メデューサの首 3 ― 2022年06月03日
(三)難題
セリフォスへ帰って見ると、留守中に、母はポリデクテスの宮中で、奴隷として様々な苦役(くえき)をさせられていた。ペルセウスは母を捜して留守中の様子を聞くと、ダナエは涙を流しながら、王が結婚を迫った事、自分が王の意に従わなかったので、奴隷にして、あらゆる迫害を加えた事を話して、身体(からだ)の傷まで出して見せた。それを見たり聞いたりするにつけても、ペルセウスは、直ぐに王宮へ跳び込んで、一太刀(ひとたち)王に恨みを報いたいと思ったが、母に止められて、暫く時期を待つ事にした。
すると或る日、王は宴会を開いて、島中の者を招待した。その日招待を受けた者は、銘々に自分の身分に相当した贈物を持って行く例になっていたが、ペルセウスは何も持って行く物が無いので、王宮の前まで来て、自分一人贈物を持たないのを見ると、きまりが悪くなって、門を入りかねて、乞食のように立っていた。平生(ふだん)からペルセウスを嫉(ねた)んでいた島の青年らは、この様子を見ると、彼の周囲を取り巻いて、口々に嘲弄する。
「お前は何時(いつ)も人間の子で無いと言って威張るが、今日は一つ神様の贈物を拝見したいものだ!」
すると王もそこへ来て、みんなと一処(いっしょ)にペルセウスを愚弄(なぶ)り出した。
「さあ、神様の息子が持って来た贈物を、おれにも見せて貰いたいね!」こう言って、王はだぶだぶした頬と、締りのない口を震わしながら、面白そうに笑った。
その時ペルセウスは、屹(きっ)と顔を上げて、ポリデクテスの顔を睨んだが、誰の眼にも神の子と思われるような、気高い様子と、力のある声でこう言った。
「おお、神の贈物を見せてやろう。本当に神の贈物を見せてやる。俺の贈物はメデューサの首だ!」
これを聞くと、王の口からも、その周囲に立っていた人々の口からも、一度に笑い声が出かかったが、ペルセウスが王宮へ背を向けて、大跨(おおまた)に歩き出した姿を見ると、急に出かかった笑いを飲み込んでしまった。
その時ペルセウスは、パラス・アテーネが、天の霊火(れいか)を自分の胸へ吹き込んだような気がして、心は功名の念で燃え立って、最後の血の一滴を濺(そそ)ぐまでも、この事業を続けようと決心した。
ペルセウスは島人の無礼を心の底に憤りながら、王宮を後にして、海岸へ下って来た。彼の心は、復讐の念と、功名の火で燃えていたが、眼の前に拡がった大海の面(おもて)は、底知れぬ神秘の色を湛(たた)えて、打寄せる波は、人の心を和らげるような優しい囁きを洩らしていた。
「パラス・アテーネが来て呉れれば――あの夢が真実なら――」と彼は胸の中で考えた。
世の中の青年と同じように、ペルセウスも華々しい功名を夢み、人のしないような冒険に胸を躍らす青年であった。
「パラス・アテーネよ、どうぞ此処へ来て、私の夢を事実にして下さい!」
ペルセウスは砂の上へ跪(ひざまず)いて、一心に祈った。
彼の祈りは答えられた。
藍を溶かしたような空の果てに、一点の銀色の雲が現われた。見るうちに雲は次第に大きくなり、刻々に近づいて来た。遂にその中から夢に見たとおりのパラス・アテーネの姿が現われて、懐かしい笑顔を彼に向けた。併し今度はアテーネだけでなく、その側(そば)に、翼のある沓(くつ)をはいた使神ヘルメスが立っていた。その時パラス・アテーネは、鏡のように研ぎすました銀の楯をペルセウスの手に渡して言った。
「メデューサを見ずに、只ここへ映った影を目当てに、一刀の下(もと)に切り落さなくてはいけない。そして首が落ちたら、大急ぎでこの楯に結び付けてある山羊の皮へ包んで、持っておいで。」
「ですが、どうしてこの海の上を越えたらいいでしょう?」とペルセウスが尋ねる。「ひと飛びにのして行けるような翼が欲しい。」
するとヘルメスが、笑いながら進んで、ペルセウスの肩へ手を置いた。
「私のこの沓を貸して上げる。どんな海鳥でも、この沓を追い越すものはない。」
「もう一つ上げるものがある。」とアテーネが言った。「神の賜物として、この剣(けん)を佩(さ)げてお出で。」
ペルセウスは神々の賜物(たまもの)を受けたが、まだ何か考えて、もじもじしていた。
「母に暇乞いをして行ってはいけませんか?」と彼は女神の顔を見て言った。「あなたにも、ヘルメスの神にも、ゼウスの大神にも、供え物をして行きたいのですが。」
併しアテーネはそれを許さなかった。母の涙を見たら、張りつめた気が弛(ゆる)むだろう、又オリムポスの神々への供物(くもつ)としては、メデューサの首に越した物はないからと言うのであった。
そこでペルセウスは、勇猛な若鷲(わかわし)のように、両手を拡げて、岩から飛び下りると、翼のある沓は、彼をのせたまま、北の国をさして、海の上を走って行った。