日本人の微笑 小泉八雲 ― 2022年05月27日
『日本人の微笑』小泉八雲、田部隆次訳。
一
世界及びその珍奇な事に関する考へを重に小説や伝奇で定める人々は、今でも、東洋は西洋よりも真面目であると云ふ信仰を何となしに抱いて居る。もう少し高い立脚地から物事を判断する人々はそれに反して、現在の状況では、西洋は東洋よりも真面目である筈だと云ふ、それから真面目くさつて居る事でも、又その反対らしい事でも、ただ流行として存し得る物だと云ふ。しかし事実は、この事に関して、凡て外の問題に於けると同じく、人類のどちらの半分にも応用のできるやうな正確な規則は作られない。科学的には、今の処どうしてそんな物が出て来るか、その非常に複雑な原因を満足に説明しようと思はないでただ一般にその対照をなせる結果だけを研究するより外はない。特別に興味のあるこんな対照を示せる一事は英人と日本人とによつて提供された物である。
英国人は真面目な人種、表面ばかり真面目でなく、人種性格の根柢まで真面目であると云ふのが普通である。それと同じく、英国人程真面目でない人種と比べても、日本人は表面からも根柢からも甚だ真面目とは云へないと云ふ事も殆んど間違ひはない。それから少くとも真面目でないと同じ程度に、日本人はもつと気楽である。日本人は恐らくやはり文明世界に於て、最も気楽な人種である。私共西洋の真面目な者は自分で気楽だとは云へない。実際私共はどれ程真面目だか充分知らない、そして産業生活のたえず増大する圧迫のために、どれ程益々真面目になりさうだか分つて見れば、恐らく驚かずには居られないだらう。私共の気分を最もよく知る事のできるのは私共程しかつめらしくない人種の間に長く生活するに限るやうだ。私は日本内地に三年近く住んだあとで開港場の神戸で数日間英国流の生活に帰つた時、この確信が甚だ強く私に起つた。もう一度英国人の話す英語を聞いてとてもありさうにない程の感動を受けた。しかしこの感情はほんの暫く続いただけであつた。私の目的は或る必要な買物をする事であつた。私のつれの日本の友人があつた。その人に取つては凡て外国風の生活は、全く新しい不思議な物であつた。そしてその人は私にこんな奇妙な質問をした。「どうしてあの外国人は笑はないのでせう。あなたはあの人達に物を云ふ時、にこにこしてお辞儀をなさるが、あの人達はにこつともしない。何故でせう」
実際私は全く日本人の風俗習慣になつてしまつて、西洋風と離れてゐたのであつた。そして私の友人の質問によつて始めて私はよほど妙な事をやつて居る事に気がついた。それが又二つの人種の間の相互の了解の困難な事のよい例だと思はれた。銘々が他の人種の習慣や動機を自分の習慣や動機で判断するのは如何にも自然だが又如何にも誤り易いから。日本人は英国人のしかつべらしい事で困れば、英国人も又とにかく日本人の軽薄な事で困るのである。日本人は外国人の「顔が怒つて」居る事を云ふ。外国人は日本人のにこにこ顔をひどく軽蔑して云ふ、彼等はそれが不真面目を表はして居ると疑ふ、実際不真面目以外の意味はないと公言する者もある。只少数のもつと注意深い人は研究の価値ある謎であると認めて居る。私の横濱の友人の一人は、極めて愛すべき人で、東洋の各開港場で半生以上をすごした人だが、私の内地に出発する丁度前に私に云つた。「君は日本人の生活を研究するのだから、多分僕のために一つ発見する事ができよう。僕は日本人のにこにこ顔が分らない。沢山経験はあるが一つ云つて見よう。僕が或る日山の手から馬に乗つて下りて来た時、僕はその曲り道の間違つた側から登つて来る空車を見た。馬を引き止めようとしても丁度間に合はなかつたらう、しかし大した危険もないと思つて止めて見もしなかつた。僕はただあちら側へ行くやうにと日本語でその車夫にどなつた、ところがその車夫はさうはしないで只曲り道の低い方にある塀に車をよせて梶棒を外側へむけた。