第九十四段2022年05月01日

なんだかインドが旗幟不鮮明のようだ。「中立」を堅持するつもりか、旗色がいい方に寄るつもりかは不明。
1980年頃、ソ連(現ロシア)の「ルーブリ」とインドの「ルピー」は国外持ち出し禁止だったような記憶がある。ぼんやりとだが。

ヘラクレスの十二の課役 12022年05月02日

ヘラクレスの十二の課役 中島孤島

(一) コーカサス山下(さんか)の一旅人(いちりょじん)

 今(いま)しもコーカサス山(さん)の麓(ふもと)へさしかかった一人の旅人(たびびと)がある。図抜(ずぬ)けて巨(おおき)い躯幹(からだ)には、怖しげな獅子の皮を丸剥(まるは)ぎにしたのを着(き)、同じ獅子の頭(かしら)を帽子のように頭(あたま)へ被(かぶ)って、腰には剣(けん)を佩(お)び、右の手には、太く、逞(たくま)しい棍棒を杖に突いていた。旅人の背後(うしろ)からは、少し離れて、これも立派な体格をした一人の少年が、矢筒(やづつ)を負い、弓と盾を持って従(つ)いて行(ゆ)く。旅人は一寸(ちょっと)足を停めて、雲に包まれた山巓(さんてん)を見上げたが、無言のままで、丈(たけ)にも余る草の中を真直(まっすぐ)に山の方へ登りかけた。
 絶頂の氷の岩には、全人類の幸福を双肩に担(にな)って、巨神(チタン)プロメトイスが、鉄の鎖に繋がれながら、怖ろしい苦患(くげん)を静かに忍んで、来(きた)るべき解放の日を待っている。彼は旅人がまだ海岸の砂を踏んでいる頃から、目を離さずに、その近づくのを見渡していた。彼は解放の手が刻々に近づきつつあることを知っていた。
 旅人は岩を踏み、林を分けて、ひた登りに登って行く。やがて頭上に、雲のような翼を拡げて、悠々と輪を描(か)いている怪鳥の姿が見えて来た時に、旅人の眸(ひとみ)は火のように燃えた。彼は振返って少年の手から弓と箭(や)を取った。弓弦(ゆづる)の響(ひびき)が、山上の静けさを破った時、今(いま)丁度(ちょうど)狙いを定めて、餌食の上に落ちかかろうとした怪鳥は、忽(たちま)ち翼を飜(ひるが)えして、ひらひらと、木(こ)の葉のように落ちて来た。
 旅人は山を駈け登って、巨神(チタン)の前に立つと、何も言わずに剣を抜いて、その鎖を断(た)った。巨神(チタン)は永年(ながねん)の苛責(かしゃく)に窶(やつ)れ果てた顔をあげて、目の前に立った旅人を見た。眸の底には、感謝の光が火のように輝く。
「ヘラクレスよ! わしは今日(きょう)の日を長い間待っていた。お前の生れた時から、今日(こんにち)までの事は、残らず知っている。お前が此処(ここ)へ来ることも、此処へ来た理由(わけ)も、わしはみんな知っている。」
 この時(とき)跪(ひざまず)いて巨神(チタン)の手を握った若い旅人の手は、震えていた。人類の恩人として、この巨神(チタン)の崇高な精神は、若い勇士に取っては無量の感激であった。彼は今この巨神(チタン)の窶れ果てた姿を見て、その永い間忍んで来た大苦悶(だいくもん)の生(せい)を思うにつけて、冷酷な運命の手に翻弄されて、殆(ほと)んどあらゆる迫害の中(うち)に送られて来た自分の半生(はんせい)を顧みると、さすが勇士の心にも、無限の感慨を催さずにはいられなかった。

(二) 宿命(しゅくめい)

