大岡政談 32022年04月01日

越前守(えちぜんのかみ)殿(どの)頓智裁許(とんちさいきょ)の事

茲(ここ)に江戸本町(えどほんちょう)辺に相応の商人あり、数多(あまた)召使(めしつか)う奉公人の中に十五六歳位の若衆(わかしゅう)あり、或日(あるひ)商売用にて少しの品物を背負い丸の内に行きしが、折節(おりふし)冬の事なれば、御堀(おほり)に数十羽の鴨(かも)浮び居たるを見て、子供心に小石を拾い、戯(たわむ)れに鴨を目掛(めが)けて打付(うちつ)けけるに、生憎(あいにく)中(あた)りて忽(たちま)ち一羽の鴨斃(たお)れければ、ハッと思いて迯出(にげいだ)さんとする時、近所の辻番人(つじばんにん)是(これ)を見付け追懸(おっかけ)来(きた)り、終(つい)に丁稚(でっち)を捕え縄を掛けて町奉行所(まちぶぎょうしょ)へ引渡したり。依(よっ)て大岡(おおおか)殿には右(みぎ)丁稚の主人を呼出(よびいだ)され、同心に「彼(かの)斃れたる鴨を持参致す可(べ)し」と申付(もうしつ)けられければ、同心は頓(やが)て件(くだん)の鴨を差出(さしいだ)す。因(よっ)て越前守殿には自身に鴨の羽根の下へ手を指入(さしい)れられ、彼(かの)丁稚の主人に対(むか)い、「其方(そのほう)が召遣(めしつかい)の丁稚御堀端(おほりばた)を歩行(ある)きし折(おり)、過(あやま)って石に躓(つまず)きし機勢(はずみ)に、礫(こいし)飛んで御堀の鴨に中(あた)りたれば、忽(たちま)ち其(その)鴨気絶せしと思わる。然(しか)るに只今右鴨を取寄せ探り見るに、羽根の下未(いま)だ暖かなるは、全く死したるには有るまじ。依(よっ)て此(この)鴨を汝に預(あず)くる程に、安針町(あんじんちょう)へ持行(もちゆ)き鳥屋を頼み、能(よ)く能く養生(ようじょう)致させよ、然(さ)すれば必ず全快(ぜんかい)為(な)すならん。縦令(たとい)麁相(そそう)なりとも御堀の鴨を殺せしと申せば重き事なり。右の鴨全快致す迄丁稚は入牢(じゅろう)申付(もうしつ)くる間、良薬を用い、成丈(なるたけ)早く鴨を全快致させ、其上(そのうえ)にて当奉行所へ持参致すべし」と仁慈(じんじ)深き大岡殿の言葉に、主人は蘇生(そせい)したる心地して、早速(さっそく)安針町(あんじんちょう)の鳥屋に到り、羽色(はいろ)の能(よ)く似たる鴨を一羽買取りて籠に入れ、翌日直(すぐ)に奉行所へ持参なし、「仰(おおせ)に随(したが)い安針町の鳥屋へ遣(つかわ)し、種々(いろいろ)と療治(りょうじ)を致(いた)させしに、斯(か)くの如く全快(ぜんかい)仕(つかまつ)り候(そうろう)間(あいだ)、今日納め奉(たてまつ)る」と、越前守殿の前に指出(さしいだ)しければ、大岡殿微笑(ほほえ)みながら之(これ)を見られ、「我も必ず手当なさば全快すべしと思いし故(ゆえ)、昨日右様(みぎよう)申付けしに、早速の全快、満足に存ずるなり。然(しか)る上は丁稚事(でっちこと)出牢(しゅつろう)申付くる」とて直様(すぐさま)呼出(よびいだ)され、「其方(そのほう)儀(ぎ)、麁相(そそう)とは申しながら御堀の鴨に怪我(けが)致させしは不埒(ふらち)なり。然るに彼(かの)鴨運よくして全快致したるこそ其方の仕合(しあわせ)と申すものなり。然(さ)れども彼(かの)鴨其儘(そのまま)にて養生(ようじょう)叶(かな)わざる時は、其方(そのほう)は重き御仕置(おしおき)にも成るべき筈なり。其方未(いま)だ幼年(ようねん)故(ゆえ)、何の勘弁(かんべん)もなく歩行(ある)きしならんが、御堀端(おほりばた)を通行する時は能(よ)く能く慎み、小石等に躓かぬ様(よう)心付(こころづ)けべし」と有って、外(ほか)に何の御咎(おんとがめ)もなく事済(ことす)みけり。誠に越州(えっしゅう)殿の寛仁大度(かんじんたいど)なる事は此(この)一ケ条(じょう)にても知るべし。仮令(たとい)故(わざ)と為(な)したるにもせよ、幼年の者の戯(たわぶれ)に礫(つぶて)を投げ、其鴨斃(たお)れたりとも、鴨一羽にて人命(じんめい)を取る事不仁(ふじん)の至りなりと思われし故(ゆえ)、頓智(とんち)を以(もっ)て安針町(あんじんちょう)へ遣(つかわ)し、療治致すべしと申されしは、凡人(ぼんにん)の及ばざる処(ところ)なり。実(げ)にや奉行職(ぶぎょうしょく)をも勤めらるるには、是程(これほど)の才智なくては成り難(がた)かるべし。


「第一段 三方一両損」「第七段 母親の判定」に続き『大岡政談』第3弾。前2者と同じく、これもフィクションらしい。「大岡裁き」という言葉が一般化しているように、「お白洲もの(裁判もの)」の講談・落語では、大岡越前守忠相(ただすけ)のエピソードにされる事が多いようだ。

