空に浮かぶ騎士 A・ビアス ― 2022年06月04日
空に浮かぶ騎士
1
アメリカ合衆国が北部と南部の二つにわれて、あの南北戦争がはじまった一八六一年の秋のことである。西ヴァージニアの山道(やまみち)ぞいにしげっているゲッケイジュにうずもれて、ひとりの兵士が横たわっていた。うつぶせになって、左の手に顔をおしつけたその姿は、死んでいるのかとうたがわれた。ただ、皮帯(かわおび)にとりつけた背中の弾薬(だんやく)ぶくろが、ゆるく拍子(ひょうし)をとって動いているので、生きているのだなと、わずかにうなずけるのだった。さしのべた右手は、ゆるく小銃をおさえている。この兵士は、重要な任務についていながら、ねむりこけているのである。見つけられたら、当然、銃殺(じゅうさつ)されなければならない。
兵士がねむっている場所は、急斜面を南へのぼりきった道が、にわかに西へおれる。そのまがりかどにあたっていた。道は、そのまま三十メートルあまり山のいただきを走ってから、さらに南へまがって、森の中をうねりくだっていく。その二番目のまがりかどのところに、大きな、たいらな岩があって、北のほうへ、ぐっと頭をつきだしている。下は深い谷で、道はその谷からはいのぼってきているのである。岩は、高いがけに帽子をかぶせた形で、そのはずれから石を落とせば、谷にはえたマツのこずえまで三百メートル、まっすぐに落ちるわけだ。
このあたりは、いたるところ森におおわれている。ただ谷底(たにそこ)の北よりに、ひととこ、自然の牧場のようになっている、せまい原があり、そこを小川がながれている。その原だけが、まわりの森よりは、みどりが、ひときわ、あざやかに見える。その向こうには、こちらがわと同じような高い大きながけが、ならび立っている。谷の地形は、すっかり山にかこいこまれていて、出口も入り口もないように思われる。
かりに、この谷底へ、一師団(いちしだん)の兵力を追いこんだとすれば、これを兵糧(ひょうろう)ぜめにして屈服(くっぷく)させるためには、入り口をかためる五十人の兵隊があれば、じゅうぶんであろう。ところが、そういう危険な場所の森の中に、現在、北軍(ほくぐん)の五個連隊(ごこれんたい)がかくれているのだ。全軍の将兵(しょうへい)は、いち日ひと晩の強行軍(きょうこうぐん)をつづけたあと、必要な休養をとっているところだ。日のくれぐれには、ふたたび立って、いま、たのみにならない歩哨(ほしょう)がねむっている山をのりこえ、およそ真夜中(まよなか)ごろに、向こうがわの谷にある、敵陣(てきじん)へなだれこもうというのだ。それまでに味方の行動をかんづかれたら、なにもかも終わりだ。
それなのに、だいじな歩哨(ほしょう)はねむりこけているではないか。
2
ねむっている歩哨(ほしょう)はカータ・ドルースというヴァージニア[註:南軍の州]の青年だった。かれはゆたかな農家のひとりむすこで、家は、ここから、ほんの何(なん)キロかはなれたところにあるのだ。
ある朝、カータは、朝めしの食卓(しょくたく)から立ちあがって、静かに、しかし、おもおもしくいった。
「おとうさん、北軍の連隊がグラフトンに到着(とうちゃく)しました。私はそれに参加しようと思います。」
父親はその威厳(いげん)にみちた顔をあげて、しばらく、無言で、むすこをながめたあとで、こたえた。
「行くがいい、カータ、それが正しいことだと思うなら。そしてどんなばあいにも、自分の任務だと信ずることはやりとげてもらいたい。ヴァージニアにとっては、おまえは、むほん人(にん)になる。だが、この父にも、それをとめる権利はない。戦争がすむまで、ふたりとも生きていられたら、その時に、このことはよく相談することにしよう。ところで、おかあさんの容態(ようだい)は、おまえも医者からきいているとおり、いま、たいへん悪いのだ。せいぜいもつとしても、ここ何週間というところだろう。だがその何週間かはとうとい時間だ。よけいな心配はさせたくない。なんにも話さずにいくほうが、かえってよかろう。」
カータ・ドルースは、父にむかって、うやうやしく、頭をさげて、自分の生まれた家を立ちさっていった。父は、深い心の悲しみをおしかくして、りっぱな態度で、それを見おくったのであった。
良心と勇気によって、また命をおしまないだいたんなおこないによって、カータ・ドルースは、すぐに、戦友や上官にみとめられるようになった。それだからこそ、かれは、いまこうして、最前線のこの危険な歩哨(ほしょう)にえらばれたのだった。それに、かれがこのへんの地理にあかるいことも、この任務につごうがいいと考えられたのだった。だが、さすがのカータも、はげしい疲労(ひろう)には勝つことができず、とうとう、ねむりこんでしまったのである。
3
あたりは静まりかえっている。おそい午後の空気は、ものうくよどんでいる。どうしたはずみか、その静けさの中で、カータのまぶたが、わずかにひらいた。それから、かれは、そっと顔をあげて、むらだつゲッゲイジュのほそい幹(みき)のあいだから、向こうの空を見つめた。右手は、自分でも知らずに、銃をつかんでいた。
