頸飾 モーパッサン 前田晃訳2022年04月05日

「頸飾」 モーパッサン 前田晃訳。


 美しい愛嬌のある娘が、運命の神が間違ひでもしたやうに、下つぱの役人の家などに生れるものだが、彼女もその一人であつた。持参金もなければ遺産を譲られる目当もなく、金持や名の聞えた人などに知られたり、理解されたり、愛されたり、求婚されたりするやうなこともなかつたので、文部省に勤めてゐる薄給の属官の許に嫁いでいつた。
 もとより着飾ることなどは出来なかつたので、質素な服装をしてゐたが、心の中では落ちぶれでもしたやうな気がして面白くなかつた。実際、女に取つては、地位も階級もあつたものではなく、ただ縹緻(きりやう)が好くて、上品で、愛嬌のあるといふことが、血筋や家柄の代りになるものだからである。生れついて美しく、天性が優雅で、気持が素直でさへあれば、それが即ち唯一の地位で、賤(しづ)の女(め)から一足飛(いつそくと)びに高貴の淑女と肩を並べるやうになることも出来るからである。
 彼女は、ありとあらゆる美味に飽いたり、贅沢をほしいままにしたりするやうに自分は生れついてゐるのだと思つてゐたので、絶えず心を苦しめた。住居の佗しいのにも、壁のみじめなのにも、椅子のこはれたのにも、布地の類が汚れてゐるのにも心を苦しめた。同じくらゐの世間の女は全く気もつかぬやうないろんな事にも、彼女は心を苦しめたり癇癪を起したりした。勝手働(かつてばたら)きをしてゐるブルタアニュ生れの小娘の姿を見ると、悲しい諦めや、夢中になつた夢などをまた呼び覚まさせられた。彼女は、東洋風の壁布の懸つたしいんとした控の間に丈の高い青銅の燭台が輝いてゐるさまや、半ズボンを着けた二人の肥つた家従が、燃えしきつてゐる暖炉の重苦しい温気に眠気さして、大きな臂掛椅子に眠つてゐるさまなどを夢に描いた。古代絹で装飾した大きなサロンや、いくらかかつたか分らぬやうな珍らしい物の付いた好もしい家具や、さてはまた、親しい友達や、交際社会の流行児で、すべての女の羨望の的となつて、一目なりともその人の注意を惹きたいと願つてゐるやうな男達と、五時に、会談する為に作られた、媚びるやうな香のする婦人室やを夢想した。
 もう三日も洗はないテエブル掛をかけた丸いテエブルの前に、彼女が晩餐に坐ると、向ひ合つた夫はスウプ皿の蓋を取つて、「あゝ、いゝスウプだ! こんなにいゝのは今までに見たことがない。」と、さも嬉しげな調子で言つた。その時彼女は、味のいゝ御馳走や、ぴかぴか輝いてゐる銀器や、古代の人物や魔の森の中に飛び交うてゐる奇鳥などを壁いつぱいに描いてある壁布を思ひ浮べたり、立派な皿に盛られた旨い料理や、女に媚びる男の低い声を、淡紅色をした鱒の肉か、或いは鶉の翼を食べながら、スフィンクスのやうな笑ひを浮べて、聞き入つてゐるさまなどを思ひ浮べた。
 彼女は衣裳も宝石も何も持つてゐなかつた。しかもたださういふものだけを好んでゐて、さういふものが一番自分に適してゐると思つてゐた。それほどまでにも、彼女は人に喜ばれたり、人から羨まれたり、人を迷はしたり、人に追ひまはされたりしたいと思つてゐた。
 彼女は修道院時代の学校友達を一人持つてゐたが、その人は富んでゐたので、今はもう行つて会はうとはしなかつた。帰つた時に、一層苦しい思ひをせなければならないからである。で、彼女は心痛や、後悔や、絶望や苦悩で、幾日も泣きくらした。
 ところが、或日の夕方、夫は勝ち誇つたやうな様子をして帰つたやうな様子をして帰つて来た。手には大きな封筒を持つてゐた。
「そら、」と彼は言つた。「お前に上げるものがあるよ。」
 彼女はさつと封を切つて印刷したカアドを引出した。それには次の文句があつた。

