人は何で生きるか 42022年08月13日

    四

 マトリョーナは足をとめていいました。
「もしいい人間だったら、裸なんかでいるはずがない。ところが、この男はシャツも着ていないんだからね。もしおまえさんが、悪いことをしたんでなければ、どこからこの伊達男をつれて来たのか、いいそうなもんじゃないか」
「だから、そういってるじゃないか。おれが帰って来ていると、辻堂のそばにこの男がすっ裸ですわったまま、もうすっかりこごえきっているのだ。もう夏でもないのにすっ裸なのさ。まあ、いいあんばいに、神様がおれをさしむけてくだすったからいいようなものの、さもなければ、死んでしまうところだったんだよ。世の中にゃどんなことがないともかぎりゃしない! と思って、長外套を着せて、ここまでつれて帰ったのさ。マトリョーナ、おまえも気を静めなさい、罪だぜ。おれたちも一度は死んでいくからだなんだからな。」
 マトリョーナは悪態をつこうと思いましたが、ひょいと見知らぬ男を見ると、口をつぐんでしまいました。男はじっとすわっています。床几(しょうぎ)の端に腰をおろしたきり、身動きもしません。両手を膝の上にそろえ、首を胸の上にたれ、目もあけないで、何かにのどでもしめられるように、じじゅう顔をしかめています。マトリョーナがだまっているので、セミョーンはこういいました。
「マトリョーナ、いったいおまえにゃ神様がないのか?」
 このことばを聞くと、マトリョーナはもう一度見知らぬ男のほうを見やりました。すると、胸のむしゃくしゃがおさまったので、戸口から離れて、暖炉のある片隅へ行き、夜食の支度をはじめました。碗をテーブルの上に置き、クワスをついで、なけなしのパンのはしっこをその中にくだいて入れました。それからナイフとスプーンを出して、
「まあ、おあがり」といいました。
 セミョーンは見知らぬ男をひっぱってきて、
「さあ、こっちイ寄んなさい、若い衆」
 セミョーンはパンを切って、こなごなにし、二人で食べはじめました。マトリョーナはテーブルの片隅にすわって、片手をひじつきしながら、見知らぬ男をながめていました。
 すると、マトリョーナはこの男がかわいそうになり、好きにさえなりました。そのとき不意に見知らぬ男は楽しそうな顔つきになり、眉をしかめるのをやめて、マトリョーナのほうに目をあげて、にっこり笑いました。
 夜食がすんだので、女房はテーブルをかたづけ、見知らぬ男にたずねました。
「いったいおまえさんはどこの人なの?」
「私はここのものではありません」
「どうしてあの街道などにいたの?」
「それはいうわけに、いきません」
「追いはぎにでもあったの?」
「私は神様のばちがあたったのです」
「それで、すっ裸で寝ていたの?」
「それで、すっ裸で寝ていて、こごえ死にそうになったのです。それをセミョーンが見つけて、かわいそうに思って、着ている長外套をぬいで、私に着せてくれ、ここへいっしょに来るようにといったのです。ところが、ここへ来ると、あなたが私をかわいそうに思って、飲んだり食べたりさせてくれました。あなたがたには神様のお恵みがあるでしょう!」
 マトリョーナは立ちあがって、ちょうどつくろったばかりのセミョーンの古いシャツを窓から取って、見知らぬ男にわたしました。なおそのほかももひきも見つけてわたしました。
「まあまあ、見ればシャツも着ていないじゃないか。さあ、これを着て、どこでも好きなところへ寝なさい、寝板の上なりと、暖炉の上なりと」
 見知らぬ男は長外套をぬいで、シャツを身につけ、寝板に身を横たえました。マトリョーナはあかりを消して、長外套を取りあげ、亭主のところへ行きました。
 マトリョーナは長外套の片端をかぶって横になりましたが、どうも寝られません。いつまでも見知らぬ男のことが頭を離れないのです。
 あの男が残りのパンのはしっこを食べてしまったので、明日のパンがないことを思いだし、シャツもももひきもやってしまったことを思いだすと、とてもさびしい気がしましたが、男がにっこりしたことを思いだすと、胸が晴ればれとしてくるのです。
 長い間マトリョーナは寝つかれませんでした。セミョーンもやっぱり寝られないで、しきりに長外套をひっぱっているようすです。
「とっときのパンを食べてしまったし、ねり粉を竈に入れておかなかったから、明日はどうしたらいいかわからない。隣のマラーニャさんに貸してもらおうかねえ」
「命さえありゃ、ひもじいめはしないですむよ」
 女房はしばらくだまって、じっと寝ていました。
「でも、あれはどうやらいい人らしいけれど、どうしてじぶんのことを話さないのかしら?」
「きっといえないわけがあるのだろう」
「セミョーン!」
「うん?」
「わたしたちは人に恵んでやるのに、どうしてだれもわたしたちに恵んでくれないんだろうねえ?」
 セミョーンはなんといったらいいかわかりませんでした。「ぐずぐずいうことはいらないよ」といっただけで、くるりと寝返りを打ち、そのまま眠ってしまいました。

年を取った獅子 イソップ2022年08月13日

年を取った獅子 イソップ 楠山正雄訳

 獅子が年をとって、もう自分の力で獲物を捕まえる力がなくなったので、狡猾にも坐っていて獲物を釣る工夫を考え出した。それは、自分は洞穴(ほらあな)の中に引籠(ひきこも)って、病気のふりをして寝ている、そして誰でも外(ほか)の動物が、病気の見舞いにと云って中へ入ってくる奴を捕まえては食べてしまうのだ。こういう手段にかかって、幾頭となく獅子のために命を落すものができたが、ある日のことである。一匹の狐がこの洞窟(ほらあな)を訪問したとき、どうも様子がおかしいと思って、わざと外(そと)から声をかけて御機嫌は如何(いかが)とたずねた。獅子は、どうもひどくいやな気分だと云って、
「でも」
と言葉を改め、
「なんだって君は外に立っているのだ。まあ中へ入ってくれたまえ。」
というと、
「それはそうしたいのですが」
と、狐は答えた。
「どうもここの足跡がみんな洞(ほら)の中へ向ったものばかりで洞の外へ出た物が一つも見当りませんからなあ」
と云った。



・いわゆる探偵小説(detective story)の原型と言われる物語(story)の一つ。