洒落男2022年04月01日

『パリのアメリカ人』を思い出すと、条件反射の如く、この曲も浮ぶ。
生得的な「反射」である訳が無いので、後天的な「条件反射」に決まってるが。

群集の人 E・A・ポウ2022年04月03日

群集の人(1840年) E・A・ポウ、佐々木直次郎訳、アーサー・ラッカム画

 Ce grand malheur, de ne pouvoir etre seul.
    ラ・ブリュイエール


 あるドイツの書物について、”es lasst sich nicht lesen”――それはそれ自身の読まれることを許さぬ――と言ったのは、もっともである。それ自身の語られることを許さぬ秘密というものがある。人々は夜ごとにその寝床の中で、懺悔聴聞僧(ざんげちょうもんそう)の手を握りしめ、悲しげにその眼を眺めながら死ぬ、――洩らされようとはしない秘密の恐ろしさのために、心は絶望にみたされのどをひきつらせながら死ぬ。ああ、おりおり人の良心は重い恐怖の荷を負わされ、それはただ墓穴の中へ投げ下すよりほかにどうにもできないのだ。こうしてあらゆる罪悪の精髄は露(あら)われずにすむのである。
 あまり以前のことではない。ある秋の日の黄昏(たそがれ)近くのころ、私はロンドンのD――コーヒー・ハウスの大きな弓形張出し窓のところに腰を下していた。それまで数か月の間私は健康を害していたのだが、その時はもう回復期に向っていた。そして体の力がもどってきて、倦怠(アンニュイ)とはまるで正反対のあの幸福な気分、――心の視力を蔽うていた翳(かすみ)――
がとれ、知力は電気をかけられたように、あたかもかのライプニッツの率直にして明快な理論がゴージアスの狂愚(きょうぐ)にして薄弱な修辞学(しゅうじがく)を凌駕(りょうが)するごとく、遙かにその日常の状態を凌駕する、といったような最も鋭敏な嗜欲(しよく)にみちた気分、――になっているのであった。単に呼吸することだけでも享楽であった。そして私は、普通なら当然苦痛の源(もと)になりそうな多くのことからでさえ、積極的な快感を得た。あらゆるものに穏やかな、しかし好奇心にみちた興味を感じた。葉巻(シガー)を口にし、新聞紙を膝にのせながら、あるいは広告を見つめたり、時には部屋の中の雑然たる人々を観察したり、あるいはまた煙で曇った窓ガラスを通して街路をうち眺めたりして、私はその午後の大部分を楽しんでいたのであった。
 この街(まち)は市の主要な大通りの一つで、一日じゅう非常に雑踏してはいた。しかし、あたりが暗くなるにつれて群集は刻一刻と増して来て、街灯がすっかり灯(とも)るころには、二つの込合った途切れることのない人間の潮流が、戸の外をしきりに流れていた。夕刻のこういう特別な時刻にこれに似たような場所にいたことがそれまでに一度もなかったので、この人間の頭の騒然たる海は、私の心を愉快な新奇な情緒でみたしたのであった。ついには、店の内のことに注意することはすっかり止めて、戸外の光景を眺めるのに夢中になってしまった。
 始めのうちは、私の観察は抽象的な概括的(がいかつてき)な方向をとっていた。通行人を集団として眺め、彼らをその集合的関係で考えるだけであった。しかしやがて、だんだん詳細な点に入ってゆき、姿、服装、態度、歩き振り、顔付き、容貌の表情、などの無数の変化を、精密な感興(かんきょう)をもって注視するようになった。

(中略)