 『文部大臣及びジョルジュ・ラムポノオ夫人は、一月十八日、月曜日夕刻、大臣官邸にロアゼル氏并(ならび)に同夫人の御来臨の光栄を有す。』

 夫はきつと喜ぶことと予期してゐたのに、彼女はいまはしさうに、その招待状をテエブルの上に投げ出して、呟いた。
「これをわたしにどうしろと仰有るんですか?」
「だつて、お前、わたしはお前が喜ぶことと思つてゐたんだ。お前は外へ出たことがないし、これは実にいゝ機会だからねえ。それを貰ふにはずゐぶん苦心したんだよ。みんなが行きたがつてゐるので、非常に欲しがられてゐて、それに属官には幾らも招待状はくれないんだから、高等官達はみんな来るだらうし。……」
 彼女はいらいらしたやうな目付をして夫を見てゐたが、たまり兼ねて言つた。
「ぢやアあなたは、わたしに何を着て行けと仰有るんです。」
 彼はそこまでは考へてゐなかつたので、どもりながら言つた。
「え、芝居へ行く着物は? あれがとてもいゝやうに思はれるよ、僕には……。」
 と見ると、細君が泣いてゐたので、彼は呆気に取られて言葉を切つた。二条の大きな涙が、両方の目のかどから口のかどの方へ静かに落ちた。彼はどもりながら言つた。
「どうしたんだ? どうしたんだ?」
 ところが、一生懸命の思ひで、彼女はやつと自分の悲みに打ち勝つて、濡れた頬を拭きながら、落着いた声で答へた。
「何でもありません。たゞわたくしは着物がありませんから、この夜会へはまゐれません。どなたでも御同僚の方で、わたくしよりもいゝ支度の出来る奥様のおあんなさる方へ、その招待状は上げて下さいまし。」
 彼は全く失望した。でも言葉を継いだ。
「まあ、お待ちよ、マチルド。まあ相当の着物で、外の場合にも着られようツていふのは幾らくらゐかゝるだらう? なるべくあつさりしたので。」
 彼女は暫くの間考へて、胸算用をして見たり、またどのくらゐならば、つましい属官から無下に拒まれもせず、びつくりした声も出されずに、貰へようかといふ金額を思案して見たりした。
 終に彼女はためらひながら、答へた。
「わたくしもよくは存じませんが、四百フランもあつたら、たいてい間に合はうかと思ひます。」
 彼はちよつと青くなつた。ちやうどそれだけの金額を貯蓄して置いたからで、彼はそれで鉄砲を買つて、今度の夏はナンテエルの平野で、そこへ雲雀を撃ちに行く友人達と一しよに、ちよつとした猟をして日曜を暮らさうとしてゐたのであつた。
 が、彼は言つた。
「よし。四百フランをお前に上げよう。ぢやア、なるたけ立派な着物をこしらへるやうにして御覧。」

 夜会の日は近づいて来た。そしてロアゼル夫人は悲しさうで、不安で、心配らしかつた。しかし、着物は出来てゐた。で、夫は或晩彼女に言つた。
「どうしたんだ? え、この三日ばかりお前は何だか変ぢやないか。」
 すると、彼女は答へた。
「わたくし、宝玉(たま)にも宝石(いし)にも、身に着けるものツて何にもありませんから、それが苦になつてなりませんの。まるで貧乏神見たいですもの。いつその事、あの夜会には行くまいかと思ひますの。」
 彼は言つた。
「生花を着けたらいゝぢやないか。今のやうな季節にやア却つてしやれたものだよ。十フランも出せば立派な薔薇が二つや三つは買へるぢやないか。」
 彼女は承服しなかつた。
「いいえ。お金持の大勢の女たちの中で、貧乏らしく見えるくらゐ気の引けることはありませんもの。」
 ところが、夫は叫んだ。
「馬鹿だなあ、お前は! ぢやあ、お友達のフォレスチエ夫人のところへ行つて、何か宝玉(たま)を貸して貰つたらいゝぢやないか。お前とあの人との間柄で、そのくらゐのことが出来んこともあるまい。」
 彼女は喜びの声を挙げた。
「さうでした。わたくし、ちつとも考へつきませんでした。」
 次の日、彼女は友達のところへ行つて、困つた仔細を打ち明けた。
 フォレスチエ夫人は鏡戸のついた衣服室へ行つて、大きな宝玉箱を取出して、それを持つて来て、明けて、ロアゼル夫人に言つた。
「さ、お選(え)りなさいな。」
 彼女は最初幾つかの腕環を見た。次に真珠の頸飾を見た。次にヴェニス製の十字架の飾や、金や宝石の優れた細工などを見た。鏡の前に立つて着けて見てはためらつて、どれを手離し、どれを返さうかと容易に決心が附かなかつた。口では絶えず訊いてゐた。
「あなた、もつと他のは無くつて?」
「えゝ、有つてよ。御覧なさいな。あなたのお好きなのはあたしには分らないから。」
 ふと彼女は、黒い繻子の箱の中に、立派なダイヤモンドの頸飾を見付けた。どうでもそれが欲しくなつて、胸はどきどきと高く打ち始めた。両手はそれを持つた時に顫へた。ローブ・モンターントの上から、咽喉にそれを掛けて見て、自分で自分の姿に見惚れてゐた。
 やがて彼女は苦しさうにためらひながら言ひ出した。
「あなた、これを貸して下さらない、これだけでいゝの?」
「えゝ、えゝ。よござんすとも。」
 彼女は友達の頸に飛びついて、熱心にキスした。そしてその宝を持つて帰つた。

