人は何で生きるか 6 ― 2022年08月17日
六
一日一日とたっていき、一週一週と過ぎていって、一年の月日が流れました。ミハイルは相変らずセミョーンの家に暮らして、仕事をしていましたが、セミョーンの下職というとたいした評判です。セミョーンの下職のミハイルほど、体裁よくしかも丈夫に靴をぬうものはないといって、近郷近在からセミョーンのところへ靴の注文に来るので、セミョーンの収入はだんだんふえてきました。
あるとき冬のことでしたが、セミョーンがミハイルと二人ですわりこんで仕事をしていますと、鈴をたくさんつけた三頭立ての馬車が、家へ乗りつけました。窓から見ていますと、馬車はちょうど家の前にとまって、若い者が御者台から飛びおり、戸をあけると、中からは、毛皮外套の紳士が出て来ました。馬車から出ると、セミョーンの家へむかって、入り口の階段をのぼって来ます。マトリョーナは飛び出して、戸をさっといっぱいに開きました。紳士は身をかがめて中へはいり、背中をぐっとのばしましたが、もうほとんど頭が天井につかえんばかりで、そこいらじゅう紳士のからだでいっぱいになってしまいました。
セミョーンは立ちあがって会釈しましたが、紳士を見てあきれかえっています。こんな人は今まで見たことがありません。セミョーンも肉のしまったほうだし、ミハイルもやせぎすだし、マトリョーナときたら、まるで木っぱのようにやせてかさかさなのですが、この紳士はべつの世界から来たもののよう、顔は赤くてらてら光っているし、首は雄牛みたいで、からだぜんたい鉄で鋳たようなのです。
紳士はふっと大きな息をついて、毛皮外套をぬぎ、床几に腰をおろしていいました。
「この靴屋の主人はだれだ?」
セミョーンが出ていいました。
「私でございます、旦那様」
すると、紳士は自分のつれて来た若い衆に、大きな声でいいつけました。
「おい、フェージカ、あの品をここへ持って来い!」
若い衆がいきなりかけだして何かの包みを持って来ました。紳士は包みを受け取って、テーブルの上に置き、
「解け」といいました。若い衆は包みを解きました。
紳士はそこに出た皮を指でちょっとついて、セミョーンにいいました。
「おい、靴屋、よく聞けよ、この皮がわかるか?」
「わかります、旦那様」
「おい、こら、どんな皮か見分けがつくか?」
セミョーンは皮をいじってみて、
「けっこうな品でございます」といいました。
「そりゃけっこうにきまってるさ、ばかめ。貴様は今までこんな皮を見たことがないだろう。ドイツの品だぞ、二十ルーブリもしたのだからな」
セミョーンはおじけづいて、
「私などどうして見られるものですか」といいました。
「あたりまえよ。貴様はこの皮でわしの足にちゃんと合った靴がぬえるか?」
「ぬえますとも旦那様」
紳士はいきなりどなりつけました。
「ぬえますとも、か。貴様はだれの靴をぬうのか、どういう皮でぬうのか、よく合点しろ。わしは一年間ちゃんともって、曲がりもしなければ、破れもしないような靴をぬってもらいたいのだぞ。それができれば、仕事にかかって、皮をたちなさい。だが、もしできなければ、ひき受けるのをやめて、皮をたたんがいい。わしは前からいっておくが、もし靴が、一年たたんうちに破れたり、曲がったりしたら、貴様を牢にたたきこむぞ。もし一年間、曲がりもせねば破れもしなかったら、仕事賃に十ルーブリはらってやる」
セミョーンはおじけづいて、どういったらいいかわからないので、ミハイルのほうをふり返って見ました。
ひじをとんとついて、
「おい、どうしよう?」と小さい声でいいました。
ミハイルは『その仕事をひき受けなさい』とでもいうように、ちょっとうなずいてみせました。
セミョーンはミハイルのいうことを聞いて、一年のあいだ曲がりもせず、破れもしない靴をぬうことをひき受けました。
紳士は若い衆をよんで、左足の靴をぬがせ、足をぐっとのばしました。
「寸法を取れ!」
セミョーンは一尺以上もある紙をぬい合わせて、しわをのばし、両膝ついて、旦那様の靴下をよごさないように、前掛けで手をよっくふいて、寸法を取りにかかりました。セミョーンは裏をはかり、甲の高さをはかり、ふくらはぎをはかりにかかったところ、紙の両端が合いません。旦那の足は、ふくらはぎのところが丸太のように太いのです。
「いいか、胴皮を細くしたらだめだぞ」
セミョーンはまた紙をぬい足しました。旦那はじっとすわって、靴下の中で指をもぞもぞ動かしながら、部屋の中の人たちを見回していましたが、ミハイルを見ると、
「これはいったいだれだ?」と聞きました。
「これは家の職人で、この男がぬうのでございます」
「いいか」と紳士はミハイルにいいました。「よく覚えておけ、一年間はちゃんともつようにぬうんだぞ」
セミョーンもミハイルをふり返って見ました。ところがミハイルは旦那の顔を見ないで、そのうしろの隅っこに目をすえています。まるでだれかを見分けようとしているようです。ミハイルはじっと見つめていましたが、急ににっこり笑って、顔がすっかり明るくなりました。
「貴様、なんだってにやにやしてるんだ、ばか。それよりいいか、期限までにちゃんと作っておくんだぞ」
すると、ミハイルはいいました。
「ちょうどお間に合うようにいたします」
「よしよし」
紳士は靴をはき、毛皮外套を着て、前をぱっとかき合わせると、戸口のほうへ歩きだしました。が、頭をかがめることを忘れたので、鴨居(かもい)に頭をぶっつけてしまいました。
紳士は悪態をついて、頭をさすりながら、馬車に乗って、行ってしまいました。
紳士が出て行くと、セミョーンはいいました。
「いやはや、がっちりした旦那だ。あの人は大鑿(おおのみ)でだって殺せやしない。額で鴨居をはずしそうになったが、たいして痛そうな顔もしやしない」
すると、マトリョーナは、
「あんなけっこうな暮らしをしていたら、りっぱなからだをしていないはずがないよ。あんながんじょうな人には死に神だって歯が立ちゃしない」といいました。
獅子の皮を着た驢馬 イソップ ― 2022年08月17日
獅子の皮を着た驢馬 イソップ 楠山正雄訳
驢馬が獅子の皮を見付け、こいつはいいものが手に入ったというので、それを頭から冠(かぶ)ってそこらをのそりのそり歩きまわって見ると、人間といわず獣といわず、みんなほんものの獅子が来たと思いちがえ、びっくり仰天、足も空(そら)に逃げ散る。驢馬はおもしろくってたまらないので、すっかり調子づいてしまい、いっぱし獅子になった気でううと吼えて見た。それを狐が聞いて、一声(ひとこえ)で、ははあと正体を悟って、
「おやおや、お前さんだったのかい。わたしも今の声を聞くまでは、危(あやう)く見そくなうところであったよ。ははははは」と笑った。