第四十三段2021年12月01日

Nursery Rhymes――いわゆる「マザー・グース」について思いついた事など。

米国の推理作家S・S・ヴァン・ダイン(S. S. Van Dine、1888年-1939年)作『僧正殺人事件(The Bishop Murder Case)』(1929年)に関して。
探偵ファイロ・ヴァンス(Philo Vance)・シリーズ第4作目の長篇。特に日本では第3作『グリーン家殺人事件(The Greene Murder Case)』(1928年)と共に評価が高い。マザー・グースを用いた推理小説としてはアガサ・クリスティー(Agatha Christie、1890年-1976年)の『そして誰もいなくなった(And Then There Were None)』(1939年)に先んずる作品である。

最初の事件。

Who killed Cock Robin?
"I," said the Sparrow,
"With my bow and arrow,
I killed Cock Robin."

「誰(だァれ)が殺した、駒鳥の雄を。」
「そォれは私よ。」雀がこう云った。
「私の弓で、私の矢羽(やば)で、
私が殺した、駒鳥の雄を。」
(北原白秋訳)

日本の漫画(アニメにもなった)『パタリロ!』に使われたからご存じの方も多いだろう。
手許の音源は歌ではなく朗読のみである。

第2の事件。

There was a little man,
And he had a little gun,
And his bullets were made of lead, lead, lead.
He shot Johnny Sprig,
Through the middle of his wig,
And knocked it right off his head, head, head.

後輩作家のエラリー・クイーンに『靴に棲む老婆(There was an Old Woman)』(別名『生者と死者と(The Quick and the Dead)』1943年)という長篇があるが、その作品にも使われている。
現在では、以下のようなヴァージョンが定番になっているらしい。

There was a little man,
And he had a little gun,
And his bullets were made of lead, lead, lead.
He went to the brook,
And shot a little duck,
Right through the middle of the head, head, head.

一般的に人を撃つのは違法だが、鴨を撃つのは(時期と場所にも依ると思うが)合法だろう。
上記の2種とも異なる歌詞だが、こういうメロディで歌っている音源がある。
第3の事件。

Humpty Dumpty sat on a wall,
Humpty Dumpty had a great fall,
All the king's horses,
And all the king's men,
Couldn't put Humpty Dumpty together again.

『鏡の国のアリス(Through the Looking-Glass)』(1871年)に登場するのをご存じの方も多いと思う。
最も有名と思われるジョン・テニエル(Sir John Tenniel、1820年-1914年)による挿画。
ウィキペディアに楽譜も掲載されているが、手許にある3種の音源のうち、一つだけ別ヴァージョンのメロディで歌われている。
6/8拍子である点は共通で、音型(符割り?)もほぼ同じであるが、メロディ・ラインは異なる。ひょっとしたら口伝えのチェインの中に某有名アニメに登場するガキ大将レヴェルの歌唱力を有する人間が加わっていたのかも知れない。
今年亡くなったチック・コリア(Chick Corea、1941年-2021年)のアルバム『The Mad Hatter』(1978年)にも同名の曲(無論彼自身の作曲したもの)が収録されている。アップ・テンポの4ビートでジョー・ファレル(Joe Farrell、1937年-1986年)がテナー・サックスを吹きまくる。後年、他のメンバーともプレイしている所を見ると、作曲者本人も気に入っていたようだ。

第4の事件

This is the house that Jack built.

This is the malt
That lay in the house that Jack built.

This is the rat,
That ate the malt
That lay in the house that Jack built.

と1行(1アイテム?)ずつ増え、多くの版では、

This is the farmer sowing his corn,
(以下略)

で始まる11行までであるが、手許にあるうち一つだけは

This is the horse and the hound and the horn,
That belonged to the farmer sowing his corn,
(以下略)

と、12行まで続いている。
これを日本語に訳すと、

「これはジャックの建てた家。

これはジャックの建てた家
に置いてある麦。

これはジャックの建てた家
に置いてある麦
を食べた鼠。」

と、後ろに1行ずつ増えて行く所が面白い。原文だと冒頭に新しいアイテムが登場するが、日本語訳は最後にならないと新アイテムが何かが判明しないのである。ある研究書では「accumulative rhyme(積み上げ唄)」と称され、「おそらく最も多くのパロディが作られた(has probably been more parodied than any other nursery story)」と記されている。「parody」という単語が他動詞にもなるとは知らなかった。やはり辞書は引くものである。

第5の事件

Little Miss Muffet
Sat on a tuffet,
Eating her curds and whey;
There came a big spider,
Who sat down beside her
And frightened Miss Muffet away.

