第十六段 ― 2021年09月30日
「東京高裁の最終判決で、二俣事件の被告人Sが無罪の言渡を受けたのは、昭和三十二年十二月二十六日午前十時より十一時までの間であった(逮捕後実に八ヵ年)。弁護人であった私は、無罪言渡(いいわたし)を聞いた刹那、本当に涙を流して感激した。しかし、次の瞬間に、こう考えた。私ども、多年人権擁護をもって天職とする法曹としては、これは須藤一人のために喜んだだけでは未だその任務を尽したとは言われない。文化国家の建設を目的とする戦後の日本において、無実の青年が六年六ヵ月間も牢獄に繋がれ、これを含めて八年間も被告の地位に置かれ、公正なるべき日本の裁判官が、二度も誤って死刑の判決を宣告したという、世にも稀なる事件が、なぜ起ったのか。人権尊重を主義とする新刑事訴訟法の下において、現実の犯罪捜査が、どのような方法で行われたのか。公判がどう運ばれたのか。まずこれを世間に知ってもらわねばならない。これを世間に周知せしめて、世論を喚起し、その協力を得て、さらに捜査並(ならび)に司法の改革に進むのでなければ、私の世間に対する義務は解消しない。昭和三十四年二月十二日幸浦事件の四被告人が全部無罪の判決を受けたときには、さらにその感を深くした。まず、両事件の発生地である静岡県下の日刊紙静岡新聞に両事件の顛末を寄稿した。これらの文章では、両事件の実情を叙述し、正直に経過を描写するにつとめ、評論はなるべくこれを避け、読者自身において時弊匡救(じへいきょうきゅう)の策を考えていただくようにした。前述の目的のためには、ただに静岡県のみでなく、広く日本国内に知らすべき性質のものであるから、このたび日本評論新社に私の方から申出(もうしい)でて、出版してもらうこととした。本書が一冊でも多く読まれ、これが動機となって、犯罪捜査並(ならび)に司法の改革運動が一歩前進することとなったならば、どんなに嬉しいことであろう。切に世間の皆様の御侠助を願う。
昭和三十四年三月十二日 清瀬一郎」
『拷問捜査 幸浦・二俣の怪事件』日本評論新社(1959年刊)より「本書刊行の目的」。
原文はすべて実名であるが、人名のみ仮名とした。