大工調べ 今村信雄編 ― 2022年08月31日
大工調べ 今村信雄編
昔と今とは総ての模様が変りましたから、落語なども昔の儘で弁じては、今の御方に御合点の参らん事が多くございます。されば成るべく筋のものは現代……古くても明治時代の御話にして申上げるように致しますが中には昔の儘でなければ人情の移らんものがございます。夫(そ)れに裁判ものなどを今の裁判に改めると、自然当時の法律というものに宛てはめて調べをしなければならないから、事が面倒になって来て、我々の口には中々乗りません。是等(これら)は何(ど)うしても昔の儘で弁ずる外(ほか)はないようでございます。
棟梁「どうした、与太。汝位(てめえくらい)怠惰者(なまけもの)は無(ね)えじゃァねえか、仕事に掛(かか)りゃァ良(い)い腕を持ってながら怠けてばかり居(い)やァがって……、此の頃どんな叩き大工でも引張り凧になってる位忙がしいのに、何だって遊んでるんだ」
与太郎「何だったって仕様がねえ」
棟「ナニ」
与「仕様がねえんだよ」
棟「乃公(おれ)は懊悩(じれ)たくっていかねえ、何が仕様がねえんだ」
与「只仕様がねえ」
棟「只仕様がねえたって身体(からだ)でも悪いのか」
与「身体は悪かァねえ」
棟「其(そ)んなら仕事をしなや」
与「やりてえけれど仕事が出来ねえんだ」
棟「何だって出来ねえ」
与「家主(おおや)の野郎が厳(やか)ましいんで、出来ねえんだ」
棟「家主が厳ましいたって、家主が仕事をするなとでも云ったのか」
与「そうじゃァねえ」
棟「確(しっ)かりしろい、何(ど)うしたんだ」
与「おもちゃが家主の所へ往(い)ってるんだ」
棟「ナニ家主の所へおもちゃがいってるたァ道具箱か」
与「ウム」
棟「何だって家主の所へ持ってったんだ」
与「店賃(たなちん)の借(かり)があるんだ」
棟「些(ちっ)とも判らねえ。店賃が溜(たま)って其の抵当(かた)に家主が道具箱を持ってったのか」
与「乃公(おれ)が持ってったんだ」
棟「何だってそんな間抜けな事をしたんだ」
与「店賃を遺(よこ)せよ、遺さなけりゃァ店(たな)を明けろって厳(やか)ましくって仕様がねえから、道具箱を持ってったんだ」
棟「仕様がねえなァ……じゃァ何か、店賃を持ってけば、道具箱を受戻(うけもど)して、明日にも仕事が出来るんだな」
与「マア早くいやァそうだ」
棟「早く云わねえって然(そ)うだろう。幾らだ」
与「一両と八百だ」
棟「汚ねえ家が高えな」
与「恐ろしく高えや、近所評判の高え家だ」
棟「何か一月(ひとつき)一両八百か」
与「ウーム四カ月でよ」
棟「じゃァ一分二百か、安過ぎらァ。夫(それ)だけ持ってきゃァ道具箱を持って来られるんだな」
与「ウン」
棟「サア金を貸して遣るから、早く行って持って来い……、厭な奴じゃァねえか、何だって金と乃公(おれ)の面(つら)を見比べてやがるんだ」
与「ダッテ棟梁、こりゃァ一両じゃァねえか」
棟「そうよ。夫を持ってって道具箱を取って来りゃァ宜(い)いんだ」
与「一両と八百だよ」
棟「ダカラ夫を持ってって道具箱を取って来いというんだ」
与「こりゃ額(がく)が一枚だ」
棟「幾ら云ったって同(おんな)じだよ」
与「だけれども、何(ど)う考えても八百足りねえなァ」
棟「考えねえって八百足りねえに極(きま)ってる。一両持って道具箱を取って来いというんだ」
与「渡すか」
