人は何で生きるか 82022年08月22日

    八

 それからまた一年たち二年たって、ミハイルがセミョーンのところへ来てから六年になりました。相変わらず同じ暮らしぶりで、どこへも行かず、何一つよけいなことをいいません。そのあいだ、にっこり笑ったのはたった二度だけ、一度は女房が夜食の用意をしたとき、いま一度は旦那を見たときです。セミョーンは自分の下職がうれしくってたまりません。もう今では、おまえはどこから来たなどとたずねもせず、ただミハイルが出て行かねばいいがと、そればかり心配していました。
 あるときみんな家にいて、女房は竈(かまど)に鍋をかけており、子供は床几(しょうぎ)から床几へかけ回って、窓の外を見ていました。セミョーンは窓ぎわで靴をぬい合わせているし、ミハイルはべつの窓のそばでかかとを打ちつけていました。
 すると、一人の男の子が床几づたいにミハイルのそばへかけ寄って、その肩にもたれながら、じっと窓の外を見ています。
「ミハイルおじさん、見てごらん、どこかのおかみさんが女の子を二人つれて、どうやら家へ来るようだよ。女の子は一人びっこだあ」
 男の子がそういうが早いか、ミハイルは仕事をうっちゃって、窓のほうへふりむき、じっと外をながめはじめました。
 セミョーンも驚きました。今までミハイルが外をながめることなど、ついぞ一度もなかったのに、今は窓にぴったり顔をおしつけて、何やら見つめています。で、セミョーンも窓の外を見ると、ほんとうにさっぱりした身なりをした一人の女が家のほうへ来るところでした。毛皮外套を着て、厚いきれを頭にかぶった二人の女の子の手をひいています。女の子はおたがいによく似ていて、見分けがつかないくらいです。ただ一人のほうは片足わるくして、軽くびっこをひきながら歩いています。
 女は入り口の階段をのぼり、入り口の間へはいって、戸口をさぐり、ハンドルを回して戸をあけると、まず二人の女の子を中へ入れて、自分も部屋へはいって来ました。
「こんにちは!」
「どうぞお通り。何ご用ですね?」
 女はテーブルのそばに腰をおろしました。二人の女の子はその膝にひしと寄りそって、人見知りをするようすです。
「いえね、この子供たちに春はかせる皮の靴をつくってやろうと思いましてね」
「なに、よろしゅうございます。わっしどもはそんな小さい靴をぬったことはありませんが、なに、なんだってできますよ。縁飾りのついたのでも、裏に布をつけて折り返したのでも。このミハイルがなかなかじょうずでしてね」
 セミョーンがミハイルをふり返って見ると、ミハイルは、仕事をおっぽりだして、じっとすわったまま、二人の女の子から目を放そうとしません。
 セミョーンはそのようすを見てびっくりしました。なるほど、二人ともかわいい子でした。目が黒くって、ふっくらして、頬に赤みがさし、身につけている毛皮外套も、頭にかぶっているきれもいいものでしたが、それでもどうしてミハイルが一心に見とれているのか、合点がいきませんでした。まるで二人の女の子が知り合いででもあるようなふうなのです。
 セミョーンはいぶかしみながらも、女のほうにむきなおって値段のとりきめにかかりました。すぐに折り合いがついて、寸法をとることになりました。女はびっこの女の子をだき取って、膝にのせました。
「ね、この子のは寸法を二とおり取ってくださいな。曲がった足のほうは一足分だけにして、まっすぐな足のほうを三足分つくってもらいたいんですの。二人とも足の寸法は同じで、まるで変わりがないんですよ。ふたごでしてね」
 セミョーンは寸法を取って、びっこのほうをさしていいました。
「この子はなんだってこんなことになったんです? こんなかわいい子なのに。生まれつきなんですかね?」
「いいえ、母親がおし曲げたんですの」
 そこへマトリョーナが口を入れました。どこの女か、だれの子か、聞きたかったので、こういいました。
「じゃ、あなたはこの子たちのお母さんじゃないんですか?」
「わたしは母親でもなければ、親類でもありませんよ、おかみさん。あかの他人で、ただひき取って養ってるだけなんですの」
「自分の子でなくたって、不愍(ふびん)をかけずにはいられますまいねえ!」
「そりゃ不愍をかけずにはいられませんとも。わたしは二人とも、自分の乳で大きくしたんですもの。自分の子供もありましたが、神様がおめし寄せになりましてね。その子はそれほどかわいそうでもありませんでしたが、この二人はほんとうにかわいそうで」
「でも、いったいだれの子たちですの?」

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