僕の乗つて居る速さでは横道によける間がなかつた、それで直ぐそのつぎに車の梶棒が一つ馬の肩にあたつた。車夫は少しも怪我はしなかつた。僕は馬が出血して居る様子を見てムラムラとして、僕の鞭の太い方の端でその男の頭の上からなぐりつけた。その男は僕の顔を真面目に見てにつこり笑つて、それからお辞儀をした。そのにつこりが今でも見える。僕はたたきつけられたやうな気がした。そのにこにこで僕はすつかり参つてしまつて、怒りがすぐに飛んで行つてしまつた。全く、それは丁寧なにこにこであつた。しかし何の意味だつたらう。一体全体あの男はどんなわけで笑つたのだらう。それが分らない」
私もその当時分らなかつた、しかしその後もつと遙かに分らない微笑の意味が私に分つて来た。日本人は死に面して微笑する事ができる。そして事実いつも微笑する。しかしその時微笑するのも、その外の場合に微笑するのも同じ理由である。その微笑には軽侮や偽善はない、又弱い性格と連想されがちの病的あきらめの微笑と混雑してはならない。それは念入りの、長い間に養成された礼法である。それは沈黙の言語である。しかし人相上の表情に関する西洋風の考へからそれを解釈しようと試みるのは、漢字を普通の事物の形に実際似て居る、又は似て居ると想像する事で解釈しようとするのと殆ど同じく成功しさうにない。
第一印象は重に本能的であるから学術的に幾分信ずべき物と認められて居る、そして日本人の微笑によつて起される第一印象それ自身は事実大してまちがつてゐない。外国人は日本人の顔の大概嬉しさうな、にこにこした特色に気がつかない事はない。そしてこの第一印象は大概非常に愉快である。日本人の微笑は初めのうちは人を喜ばせる。人が始めて疑ふやうになるのはもつとあとの事で、格段な場合、即ち苦痛、恥辱、失望の場合に、それと同じ微笑を見るに到つた時である。その微笑の一見不適当な事が時として烈しい怒りを起させる事になる。実際外国の居留民と日本人の従者との間の悶着の多数は、この微笑の故である。よい従者は真面目くさつて居るべきだと云ふ英国の伝説を信じて居る人は、皆彼の「ボーイ」のこの微笑を辛抱して居られさうにはない。しかし現今西洋の風変りなこの特別の点は追々日本人にもよく認められるやうになつて来た。そして普通の英語を話す外国人は微笑を好まないで、とかくそれを侮辱的だと考へがちである事を知るやうになつて来た。それだから開港場に於ける日本の使用人は大概微笑しなくなつた、そして無愛想な風を装うて居る。
今ここで横濱の或る婦人がその日本の女中の一人について物語つた妙な話を思ひ出した。
「私の日本人の乳母が先日何か大変面白い事でもあつたやうににこにこしながら私の処へ来て、夫が死んで葬式に行きたいから許してくれと云つて来ました。私は行つてお出でと云ひました。火葬にしたやうです。ところで晩になつて帰つて来て、遺骨の入つた瓶を見せました(そのうちに歯が一本見えました)、そして『これが私の夫ですよ』と云ひました。そしてさう云つた時実際声を上げて笑ひました。こんな厭な人間をあなた聞いた事ありますか」
彼女の召使の態度は不人情であるどころでなく、烈女的であつたのかも知れない、そして甚だ感動すべき説明ができたのかも知れない事を、この話をした婦人に納得させる事は全く不可能であつたらう。浅薄皮相でない人でもこんな場合には表面だけで誤られ易い。しかし開港場の外国居留者の多数は全く浅薄皮相の徒である、そして敵となつて批評する以外には彼等の周囲の人生の表面を離れて見ようとは少しもしない。私に車夫の話をした横濱の友人の考へはそれと違つて居る、この人は表面で物を判断する事の誤りを認めた。
『知られぬ日本の面影(Glimpses of Unfamiliar Japan)』(1894年)より。
初出は『The Atlantic Monthly』だそうだ。
なお、芥川の『手巾』が発表されたのは1916年。芥川がこれを読んでいたかは不明。