棟「汝(てめえ)は人が好いなァ。渡すも渡さねえもあるものか、能(よ)く考えて見ろ。道具というものがあるから大工は仕事をして、暑くなく寒くなくして暮して往(い)けるんで、其の道具箱を取上げて店賃を催促するたァ間違ってる。言いずくにすりゃァ只でも取れる仕事だ、けれども長い物には巻かれろ、犬の糞(くそ)で敵(かたき)を取られても詰らねえから、是だけ持ってって道具箱をお呉(く)んなさいと云うんだ。八百足りねえって当然(あたぼう)だ、御(おん)の字だ」
与「そうか、じゃァ行って来る」
棟「行って来ねえ行って来ねえ」
与「今日(こんち)ァ」
家主「誰だ」
与「乃公(おれ)だ」
主「与太か、入れ入れ……婆さん裏の与太郎だ。仲間の者に聞くと良い腕だそうだが、何(ど)ういう者だか怠惰者(なまけもの)で困った奴だ……オイオイ格子を明ッ放(ぱな)して人の家へ入って来る奴があるか……何(なに)しに来たんだ」
与「道具箱を呉れ」
主「何という口の利きようだ。道具箱を呉れというなァ、仕事をするのか。稼げ稼げ、此の間も途中で阿母(おふくろ)に会ったら愚痴を云って居たぜ、老い先の短い者に余(あんま)り心配懸(か)けるなよ、道具箱を持って来たから、何(ど)ういう了簡(りょうけん)だと思ったら、仕事がねえというから預かって置いたが、こんな物を家へ置いたって乃公の方じゃァ仕様のねえ話だ……。エー婆さん道具箱を取って来て仕事をするたァ珍しい話だ……アアお前(めえ)には出せめえ、乃公が出して遣る……出しては遣るが与太、極(きま)る所は極らなけりゃァならねえがアノ、店賃の所は何(ど)うする」
与「何うしたって持って来た、受取れ」
主「何だ馬鹿野郎、投(ほう)り出す奴があるか、金を投り出しゃァがる。斯(こ)ういう了簡だから汝(てめえ)は貧乏する。天下の通用金を何と思う、馬鹿野郎、……婆さん其方(そっち)へ銭が飛んできゃァしねえか、飛んでかねえ……、与太、額(がく)が一枚か」
与「ウム」
主「一両か」
与「ダカラ道具箱を呉れというんだ」
主「馬鹿野郎、何てえ口の利きようだ。八百足りねえが、足りねえ所は何(ど)うする」
与「何うするったって篦棒(べらぼう)めえ、八百ばかり御(おん)の字だ」
主「何(なに)をいってやがる、馬鹿野郎。御の字てえ事があるか」
与「当然(あたぼう)よ」
主「ナニ当然(あたぼう)……、馬鹿野郎何(ど)うかして居やがる大概(たいがい)にしろ、間抜けめえ。乃公(おれ)は汝(てめえ)の気を知ってるから怒りゃァしねえが、そういう訳のものじゃァなかろう。何(なん)ぼ職人で口の利きようを知らねえたって、云いようもあったもんだ。八百足りませんが、稼いだ後持って来るから待って呉れとか、此の次一緒に入れるとか、何とか云いようがあったものだ。夫(それ)を御の字だの、あたぼうだのと云う奴があるか。店賃を何だと思ってやがる、馬鹿野郎め。今日は汝どうかして居やがるな、平常(ふだん)の口の利きようでねえ、誰かに何か悪智恵を掻かれて来たな。誰から聞いて来やがった、後の八百は何(ど)うするんだ」
与「何を云ってるんだ、全体只でも取れるんだけれども、長(なげ)えものには巻かれろ、犬の糞(くそ)で敵(かたき)を取られるから持って来たんだ」
主「何だ、面白え事をいうな、只でも取れる――、アア判った、汝の智恵じゃァねえな、……誰か尻押(しりお)しがあるな、面白い。汝は兎も角尻押しをした奴が憎い。只で取れるなら取って見ろ、女郎買いや博奕(ばくち)の貸借(かしかり)とは違う。今日(こんにち)雨露(あめつゆ)を凌(しの)ぐ店賃を何と思ってる、巫山戯(ふざけ)た事を云やァがる。家主(いえぬし)にも依(よ)れ、誰だと思うんだ。第一町役人(ちょうやくにん)の家へ来て、突立(つった)って、金を投り出して、其の言い草は何という言い草だ、渡す事は出来ねえ。何を手を出して居やァがる」
