続々・第五十四段2022年02月11日

(前略)又或る日、鼻の所にて「フルヘッヘンド」[野上註 verheffend(lifted up, raised.)]せしものなりとあるに至りしに、此語わからず。これは如何なる事にてあるべきと考〔へ〕合〔ひ〕しに、いかにもせんやうなし。其頃「ウォールデンブック」(釋辭書)といふものもなし。やうやく長崎より良澤求め歸りし簡略なる一小册ありしを見合〔せ〕たるに、「フルヘッヘンド」の釋註に、木の枝を斷ちたる迹、其迹「フルヘッヘンド」をなし、又庭を掃除すれば、其塵土聚〔ま〕り「フルヘッヘンド」すといふ樣によみ出〔だ〕せり。これは如何なる意味なるべしと、又例の如くこじつけ考ひ合ふに、辨へ兼〔ね〕たり。時に、翁[引用者注 玄白自身]思ふに、木の枝を斷(き)りたる跡癒〔ゆ〕れば堆くなり、又掃除して塵土あつまればこれもうづたかくなるなり。鼻は面中に在りて堆起せるものなれば、「フルヘッヘンド」は堆(ウヅタカシ)といふことなるべし。然れば此語は堆と譯しては如何といひければ、各々之を聞〔き〕て甚だ尤〔も〕なり、堆と譯さば正當すべしと決定せり。其時のうれしさは、何にたとへんかたもなく、連城の玉をも得し心地せり。(後略)

杉田玄白『蘭學事始』(野上豊一郞校註)より、お馴染み(?)「フルヘッヘンド」のくだり。〔〕内は校註者。

校註者は野上彌生子の伴侶(配偶者)。英文学者であり能楽研究者でもあるそうだ。才長けた夫婦である。
なお、実際には『ターヘル・アナトミア』の原書に「フルヘッヘンド」という単語は無いそうだ。同義語はあるらしいが。いやはや。

コメント

トラックバック