 ヘラクレスは、メヅーサ退治の勇士ペルセウスの子孫として、その祖先と同じように、人類の保護者たるべき運命を担って生れて来た。
 ペルセウスとアンドロメダの間には、アルケウス、エレクトリオン、ステネルスという三人の男子があった。アルケウスの子をアムフィトリオンといい、エレクトリオンの女(むすめ)をアルクメネといい、ステネルスの子をエウリステウスといった。アムフィトリオンとアルクメネとは、幼い頃から許嫁(いいなずけ)の仲であったが、或る時アムフィトリオンは、不図(ふと)した過失(あやまち)から、叔父のエレクトリオンを殺したために、国を逐(お)われて、諸方(しょほう)を流浪していた。その間(あいだ)に、アルクメネの兄弟らが、アカルナニヤ地方に住むタフィオン族の海賊に殺される。此の時アムフィトリオンは、テーベ王クレオンの宮中に客となっていたが、せめてはこの兄弟の仇(あだ)を討って、叔父殺しの大罪を償いたいというので、テーベの兵を率いて、アカルナニヤに向い、程(ほど)なくタフィオン族を征服し、テーベに帰って、アルクメネと結婚した。併(しか)しこの間に、大神(おおがみ)ゼウスは、アムフィトリオンの姿を借りて、アルクメネと通じたことがある。その後アルクメネは、ヘラクレスとイフィクレスという双生児(ふたご)の兄弟を生んだが、ヘラクレスの父はゼウス神(じん)で、イフィクレスの父はアムフィトリオンだということになっている。
 ヘラクレスが生れる時、その真実の父なるゼウス神は、オリムポス山上の会議の席で、諸神(しょしん)に向って、こう言った。
「今日生れる子は、我が神胤中(しんいんちゅう)の最大のもので、その一族の支配者になるべき運命を有(も)っている。」
 嫉妬深いヘラの女神は、この言葉を聞いて、顔の色を変えた。日頃の鋭敏な感覚で、生れる子が夫神(ふじん)ゼウスの胤(たね)だと直(すぐ)に覚(さと)った女神は、突嗟(とっさ)に一つの計略を思いついて、何気(なにげ)なくゼウスの前に進んだ。
「大神(おおがみ)、只今の仰せは本当の事でございますか?」
 大神は不審(ふしぎ)な顔をして、女神の方(ほう)を眺める。
「わしが言った事に間違いはない筈だ! 今言った言葉に相違があったら首でもやる!」
 この誓言(せいごん)を聞くと、女神は心の底で「しめた!」と思ったが、そしらぬ顔でその場を外(はず)して、そっと産(さん)の女神を呼んで、ヘラクレスの誕生を一日延(のば)して、その一族のエウリステウスの分娩(ぶんべん)を、その日に繰上(くりあ)げさせた。
 これがために、この二人はその地位を転倒して、英雄ヘラクレスが、凡庸(ぼんよう)なエウリステウスに追使(おいつか)われて、終生(しゅうせい)を苦役(くえき)の中に送ることになったのである。

(三)英雄の幼時(ようじ)