与「道具箱を……」
主「巫山戯るない、モウ八百持って来い」
与「じゃァ今持って来た一両呉れ」
主「ナニ」
与「今の一両」
主「ウム今のか。ありゃァ店賃の内金(うちきん)に預かって置こう」
与「じゃァ道具箱は」
主「モウ八百持って来い」
与「ウーン」
主「何を唸ってやがるんだ。どんな野郎が附いてようと驚かねえ。矢でも鉄砲でも持って来い。グズグズしてやがると向う脛(ずね)を打払(ぶッぱら)うぞ」
与「オー大変だ……、棟梁」
棟「どうした道具箱を持って来たか」
与「いかねえ」
棟「ナニ」
与「呉れねえ、モウ八百持って来いといやがるんだ」
棟「強情の畜生じゃァねえか、一両持ってって……」
与「ウム、ダカラ八百ばかり御の字だ、あたぼうだと云ったんだ」
棟「少し待てよ。汝(てめえ)先へ行って家主(いえぬし)に乃公(おれ)のいった通りやったのか」
与「云わなけりゃァ悪かろうと思って云った」
棟「そういう奴だ、家主(おおや)が怒ったろう」
与「真赤になって、汝(てめえ)の智恵じゃァなかろう、誰か悪智恵を掻いた奴があるだろうと云やァがるから篦棒(べらぼう)めえ、只でも取れるんだが犬の糞(くそ)で敵(かたき)てえ事があるから、長い者には巻かれろで仕方がねえから、一両持って来たんだ……」
棟「オヤオヤ皆(みんな)云ったのか、仕様のねえ畜生だナア……。併(しか)しそういったからって渡しそうなもんだ。汝(てめえ)の気を知ってるんじゃァねえか。マア仕方がねえ、モウ八百貸して遣(や)るから一旦先の一両出せ」
与「一両ねえや」
棟「今持ってった一両何(ど)うした」
与「店賃の内金に預かって置くって火鉢の抽斗(ひきだし)へ入れちまった」
棟「待てよ。夫(それ)じゃァ道具箱も渡さねえのか」
与「ウム」
棟「持って行った一両は取上げ婆(ばば)ァか」
与「爺(じじい)が取った」
棟「何を云ってやがるんだ」
与「夫(それ)で尻押しをした奴があるだろう、汝(てめえ)は兎も角悪智恵をかいた奴が憎いから渡す事はできねえ。只でも取れるなら取って見ろ、矢でも鉄砲でも持って来い。グズグズしやがると向う脛(ずね)を打払(ぶッぱら)うといやァがった」
棟「ウーム、モウ八百の事だから貸してやっても宜(い)いが、あんまり強情過ぎるから、サア町奉行へ恐れながらと駈込(かけこみ)願いをしろ、願書を書いてやる」
流石(さすが)は棟梁、願書の書き方が旨かった。家主方(いえぬしかた)に二十日(はつか)の余(よ)、道具を取り置かれ、一人(いちにん)の老母養い兼ね候という、どうもけしからん事。家主へ御差紙(おさしがみ)。只今とは違いまして、名主代(なぬしだい)だの種々(いろいろ)の者が付いて出た者だそうで、御呼込(およびこみ)の声諸共(もろとも)に、白洲へ出ましたが、町人は砂利の上へ坐りましたものだそうで、御奉行様御縁間近(ごえんまぢか)に御着座に相成(あいな)り、左右が目安方(めやすかた)、蹲踞(つくばい)の同心鉤縄(かぎなわ)を持って控えて居(い)る。白洲は水を打ったように粛然として居(お)ります。神田三河町町役家主(かんだみかわちょうちょうやくいえぬし)源六、願人源六店大工職(ねがいにんげんろくたなだいくしょく)与太郎、差添人神田竪大工町矢本金兵衛地借大工職(さしぞえにんかんだたてだいくちょうやもときんべえちかりだいくしょく)政五郎、