 夜会の日は来た。ロアゼル夫人は大成功だつた。彼女はたれより綺麗で、しとやかで、上品で、にこにこしてゐて、心から有頂天になつてゐた。男はみんな彼女に目をつけて、彼女の名前を訊いたり、紹介されようと力めたりした。内閣の秘書官達はみんな彼女とワルツを踊りたがつた。大臣の目にまで留つた。
 彼女は酔つて夢中で踊つた。美の勝利や、成功の誉れや、人々から受けたあらゆる尊敬、感嘆、呼び覚まされた欲望、乃至は女の心に取つて申分のない、非常に嬉しい勝利などから作られた幸福の雲の中に、すべてのことを忘れて快楽に酔つたのだつた。
 彼女は朝の四時ごろ帰つた。夫は夜中頃から小さな淋しい客間で他の三人の紳士と一しよに眠つてゐた。その人達の細君たちもまた快楽に酔つてゐたのだつた。
 彼は持つて来ておいた平常着の粗末な上被を、彼女の肩に懸けてやつた。そのみすぼらしさが立派な夜会服とは調和しなかつた。彼女はそれに気づくと、つと逃れて、今しも高価な毛皮で身を包んでゐる他の女達に見附かるまいとした。
 ロアゼルは呼び止めた。
「ま、お待ち、外へ出ると風邪を引くよ。わたしが行つて馬車を呼んで来るから。」
 しかし、彼女はそれには耳を藉さうともしないで、急いで階段を降りた。二人は通りに出たが馬車は一台も見えなかつた。で、二人は、遠くを通るのを見ては馭者を大声で呼びかけながら捜し始めた。
 二人は失望して、寒さに顫へながらセイヌ河の方へ降りて行つた。やつとのことで、二人は河岸へ来た時、旧式な夜稼ぎの馬車を一つ見付けた。それはちやうど、昼間のうちは自分の浅猿しい姿を恥ぢてでもゐるやうに、日の暮れるまでは決してパリ界隈に見られぬものだつた。
 それが二人をマルチイル街の住居まで連れて来た。で、二人はまたもや悄然として部屋へ昇つた。彼女に取つてはすべてが終つたのだ。そして夫の方は、十時に役所に出てゐなければならぬことを思つてゐた。
 彼女は鏡の前に行くと、肩に懸けてゐた上衣を跳ね退けて、も一度自分の盛粧を自分で見ようとした。ところが、不意に叫びを発した。彼女は頸のまはりに頸飾を持つてゐなかつた!
 もう半ば着物を脱ぎかけてゐた夫は、訊いた。
「どうしたんだ?」
 彼女は狂気のやうになつて夫の方へ向いた。
「あの――あの――あの、フォレスチエさんの頸飾を失くしてしまつた。」
 彼も狂気のやうになつて突立つた。
「何!――何うして?――そんなことがあるものか!」
 で、二人は彼女の着物の襞や、外套の襞や、ポケットの中や、あらゆるところを捜したが、見付からなかつた。
 彼は訊いた。
「お前が夜会を出た時には確かにあつたんだね?」
「えゝ、お邸のお玄関で触(さは)つて見たんです。」
「だが、もし街で失くしたんなら、落ちた音を聞く筈だし。これやアきつと馬車の中だ。」
「えゝ。多分さうでせう。あなた、番号を見て置いた?」
「いゝや。お前は。お前も気がつかなかつた?」
「えゝ。」
 二人はびくつとして互に顔を見合せた。たうとうロアゼルは着物を着た。
「一遍見て来よう。」と、彼は言つた。「今、通つて来た道をすつかり。見付け出さんとも限らぬから。」
 で、彼は出て行つた。彼女はがつかりして寝床へ行く力もなかつたので、夜会服のまゝで椅子に掛けて、火の気も無い部屋の中に茫然として待つてゐた。
 夫は七時ごろ帰つて来た。何にも見付からなかつた。
 彼は警視庁へ行つた。新聞社へ懸賞広告の依頼に行つた。馬車会社へも行つた――実際、少しでももしやと思ふところがあれば、どこといふことなしに駈けまはつた。
 彼女はこの恐ろしい災難の前に気が違つて行くやうな気持で一日待ち暮らした。
 ロアゼルは夜になつて、窪んだ、蒼白い顔をして帰つて来た。何にも見付からなかつたのだ。
「お前、お友達のところへ手紙を上げて置かなければならんよ。」と彼は言つた。「頸飾の留金を毀したから直しにやりましたつて。さうすればいろいろやつて見る猶予が出来ようから。」
 彼女は夫の言ふまゝに書いてやつた。

