メデューサの首 7 ― 2022年06月25日
(七) 岩へ繋がれた少女
ペルセウスはエジプトを去ってから、紅海の浜を伝わって、東へ東へと進んだが、そこから方向を変えて北に向い、真黒(まっくろ)いエチオピヤ人の国へ入った。彼は海岸に沿うて海の上を翔(かけ)って行くと、紫色の崖の裾(すそ)に、何か白い物が立っているのが目についた。水鳥にしては少し大きいし、大理石の像にしては小さい、と思いながら、好奇心に引かれて、近くへ寄って見ると、思いがけなく、それは血の通った一人の少女であった。少女は両手を頭の上へ伸ばしたまま、黄銅の鎖で岩へ繋がれて、長い髪を風に飜(ひるが)えし、波の飛沫(しぶき)のかかる度に、わなわなと身を震わしていた。折々(おりおり)上げる顔はヘスペリデスの姉妹よりも美しい位だが、絶えず啜(すす)り泣きを続けて、口の中で呼ぶのは母の名でもあろうか。ペルセウスは闇の帽子を被っているので、姿は見えなかった。彼は側(そば)へ寄って、少女の姿を見つめているうちに、「こんな美しい少女に何の罪もある筈はない。」と思うと共に、こんな少女を、こんな残酷な目にあわせる、野蛮人の行いを、黙って見のがして行く訳(わけ)にはゆかないような気がした。
ペルセウスは、不意に闇の帽子をぬいで、少女の前に立った。少女は男の姿を見て、驚いたような声を立てた。けれどもペルセウスの顔には、神のような気高い心持ちが現われ、その目の底には、親切な、底力のある色が漂っていたので、少女の顔には安心の色が浮んで来た。
その時ペルセウスは少女に向って、こんな憂き目にあっている訳を尋ねると、少女は涙を流しながら、次の話を語り出した。少女の母はカッシオペーヤと言って、このエチオピヤ国の女王であったが、その美しい姿と、丈(たけ)にも余る黒髪を自慢にして、波の底で遊んでいる神女(ニムフ)達でも、自分よりも美しい髪を持った者はない、と言った事がある。すると水の女王のアタルガチスがこの話を聞いて、恐ろしい罰をこの国へ下した。自分では洪水を起して国中を洗い流し、その兄の火の神は、地震を起して、この国を荒したが、それでも足らずに、更に一疋の怪物を送って、国中の人間の根を絶やそうとした。怪物は絶えずその恐ろしい姿を海中から現わして、男女老幼の区別なく、国人(こくじん)を捕(と)って食うので、父の国王は神託に問うて、国民の為にこの難儀を救う道を求めると、神託は「王女アンドロメダを犠牲にして、神の怒りを宥(なだ)めよ」と命じた。こういう訳で、父の王は、全国民の難儀を救いたいばかりに、最愛の王女を、恐ろしい怪物の餌食にすることになったのである。
少女がこう言っているうちに、遙か彼方の海の上へ、真黒(まっくろ)な、大岩のような姿を現わして、前と後(うしろ)に真白(まっしろ)な泡を立てながら、怪物が近寄って来た。アンドロメダはそれを見ると、恐ろしい声を立てて叫び出した。
「ほら! 来ました! 来ました! さあ、あなたは早くあっちへ入(い)らしって下さい。わたくしの死ぬ時が来ました。」
その時ペルセウスは、身を浮べて空へ飛び上った。丁度(ちょうど)鷹が獲物を撃つ前にするように、少時(しばし)は翼を休めて、じっと下を覘(ねら)っていたが、忽ち流星のように落ちかかって、宝剣を揮(ふる)って怪物を撃った。一撃(ひとうち)、二撃(ふたうち)、三撃(みうち)……抜いては撃ち、抜いては撃ちするうちに、海の水は怪物の血汐に染まって、怪物が大きな体をうねらして、跳ねかえる度(たび)に、一面に真赤な泡を立てた。怪物の姿は忽ち水の中へ沈んだが、暫くすると死骸になって海の上へ浮び出した。
ペルセウスはこれを見て、急いで少女の側(そば)へ戻って来た。そして剣(けん)を揮(ふる)って黄銅の鎖を切り離すと、アンドロメダを抱えたまま、鳩を捕えた隼(はやぶさ)のように陸の方へ飛んで行った。
海岸へ出てこの様子を見物していたエチオピヤ人は、元よりこの英雄を歓迎した。国王と王妃も、この報知(しらせ)を聞いて、海岸へかけつけて来た。この時のペルセウス程、世にも光栄に満ちた者があろうか? 又この時のエチオピヤ人程、歓喜の極(きょく)に達した者があろうか? 王も、王妃も、その他すべてのエチオピヤ人も、一斉に手を拡げて、ペルセウスとアンドロメダの周囲へ寄って来た。そして二人を取り囲んで、万歳を叫びながら、抱き上げないばかりにして王宮へ送り込んだ。
