると、体についた穢(けが)れのために、二人の禍(わざわい)の神が生れました。それで伊弉諾神(いざなぎのかみ)は、その神がつくり出す禍をお除(と)りになるために、今度は三人のよい神さまをお生みになりました。
 それから水の底へもぐって、お体をお清めになる時に、またお二人の神さまがお生れになり、その次に、水の中にこごんでお洗いになる時にもお二人、それから水の上へ出てお滌(すす)ぎになるときにもお二人の神さまがお生れになりました。そしてしまいに、左の目をお洗いになると、それと一緒に、それはそれは美しい、貴(とうと)い女神がお生れになりました。
 伊弉諾神(いざなぎのかみ)は、この女神さまに天照大神(あまてらすおおかみ)というお名前をおつけになりました。その次に右のお目をお洗いになりますと、月読命(つきよみのみこと)という神さまがお生れになり、一ばんしまいにお鼻をお洗いになるときに、建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)という神さまがお生れになりました。
 伊弉諾神(いざなぎのかみ)はこのお三方(さんかた)を御覧になって、
「私(わし)もこれまでいくたりも子供を生んだが、とうとうしまいに、一等よい子供を生んだ。」と、それはそれは大喜びをなさいまして、早速玉のお頸飾(くびかざり)をおはずしになって、それをさらさらと揺(ゆ)り鳴らしながら、天照大神(あまてらすおおかみ)にお上げになりました。そして、
「お前は手へ上(のぼ)って高天原(たかまのはら)を治めよ。」と仰いました。それから月読命(つきよみのみこと)には、
「お前は夜の国を治めよ。」とお言いつけになり、三ばん目の須佐之男命(すさのおのみこと)には、
「お前は大海(おおうみ)の上を治めよ。」とお言いわたしになりました。



・「一しょ」「一緒」等(など)表記の不統一が見られるが、当時の出版状況としては本を出すスピードが最優先され、あまり校正に手間をかけなかったのかも知れない。
前出「オルフェウスとエウリディケ」との類似性は以前から言われているようだ。筆者のような無学者にはよくわからないが。

第百十段2022年06月13日

「コミック・バンド」からの連想。

先日、NHKのミニ番組で久し振りに坊屋三郎氏を観た。
「あきれたぼういず」のメンバーだった人である。その頃のことはよく知らないが、印象に残っているのは某テレビのCM。

坊屋「くいんとりっくす」
外人「Quintrix」
坊屋「く・い・ん・と・りっ・く・す」
外人「Quintrix」
坊屋「あんた、訛ってるね」

と言った感じだったと思う。

ひょっとしたら、現在でも笑えないかも知れない……状況に依っては。