 ヘラクレスが生れた時、母のアルクメネは、嫉妬深いヘラの女神が、生れた子に復讐をせずには済まさないことを知っていたので、故意(わざ)と自分の乳を呑ませずに、ゼウス神の保護を頼みにして、生れ落ちたばかりの嬰児(あかご)を野(の)へ棄てて置いた。其処(そこ)へ通りかかったのは、ヘラとアテーネの二個(ふたり)の女神であった。ヘラは裸体(はだか)で棄てられている嬰児(あかご)を見ると、抱き上げて、誰(だ)れの児(こ)とも気がつかずに、乳を呑ませようとする。胸まで持って来ると、嬰児はいきなり乳首へ吸いついて、女神があッと言って抛(ほう)り出した位(くらい)、きつく乳を吸った。慈悲深いアテーネは、嬰児を抱いて市(まち)へ入り、窃(そっ)と生みの親の手へ嬰児を渡して、拾い児(ご)にして育てさせた。
 アルクメネはこれでようよう安心して自分の児を育てることが出来ると思った。ヘラの乳房(ちぶさ)から吸った一二滴(てき)の乳が、幾分(いくぶん)か女神の敵意を和らげるだろうと思ったが、それは一片(いっぺん)の空頼(そらだの)みで、ヘラは自分の救った嬰児の素性を知るや否や、ヘラクレスがまだ揺籃にいる中から、二匹の蛇を送って害を加えさせた。その時母のアルクメネは、ヘラクレスを乳母(うば)に頼んで置いて、次の室(へや)で一睡(ひとねむ)りしていると、復讐の使者は、音も立てずに嬰児の側(そば)へ忍び寄って、左右からいきなり咽(のど)へ絡(から)みついた。側にいた乳母は、余りの怖ろしさに、体がすくんで、声も出なかったが、嬰児は目を醒まして、一声(ひとこえ)高く叫ぶや否や、両方の手に一匹宛(ずつ)蛇を攫(つか)んで、嘻々(きゃっきゃっ)と笑いながら、握り殺してしまった。
 その時嬰児の声で目を醒ました母は、忙しく夫を呼んだので、アムフィトリオンは何事かと思って、剣(けん)を持って駈けつけて来たが、嬰児が両手に蛇を攫んで、笑っているのを見ると、呆気(あっけ)に取られて、暫(しばら)くはその場に立竦(たちすく)んでいた。やがて父は予言者のチレシアスに使(つかい)を飛ばして、小児の運命を占わせたが、盲目の予言者が語り出したこの児の素性と運命の物語を聞くと、今更(いまさら)に思い当る所があって、はじめてその人間の胤でないことを悟り、それからは、この子の教育に出来るだけの力を注いだ。
 こうしてヘラクレスは、アムフィトリオンの子として、テーベで育てられ、古来(むかしから)多くの勇士を養ったヂルケの泉を飲んで成長した。やや長じては、アムフィトリオンが自身で、馬を馴らしたり、馬車を乗廻(のりま)わしたりする術(じゅつ)を教えたばかりでなく、当時に名を知られた師匠を選んで、諸芸を学ばせた。音楽の師にはリノスを、知徳の教養にはラダマントスを、武芸の修業にはカストルを選んだ。
 或日(あるひ)音楽の稽古にかかった時、リノスは熱心の余りその弟子に折檻(せっかん)を加えたことがある。すると性来(せいらい)激(げき)し易いヘラクレスは、憤然としてその師に反抗し、思わず手に持った笛を振上げて、師を打った機会(はずみ)に、リノスは脆(もろ)くも死んでしまった。この事件があってから、ヘラクレスはテーベを逐われて、キテロン山中で牧人(ぼくじん)の生活を送ることになった。彼(か)れはこの時から窮屈な文明社会の束縛を受けず、思うがままに深山幽谷(しんざんゆうこく)を駈け廻って、生きた自然から有(あ)らゆる教養を受けた。ペリオン山の洞窟で、有名な半人半馬(ケンタウル)カイロンの教育を受けたのも、この間であった。
 こうしてヘラクレスは山中に自由の生活を送って、十八歳の頃には、身長(みのたけ)は普通のギリシャ人よりも遙かに高く、力はヘラスの全土に彼れと双(なら)ぶ者もないといわれる位になった。彼れは拳(こぶし)を固めて一撃の下(もと)に猛牛を斃(たお)し、弓を取っては、百発百中の手練(しゅれん)があった。テスピスの獅子を手始めとして、種々な悪獣を退治して、人民の苦痛を除いたのは、この時の事であった。