この時の王と王妃程、世にも感謝の念に満ちた者があろうか? この時のアンドロメダ程、世にも幸福な者があろうか? 王女にとっては救主(すくいぬし)でもあり、この世に二人とない英雄でもあったペルセウスは、彼女(かれ)に生命と自由とを与えたばかりでなく、心までも投げ出して彼女(かれ)の前に捧げたのである。
王宮へ帰ると、国王は深くペルセウスの勇気を讃嘆(さんたん)して、その望みにまかせて、王女アンドロメダをペルセウスの妻にし、宮中で盛んな結婚の式を挙げた。するとこの式場へ火のようになって暴れ込んで来た者があった。それは国王の弟のフィネウスという者が、前々からアンドロメダを自分の子の妻にしようという約束があったので、その約束を楯にして、ペルセウスとの結婚に故障(こしょう)を言いに来たのである。
「あなたは何処の馬の骨とも分らない外国人に娘をやるという法があるか?」とフィネウスは王に向って言った。「アンドロメダは倅の許嫁ではないか? 無事に戻って来たからは、倅の嫁になるのが当然です。」
ペルセウスはこれを聞くと、笑ってフィネウスの前へ進んで行った。
「御子息が王女を許嫁だと思うなら、何故御自分で王女を救わなかったのです。御子息はよくよく意気地(いくじ)のないお婿さんだ。王女を見殺しにして置いたのだから、御子息の為には、王女はもう死んだ者です。私は死んだ王女を助けたのだから、王女は私のものです。恩も義理も知らないというのは、あなたのことだ! 私はあなたの国をも、あなたの子供達をも、救って上げたではないか? その恩を思ったら、そんなことが言えた義理ではありますまい。さあ、お退(の)きなさい、でないと御身の為にはなりませんぞ!」
こう言われて、フィネウスはいよいよ怒り狂って、子息(むすこ)等と一処(いっしょ)に、剣を抜き連れて、ペルセウスに切りかけて来た。その時ペルセウスは手早く山羊の皮をのけて、ゴルゴンの首を差し向けたので、フィネウスも、子息(むすこ)達も、立ちながら石になってしまった。
それから七日(なぬか)の間盛んな宴会が続いて、国中の民は残らず王宮の前へ集(あつま)って、この恩人の為に万歳を唱えたが、八日目の晩に、パラス・アテーネが夢のうちに現われて、ペルセウスに言った。
「ペルセウスよ、天晴(あっぱれ)大神の子に恥じない振舞いをしました! お前の仕事も最(も)う終りに近づいた。悲劇が喜劇でおしまいになった。最早(もう)ヘルメスの沓(くつ)と、ハーデスの帽子と、私の剣(けん)と楯とは、用のないものになったから、私が持って行く。ただゴルゴンの首だけは、まだ少し要る事があるから、セリフォスへ帰るまでお前に預けて置く。用がすんだらセリフォスの神殿へ持って来て供えるがいい。」
こう言ったかと思うと、女神の姿は消えて、ペルセウスは夢から醒めたが、側(わき)へ置いた楯と剣と帽子と沓はもう見えなかった。
第百十五段 ― 2022年06月25日
「民族音楽(民俗音楽?)」「五音音階」等(など)からの連想。

上記は、手許の曲集にある楽譜だが、筆者のぼんやりした記憶では以下のようなものだったと思う。

歌詞は
「一つとや、一夜(ひとよ)明くればにぎやかで、にぎやかで、
おかざり立てたる松かざり、松かざり」
こういうのを「都節」というのか「陰旋法」というのか、何だかわからない。そもそも記憶が不確かなのである。
小泉文夫氏の本でも読めば書いてあるのかも知れないが、筆者のように素地が無い人間には猫に小判、豚に真珠だろう。どうせ自分が理解出来る範囲内に納まるよう曲解して無理矢理ねじこむのがオチである。
・補足(7月3日)。
なお、小泉文夫は「日本の三ズミ」の一人である。
あとの二ズミは黛敏郎と山本直ズミ。
・追記(7月6日)。
そう言えば、『管弦楽のためのラプソディ』(外山雄三)という曲もあった。
或る日本のオーケストラの外国への初ビータ用に作曲されたそうだ。