大岡政談 32022年04月01日

越前守(えちぜんのかみ)殿(どの)頓智裁許(とんちさいきょ)の事

茲(ここ)に江戸本町(えどほんちょう)辺に相応の商人あり、数多(あまた)召使(めしつか)う奉公人の中に十五六歳位の若衆(わかしゅう)あり、或日(あるひ)商売用にて少しの品物を背負い丸の内に行きしが、折節(おりふし)冬の事なれば、御堀(おほり)に数十羽の鴨(かも)浮び居たるを見て、子供心に小石を拾い、戯(たわむ)れに鴨を目掛(めが)けて打付(うちつ)けけるに、生憎(あいにく)中(あた)りて忽(たちま)ち一羽の鴨斃(たお)れければ、ハッと思いて迯出(にげいだ)さんとする時、近所の辻番人(つじばんにん)是(これ)を見付け追懸(おっかけ)来(きた)り、終(つい)に丁稚(でっち)を捕え縄を掛けて町奉行所(まちぶぎょうしょ)へ引渡したり。依(よっ)て大岡(おおおか)殿には右(みぎ)丁稚の主人を呼出(よびいだ)され、同心に「彼(かの)斃れたる鴨を持参致す可(べ)し」と申付(もうしつ)けられければ、同心は頓(やが)て件(くだん)の鴨を差出(さしいだ)す。因(よっ)て越前守殿には自身に鴨の羽根の下へ手を指入(さしい)れられ、彼(かの)丁稚の主人に対(むか)い、「其方(そのほう)が召遣(めしつかい)の丁稚御堀端(おほりばた)を歩行(ある)きし折(おり)、過(あやま)って石に躓(つまず)きし機勢(はずみ)に、礫(こいし)飛んで御堀の鴨に中(あた)りたれば、忽(たちま)ち其(その)鴨気絶せしと思わる。然(しか)るに只今右鴨を取寄せ探り見るに、羽根の下未(いま)だ暖かなるは、全く死したるには有るまじ。依(よっ)て此(この)鴨を汝に預(あず)くる程に、安針町(あんじんちょう)へ持行(もちゆ)き鳥屋を頼み、能(よ)く能く養生(ようじょう)致させよ、然(さ)すれば必ず全快(ぜんかい)為(な)すならん。縦令(たとい)麁相(そそう)なりとも御堀の鴨を殺せしと申せば重き事なり。右の鴨全快致す迄丁稚は入牢(じゅろう)申付(もうしつ)くる間、良薬を用い、成丈(なるたけ)早く鴨を全快致させ、其上(そのうえ)にて当奉行所へ持参致すべし」と仁慈(じんじ)深き大岡殿の言葉に、主人は蘇生(そせい)したる心地して、早速(さっそく)安針町(あんじんちょう)の鳥屋に到り、羽色(はいろ)の能(よ)く似たる鴨を一羽買取りて籠に入れ、翌日直(すぐ)に奉行所へ持参なし、「仰(おおせ)に随(したが)い安針町の鳥屋へ遣(つかわ)し、種々(いろいろ)と療治(りょうじ)を致(いた)させしに、斯(か)くの如く全快(ぜんかい)仕(つかまつ)り候(そうろう)間(あいだ)、今日納め奉(たてまつ)る」と、越前守殿の前に指出(さしいだ)しければ、大岡殿微笑(ほほえ)みながら之(これ)を見られ、「我も必ず手当なさば全快すべしと思いし故(ゆえ)、昨日右様(みぎよう)申付けしに、早速の全快、満足に存ずるなり。然(しか)る上は丁稚事(でっちこと)出牢(しゅつろう)申付くる」とて直様(すぐさま)呼出(よびいだ)され、「其方(そのほう)儀(ぎ)、麁相(そそう)とは申しながら御堀の鴨に怪我(けが)致させしは不埒(ふらち)なり。然るに彼(かの)鴨運よくして全快致したるこそ其方の仕合(しあわせ)と申すものなり。然(さ)れども彼(かの)鴨其儘(そのまま)にて養生(ようじょう)叶(かな)わざる時は、其方(そのほう)は重き御仕置(おしおき)にも成るべき筈なり。其方未(いま)だ幼年(ようねん)故(ゆえ)、何の勘弁(かんべん)もなく歩行(ある)きしならんが、御堀端(おほりばた)を通行する時は能(よ)く能く慎み、小石等に躓かぬ様(よう)心付(こころづ)けべし」と有って、外(ほか)に何の御咎(おんとがめ)もなく事済(ことす)みけり。誠に越州(えっしゅう)殿の寛仁大度(かんじんたいど)なる事は此(この)一ケ条(じょう)にても知るべし。仮令(たとい)故(わざ)と為(な)したるにもせよ、幼年の者の戯(たわぶれ)に礫(つぶて)を投げ、其鴨斃(たお)れたりとも、鴨一羽にて人命(じんめい)を取る事不仁(ふじん)の至りなりと思われし故(ゆえ)、頓智(とんち)を以(もっ)て安針町(あんじんちょう)へ遣(つかわ)し、療治致すべしと申されしは、凡人(ぼんにん)の及ばざる処(ところ)なり。実(げ)にや奉行職(ぶぎょうしょく)をも勤めらるるには、是程(これほど)の才智なくては成り難(がた)かるべし。


「第一段 三方一両損」「第七段 母親の判定」に続き『大岡政談』第3弾。前2者と同じく、これもフィクションらしい。「大岡裁き」という言葉が一般化しているように、「お白洲もの(裁判もの)」の講談・落語では、大岡越前守忠相(ただすけ)のエピソードにされる事が多いようだ。

洒落男2022年04月01日

『パリのアメリカ人』を思い出すと、条件反射の如く、この曲も浮ぶ。
生得的な「反射」である訳が無いので、後天的な「条件反射」に決まってるが。