「tuffet」という単語は16世紀頃の言葉だそうだ。だからと言って16世紀にできた唄とは言えない。いわゆる「古語」を詩歌に用いる場合もある。その頃かそれ以降にできた唄ではあるようだが。

一つ一つの事件がそれに当てはまる別々の rhyme に則っているところが工夫である。後年の『そして誰もいなくなった』のように「ある特定の童謡の歌詞に則って連続殺人が起る」というのも全体の統一感が出て面白いが。結局、「素材となるアイディア」と「調理の工夫」のどちらも重要というありきたりの結論に至るだけである。
余談だが、作者のヴァン・ダインは当初『マザー・グース殺人事件』と名付けようとしたらしいが編集者に止められたとのこと。理由は「児童文学と間違われるおそれがあるから」だそうだ。ホームズ物の『バスカーヴィル家の犬(The Hound of the Baskervilles)』(1902年)が書店の「ペット・コーナー」に並べられていたという話を聞いたからという説もある。デビュー作から続けてきた『The Benson Murder Case』『The Canary Murder Case』『The Greene Murder Case』という「6文字+殺人事件」のフォーマットを崩したくないというのも理由の一つだったらしい。
まあ、作家にもそれぞれ事情があるものである。

更なる余談。
そう言えば、クリント・イーストウッド主演の『ダーティファイター』2部作の主人公の名も「ファイロ」だった。無関係だとは思うが。

第四十四段2021年12月05日

『The house that Jack built』の和訳に関して。


「これはジャックの建てた家

これは麦
が置いてあるジャックの建てた家

これは鼠
が食べた麦
が置いてあるジャックの建てた家」


という訳が可能だと思い付いた。これなら関係代名詞は不要である。
「睡眠はアイディアの宝庫」とは良く言ったものだ。尤も、「猿が手足と尻尾を繋いでいるベンゼン環の夢」は真偽が疑わしいそうだが。

既にこういう訳が存在していたらごめんなさい。

・追補。
映画『ダーティファイター』シリーズ主人公のフルネームは「ファイロ・ベドウ(Philo Beddoe)」だった。

・追補の追記。
「ベドウ」という名は聞き覚えがあると思ったら、ホームズ物の短篇「グロリア・スコット号(The "Gloria Scott")」(『シャーロック・ホームズの回想(The Memoirs of Sherlock Holmes、1893年)』所収)にベドウズ(Beddoes)という登場人物がいた。この短篇が印象深かった理由は3つ。
1)ホームズが関わった初めての事件である("it was the first in which I was ever engaged.")。
2)物語の大半がホームズの一人語りで、その中に友人の証言や手記などが入れ子構造になっている。
3)物語のクライマックス・シーンが派手なスペクタクルになっている。後にアリステア・マクリーン(Alistair MacLean、1922年-1987年)の長篇『黄金のランデヴー(The Golden Rendezvous)』(1962年)を読んだ時、クライマックス・シーンがほぼ同じだと思った。

第四十五段2021年12月09日

コナン・ドイル作品との類似性で思い出したこと。

ラリー・ニーヴン(Laurence "Larry" Niven)に「狂気の倫理(The Ethics of Madness)」という短篇がある。中短篇集『中性子星(Neutron Star)』(1968年)所収。ラスト・シーンに既視感(deja-vu)を覚えたが、すぐ気付いた。
ドイルの短篇「ジェランドの航海(Jelland's Voyage)」である。
ドイルの作品にはホームズ物の他に、チャレンジャー教授(Professor George Edward Challenger)物やジェラール准将(Brigadier Etienne Gerard)物などあるが、シリーズ物以外に多くの長短篇がある。捕鯨船で船医の仕事に従事していた経験からか海洋が舞台になっている物も少くない。この短篇も題名どおりラスト・シーンは太平洋である。
どちらの作品も作者の代表作とは言えないどころか、抑もさほど知名度が高いとも思えない。個人的に印象的な作品というだけの事である。

なお、ドイルの短篇は全く独立した作品だが、ニーヴンの作品は(物語としては独立しているものの)「既知空域(Known Space)シリーズ」の時系列に属する。

第四十六段2021年12月11日

またもやコナン・ドイル作品との類似性。こんどは先行するものと。

『縞模様の櫃(The Striped Chest)』と言うドイルの短篇がある。
シリーズ物では無く独立した作品である。海上(厳密に言えば「に浮ぶ船内」)の出来事なので「海洋もの」に分類されるようだ。
遡って、E・A・ポウに『長方形の箱(The Oblong Box)』(1844年)と言う短篇がある。「長方形」の「箱」とは正確な語義としてどうかと思うが、そう言うタイトルだから仕方がない。「長方形」なら「正方形」と間違えられる心配は無いが、「直方体」では「立方体」と混同される恐れがある。だからと言って『細長い箱』と言うのも、ちょっと……。
ともあれ、類似性はタイトルのみでは無い。どちらも「海洋」「船」「大きなつづら(?)」という三題噺(??)になっている。となると興味の対象は当前「つづらの中身」である。どちらの作品も、やや不穏な雰囲気を醸しながら物語が進むが、最終的には合理的な解決に辿り着く……「論理」としては。
共通のお題、じゃなくて素材なだけに、ポウとドイルの作風の違いが面白い。

第四十七段2021年12月18日

今度はポウ作品との類似性に関して。

突然、とんでもない作品を思い付いた。
映画『熱砂の秘密(Five Graves to Cairo)』(1943年)である。監督はビリー・ワイルダー(Billy Wilder、1906年-2002年)。原作があり、チャールズ・ブラケット(Charles Brackett、1892年-1969年)と共同で脚色したもの。
ご覧になった方はお判りかも知れないが、メイン・トリック(?)がポウの有名な短篇中のアイディアそのままである。これ以上何か書くとネタバレになる……もうなっているかも知れない。
久しぶりに観返したくなった。家のどこかにはあるはずだ。
「どこにあるか」が最大の難問である。