はじめに起こったのは、美しいなあという気もちだった。おもおもしい威厳をそなえた騎馬像(きばぞう)が、れいのたいらな岩におおわれた、とてつもなく大きながけを台座(だいざ)にして、その突き出た岩のはずれに、大空を背景(はいけい)にして、くっきりと、えがきだされているのだ。人間の像が、馬の像の上に、まっすぐな軍人らしい姿勢(しせい)で、座をしめている。それでいて、大理石にきざんだギリシァの神像のような、ゆったりしたおもむきもそなえている。灰色(はいいろ)の軍服が、うしろの空の色と、じつに、うまく調和している。日光をぎゃくにうけている金具(かなぐ)も光らず、色のけじめもやわらげて、影の中に沈んで見える。馬のからだにも、白く光っているところは、ひとつもない。くらの前輪に、右手でかるくささえられている騎兵銃は、遠くはなれているために、じっさいよりは、また、いちだんと小さく見えた。馬上の人の顔は、少し左をむいているので、こちらから見えるのは、こめかみとあごひげの輪郭(りんかく)だけにすぎなかった。かれは谷底(たにそこ)を見おろしている。ぜんたいが空に浮かんでいるというせいもあり、とつぜん敵が近くへあらわれたのをおそれるカータの気もちのせいもあったのだろうが、その騎馬像は、何か、どうどうとして、むやみに大きく思われたのであった。
ほんのちょっとのあいだ、カータは、自分がねむっているまに、戦争がすんでしまったのではあるまいかと、うたぐった。そして、いま自分がながめているのは、えらいてがらを立てた将軍(しょうぐん)の銅像かもしれないという気がした。だが、そのとき、馬が、ちょっと動いた。そして、かれの夢(ゆめ)のような気もちを、一度にふきはらってしまった。かれは、みかたの軍隊が、いま、どんな危険にさらされているか、はっきり、それをさとったのである。
カータは、注意ぶかく銃身をしげみのあいだからつきだして、台尻(だいじり)を、ぴたりと肩につけた。銃口は、まさしく、馬上の人の心臓をねらっていた。もう、引きがねを引きさえすれば、カータ・ドルーズの任務は、とげられるのだ。そのしゅんかん、馬上の人は、ふいに、このかくれた敵兵のほうに顔をむけて、じっとながめた。カータは、自分の顔を、自分の目を、いや、自分の心臓を、のぞきこまれたような気がした。
戦争で敵をころすということは、これほども恐ろしいことだったのであろうか。しかも、その敵は、自分にとっても、また戦友たちにとっても、命にかかわる秘密をさぐり出してしまっているかもしれないのだ。カータ・ドルーズの顔は青ざめていた。手足(てあし)はふるえ、空中の騎馬像は、黒いかたまりになって、目の前で浮いたり沈んだりした。
銃身をささえた手はだらりとさがり、もたげた顔も、がくりと落ちた。さすが勇気のさかんな若い兵士も、あんまり気もちをはりつめすぎて、あぶなく気をうしないかけたのだった。
だが、それは、長いあいだではなかった。カータは、しだいに気力をとりもどしはじめた。かれは、ふたたび、顔をあげて、銃をしっかりとかまえた。指は引きがねをさぐっている。心も目もすみきっていた。敵をいけどりにすることはのぞめない。敵に気(け)どられたらさいご、敵は馬を自分の陣地へ飛ばして、このできごとを報告するにきまっている。カータがなすべきことははっきりしていた。敵がなんにも知らぬまに撃ちころすことだ。だが、待てよ。馬上の人は、じつは、まだ、みかたのことはなんにも知らずにいるのかもわからない。ただあそこに馬を立てて、あたりの風景に見とれているだけなのかもしれない。助けてやれば、そのまま、もときた方角へ馬をかえして、引きあげていくだけのことかもしれない。すくなくとも、その引きあげるときのようすを見れば、敵がみかたのひそんでいることに気がついたか、気がつかなかったかを判断することはできるだろう。カータは、頭をねじって、遠く谷底(たにそこ)をのぞいて見た。みどり色の草原を、一隊の兵と馬とが、長い、うねった線をえがいて行進している。おろかな部隊長のひとりが、何百という峰(みね)に見おろされた、むきだしの原っぱを通って、馬を水飲みにつれていくことをゆるしたとみえる。
カータ・ドルースは、いそいで、目を谷底(たにそこ)から岩の上の人と馬にうつした。もう、ゆうよはできない。彼は、銃をかまえて、静かにねらいをさだめた。だが、こんどかれがねらっているのは、馬であった。かれの頭の中で、家を出るとき父に言われたことばがきこえていた。「どんなばあいにも、自分の任務だと信ずることはやりとげてもらいたい。」かれはすっかり静かな気分になっていた。
「あわてるなよ。おちついて――。」かれは自分に言いきかせた。ねらいはさだまった。かれは発砲した。
4