 一週間の後、あらゆる望みの綱は切れ果てた。
 そしてロアゼルは、五年も老(ふ)けたやうになつて、言つた。
「どうしてあの宝玉(たま)の償ひをしたものか。考へなけれやアならん。」
 次の日、二人はそれの入つてゐた箱を持つて、中に記してあつた名前の宝玉商のところへ行つた。宝玉商は幾冊もの帳簿を調べて見た。
「その頸飾の方は、手前共でお売り申したのではございません。手前共ではただその箱だけ願つたものと見えます。」
 そこで二人は、心配やら苦痛やらで病気のやうになつて、先のと同じ頸飾を求めようと、記憶を辿りながら、宝玉商から宝玉商へと尋ねて行つた。
 二人はパレエ・ロワイヤルの一軒の店で、捜してゐたのとそつくりのやうに思はれたダイヤモンドの頸飾を見つけた。直段は四万フランであつた。三万六千フランならば買へた。
 で、二人は向ふ三日の間は売らずに置くやうにと宝玉商に頼んだ。そして、もし二月の末までに先のが見付かつた時は、三万四千フランで買戻して呉れるやうにといふ契約をした。
 ロアゼルは父が遺した金を一万八千フラン持つてゐた。彼はその余を借りようとした。
 彼は甲から一千フラン、乙から五百フラン、ここで五ルイ、そこで三ルイといふやうにして借りた。高利貸は勿論、あらゆる種類の金貸に関係をつけて、証書を作つて、おちぶれるまでの負債をした。彼は果して払ふことが出来るかどうかをも知らずに署名を敢てして、これから後の一生を犠牲にした。そして、なほこの上に来るべき苦痛や、将に落ちて来ようとしてゐる悲惨の暗い影や、あらゆる物質上の欠乏や、あらゆる精神上の苦痛やを受けねばならぬといふ見込などで恐れを抱きながら、宝玉商のところへ行つて、その勘定台に三万六千フランを置いて新らしい頸飾を買つた。
 ロアゼル夫人が頸飾を返した時に、フォレスチエ夫人は冷たい様子をして言つた。
「もつと早く返して下さらなきやア困りますわ。わたくしの方で要らないとも限りませんもの。」
 夫人は、もしやと友達が非常に恐れてゐたその箱の蓋をあけなかつた。もし品の変つたことを見付けたとしたら、果して何と思つただらう? 何と言つたであらう? ロアゼル夫人を泥坊と思ひはしなかつたらうか?
 ロアゼル夫人は今こそ貧乏ぐらしの恐ろしいことを知つた。しかも彼女は忽ち勇猛心を振ひ起した。この恐ろしい負債は払はなければならぬ。彼女はそれを払はうとした。で、召使には暇をやつた。住居は変へて、屋根部屋を借りた。
 彼女は家事の骨の折れることや、勝手働きのいやなことを知るやうになつた。薔薇色の爪を油の染みた皿や鍋の底で擦りへらしながら、食器を洗つた。汚れたシャツや肌着や布巾などを洗つて、縄にかけて乾しもした。毎朝、芥を街におろした。そして、一段ごとに休んで息を継いでは水を運び上げた。また下等社会の女のやうな風をして、腕に籠をかけて、八百屋へも乾物屋へも肉屋へも行つた。直段の懸引から悪口されることはあつても、その苦しい金を一スウづゝなり貯蓄しようとした。
 毎月二人は、幾らか払つたり、書換へたり、日延をしたりせねばならなかつた。
 夫は夕方、さる商人の勘定書の清書をやつた。そして夜は、一ページ五スウの筆耕を折々やつた。
 かくてこの生活が十年間続いた。
 十年目の終りに、高利の利子から利に利を積んだ借財まで、一切合切返済した。
 ロアゼル夫人は今はすつかり老(ふ)けてしまつた。貧乏世帯の世話女房となつた――力は強く岩乗になつて皮膚は荒れた。髪は乱れるし、スカアトは歪むし、手は赤くなつて、床に雑巾掛けをしてゐる時などは高調子に物を言つた。けれども、夫が役所へ行つて留守の時など、時々窓の傍に坐つて、ずつと以前のあの楽しかつた晩のことを、自分が美しくてちやほやされた夜会の時のことを思ひ返した。
 もしあの頸飾を失くさなかつたならば、何うなつたらう? 分るものか? 分るものか? ほんとに人の一生くらゐ不思議な変り易いものはない! ほんとに些細な事がわれわれを栄えさせも枯れさせもするものだ!