奉「附添(つきそい)の者一同揃ったか」
○「ヘエー揃いましてございます」
奉「与太郎、面(おもて)を上げろ」
政「与太、面(おもて)を上げろ」
与「焼芋屋の表(おもて)の廂(ひさし)を頼まれてるんだが、道具がねえんでやる事が出来ねえ」
政「その表(おもて)たァ違わい、顔を上げるんだ」
与「ヘエ」
奉「何歳になる」
与「ヘエ」
奉「何歳じゃ」
政「年は幾つだってんだ」
与「誰の」
政「汝(てめえ)のよ」
与「乃公(おれ)の真正(ほんとう)の年は……」
政「仕様がねえな、確か二十八じゃァねえか」
与「エー確か二十八で」
政「自分で確かを附ける奴があるかい」
与「二十八でございます」
奉「政五郎その方何歳じゃ……ウム、願いの趣き夫(それ)なる与太郎、源六方に二十日の余り道具を留め置かれ、一人(いちにん)の老母養い兼ねる趣きじゃが、夫(それ)に相違ないか。ウム……、源六」
源「ヘエ」
奉「その方大工与太郎の道具箱を、如何(いかが)致して二十日の余(よ)も留め置いた」
源「恐れながら申し上げます。与太郎儀(ぎ)家賃の滞(とどこお)りが四月(よつき)にも相成りまする。一両度(いちりょうど)催促を致しました所、当人の申しますには、只今の所では仕事も暇だから暫く道具箱を預かり置いて呉れろ、と当人の云うに任せて強(たっ)ての頼みゆえ預かりました。所が先達(せんだっ)て一両と八百の所を一両金(いちりょうきん)持参を致して道具箱を渡して呉れろと申しますゆえ、八百の不足はと尋ねますると、八百ばかり御の字だの、あたぼうだの、やれ只でも取れるのと様々の悪口(あくこう)を申しまして、一つ二つの言い争いを致し、御上へ御手数を相(あい)掛けまして重々(じゅうじゅう)恐れ入りまする。道具箱を預かり置きましたるは右様(みぎよう)の次第に相違ございません」
奉「ウム、デハ一両と八百文借用のある所へ一両金持参致し、八百の不足の為に言い争いが出来たと申すのじゃな」
源「御意にございます」
奉「夫(それ)は源六その方の聞き誤りでもあるまいか。与太郎の言い誤りかも知れん。苟且(かりそめ)にも町役(ちょうやく)を致して居るその方の所へ参って、真逆(まさか)左様(さよう)な悪口を申しはすまいと思うが、何(ど)うじゃ与太郎」
与「ヘエ」
奉「家主はアア申すが真逆(まさか)家主の所へ行ってあたぼう、御の字なぞと、左様な悪口はすまいな」
与「イエ悪口なんざしやァしませんが、家主(おおや)さんがあんまり頑固だから、あたぼうだ御の字だ、只でも取れるんだと、ズッと列(なら)べたんで」
奉「黙れ。夫(それ)では源六方へ参って、左様な悪口を申したのか」
与「悪口なんぞしませんけれども、あんまり判らねえから……」
奉「黙れ。恩金(おんきん)ではないか。仮令(たとい)金子(きんす)は僅かたりとしても殊(こと)には町役をも務めおる者の所へ参って、左様な事を申すとは不届きの奴だ。夫(それ)に二十日の余り道具を取り上げられ、一人(いちにん)の老母養い兼ねる者が如何(いかが)して一両の金の工面を致した」
政「恐れながら申し上げます。一両金は手前が貸し遣(つか)わしたに相違ございません」
奉「ウム、政五郎その方夫(それ)は如何にも奇特の事じゃが、併(しか)し一両と八百という事を承知して、一両の金を貸し遣わしたか、夫とも当人から一両貸して呉れというので、貸し遣わしたか、何(ど)うじゃ」