 額をガラスにくっつけて、こうして一心に群集を詳しく見ているうちに、突然、一つの顔(六十五か七十歳くらいのよぼよぼの老人の顔)が現われてきたが、その顔は、表情が全く特異なものであったので、たちまちに私の注意をことごとく惹(ひ)きつけ吸いこんでしまったのだ。その表情に微かにでも似たようなものは、それまでに私は一度も見たことがなかった。それを見た時最初に考えたことが、もしレッチ[訳註:Moritz Retzsch。当時のドイツの画家]がこれを見ていたなら、自分の描いた悪魔の化身よりもずっとこの方を好んだろう、ということであったことを私はよく覚えている。最初の注視の短い一瞬間に、その表情の伝える意味を分析しようと努めた時、私の心の中には、用心の、吝嗇(りんしょく)の、貪欲(どんよく)の、冷淡の、悪意の、残忍の、勝利の、歓喜の、極端な恐怖の、強烈な――無上の絶望の、広大な精神力の諸観念が、雑然とかつ逆説的に湧き上ったのである。私は奇妙に、眼が覚め、愕然とし、魅せられたようになったのを感じた。「どんな奇怪な経歴があの胸のうちに書いてあるだろう!」と思わず私は独り言をいった。それから、その男を見失わないようにしよう――その男のことをもっと知りたい、という烈しい欲望が起った。大急ぎでオーバーコートを着、帽子とステッキとを掴むと、私は街路へ跳び出して、その男の行くのを見た方向へと群集を押しわけた。というのは、その時彼はもう見えなくなっていたからだ。多少骨を折ってようやく私はその姿の見えるところまで来て、その男に近づいてゆき、そしてぴったりと、しかし彼の注意を惹かないように用心しながら、その後をつけて行った。
 私はいまやその男の風采を十分吟味する機会を得た。彼は背が低く、はなはだ痩せていて、見たところ非常に弱々しそうであった。着物は大体、きたなくて、ぼろぼろであった。が、おりおり彼が強くぎらぎらする灯火のあたっているところへ来る時、私はそのリンネルの衣服が、よごれてはいるが美しい地(じ)のものであることを見てとった。そしてもし私の眼の誤りでなければ、彼のまとうている、きっちりとボタンをかけた、明らかに古物らしい外套(ロクロール)の裂け目から、一箇のダイアモンドと、一ふりの短刀とをちらりと見かけたのだ。こういうことを目にとめたので私の好奇心はますます高まり、この見知らぬ男がどこへ行こうとその後をつけようと決心した。
 もうその時はすっかり夜になっていて、濃い、じっとりした霧がこの都会の上にかかっていたが、それがやがて本降りの大雨となった。この天候の変化は群集に奇妙な影響を与え、群集全体はたちまち新しい動揺を起して、無数の雨傘に蔽われてしまった。波立つようなざわめき、押し合いへし合い、がやがやいうやかましい音は、十倍も烈しくなった。私自身はといえば、大してこの雨を気にかけなかった、――体の中にはまだ以前の熱が潜んでいて、それが湿りを多少危険すぎるくらいに心地よいものにしたのだ。口の周りにハンケチをくくりつけて、私は歩み続けた。半時間ばかりの間老人はこの大通りをかろうじて押しわけて進んで行った。そして私は彼を見失いはしまいかと恐れて、ここではぴったり彼にくっつくくらいにして歩いていた。一度も頭を振向けて後を見なかったので、彼は私に気づかなかった。やがて彼はある横通(よこどお)りへ入って行ったが、そこはやはり人でいっぱいではあるが、今まで通って来た本通(ほんどお)りほどひどく込み合ってはいなかった。ここへ来ると、彼の様子は明らかに変化した。彼は今までよりもゆっくりとまた目当(めあ)てもなさそうに――もっとためらいがちに、歩いて行った。見たところ何の目的もなさそうに幾度も幾度も道を横切った。そして雑踏はやはりなかなかひどいので、そういう時には必ず私は彼にぴったりとついて行かねばならなかった。その街は狭くて長い通りで、それを歩くのに彼はほとんど一時間近くかかったが、その間に通行人は次第に減って、通常、公園の近くのブロードウェイで午(ひる)ごろ歩いている人の数ほどになった。――ロンドンの人口と、アメリカの最も繁華な都会の人口とには、それほど大きな相違があるのだ。もう一度道を曲ると、私たちは煌々(こうこう)と灯火(あかり)がついていて活気の溢れているある辻広場(つじひろば)へ出た。すると見知らぬ男のもとの態度が再び現われた。顎は胸のところへ落ち、眼はそのしかめた眉の下から、彼を取巻いた人々に向って、あらゆる方向に、激しくぐるぐる廻った。彼は絶えず根気よく道を急いだ。しかし、その辻広場を一巡(ひとめぐ)りすると、ぐるりと廻ってもと来た道へひき返すのを見て、私は驚いた。もっとびっくりしたことには、彼はその同じ歩みを数回も繰返すのだった。――そのうち一度は、突然ぐるりと廻った時に、もう少しで私を見つけるところだった。
 こうして歩くのにまた一時間を費やしたが、その終りには最初とは通行人に道を妨げられることが遙かに少なくなった。雨は小止(こや)みなく降っていた。空気はひえびえしてきた。そして人々は家路へと帰ってゆくのであった。いらいらした身振りをして、この流浪人(さすらいびと)は割合(わりあい)人気(ひとけ)の少ない裏通りへ入って行った。四分の一マイルほどあるこの通りを、彼はそんなに年をとった人間には全く思いもよらない敏捷(びんしょう)さで駈け下り、追っかけるのに私は非常に難儀をしたほどであった。数分の後私たちはある大きい賑やかな勧工場(かんこうば)へやって来たが、この場所はその男のよく知っているところらしく、ここでは、大勢(おおぜい)の買手(かいて)や売手(うりて)の間を、何の目的もなく、あちこちと押しわけて歩いている時に、再び彼のもとの態度が現われたのであった。
