第七十一段 ― 2022年02月23日
またもや予期せぬ物が出て来た。
『まえがき』
ある、丹念にものをしらべる人が、いったい明治以来、「西遊記」と名のつくものが、どのくらい出版されたかと、しらべてみたところ、ゆうに三百種に達していることが、わかったそうです。しかもその九割以上が、青少年のためのものであります。もっとも、それらはほとんどが、徳川時代に訳された日本訳から、ダイジェストされたものばかりではありますが。
このように「西遊記」は、日本の少年に愛好されてきましたが、「西遊記」のほんもとの中国でも、この本は、青少年の愛読書の随一(ずいいち)となってきました。
わたくしはかつて、したしく、中国から来ている留学生に、たずねてみましたところ、かれらもみな、中学生か小学生の時代に、「西遊記」を読んだことを告白しています。また現在、中華人民共和国の毛沢東主席(もうたくとうしゅせき)も、少年時代に本書を読んだことを、その自伝にのべています。なおおもしろいことには、猛主席は、学校で課せられた本よりも、小説の「三国志」や「西遊記」を、かくれて読んだことが、将来、ずっとためになったことをつけ加えています。
しかし「西遊記」の原本は、もちろん、おとなのために書かれたもので、青少年にはわからないところもあり、また教育上おもしろからぬところも、少しはあります。そこで中国でも、青少年のための抄本(しょうほん)や、かんたんなダイジェストがたくさん出ました。が、少年たちは、そんな片々(へんぺん)たるものにはあきたらず、やはり原本を、内証(ないしょ)で読んでしかたがありません。そんなわけで、ついに方明(ほうめい)という人が、原本の一部をけずり、価値のあるところ、おもしろいところをぜんぶ生かして、青少年のための、模範的底本をつくったのが、その「改編西遊記」であります。これはしかし、邦訳しますと、四百字原稿紙で二千数百枚にもなるもので、日本のダイジェスト本にくらべると、比較にならないほど、ぼう大なものです。
わたくしは戦前に、その「改編西遊記」を、全訳したことがありましたので、その経験を生かして、こんどこの「西遊記」三巻を、編訳することにいたしました。このくらいの紙数では、多少食いたりない点も生じますが、まあ、まあ、青少年のためのものとしては、満足できるのではないかと思っています。
さきに――「西遊記」は、徳川時代に訳されたと申しましたが、じつはあれは、四分の一あまりの編訳で、そのためでもありましょうか、巻中のあふれるようなユーモアや、しゃれや、こっけいが、大部分失われてしまっています。まして、それからまたダイジェストした少年ものは、ただ、いたずらに孫悟空の武勇伝、妖魔の変化(へんげ)くらべにすぎないものになっています。
また「西遊記」は、七十パーセントまでぐらいが、軽快な会話で、その会話の受けわたしで、描写的に構成されているものですが、旧訳はその会話の多くが失われ、ぜんたいが説明体になりおわっています。
なおまた、あまりみじかい旧訳では、孫行者(そんぎょうじゃ)、猪八戒(ちょはっかい)、沙和尚(さおしょう)その他の性格がはっきりせず、ことに孫行者にもおとらない立役者(たてやくしゃ)の、八戒の性格が、なおざりになっています。シェイクスピーアは、一万人の心をもっていたとかで、たくさんの人間の性格の型(かた)を、創造しましたが、そのなかでも――太っちょで、大食らいで、うそつきで、無類のこっけい家(か)で、人間のあらゆる欠点をそなえていながら、しかもどうしてもにくめない、あのフォールスタッフという人物が、一ばんの傑作であるとか、言いますが、このフォールスタッフに好一対(こういっつい)のものが、猪八戒であります。八戒こそは「西遊記」中で、いや中国の全古典小説中で、もっとも特色ある性格ではないかと、わたくしはひそかに信じています。なお孫悟空にしましても、原本で読みますと、いわゆる神通広大(じんずうこうだい)で、ただ強いばかりではなく、「仁(じん)も義(ぎ)もあり」、寝てもさめても、その師(し)を思う真情(しんじょう)にいたっては、じつに切々(せつせつ)たるものがあり、わたくしどもも、つい涙ぐまされてしまうくらいであります。
以上、くどくどとのべてまいりましたが、わたくしはこんど、新しく本書を編訳(へんやく)するにあたりまして、すこしでも旧訳の欠(けつ)をおぎなおうとし、また量もかつかつではありますが、その大作の特色を、うかがうに足るだけの分量とし、なるべく会話体を生かし、ユーモアや、しゃれはぜんぶとりいれ、全編いたるところに出てくる、格言や、興趣(きょうしゅ)ある俗諺(ぞくげん)の多くをもとり入れることにいたしました。それで、以前の邦訳(ほうやく)の「西遊記」を読まれた方でも、もいちど本書をひもといて、――じつに「西遊記」とは、こんなに内容の豊富なものであったか――と、西遊記観(かん)を、一新してくださる方があれば、わたくしの満足はこれにすぎません。(以下略)
1955(昭和30)年刊の『西遊記』より。編訳した伊藤貴麿(いとうたかまろ、1893年-1967年)の文章。この編集・翻訳の著作権は消滅している筈だから、閑に飽かせてそのうち中身もアップするかも知れない。
……「何を探していたか」という難問は未だ解けない。