第百六十四段 ― 2023年02月01日
以前、映画『駅馬車(Stagecoach)』(1939年)に関して、Yakima Canutt の名を挙げた。
篇中最も有名なのは、馬車を牽く馬に跳び移った襲撃者が撃ち落され、馬と馬車が通り過ぎてから、ふらふらと立ち上がるシーンだろう。
ここまで、1ショットである。
かなり後になって、NHKで放送したメイキングのインタヴューを観た。このシーン用に車幅を拡げた馬車を作り、馬同士の左右の間隔も空けて、その間をうまく通り抜けるように工夫したそうだ。レールで馬車と併走するカメラに依る水平の視点からの映像なので観客には判らない。
この後、主役のリンゴ・キッドが馭者台から馬に跳び移るシーンも彼のスタント。つまり、襲撃者役(=悪玉)と主役(=善玉)の双方のスタントを担当した訳だ。まあ「スタント・パースン」や「スーツ・アクター」には良くある事とは思うが。
その後、彼はアクション監督つまり「2nd Unit Diredctor(第2班監督?)」として、ウィリアム・ワイラー監督の『ベン・ハー(Ben Hur)』(1959年)や、ハワード・ホークス監督の『リオ・ロボ(Rio Lobo)』(1970年)に参加している。前者は戦車競走のシーン、後者は列車襲撃のシーンを担当したと推察される。
「スタント・マン」→「アクション監督」と言うパターンは彼が嚆矢かは知らないが、最も有名な人物の一人とは言えるだろう。後にハル・ニーダム(Hal Needham)と言う例もあるが。
・追記(15日)。
この「レールで移動するカメラ撮影」の事を「カメラ・ドリー(camera dolly)」と言うそうだ。
シラー『ヴィルヘルム・テル』より。 ― 2023年02月06日
フリードリヒ・フォン・シラー『ヴィルヘルム・テル』第3幕第3場より(秦豊吉訳)。
(略)
フリイスハルト 殿様。手前はお帽子の見張りにえらばれました足軽で御座ります。こやつは唯今お帽子に礼を拒みましたもので、その場に引っ捕えましたのでございます。そこでお申付け通りに引っ立てようと致しました処、土民どもが暴力を以て取り戻そうと致しますので。
ゲスレル (暫らくして)テル。その方は皇帝を侮り、その御名代たるこのおれをも軽んずる所存か。恭順を試みるためのこの帽子に、礼を拒むとある以上は、その方の腹黒いたくらみも、最早見えすいたぞ。
テル お許し下されませ。全くの粗忽から出ました事で、侮るのなんのと申すわけでは毛頭御座いませぬ。下心あっての仕業でしたら、手前はテルとは申しません。どうぞお許し下されませ。もう二度といたしませぬ。
ゲスレル (暫く無言の後)テル、その方は弩にかけては天晴の名人、いかな猟師にもひけをとらんというが、左様か。
ワルテル 殿様、そうだよ。父ちゃんはね、百歩はなれた木の林檎でも射てるんだよ。
ゲスレル 倅か、テル。
テル 左様にございます。
ゲスレル まだ外にあるか。
テル 倅が二人ございます。
ゲスレル どちらが可愛い。
テル どれも可愛さは同じことに御座ります。
ゲスレル テル、その方は、百歩はなれて林檎を木から打ち落せる由、その腕前をおれの面前で見せてくれ。……弩をとれ。おゝ、幸いそこに持ち合せておるわい。さあ、支度せい。この小倅の頭から、林檎を射落して見い。だが、言うておくが、ようく狙えよ。初めの一矢で中てるのだぞ。それが外れたら、その方の首はないものと思え。
一同驚愕の様子。
テル 殿様、……何という怖ろしいことをお言い付けでござります。……現在わが子の頭の上から、……いえ、いえ、殿様。まさか左様なことをお考えになる筈はございません。……飛んでもない。……まさか、人の親たるものに左様なことを、正気で仰せられるわけがございません。
ゲスレル その方は、倅の頭の上の林檎を射るのじゃ。……おれの所望じゃ。命令じゃ。
テル では、手前にわれとわが弓を引いて、可愛い倅の頭を狙えと仰有るのでございますか。……この上はわたくしの命を差上げた方がましで御座ります。
ゲスレル さあ、射るか。さもなければ、小倅と一緒に命はないぞ。
テル われとわが子に手をかけて殺すのか。殿様にはお子様がございませぬ。親心の苦しさを御存知ありませぬ。
ゲスレル これ、テル、その方は急に分別臭くなり居ったな。人の噂では、ひどく変り者で、何でも他人と違った突飛なことを好むというその方じゃ。だからこそおれもその方のために、思い切って突飛なことを選んだのじゃ。外のものなら尻ごみもいたそうが、その方は観念の目をつぶって、思い切ってやって見い。
(略)

・ウィリアム(ヴィルヘルム)・テルの物語を御存じなくとも、この場面くらいは知っている人は多いと思う。
筆者は、例によって児童向け文学全集で子供の頃読んだ。但し、戯曲形式では無く散文(物語)形式である。
メーテルリンク『青い鳥』も、イプセン『ペール・ギュント』もそうだった。無論、ラム姉弟(してい)の『シェイクスピア物語』は元々そうである。
なお、『青い鳥』に関しては物語形式の訳書が現在でもあるようだ。
・追記(11日)。
この全集には、珍しい作品もいくつか入っていた。
フランソワ・ラブレー(仏)『ガルガンチュワ物語』(1534年)。
ヘンリー・フィールディング(英)『トム・ジョーンズ』(1749年)。
ジェローム・K・ジェローム(英)『ボートの三人男』(1889年)。
ブレット・ハート(米)の短篇『The Outcasts of Poker Flat』(訳題は忘れた)など。
大人向けの文学全集にもなかなか収められていないと思われる。
あと、世界の民話としてとして、ポール・バニヤン(北米)の話など。かなり「レア物」である。
現在から見ても、かなり充実した全集だった。
また思い出したら何か附け加えるかも知れない。
・再追記。
トマス・ハーディ(英)『ウェスト・ポーリー探検記(Our Exploits at West Poley)』もあった。
・再々追記。
押川春浪『海底軍艦』や、小酒井不木『少年科学探偵』も。
第百六十五段 ― 2023年02月10日
既に述べた通り「義務教育」に関しては『日本国憲法』に明記してある。
筆者の場合、小学校は「町立小学校」で、中学校は「市立中学校」jである。
つまりどちらも「公立」=「税金で賄っている組織」である。
……と言う事は「国税」じゃなくて「地方税」が「財源」だったのかな?
音楽に関して ― 2023年02月11日
曾て、ルディ・ヴァン・ゲルダー Rudy Van Gelder と言う天才レコーディング・エンジニアーがいた。
なお、この「Van」は「ヴァン」と発音すべきか「ファン」と発音すべきかは知らない。
……当人が、どう発言していたか知らないので。
第百六十六段 ― 2023年02月12日
「比重」と言う言葉がある。
小学校の理科で教わったか、中学校の科学で学んだかは覚えていない。
この語は「液体」に限定されるようだ。
「気体」の場合には「アボガドロ数」と言うのか「分子量」というのか。これらが重さ……じゃなくて「質量」と、どう関係するのか良く理解できない。
……筆者が所謂「理系」に、ずっこけた原因の一つではある。