『吾輩は猫である 六』 冒頭2022年06月27日

        六

 かう暑くては猫と雖(いへども)遣(や)り切れない。皮を脱いで、肉を脱いで骨丈(ほねだけ)で涼みたいものだと英吉利のシドニー、スミスとか云ふ人が苦しがつたと云ふ話があるが、たとひ骨丈にならなくとも好いから、責めて此(この)淡灰色(たんくわいしよく)の斑入(ふいり)の毛衣(けごろも)丈は一寸洗ひ張りでもするか、もしくは当分の中(うち)質にでも入れたい様な気がする。人間から見たら猫抔(ねこなど)は年(ねん)が年中同じ顔をして、春夏秋冬一枚看板で押し通す、至つて単純な無事な銭のかゝらない生涯を送つて居(ゐ)る様に思はれるかも知れないが、いくら猫だつて相応に暑さ寒さの感じはある。たまには行水の一度位あびたくない事もないが、何しろ此毛衣の上から湯を使つた日には乾かすのが容易な事でないから汗臭いのを我慢して此年になる迄洗湯(せんたう)の暖簾を潜(くゞ)つた事はない。折々は団扇でも使つて見様と云ふ気も起らんではないが、兎に角握る事が出来ないのだから仕方がない。夫(それ)を思ふと人間は贅沢なものだ。なまで食つて然る可(べ)きものを態々(わざわざ)煮て見たり、焼いて見たり、酢に漬けて見たり、味噌をつけて見たり好んで余計な手数(てすう)を懸けて御互に恐悦して居(ゐ)る。着物だつてさうだ。猫の様に一年中同じ物を着通せと云ふのは、不完全に生れ付いた彼等にとつて、ちと無理かも知れんが、なにもあんなに雑多なものを皮膚の上へ載せて暮さなくてもの事だ。羊の御厄介になつたり、蚕(かひこ)の御世話になつたり、綿畠(わたばたけ)の御情けさへ受けるに至つては贅沢は無能の結果だと断言しても好い位だ。衣食は先づ大目に見て勘弁するとした所で、生存上直接の利害もない所迄此調子で押して行くのは毫(がう)も合点が行かぬ。第一頭の毛などゝ云ふものは自然に生えるものだから、放つて置く方が尤も簡便で当人の為になるだらうと思ふのに、彼等は入(い)らぬ算段をして種々雑多な恰好をこしらへて得意である。坊主とか自称するものはいつ見ても頭を青くして居(ゐ)る。暑いと其上へ日傘をかぶる。寒いと頭巾で包む。是では何の為めに青い物を出して居(ゐ)るのか主意が立たんではないか。さうかと思ふと櫛とか称する無意味な鋸様(のこぎりやう)の道具を用ゐて頭の毛を左右に等分して嬉しがつてるのもある。等分にしないと七分三分の割合で頭蓋骨の上へ人為的の区画を立てる。中には此仕切りがつむじを通り過して後ろ迄食(は)み出して居(ゐ)るのがある。丸で贋造の芭蕉葉(ばせうは)の様(やう)だ。其次(そのつぎ)には脳天を平らに刈つて左右は真直(まつすぐ)に切り落す。丸い頭へ四角な枠をはめて居(ゐ)るから、植木屋を入れた杉垣根(すぎがきね)の写生としか受け取れない。此外(このほか)五分刈、三分刈、一分刈さへあると云ふ話だから、仕舞(しまひ)には頭の裏迄刈り込んでマイナス一分刈、マイナス三分刈などゝ云ふ新奇な奴が流行するかも知れない。兎に角そんなに憂身(うきみ)を窶(やつ)してどうする積りか分らん。第一、足が四本あるのに二本しか使はないと云ふのから贅沢だ。四本であるけば夫丈(それだけ)はかも行く訳だのに、いつでも二本で済(すま)して、残る二本は到来(たうらい)の棒鱈(ばうだら)の様に手持無沙汰にぶら下げて居(ゐ)るのは馬鹿々々しい。是で見ると人間は余程猫より閑(ひま)なもので退屈のあまり斯様ないたづらを考案して楽(たのし)んで居(ゐ)るものと察せられる。但(たゞ)可笑しいのは此閑人(ひまじん)がよると障(さ)はると多忙だ多忙だと触れ廻はるのみならず、其顔色が如何にも多忙らしい、わるくすると多忙に食ひ殺されはしまいかと思はれる程こせついて居(ゐ)る。彼等のあるものは吾輩を見て時々あんなになつたら気楽でよからう抔(など)と云ふが、気楽でよければなるが好い。そんなにこせこせして呉れと誰も頼んだ訳でもなからう。自分で勝手な用事を手に負へぬ程製造して苦しい苦しいと云ふのは自分で火をかんかん起して暑い暑いと云ふ様なものだ。猫だつて頭の刈り方を二十通りも考へ出す日には、かう気楽にしては居られんさ。気楽になりたければ吾輩の様に夏でも毛衣を着て通される丈の修業をするがよろしい。――とは云ふものゝ少々熱い。毛衣では全く熱(あ)つ過ぎる。
(後略)



・Sydney Smith(1771年-1845年)。
もしやと思いウィキペディアにあたったら、まさかの原文があった(Wikiquote)。

"Heat, ma'am!" I said; "it was so dreadful here, that I found there was nothing left for it but to take off my flesh and sit in my bones."

漱石の厖大な読書量と記憶力には畏れ入るばかりである。

コメント

トラックバック