妻を尋ねて幽界まで 42022年06月12日

(四)墓上(ぼじょう)のナイチンゲール

 アルゴー艦の遠征を終って再びトラキヤの故郷へ帰った後、オルフェウスは、なおもその国民の為に、様々の功業(こうぎょう)を立て、勇士として衆人の渇仰(かつごう)を得たけれども、一度受けた胸の傷は、終(つい)に癒える時が来なかった。トラキヤの林は、再び彼の悲しい歌を聞いて、反響のむせびを繰り返した。彼の心は、絶えず妻の後を慕って、死の領土に憧れていた。
 そのうちに、ふとしたことから彼の望みの達せられる日が来た。その時、彼は静かな林の奥で、小川の岸に坐っていた。すると遙かに遠くの方から、ざわざわと騒ぎ立てる沢山の人声(ひとごえ)が聞えて来た。そしてその騒音が近づくにつれて、譬えば海辺へ打ち上げられた腐肉に寄りたかる鴎(かもめ)の叫び声が、空に翔ける雲雀(ひばり)の歌をかき消すように、オルフェウスの竪琴の音(ね)をかき消してしまった。
 その日は丁度ディオニソスの祭の日であった。ディオニソスを信ずる男女の群は、半人半山羊(サチロス)や、半人半馬(ケンタウル)の群に囲まれながら、酔い狂って森の中へ乱入して来た。
 トラキヤの女らは、オルフェウスに対して、久しく遺恨を抱(いだ)いていた。彼等はこの詩人の悲曲を聞き、彼がもうこの世にいない恋人に向って、変らぬ熱情を寄せるのを見て、嫉妬の心に駆られて、何とかして彼を擒(とりこ)にしてやろうと、さまざまに心を砕くのであった。けれどもオルフェウスは、こういう女らの火のような言葉にも耳を傾けず、森の中を踊り廻る艶な姿にも、けばけばしい色彩にも、目を呉れなかった。
 女らは今日迄もこの詩人から受けた冷遇と侮辱とを忍んでいたが、この日ディオニソスの酒宴で爛酔(らんすい)すると共に、女らはもう気が荒くなっていた。彼等はオルフェウスの竪琴の澄んだ音色を聞くや否や、日頃の恨みを報いるのはこの時だとばかりに、怒り狂って押し寄せて来た。彼等は手に手に石を拾って、オルフェウスを目がけて投げ付けたけれども、竪琴の音(ね)の聞える処まで来ると、石は残らず地に落ちて、オルフェウスの身には何の害も加えなかった。これを見ると、女らはいよいよ狂い立って、野獣のような叫び声を上げて、オルフェウスの周囲へ殺到する、と見る間(ま)に、彼の上へ押し重なって、とうとう息の根を止めてしまった。
 血に狂った女らは、詩人の手足をばらばらに引きちぎって、その首と血に染まった竪琴とを、河の中へ投げ込んでしまった。その時、河の流れは、ゆるゆると詩人の遺物を運んで行く間に、竪琴は尚(なお)その悲曲を奏で、詩人の白い唇は、絶えずその恋人の名を囁いていた。
 ムウザの神々は、やがてオルフェウスの身体(からだ)の断片を拾い集めて、オリムポス山の麓にあるリベトレラの野へ葬った。それ以来、春毎(はるごと)にこの詩人の墓の上で囀(さえず)るナイチンゲールの音(ね)は、ギリシャの他の地方では聞かれない美妙(びみょう)な調子を帯びるようになった。彼等の囀る妙音楽(みょうおんがく)は、不朽の愛の歌である。死後の生(せい)の歌である。死の力にも征服されない強い愛の歌である。そしてオルフェウスは、この地上の音楽に耳を澄ましながら、今では心のままにその恋人の手を取って、墓の下をさまよっている。

 オルフェウスの物語は、西の海に沈んで行く太陽の物語だというひとがある。オルフェウスを太陽とすれば、エウリディケは薔薇色の曙である。彼は短命な妻の後(あと)を慕って、暗黒な夜の淵に下って行った。オルフェウスの物語は、また原始時代の人類が音楽によって感じる悦びを現わしたものだとも言える。また或いはこんな解釈を下した人もある。オルフェウスは、木(こ)の間(ま)をかすめて、自然の音楽を奏でて行く風を人格化したものである。そしてエウリディケは、短命な、そして美しい朝であると。
 こういう色々な解釈が付けられるけれども、兎に角、この物語によって我々の胸にかき立てられる、細(ほそ)い、淋しい情の音色(ねいろ)は、今しも日が山の端(は)に沈んで、野も山も灰色の夕靄(ゆうもや)の底に包まれて行く時に、或いは淋しい夕暮の野原をさまよっている間に、ふと遠くから、笛の音(ね)が耳へ入る、そういう時に感じるような、胸に染み込む悲しさに似通ったものである。


・補記。
オッフェンバックの『天国と地獄(Orphee aux Enfers)』以外に、映画『黒いオルフェ(Orfeu Negro)』も、これを原話としている。
後者では「Manha de Carnaval」が単独の楽曲として有名だが個人的には「Samba de Orfeu」の方が好ましい。一般的に、短調より長調の曲が好きなのである。

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