 この場所で過したかれこれ一時間半ばかりの間、彼に気づかれないようにしてその近くにいるのは、私の方でずいぶん用心を要することであった。幸いに私は弾性ゴムのオーバーシューズをはいていたので、少しも音を立てないで歩き廻ることができた。一度も彼は私が見張っているのに気がつかなかった。彼は店から店へと入り、別に値段をきくでもなく、一言も口を利くでもなく、びっくりしたような、ぽかんとした眼付(めつ)きであらゆる品物を眺めているのだ。私はもう彼の振舞いにすっかり驚いて、この男について幾らか納得できるまではけっして離れないでおこうと堅く決心した。
 高く鳴る時計が十一時を打ち、そこにいる人々はぞろぞろと勧工場から出て行った。ある店の主人が鎧戸(よろいど)を閉める時に老人につきあたったが、その瞬間、強い戦慄が彼の体中(からだじゅう)を走るのを私は見た。彼は急いで街へ出て、ちょっとの間不安げに自分の周りを見廻し、それから信じられぬょうな疾(はや)さで、曲りくねった人通りのない道をいくつも走り抜けて、もう一度私たちは、出発点のあの大通り――あのD――ホテルの街に現われた。しかしその街はもう前と同じ光景ではなかった。そこはやはりガス灯で煌々と輝いていた。が雨は土砂降りに降り、人影はほとんど見えなかった。見知らぬ男は蒼(あお)くなった。彼はむっつりしてさっきは賑やかだったその大通りを数歩(すうほ)足(あし)を運んだが、それから深い嘆息をもらしながら、河の方向へと足を向け、種々(しゅじゅ)さまざまなうねりくねった道をまっしぐらに進んで、ついにある大劇場の見えるところへ出て来た。ちょうど芝居のはねた時で、観客は出口からどっとなだれて出て来るところであった。私は、老人がその群集の中に身を投じている間、息をしようとするかのように喘(あえ)ぐのを見た。が、彼の容貌に現われていた強い苦悶(くもん)は幾らか薄らいでいるように思った。彼の頭はまた胸のところへ落ちた。私が初めに見た時のような様子になった。今度は彼が観客の大部分の者の行く方へ行くのを、私は見てとった、――が要するに彼の行動のむら気はどうも私には理解しかねるのであった。
 彼が進んでゆくにつれて、その人々もだんだんちりぢりになり、彼のもとの不安と逡巡(しゅんじゅん)とがまたもどって来た。しばらくの間、彼は十人か十二人ばかりの飲んだくれの一行(いっこう)にぴったりくっついて行った。がこの人数も一人減り二人減りして、最後に、ほとんど人通りのない狭い陰気な小路に、たった三人だけが残った。見知らぬ男は立ちどまり、ちょっとの間深く思案に耽(ふけ)っているようであった。それから、非常に興奮したような様子をして、一つの路をずんずんたどって行ったが、その路は、これまで歩き廻って来たところとは全く違った地域の、市のはずれへと、私たちをつれて行った。それはロンドン中(じゅう)でも最も気味の悪い区域で、そこではあらゆるものが、最も悲惨な貧窮(ひんきゅう)の、また最も恐ろしい犯罪の、最悪の刻印を押されていた。思いがけない街灯の薄暗い光で、高い、古びた、虫の喰った、木造の長屋が、その間の道の見分け難いくらい思い思いのいろいろな方向へ、倒れそうにぐらついているのが見えた。舗石(ほせき)は、生(お)い茂った草のためにその道床(どうしょう)から押しのけられて、でたらめにごろごろしていた。恐るべき汚物が、つまった溝の中で臭気紛々(しゅうきふんぷん)として腐っていた。大気全体が荒廃の気にみちみちていた。それでも、私たちが進むにつれ、人の世の音が次第にはっきりと甦ってきて、ついには、ロンドンの住民の中でも最も無頼な連中が大勢(おおぜい)あちこちとよろめき歩いているのが見えるようになった。老人の元気は、消えかかろうとする灯火のように、再びゆらゆらと燃え上った。もう一度彼は活溌な歩き振りで大股に進んで行った。突然街の角を曲ると、赫々(かっかく)たる光がぱっと眼に射し、私たちは、あの大きな場末の放縦の殿堂――悪魔ジン酒の宮殿――の一つの前に立っているのであった。
 その時はもう暁に近かった。が、まだ幾人かのあさましい泥酔漢がそのけばけばしい入口を押しあいながら出たり入ったりしていた。なかば叫ぶような喜びの声をあげて老人はその中へ押し入り、たちまち以前の態度に返って、何も明らかな目当てもなく、人込みの中をあちらこちらと歩き廻った。しかし永くこうしていないうちに、戸口の方へどっと人が押しよせてゆくので、そこの主人が夜の戸締りをしているのだということがわかった。その時、私がそれまでそんなに辛抱強く見張ってきたその奇怪な人物の容貌に認めたものは、絶望などというものよりももっと強烈な何かであった。それでも彼は歩き廻ることをやめずに、狂気じみた元気で、ただちに歩を返して大ロンドンの中心へと向った。永い間彼は疾(はや)く走って行った。一方私は、全く驚きはてながらも、いまや心をすっかり奪われてしまうほどの興味を感じているこのせんさくをやめまいと堅く決心しながら、その後を追うて行くのだった。私たちが進んで行くうちに太陽は昇った。そして、もう一度この繁華な町のあの最も雑踏する商業中心地、D――館のある街へやって来た時には、その街は前の晩に見たのとほとんど劣らないくらいの混雑と活動との光景を呈していた。そしてここでも永い間、刻一刻と増してくる雑踏の中に、私はなおもその見知らぬ男の追跡を続けた。しかし、相変らず、彼はあちこちと歩き、終日その喧囂(けんごう)の巷(ちまた)から外へ出なかった。こうして、二日目の黄昏の影が迫って来た頃、私は死にそうなほど疲れはててしまい、この放浪者の真正面に立ちどまって、じっとその顔を眺めた。彼は私を気にもとめずに、その重々しい歩みを続けた。そこで私は後をつけるのをやめて、じっと黙想に耽(ふけ)った。「この老人は」と私はついに言った。「凶悪な犯罪の象徴であり権化であるのだ。彼は独りでいることができない。彼は群集の人なのだ。後をつけて行っても無駄なことだろう。これ以上私は、彼についても、彼の行為についても、知ることはあるまいから。この世の最悪の心は、Hortulus Animoe などよりももっと気味の悪い書物だ。そして”es lasst sich nicht lesen”というのは、おそらく神の大きなお慈悲の一つなのであろう」