(四)人生の岐路

 ヘラクレスはただ一人深山の中を歩いていた。路(みち)の岐点(わかれめ)へ来ると、両方の路に二人の若い女が立って、左右から、彼れの方を見て、頻(しき)りに手招(てまね)きをしている。一人は肉づきのよい体へ紗(しゃ)の上衣(うわぎ)を着て、宝石を星のように閃めかした女で、目の中には、男の心を魅(み)するような濃艶(のうえん)な色を湛(たた)え、口元(くちもと)には、媚(こ)びるような微笑を浮べていた。
「私は「歓楽」です。世間に私を好かない人はありません。まあ一寸御覧なさい! 此方(こっち)の路の広くって、平らで、足触りのよいことを! この路には、旨い物や、美しい衣服(きもの)や、柔らかい寝床や、その他(ほか)生(せい)の悦びを充たすものは、何でも望み次第です。何の苦痛もなければ、心配もない。少しの骨折(ほねおり)もせずに、思うままに安楽な生活が送れます。さあ、早く此方へいらっしゃい!」
 こう言って女は青年の手を執(と)ろうとする。ヘラクレスの心は、蜜のような女の言葉に引きつけられて、既にその方へ手を出そうとして、不図(ふと)一方を見ると、其処には何の飾(かざり)も、宝石も着けず、ただ雪のように白い衣服を着た女が立っていて、躾(たしな)み深く、低い声で囁くように言った。
「私の名は「義務」と申します。私の道は決して楽々と愉快に行(ゆ)けるとは申されません。随分(ずいぶん)嶮岨(けんそ)な処(ところ)もあり、茨の中を掻き分けて行かねばならぬような処もあります。けれども骨折(ほねおり)と苦労をせずに、神々の賜物(たまもの)を獲(え)る訳には行きません。苦を凌(しの)いだ後(のち)でなければ、真の幸福は味(あじわ)えないものです。飽(あ)くまでも自分の運命と争い、弱い人々の重荷を分けてやった時に、はじめて苦痛の底から、悦びと誇りが沁(し)み出して来るのです。ですから私の道を歩む人は、この世で名誉を得るばかりでなく、死んだ後には、神々の前に召されるのです。」
「其方(そっち)の道を行く人は、途中で斃(たお)れる方(ほう)が多いと、何故言わないの?」と「歓楽」は冷笑するような調子で言った。
「その通りです。」と「義務」はきっぱりと言った。「ですが、私について来る程の人なら、痴(たわ)けた、締りのない生活をするよりも、男らしく死ぬ方を望むでしょう。」
 青年は双方を見比べながら、少時(しばらく)は定め兼ねて迷っていたが、終(つい)に決心したように、「義務」の方へ足を向けて、嶮(けわ)しい道へ踏込(ふみこ)んで行った。
 こう思って、ヘラクレスは夢から醒めた。この時彼れは自分が今(いま)生涯の岐路(わかれみち)に立っていることを悟ると共に、夢の中で決心した通り、飽(あく)まで「義務」の道に進もうと心に誓った。
 その後(のち)彼れは人民の苦痛を聞く度(たび)に、山を下って、救いに行った。或(あるい)は猛獣の害を除き、或は兇賊を退治し、或は暴君の手からその人民を救い出した。オリムポスの神々も、彼れの健気(けなげ)な志(こころざし)を喜んで、アテーネは自分の甲冑(かっちゅう)を授け、ヘルメスは宝剣を授け、アポロンは岩をも貫く神箭(しんせん)を授け、鍛冶(かじ)の神ヘファイストスは大神(おおがみ)ゼウスの命を受けて、彼れのために名高い画楯(えたて)を鋳(い)た。是等(これら)の武器に身を固めたヘラクレスは、終(つい)に山を下って、再び懐かしい故郷の地を踏んだ。
 この時テーベは、オルコメノスの武威(ぶい)に屈服して、貢物(みつぎもの)を納めていたので、オルコメノスからは、毎年(まいねん)使(つかい)を送って、テーベの貢(みつぎ)を催促(はた)る。ヘラクレスはその使を捕え、耳と鼻を削(そ)いで、貢物の代りに持たせてやる。之(これ)に続いた戦争で、父のアムフィトリオンは戦死したが、ヘラクレスは弟のイフィクレスを助けて、敵の大軍を破り、テーベの独立を恢復(かいふく)した。この武功によって、彼れはテーベ王クレオンの女(むすめ)メガラを許されて妻とし、人民の尊敬を一身(いっしん)に集めて、数年をテーベで送っていた。中にもイフィクレスの子イオラウスは、幼いながらに深くヘラクレスの武勇を慕って、一時(いっとき)も側(そば)を離れなかった。後にヘラクレスの様々の冒険に、いつもイオラウスが扈従(こしょう)として従(つ)いて行った因縁は、早くこの頃から結ばれていたのである。
 併(しか)しヘラの嫉妬は、執念(しゅうね)くもヘラクレスの身につき纏(まと)って、この英雄の幸福を破壊しなければ措(お)かなかった。ヘラクレスはテーベにいるうちに、突然発狂して、メガラの生んだ子を火中(かちゅう)へ投込(なげこ)んだ上に、尚(な)おも暴(あ)れ狂って、もう少しでその妻をも殺す所であったが、この時アテーネの女神が、大石を投げ下(おろ)して、一時(いちじ)この狂人を気絶させたので、メガラは辛(かろ)うじて危(あやう)い生命(いのち)を助かることが出来た。ヘラクレスは死んだようになって、永い間眠っていたが、目が醒めた時には、正気に返っていた。彼(か)れは悪夢から醒めた人のように、自分の所業を聞くと共に、深い悒鬱(ゆううつ)に沈んで、暫くは世間の人に顔を合せるのも厭(いと)い、ひとり世を隠れて、神々の宥恕(ゆうじょ)を祈っていた。最後にデルフォイの神託を求めた時、神託は彼(か)れに告げて、こう語った。
「エウリステウスの命令に従って、十個の使命を果すまでは、自由の身とはなれない。」
 英雄ヘラクレスも、終(つい)に宿命の前には膝を屈せずにはいられなかった。彼れが、人間としては物の数(かず)にも足りない、チリンス王エウリステウスの課(か)するがままに、奴隷のように屈従して、人間の力で能(あと)う限りの、種々の難事業を遂行したのは、この時からである。