ちょうどそのとき、北軍の将校がひとり、地形偵察(ちけいていさつ)のために、マツ林のはずれを歩いてきた。五百メートルばかり向こうに、みどり色のマツのこずえをつきぬけて、大きながけがそそり立っている。見あげると、頭のしんがクラクラッとするほど高い。――と思ったとたんに、将校は異様な光景を見た。馬上の人が、そのままの姿勢で、谷へむかって、空中を乗りおろしてくるではないか。
岸は、しっかりとくらに腰をつけて、軍人らしく、まっすぐに上体をたもっていた。ひかえたたづなはピンと張っている。ただ、帽子だけは、風にあおられて飛びさった。そして頭からは、長い髪の毛が、空にむかって流れている。たてがみを雲のようになびかせた馬のからだは、大地を走るときのとおり水平である。四つのひづめは、猛烈な勢いで速(はや)がけをしているときのように動いていたが、見ているうちに、そろって前のほうに突きだされ、いま、地上へおり立とうとするときの姿勢になった。
空に浮かぶ騎士! 将校はまぼろしを見ている思いだった。感情がたかぶって、走ろうとしても、足がいうことをきかなかった。かれは、ほうりだされるようにころんだ。そして、それと同時に、一発の銃声をきいた。ただ一発、そして、あとは、しんと、静まりかえってしまった。
将校は立ちあがった。しかし、ふるえは、まだ、とまらない。そのうちに、すりむいたむこうずねが痛んできた。そして、その痛みのおかげで、やっと、われを取りかえすことができた。そこで、がけから二百メートルばかりはなれたところまで、かけつけてみた。そのへんに、馬と人とは落ちたにちがいないと思ったからである。しかし、むろん、かれは、そこに何ものも発見することはできなかった。空中の騎士の美しさにまどわされて、かれは、それが、まっすぐ下へむかって落ちていったのだということに思いいたらなかったのである。馬と人とは、がけの真下(ました)に横たわっているはずだ。将校は、一時間ののちに、陣営(じんえい)へ帰った。
この将校はかしこい人だったから、たとえ、ほんとうのことでも、人が信じてくれそうもないことは、だまっているにこしたことはないと考えた。だから、自分の見てきたことを、だれにも話さなかった。
5
発砲したあと、歩哨(ほしょう)カータ・ドルースは、ふたたび、銃にたまをこめて、見はりをつづけた。十分(じっぷん)とたたないうちに、みかたの軍曹(ぐんそう)が、四つんばいになって、かれのそばへしのびよった。カータはふりむかなかった。伏せたままの姿勢で、身じろぎ一つしなかった。
「発砲したのか。」
軍曹(ぐんそう)は小声(こごえ)できいた。
「はい。」
「何を撃ったんだ。」
「馬です。あそこの――ずっと向こうの岩の上に立っていたんです。もう見えないでしょう。がけから、ころがり落ちたんです。」
カータの顔には血の気がなかった。だが、そのほかにかわったようすは見えない。返事をしてしまうと、かれは、顔をそむけて、口をつぐんだ。軍曹(ぐんそう)には、なんのことか、さっぱりわからなかった。
「おい、ドルース、はっきりしたことを言うのだ。命令だ。返事をしろ、馬にはだれか乗っていたのか。」
「はい、乗っていました。」
「何者(なにもの)だ、乗っていたのは。」
ドルースは、もういちど、軍曹(ぐんそう)のほうを向いて、それから、ひとことずつ、かみしめるように言った。
「わたくしの父です。」軍曹(ぐんそう)のほうを向いて、それから、ひとことずつ、かみしめるように言った。
「わたくしの父です。」軍曹(ぐんそう)は立ちあがって、歩み去った。「なんということだ!」と、かれはつぶやいた。
・『空に浮かぶ騎士 ―海外少年小説選―』より。何故この作品が「少年小説選」にセレクトされたかは不明。
原作は、アンブローズ・ビアス(Ambrose Bierce、1842年-1914年頃?)『In the Midst of Life(Tales of Soldiers and Civilians)』(1982年)より「A Horseman in the Sky」。
ビアスを初めて知ったのは、偶々聞いていたNHK-FMの朗読番組だった。たぶん中学生の時。作品は『One of the Missing』、訳題は『行方不明の兵士(男?)』みたいな記憶がある、ぼんやりとだが。
日下武史氏による抑制されたトーンの朗読が実に印象的だった。FM東京(当時)のラジオ・ドラマ『あいつ』も好きだった。
ちなみに、その頃のFM局は「NHK」と「民放局」の二つしか無かった。
……その割に、FM誌は多かったが。
第百五段 ― 2022年06月04日
二階氏と安倍氏が会談し、現政権を支える事で一致したそうだ。
露骨な「疑似院政ごっこ」って奴か。
誰が「puppet」で、誰が「puppeteer(s)」であるか、見え見えである。
・余談。
「納税」は国民の義務であり、「生活保護の受給」は国民の権利である。
義務を果すのも権利を行使するのも当然であり、一々騒ぐ必要はない。
納税が嫌なら「tax haven」とか言う土地へ引っ越しゃ好いだけである。
…昨今、やや旨味が減っているそうだが。