 ところが、或日曜日のことであつた。一週間の気晴らしをしようとしてシャンゼリゼエへ散歩に行くと、ふと、子供を連れてゐる一人の婦人が目についた。それはフォレスチエ夫人で、やはり若くて美しくて愛嬌があつた。
 ロアゼル夫人の心は動いた。彼女は言葉をかけようとしたか? さうさ、無論のことだ。金を払つてしまつた今こそは、彼女は、それについての一部始終を打明けようとした。構ふものか。
 彼女は近寄つた。
「今日(こんにち)は、ジャンヌさん。」
 一方はこんな上さんから馴々しく呼びかけられたので驚いたが、少しも見覚えがなかつたので、どもりながら言つた。
「だつて――あなた!――わたくし、存じませんが――お間違ひぢやありませんの。」
「いゝえ、わたくし、マチルド・ロアゼルですわ。」
 友達は叫びを発した。
「まあマチルドさん! お変りなすつたこと!」
「えゝ、わたくし、あなたとお別れしてから、ずゐぶん長い間、苦しい情けない日を送りました――それが、もとはみんなあなたから起つたことなの!」
「わたくしから! まあ何うして?」
「あなた覚えていらつしやいますか、大臣さんの夜会で着けるツて、あなたにダイヤモンドの頸飾を貸して頂いたことを?」
「えゝ。それで?」
「あれをわたくし失くしましたの。」
「まあ、何をあなたは仰有るの? お返しなすつたぢやありませんか。」
「お返ししたのは、そつくり同じですけれど別のですわ。それで、わたくしどもはその払ひに十年間かゝりましたの。お存じでせうが、何にも無かつたわたくしどもには中々容易なことではありませんでしたわ。でも、やつと済みましたので、わたくし、とても嬉しうございますの。」
 フォレスチエ夫人は立止つた。
「ぢやあ、あなたは、わたくしのの代りにダイヤモンドの頸飾を買つたと仰有るんですの?」
「えゝ。ぢやあ、あなたはお気が附かなかつたのねえ! 尤も、非常によく似てゐましたわ。」
 かう言つて、彼女はちよつと得意な、子供らしい喜びの色を浮べて微笑した。
 フォレスチエ夫人の心は非常に動いて彼女の両手を取つた。
「まあマチルドさん、お気の毒なことをしましたわねえ! わたくしの頸飾はまやかしものでしたわ。やつと五百フラン位の値打しきやないものでしたのにねえ!」



『La Parure』Guy de Maupassant(1850年-1893年)。