作品名を挙げたのみだったので実物を。
現在では、ネット上にもこういう人が多いようだ(ビジネス以外)。まあ、「人恋しい」という程度なら誰にでもあるかも知れないが、ちょっと度を越している感じである。
なお、略した部分は他の人々に関する観察・描写。いかにもポウらしくて面白いのだが面倒なのでカットした(文庫本で約4頁分)。

・追記。
この短篇の舞台はロンドンである。翌年(1841年)デビューの元祖名探偵デュパンはパリ、英国のホームズはロンドン、米国のマーロウはロサンジェルス。丸谷才一氏が『闊歩する漱石』で、都市と星……じゃなくて都市と近代小説の関係性について何か書かれていたと思うが、現在この本自体が行方不明である。例によって忘れた頃に出て来るだろう。

・註。アーサー・ラッカム(Arthur Rackham、1867年-1939年)。

アイヌ神謡集 序 知里幸惠2022年04月04日


 その昔この広い北海道は、私たちの先祖の自由の天地でありました。天真爛漫な稚児の様に、美しい大自然に抱擁されてのんびりと楽しく生活していた彼等は、真に自然の寵児、なんという幸福な人たちであったでしょう。
 冬の陸には林野をおおう深雪を蹴って、天地を凍らす寒気を物ともせず山又山をふみ越えて熊を狩り、夏の海には涼風泳ぐみどりの波、白い鷗の歌を友に木の葉の様な小舟を浮べてひねもす魚を漁り、花咲く春は軟らかな陽の光を浴びて、永久に囀(さえ)ずる小鳥と共に歌い暮して蕗(ふき)とり蓬(よもぎ)摘み、紅葉の秋は野分に穂揃うすすきをわけて、宵まで鮭とる篝(かがり)も消え、谷間に友呼ぶ鹿の音を外に、円(まど)かな月に夢を結ぶ。嗚呼なんという楽しい生活でしょう。平和の境、それも今は昔、夢は破れて幾十年、この地は急速な変転をなし、山野は村に、村は町にと次第々々に開けてゆく。
 太古ながらの自然の姿も何時の間にか影薄れて、野辺に山辺に嬉々として暮していた多くの民の行方も亦いずこ。僅かに残る私たち同族は、進みゆく世のさまにただ驚きの眼をみはるばかり、しかもその眼からは一挙一動宗教的感念に支配されていた昔の人の美しい魂の輝きは失われて、不安に充ち不平に燃え、鈍りくらんで行手も見わかず、よその御慈悲にすがらねばならぬ、あさましい姿、おお亡びゆくもの……それは今の私たちの名、なんという悲しい名前を私たちは持っているのでしょう。
 その昔、幸福な私たちの先祖は、自分のこの郷土が末にこうした惨めなありさまに変ろうなどとは、露ほども想像し得なかったのでありましょう。
 時は絶えず流れる、世は限りなく進展してゆく。激しい競争場裡に敗残の醜をさらしている今の私たちの中からも、いつかは、二人三人でも強いものが出て来たら、進みゆく世と歩をならべる日も、やがては来ましょう。それはほんとうに私たちの切なる望み、明暮(あけくれ)祈っている事で御座います。
 けれど……愛する私たちの先祖が起伏す日頃互いに意を通ずる為に用いた多くの言語、言い古し、残し伝えた多くの美しい言葉、それらのものもみんな果敢なく、亡びゆく弱きものと共に消失せてしまうのでしょうか。おおそれはあまりにいたましい名残惜しい事で御座います。
 アイヌに生れアイヌ語の中に生(お)いたった私は、雨の宵、雪の夜、暇ある毎に打集って私たちの先祖が語り興じたいろいろな物語の中極く小さな話の一つ二つを拙ない筆に書連ねました。
 私たちを知って下さる多くの方に読んでいただく事が出来ますならば、私は、私たちの同族祖先と共にほんとうに無限の喜び、無上の幸福に存じます。

  大正十一年三月一日
            知里幸恵

頸飾 モーパッサン 前田晃訳2022年04月05日

「頸飾」 モーパッサン 前田晃訳。


 美しい愛嬌のある娘が、運命の神が間違ひでもしたやうに、下つぱの役人の家などに生れるものだが、彼女もその一人であつた。持参金もなければ遺産を譲られる目当もなく、金持や名の聞えた人などに知られたり、理解されたり、愛されたり、求婚されたりするやうなこともなかつたので、文部省に勤めてゐる薄給の属官の許に嫁いでいつた。
 もとより着飾ることなどは出来なかつたので、質素な服装をしてゐたが、心の中では落ちぶれでもしたやうな気がして面白くなかつた。実際、女に取つては、地位も階級もあつたものではなく、ただ縹緻(きりやう)が好くて、上品で、愛嬌のあるといふことが、血筋や家柄の代りになるものだからである。生れついて美しく、天性が優雅で、気持が素直でさへあれば、それが即ち唯一の地位で、賤(しづ)の女(め)から一足飛(いつそくと)びに高貴の淑女と肩を並べるやうになることも出来るからである。
 彼女は、ありとあらゆる美味に飽いたり、贅沢をほしいままにしたりするやうに自分は生れついてゐるのだと思つてゐたので、絶えず心を苦しめた。住居の佗しいのにも、壁のみじめなのにも、椅子のこはれたのにも、布地の類が汚れてゐるのにも心を苦しめた。同じくらゐの世間の女は全く気もつかぬやうないろんな事にも、彼女は心を苦しめたり癇癪を起したりした。勝手働(かつてばたら)きをしてゐるブルタアニュ生れの小娘の姿を見ると、悲しい諦めや、夢中になつた夢などをまた呼び覚まさせられた。彼女は、東洋風の壁布の懸つたしいんとした控の間に丈の高い青銅の燭台が輝いてゐるさまや、半ズボンを着けた二人の肥つた家従が、燃えしきつてゐる暖炉の重苦しい温気に眠気さして、大きな臂掛椅子に眠つてゐるさまなどを夢に描いた。古代絹で装飾した大きなサロンや、いくらかかつたか分らぬやうな珍らしい物の付いた好もしい家具や、さてはまた、親しい友達や、交際社会の流行児で、すべての女の羨望の的となつて、一目なりともその人の注意を惹きたいと願つてゐるやうな男達と、五時に、会談する為に作られた、媚びるやうな香のする婦人室やを夢想した。
 もう三日も洗はないテエブル掛をかけた丸いテエブルの前に、彼女が晩餐に坐ると、向ひ合つた夫はスウプ皿の蓋を取つて、「あゝ、いゝスウプだ! こんなにいゝのは今までに見たことがない。」と、さも嬉しげな調子で言つた。その時彼女は、味のいゝ御馳走や、ぴかぴか輝いてゐる銀器や、古代の人物や魔の森の中に飛び交うてゐる奇鳥などを壁いつぱいに描いてある壁布を思ひ浮べたり、立派な皿に盛られた旨い料理や、女に媚びる男の低い声を、淡紅色をした鱒の肉か、或いは鶉の翼を食べながら、スフィンクスのやうな笑ひを浮べて、聞き入つてゐるさまなどを思ひ浮べた。
 彼女は衣裳も宝石も何も持つてゐなかつた。しかもたださういふものだけを好んでゐて、さういふものが一番自分に適してゐると思つてゐた。それほどまでにも、彼女は人に喜ばれたり、人から羨まれたり、人を迷はしたり、人に追ひまはされたりしたいと思つてゐた。
 彼女は修道院時代の学校友達を一人持つてゐたが、その人は富んでゐたので、今はもう行つて会はうとはしなかつた。帰つた時に、一層苦しい思ひをせなければならないからである。で、彼女は心痛や、後悔や、絶望や苦悩で、幾日も泣きくらした。
 ところが、或日の夕方、夫は勝ち誇つたやうな様子をして帰つたやうな様子をして帰つて来た。手には大きな封筒を持つてゐた。
「そら、」と彼は言つた。「お前に上げるものがあるよ。」
 彼女はさつと封を切つて印刷したカアドを引出した。それには次の文句があつた。