政「一両と八百と云う事は承知致しておりました」
奉「ウム、政五郎、一両と八百と云う事を承知していて、一両貸す親切があるならば、八百文の事ゆえナゼ貸して遣(や)らん。一両と八百持って参れば、道具箱は取り戻されると申せば今八百その方貸し与えては何(ど)うじゃ……、アア左様か、デハ一両金は源六が……コレ源六、政五郎はアア申すが一両金はその方(ほう)方へ預かり置いたか」
源「ヘエ家賃の内金に預かり置きましたに相違ございません」
奉「ハアそうすればモウ後(あと)八百文で宜(い)いのじゃな……左様(さよう)か。政五郎迚(とて)もの親切にモー八百文貸して遣わす訳にはいかぬか。ウムデハ与太郎、政五郎からモウ八百文借受け、家主の方へ渡して、道具箱を取戻し、明日にも渡世に有り着け。源六、あと八百文持参いたさば速やかに道具箱を渡せ、日延べ猶予は相成らん立てーッ」
ゾロゾロゾロゾロ腰掛へ帰って来る。
○「源六さん何(ど)うでしたえ」
源「有難う存じます。世の中に馬鹿ほど怖いものはない、呆れ返(けえ)って物が云われません。店子が家主を対手取(あいてど)るなんて、斯(こ)んな公事(くじ)は初めてだ。夫(それ)を又尻押しをする白痴(ばか)があるから驚きますよ。高い所へ上がってトンカチやる事は上手だろうが、御白洲(おしらす)へ出ちゃァカラ形無(かたな)し。私なざァ毎朝太神宮(だいじんぐう)の御棚(おたな)へ向って、町内繁昌とは祈らねえ。町内騒動を祈ってるんだ、番所(ばんしょ)の腰掛で弁当を使わなけりゃァ飯を食ったような気がしねえ位、……サア与太、日延べ猶予はならねえんだ、八百出して、道具箱を取りに来い。銭がなけりゃァ尻押しの所へ行って借りて来い」
与「棟梁、モウ八百貸して呉れ」
政「間抜けめえ、貸さねえたァ云わねえが、何だって彼所(あすこ)であたぼうだの御の字だのと云やァがるんだ」
与「ダッテ物は正直に云わねえと悪かろうと思ったからよ。御奉行様がそういったぜ、此方(こっち)が良くねえって……」
政「馬鹿、此処まで恥を掻きに来たようなもんだ……サア持ってけ」
与「家主(おおや)さん、サア持ってけ」
源「持ってけという奴があるか、巫山戯(ふざけ)やがって……。夫(それ)じゃァ済口(すみくち)の書面を上げるんだ、どうも御苦労様でございますが、モウ一度恥の掻き序(つい)でに願います」
家主が先立(さきだ)ちでゾロゾロ白洲へ入ってズラリ列(なら)びました。
奉「源六」
源「ヘエ」
奉「八百文受け取ったか。帰宅の後は早々道具箱を渡せ。政五郎、其方(そのほう)八百文を与太郎へ貸し遣わしたか……ウム奇特の事だ、与太郎此の後(ご)もある事だ、苟且(かりそめ)にも町役人の所へ参り、悪口(あくこう)を申すなどとは不届きな奴じゃ、此の度(たび)は差し免(ゆる)すが以後は必(きっ)とたしなめ。承(うけたまわ)れば其方(そのほう)は怠惰者(なまけもの)だという、道具箱が戻ったらば渡世を励み、老い先(さき)短い親を大切に養育いたせ。ソコで与太郎、其方(そのほう)へ尋ねるが、夫(それ)なる道具箱というものは、源六が其方方(そのほうかた)に参り道具箱を持って行ったのか、其方が持って参ったのか」
