『猫』の言葉遊び2023年01月14日

『吾輩は猫である』から、漱石の言葉遊びについて。

・三章。
「七代目樽金」。
迷亭の台詞にある通り、「タークヰン、ゼ、プラウド(Tarquin the Proud)」=「Tarquinius Sperbus」の宛字ギャグ。


尤も、前述のように明治期の翻訳では西洋人の名に漢字を宛てる事が多かったので、特にギャグと言う程の積りは無かったかも知れない。黒岩涙香『鉄假面』に関しては触れたので別例を。

森田思軒『十五少年』より。
 「ブリアン」→「武安」
 「ドノバン」→「杜番」
原作は無論ジュール・ヴェルヌ。

・五章。
「オタンチン・パレオロガス」。
「コンスタンチン・パレオロガス(Constantinus Palaeolegus)」の「コンスタンチン」と言う人名を「おたんちん」と言う罵倒語に置き換えた洒落(地口)。
私事だが、筆者は子供の頃この語を「おんたんちん」と言っていた。或る時、友人から「それ『おたんちん』だろ」と注意され誤りに気付いた。どうやら「あんぽんたん」と混同していたようだ。

・十一章。
「づうづうしいぜ、おい」
「Do you see the boy か。(以下略)」

前者は八木独仙、後者は例によって迷亭の台詞。いかにも漱石らしい地口である。

なお、画像はいずれもウィキペディアより。

・追記(25日)。
こう言う場合、「洒落」は問題ないが「地口」はビミョーとの由。
「掛詞」或いは「懸詞」(読みはいずれも「かけことば)と言う語が無難らしい。
如何なるジャンルにせよ、「ギョーカイ・ヨーゴ」と言う奴はややこしい物である。

コメント

トラックバック