 『文部大臣及びジョルジュ・ラムポノオ夫人は、一月十八日、月曜日夕刻、大臣官邸にロアゼル氏并(ならび)に同夫人の御来臨の光栄を有す。』

 夫はきつと喜ぶことと予期してゐたのに、彼女はいまはしさうに、その招待状をテエブルの上に投げ出して、呟いた。
「これをわたしにどうしろと仰有るんですか?」
「だつて、お前、わたしはお前が喜ぶことと思つてゐたんだ。お前は外へ出たことがないし、これは実にいゝ機会だからねえ。それを貰ふにはずゐぶん苦心したんだよ。みんなが行きたがつてゐるので、非常に欲しがられてゐて、それに属官には幾らも招待状はくれないんだから、高等官達はみんな来るだらうし。……」
 彼女はいらいらしたやうな目付をして夫を見てゐたが、たまり兼ねて言つた。
「ぢやアあなたは、わたしに何を着て行けと仰有るんです。」
 彼はそこまでは考へてゐなかつたので、どもりながら言つた。
「え、芝居へ行く着物は? あれがとてもいゝやうに思はれるよ、僕には……。」
 と見ると、細君が泣いてゐたので、彼は呆気に取られて言葉を切つた。二条の大きな涙が、両方の目のかどから口のかどの方へ静かに落ちた。彼はどもりながら言つた。
「どうしたんだ? どうしたんだ?」
 ところが、一生懸命の思ひで、彼女はやつと自分の悲みに打ち勝つて、濡れた頬を拭きながら、落着いた声で答へた。
「何でもありません。たゞわたくしは着物がありませんから、この夜会へはまゐれません。どなたでも御同僚の方で、わたくしよりもいゝ支度の出来る奥様のおあんなさる方へ、その招待状は上げて下さいまし。」
 彼は全く失望した。でも言葉を継いだ。
「まあ、お待ちよ、マチルド。まあ相当の着物で、外の場合にも着られようツていふのは幾らくらゐかゝるだらう? なるべくあつさりしたので。」
 彼女は暫くの間考へて、胸算用をして見たり、またどのくらゐならば、つましい属官から無下に拒まれもせず、びつくりした声も出されずに、貰へようかといふ金額を思案して見たりした。
 終に彼女はためらひながら、答へた。
「わたくしもよくは存じませんが、四百フランもあつたら、たいてい間に合はうかと思ひます。」
 彼はちよつと青くなつた。ちやうどそれだけの金額を貯蓄して置いたからで、彼はそれで鉄砲を買つて、今度の夏はナンテエルの平野で、そこへ雲雀を撃ちに行く友人達と一しよに、ちよつとした猟をして日曜を暮らさうとしてゐたのであつた。
 が、彼は言つた。
「よし。四百フランをお前に上げよう。ぢやア、なるたけ立派な着物をこしらへるやうにして御覧。」

 夜会の日は近づいて来た。そしてロアゼル夫人は悲しさうで、不安で、心配らしかつた。しかし、着物は出来てゐた。で、夫は或晩彼女に言つた。
「どうしたんだ? え、この三日ばかりお前は何だか変ぢやないか。」
 すると、彼女は答へた。
「わたくし、宝玉(たま)にも宝石(いし)にも、身に着けるものツて何にもありませんから、それが苦になつてなりませんの。まるで貧乏神見たいですもの。いつその事、あの夜会には行くまいかと思ひますの。」
 彼は言つた。
「生花を着けたらいゝぢやないか。今のやうな季節にやア却つてしやれたものだよ。十フランも出せば立派な薔薇が二つや三つは買へるぢやないか。」
 彼女は承服しなかつた。
「いいえ。お金持の大勢の女たちの中で、貧乏らしく見えるくらゐ気の引けることはありませんもの。」
 ところが、夫は叫んだ。
「馬鹿だなあ、お前は! ぢやあ、お友達のフォレスチエ夫人のところへ行つて、何か宝玉(たま)を貸して貰つたらいゝぢやないか。お前とあの人との間柄で、そのくらゐのことが出来んこともあるまい。」
 彼女は喜びの声を挙げた。
「さうでした。わたくし、ちつとも考へつきませんでした。」
 次の日、彼女は友達のところへ行つて、困つた仔細を打ち明けた。
 フォレスチエ夫人は鏡戸のついた衣服室へ行つて、大きな宝玉箱を取出して、それを持つて来て、明けて、ロアゼル夫人に言つた。
「さ、お選(え)りなさいな。」
 彼女は最初幾つかの腕環を見た。次に真珠の頸飾を見た。次にヴェニス製の十字架の飾や、金や宝石の優れた細工などを見た。鏡の前に立つて着けて見てはためらつて、どれを手離し、どれを返さうかと容易に決心が附かなかつた。口では絶えず訊いてゐた。
「あなた、もつと他のは無くつて?」
「えゝ、有つてよ。御覧なさいな。あなたのお好きなのはあたしには分らないから。」
 ふと彼女は、黒い繻子の箱の中に、立派なダイヤモンドの頸飾を見付けた。どうでもそれが欲しくなつて、胸はどきどきと高く打ち始めた。両手はそれを持つた時に顫へた。ローブ・モンターントの上から、咽喉にそれを掛けて見て、自分で自分の姿に見惚れてゐた。
 やがて彼女は苦しさうにためらひながら言ひ出した。
「あなた、これを貸して下さらない、これだけでいゝの?」
「えゝ、えゝ。よござんすとも。」
 彼女は友達の頸に飛びついて、熱心にキスした。そしてその宝を持つて帰つた。