与「家主(おおや)さんがガミガミいって仕様がねえから、私が担いで行ったんで。店賃(たなちん)を納めなけりゃァ店立(たなだ)てを喰わせるてんで、忌(いまい)ましいから、寧(いっ)そ店(たな)を明けて、棟梁の所(とこ)の二階へでも権八(食客(いそうろう))か何かでもとおもったんですけれども、阿母(おふくろ)が泣いて騒ぐんで、年を老(と)って人ン所(とこ)の二階に住(すま)うのは厭だから、どうかして呉れというんで仕様がねえから道具箱を私が持って行ったに相違ございません」
奉「左様(さよう)か。源六全く夫(それ)に違いないか」
源「御意にございます」
奉「その道具箱は何の為に預かった」
源「ヘエ」
奉「一両と八百文の抵当に預かったのじゃろうな」
源「左様でございます」
奉「先ず俗に申す質物(しちもの)じゃな」
源「御意にございます」
奉「ウム質屋の株はあるか」
源「ヘエ」
奉「質屋の株なくして豈(よも)質物は取るまいな。質屋の株はあるか」
源「恐れ入ります」
奉「只恐れ入ったでは判らん、有るのか無いのか」
源「ヘエございません」
奉「コレ質株なくして質物を取るというのは不届きの奴だ」
源「重々(じゅうじゅう)恐れ入ります」
奉「其方(そのほう)二十日の余(よ)、道具を取り上げ、是れなる与太郎一人(いちにん)の老母を養い兼ねるという、如何にも不憫(ふびん)の至りじゃ。キッと御咎めを申し附(つく)べきなれども願い人(にん)が大工ゆえに、科料として、二十日間の手間料を其方(そのほう)払い遣(つか)わせ。コレ政五郎、大工の手間は此の頃一人どの位じゃ」
政「恐れながら申し上げます、常傭(じょうやとい)に致しまして十匁(もんめ)……」
奉「ウム、十匁か。二十日として二百匁であるな。源六、二百匁払い遣わせ。日延べ猶予は相成(あいな)らん、立てッ」
又腰掛けへゾロゾロ下(さが)って来る。
政「サア与太郎、行って貰って来い。天道様(てんとうさま)は見通しだ、態(ざま)ァ見やがれ。行って貰って来い、正法(しょうほう)に不思議なしだ、日延べ猶予はならねえんだ、早く行って取って来い」
与「家主(おおや)さん呉んねえ」
源「マア待て」
与「金が足りなけりゃァ尻押しに借りて来い」
源「真似をするない」
与「日延べ猶予はならねえんだ」
源「判ったよ。次郎兵衛(じろうべえ)さん、家へ帰るとお返し申します。済みませんがどうぞ少々……夫(それ)で結構でございます。サア与太郎受取れ」
与「棟梁貰って来た、サアそれお前に預けるよ」
政「宜(よ)しッ。どうも皆さん御苦労様で、帰りに一杯やりましょう。じゃァモウ一遍(いっぺん)御迷惑序(つい)でに……」
今度は政五郎が先立ちでゾロゾロゾロ、よく出たり入ったりする白州だ。
奉「源六、二百匁払い遣わしたか、以後はキットたしなめよ。政五郎其方(そのほう)二百匁は預かり、帰宅の後与太郎に相渡(あいわた)せ。与太郎明日(みょうにち)から渡世に就(つ)き、老い先短い親を大切に養育いたせ。双方共(そうほうとも)落着、立てッ……、アア政五郎一寸待て。一両と八百文で、二百匁とは此の公事(くじ)はチト儲かったな。しかし徒弟(とてい)をあわれみ、世話をいたす親切感服(かんぷく)いたしたぞ、ア流石、大工は棟梁……」
政「ヘエ調べを御覧(ごろう)じろ」
・いわゆる「地口落ち」。これも演者によっては「大岡政談」に入るようだ。
筆者が耳にしたヴァージョンでは、もっとギャグ(「くすぐり」?)が多かったと思う。流派なり演者なりで異なるんだろう。最後の場面が食事でなければ、奉行が大岡忠相である必然性はない。
口述筆記の場合、演者名と記述者名双方の表記が必要と思うが、原著には編者名のみ記されている。