ヘラクレスの十二の課役 62022年05月11日

(一〇)怪鳥スチムファリデス

 ヘラクレスはエリスから帰って、チリンスの城門まで来たが、陰険なエウリステウスは、ヘラクレスがエリス王にその仕事の報酬を請求したことを聞いて、この仕事を無効だと宣言して、直に第六の仕事を命じた。
 アルカヂヤの北部にスチムファロスという谿谷(けいこく)がある。昔はこの谿谷の口が自然の障壁で塞がれていたので、四方(しほう)の山から流れ落ちる水は、この谷の裡(うち)にたまって、一つの湖水を形造(かたちづく)っていた。この山中の湖水に、スチムファリデスという怪鳥が棲(す)んで、この附近を荒らした。この鳥は鋼鉄の嘴(くちばし)と爪があって、その羽の尖端(さき)はまるで箭(や)のように尖(とが)っていた。ヘラクレスの課せられた第六の仕事は、この怪鳥を退治することであった。
 ヘラクレスは湖水の畔(はた)へ来て見ると、怪鳥は湖水を取巻(とりま)いた深林(しんりん)に潜んでいて、一向に姿を見せないので、流石(さすが)の勇士も手の出しようがなく、少時(しばし)は途方に暮れて、ぼんやり立っていた。その時アテーネの女神が現われて、怪鳥の群(むれ)を駆(か)り立てるために、一個の黄銅の太鼓を渡したので、彼は直に山上へ登って、この太鼓を鳴らして、鳥を嚇(おど)しながら、飛立(とびた)つ所を射(い)て落した。
 この時スチムファリデスの多くは、ヘラクレスの箭に当って死んだが、箭を脱(のが)れたものも、余程(よほど)遠方へ逃げのびたと見えて、この後(のち)は二度とギリシヤの地へ寄りつかなかったということである。この時ヘラクレスは又(また)地下の水路を造って湖水の水を流したので、スチムファロスの湖水はこの時から消滅したと伝えられる。

ヘラクレスの十二の課役 72022年05月11日

(一一)クレテ島の猛牛(もうぎゅう)

 クレテ島にミノスという有名な王があって、沢山の牛を有(も)っていた。海神(かいじん)ポサイドンが或時(あるとき)ミノス王に向って、その家畜の一つを犠牲に供(そな)えよと命じた時、王は貪欲(どんよく)な心から、こう答えた。
「私の家畜の中には、神様の前に供えられるようなものは一つもありません。」
「それならば、海から現われた最初の動物を取って、犠牲にしろ!」
 こう言って、海神は世界中に類のない程の美事(みごと)な牡牛(おうし)を、海の中から出現させた。
 併(しか)しミノス王はこの立派な牛を一目(ひとめ)見ると、日頃の慾心(よくしん)がむらむらと発(おこ)って、窃(そっ)と自分の飼っていた牛とすりかえてしまった。其処(そこ)で海神はミノス王の不敬な心を憤(いきどお)る余り、自分の贈った牛を狂乱(きちがい)にして、島中(しまじゅう)を荒らさせたのである。この怖ろしい猛牛(あれうし)を押(おさ)えて来いということが、エウリステウスの課した第七の仕事であった。
 ヘラクレスがクレテ島へ着いて、ミノス王の前でこの希望を述べると、王は喜んで種々(いろいろ)の便宜(べんぎ)を与えて呉れた。何人(なんぴと)の手にも負えなかったこの猛獣も、ヘラクレスの前へ出ると、柔和(すなお)に膝を折って、屈伏(くっぷく)した。ヘラクレスは牛の背に乗って海を渡り、チリンスへ帰ってエウリステウスに献(けん)じた。
 その後エウリステウスがこの牛を野へ放すと、又(また)急に暴れ出して、ラコニヤ、アルカヂヤの野を荒し廻った後(のち)、地峡(ちきょう)を越えてアッチカの地へ入ったが、終(つい)にアッチカの英雄王テセウスの手にかかって退治されたと伝えられている。