 夜会の日は来た。ロアゼル夫人は大成功だつた。彼女はたれより綺麗で、しとやかで、上品で、にこにこしてゐて、心から有頂天になつてゐた。男はみんな彼女に目をつけて、彼女の名前を訊いたり、紹介されようと力めたりした。内閣の秘書官達はみんな彼女とワルツを踊りたがつた。大臣の目にまで留つた。
 彼女は酔つて夢中で踊つた。美の勝利や、成功の誉れや、人々から受けたあらゆる尊敬、感嘆、呼び覚まされた欲望、乃至は女の心に取つて申分のない、非常に嬉しい勝利などから作られた幸福の雲の中に、すべてのことを忘れて快楽に酔つたのだつた。
 彼女は朝の四時ごろ帰つた。夫は夜中頃から小さな淋しい客間で他の三人の紳士と一しよに眠つてゐた。その人達の細君たちもまた快楽に酔つてゐたのだつた。
 彼は持つて来ておいた平常着の粗末な上被を、彼女の肩に懸けてやつた。そのみすぼらしさが立派な夜会服とは調和しなかつた。彼女はそれに気づくと、つと逃れて、今しも高価な毛皮で身を包んでゐる他の女達に見附かるまいとした。
 ロアゼルは呼び止めた。
「ま、お待ち、外へ出ると風邪を引くよ。わたしが行つて馬車を呼んで来るから。」
 しかし、彼女はそれには耳を藉さうともしないで、急いで階段を降りた。二人は通りに出たが馬車は一台も見えなかつた。で、二人は、遠くを通るのを見ては馭者を大声で呼びかけながら捜し始めた。
 二人は失望して、寒さに顫へながらセイヌ河の方へ降りて行つた。やつとのことで、二人は河岸へ来た時、旧式な夜稼ぎの馬車を一つ見付けた。それはちやうど、昼間のうちは自分の浅猿しい姿を恥ぢてでもゐるやうに、日の暮れるまでは決してパリ界隈に見られぬものだつた。
 それが二人をマルチイル街の住居まで連れて来た。で、二人はまたもや悄然として部屋へ昇つた。彼女に取つてはすべてが終つたのだ。そして夫の方は、十時に役所に出てゐなければならぬことを思つてゐた。
 彼女は鏡の前に行くと、肩に懸けてゐた上衣を跳ね退けて、も一度自分の盛粧を自分で見ようとした。ところが、不意に叫びを発した。彼女は頸のまはりに頸飾を持つてゐなかつた!
 もう半ば着物を脱ぎかけてゐた夫は、訊いた。
「どうしたんだ?」
 彼女は狂気のやうになつて夫の方へ向いた。
「あの――あの――あの、フォレスチエさんの頸飾を失くしてしまつた。」
 彼も狂気のやうになつて突立つた。
「何!――何うして?――そんなことがあるものか!」
 で、二人は彼女の着物の襞や、外套の襞や、ポケットの中や、あらゆるところを捜したが、見付からなかつた。
 彼は訊いた。
「お前が夜会を出た時には確かにあつたんだね?」
「えゝ、お邸のお玄関で触(さは)つて見たんです。」
「だが、もし街で失くしたんなら、落ちた音を聞く筈だし。これやアきつと馬車の中だ。」
「えゝ。多分さうでせう。あなた、番号を見て置いた?」
「いゝや。お前は。お前も気がつかなかつた?」
「えゝ。」
 二人はびくつとして互に顔を見合せた。たうとうロアゼルは着物を着た。
「一遍見て来よう。」と、彼は言つた。「今、通つて来た道をすつかり。見付け出さんとも限らぬから。」
 で、彼は出て行つた。彼女はがつかりして寝床へ行く力もなかつたので、夜会服のまゝで椅子に掛けて、火の気も無い部屋の中に茫然として待つてゐた。
 夫は七時ごろ帰つて来た。何にも見付からなかつた。
 彼は警視庁へ行つた。新聞社へ懸賞広告の依頼に行つた。馬車会社へも行つた――実際、少しでももしやと思ふところがあれば、どこといふことなしに駈けまはつた。
 彼女はこの恐ろしい災難の前に気が違つて行くやうな気持で一日待ち暮らした。
 ロアゼルは夜になつて、窪んだ、蒼白い顔をして帰つて来た。何にも見付からなかつたのだ。
「お前、お友達のところへ手紙を上げて置かなければならんよ。」と彼は言つた。「頸飾の留金を毀したから直しにやりましたつて。さうすればいろいろやつて見る猶予が出来ようから。」
 彼女は夫の言ふまゝに書いてやつた。

