流言蜚語に関して2024年09月08日

『徒然草』 第五十段

 應長の頃伊勢の国より、女の鬼になりたるを、ゐてのぼりたりといふ事ありて、その頃二十日ばかり、日毎に、京白川の人、鬼見にとて出でまどふ。「昨日は西園寺に参りたりし、今日は院へ参るべし、ただ今はそこそこに」などいひあへり。まさしく見たりといふ人もなく、虚言(そらごと)と言ふ人もなし。上下(じやうげ)ただ鬼の事のみいひやまず。
 其の頃、東山より、安居院(あぐゐ)の辺(へん)へまかり侍りしに、四条より上(かみ)ざまの人、皆北を指して走る。「一条室町に鬼あり」とののしりあへり、今出川の辺より見やれば、院の御桟敷のあたり、更に通り得べうもあらず立ちこみたり。はやく跡なき事にはあらざンめりとて、人をやりて見するに、大方あへる者なし。暮るるまで、かく立騒ぎて、はては闘諍(とうじやう)おこりて、あさましき事どもありけり。
 その頃おしなべて、二三日人のわづらふ事侍りしをぞ、かの鬼の虚言(そらごと)は此のしるしを示すなりけりといふ人も侍りし。

    橘純一校註。


……まぁ、この程度のデマ騒ぎなら、さほど罪が無くて結構だが。