 一週間の後、あらゆる望みの綱は切れ果てた。
 そしてロアゼルは、五年も老(ふ)けたやうになつて、言つた。
「どうしてあの宝玉(たま)の償ひをしたものか。考へなけれやアならん。」
 次の日、二人はそれの入つてゐた箱を持つて、中に記してあつた名前の宝玉商のところへ行つた。宝玉商は幾冊もの帳簿を調べて見た。
「その頸飾の方は、手前共でお売り申したのではございません。手前共ではただその箱だけ願つたものと見えます。」
 そこで二人は、心配やら苦痛やらで病気のやうになつて、先のと同じ頸飾を求めようと、記憶を辿りながら、宝玉商から宝玉商へと尋ねて行つた。
 二人はパレエ・ロワイヤルの一軒の店で、捜してゐたのとそつくりのやうに思はれたダイヤモンドの頸飾を見つけた。直段は四万フランであつた。三万六千フランならば買へた。
 で、二人は向ふ三日の間は売らずに置くやうにと宝玉商に頼んだ。そして、もし二月の末までに先のが見付かつた時は、三万四千フランで買戻して呉れるやうにといふ契約をした。
 ロアゼルは父が遺した金を一万八千フラン持つてゐた。彼はその余を借りようとした。
 彼は甲から一千フラン、乙から五百フラン、ここで五ルイ、そこで三ルイといふやうにして借りた。高利貸は勿論、あらゆる種類の金貸に関係をつけて、証書を作つて、おちぶれるまでの負債をした。彼は果して払ふことが出来るかどうかをも知らずに署名を敢てして、これから後の一生を犠牲にした。そして、なほこの上に来るべき苦痛や、将に落ちて来ようとしてゐる悲惨の暗い影や、あらゆる物質上の欠乏や、あらゆる精神上の苦痛やを受けねばならぬといふ見込などで恐れを抱きながら、宝玉商のところへ行つて、その勘定台に三万六千フランを置いて新らしい頸飾を買つた。
 ロアゼル夫人が頸飾を返した時に、フォレスチエ夫人は冷たい様子をして言つた。
「もつと早く返して下さらなきやア困りますわ。わたくしの方で要らないとも限りませんもの。」
 夫人は、もしやと友達が非常に恐れてゐたその箱の蓋をあけなかつた。もし品の変つたことを見付けたとしたら、果して何と思つただらう? 何と言つたであらう? ロアゼル夫人を泥坊と思ひはしなかつたらうか?
 ロアゼル夫人は今こそ貧乏ぐらしの恐ろしいことを知つた。しかも彼女は忽ち勇猛心を振ひ起した。この恐ろしい負債は払はなければならぬ。彼女はそれを払はうとした。で、召使には暇をやつた。住居は変へて、屋根部屋を借りた。
 彼女は家事の骨の折れることや、勝手働きのいやなことを知るやうになつた。薔薇色の爪を油の染みた皿や鍋の底で擦りへらしながら、食器を洗つた。汚れたシャツや肌着や布巾などを洗つて、縄にかけて乾しもした。毎朝、芥を街におろした。そして、一段ごとに休んで息を継いでは水を運び上げた。また下等社会の女のやうな風をして、腕に籠をかけて、八百屋へも乾物屋へも肉屋へも行つた。直段の懸引から悪口されることはあつても、その苦しい金を一スウづゝなり貯蓄しようとした。
 毎月二人は、幾らか払つたり、書換へたり、日延をしたりせねばならなかつた。
 夫は夕方、さる商人の勘定書の清書をやつた。そして夜は、一ページ五スウの筆耕を折々やつた。
 かくてこの生活が十年間続いた。
 十年目の終りに、高利の利子から利に利を積んだ借財まで、一切合切返済した。
 ロアゼル夫人は今はすつかり老(ふ)けてしまつた。貧乏世帯の世話女房となつた――力は強く岩乗になつて皮膚は荒れた。髪は乱れるし、スカアトは歪むし、手は赤くなつて、床に雑巾掛けをしてゐる時などは高調子に物を言つた。けれども、夫が役所へ行つて留守の時など、時々窓の傍に坐つて、ずつと以前のあの楽しかつた晩のことを、自分が美しくてちやほやされた夜会の時のことを思ひ返した。
 もしあの頸飾を失くさなかつたならば、何うなつたらう? 分るものか? 分るものか? ほんとに人の一生くらゐ不思議な変り易いものはない! ほんとに些細な事がわれわれを栄えさせも枯れさせもするものだ!

 ところが、或日曜日のことであつた。一週間の気晴らしをしようとしてシャンゼリゼエへ散歩に行くと、ふと、子供を連れてゐる一人の婦人が目についた。それはフォレスチエ夫人で、やはり若くて美しくて愛嬌があつた。
 ロアゼル夫人の心は動いた。彼女は言葉をかけようとしたか? さうさ、無論のことだ。金を払つてしまつた今こそは、彼女は、それについての一部始終を打明けようとした。構ふものか。
 彼女は近寄つた。
「今日(こんにち)は、ジャンヌさん。」
 一方はこんな上さんから馴々しく呼びかけられたので驚いたが、少しも見覚えがなかつたので、どもりながら言つた。
「だつて――あなた!――わたくし、存じませんが――お間違ひぢやありませんの。」
「いゝえ、わたくし、マチルド・ロアゼルですわ。」
 友達は叫びを発した。
「まあマチルドさん! お変りなすつたこと!」
「えゝ、わたくし、あなたとお別れしてから、ずゐぶん長い間、苦しい情けない日を送りました――それが、もとはみんなあなたから起つたことなの!」
「わたくしから! まあ何うして?」
「あなた覚えていらつしやいますか、大臣さんの夜会で着けるツて、あなたにダイヤモンドの頸飾を貸して頂いたことを?」
「えゝ。それで?」
「あれをわたくし失くしましたの。」
「まあ、何をあなたは仰有るの? お返しなすつたぢやありませんか。」
「お返ししたのは、そつくり同じですけれど別のですわ。それで、わたくしどもはその払ひに十年間かゝりましたの。お存じでせうが、何にも無かつたわたくしどもには中々容易なことではありませんでしたわ。でも、やつと済みましたので、わたくし、とても嬉しうございますの。」
 フォレスチエ夫人は立止つた。
「ぢやあ、あなたは、わたくしのの代りにダイヤモンドの頸飾を買つたと仰有るんですの?」
「えゝ。ぢやあ、あなたはお気が附かなかつたのねえ! 尤も、非常によく似てゐましたわ。」
 かう言つて、彼女はちよつと得意な、子供らしい喜びの色を浮べて微笑した。
 フォレスチエ夫人の心は非常に動いて彼女の両手を取つた。
「まあマチルドさん、お気の毒なことをしましたわねえ! わたくしの頸飾はまやかしものでしたわ。やつと五百フラン位の値打しきやないものでしたのにねえ!」



『La Parure』Guy de Maupassant(1850年-1893年)。