(五)ネメアの獅子

 その頃アルゴスの市(まち)に近いネメアの森に一頭の獅子が住んで、アルゴリスの全土を荒らしていた。この獅子は、むかしゼウス神(じん)が、エトナ山(さん)の底へ封じ込めた百頭の巨魔(きょま)チフォンの子で、ヘラの女神が、この地の人民を罰するために、送ったものだと言われている。この怪獣の毛皮はまるで、鋼鉄を張ったようで、どんな武器でも創(きず)をつけることが出来なかった。
 この獅子を殺して、皮を剥いで来いというのが、エウリステウスの第一の命令であった。
 ヘラクレスは手馴(てな)れの弓を腋挟(わきばさ)んで、ネメアの森へ急いだ。彼れは人跡(じんせき)の絶えたアルゴリスの野を踏んで森の入口まで進んで来た。右の手には、途中でオレーフの大木を根扱(ねこ)ぎにして拵(こしら)えた、一本の棍棒を提(さ)げている。彼れは木(こ)の間を透(すか)しながら、林を分けて奥へ奥へと進んで行(ゆ)く。折々(おりおり)立停(たちど)まって耳を澄ます。林の中は夕立の前の空のように静まり返っていた。その時遠雷(えんらい)かと思われるような物凄い唸声(うなりごえ)が、森の奥から聞えて来た。彼れは藪の繁みに身を潜(ひそ)めて、前方へ眼を凝らしているうちに、怪物は林の下樹(したき)を踏み砕きながら近づいて来た。やがて箭(や)の達(とど)く程の距離まで来て、顎(あご)のまわりについた血を舐めながら、立停まった時、彼れは弓を曳絞(ひきしぼ)って、覘(ねら)いを定めてひょうと放った。箭は電光のように飛んで、怪獣の側腹(わきばら)へ立ったと思ううちに、まるで巌(いわ)にでも当ったように跳ね返って、草の上へ落ちる。続けて射かけた二の箭も、三の箭も、ただ空しく地に落ちるばかりであった。怪物は敵ありと知って、一声(ひとこえ)高く哮(たけ)りながら、藪を目がけて、猛然と跳びかかって来る。ヘラクレスは弓を投げ棄てて、棍棒を取るより早く、力の限りに打倒(うちたお)して、敵が起直(おきなお)ろうとする隙(すき)に、飛鳥(ひちょう)のように跳び込んで行って、いきなり頸(くび)を締めた。少時(しばらく)の間は、互(たがい)に必死となって揉み合っていたが、流石(さすが)の怪獣も、ヘラクレスの剛力(ごうりき)に責めつけられて、終(つい)に息の根をとめられてしまった。
 獅子は案外脆(もろ)く死んだが、ヘラクレスはその皮を剥ぐのに却(かえ)って骨を折った。怪獣の皮は、まるで鉄を張ったようで、突いても、叩いても、裂けなかったが、最後に怪獣自身の爪を用いて、ようようのことで剥ぐことが出来た。ヘラクレスは、怪獣の皮を着(き)、その頭(かしら)を被(かぶ)って、得意になってチリンスへ帰って来た。性来(せいらい)臆病なエウリステウスは、獅子の皮を着たヘラクレスの姿を一目(ひとめ)見ると、怖ろしさに慄(ふる)え上って、城内に入ることを許さず、使(つかい)を走らせて、城門の外で直(すぐ)に第二の命令を伝えさせた。
 この後(のち)獅子の皮は始終(しじゅう)この勇士の身を衛(まも)る甲冑(かっちゅう)となり、オレーフの棍棒と共に、彼れの冒険に離れられないものとなった。

第九十五段2022年05月05日

「生物化学兵器」「核攻撃」「にせ旗作戦」「ネオナチ」「ジェノサイド」等(など)という言葉を多発するところを見ると、プーチンの頭にはその手の言葉が詰っているんだろう。
筆者の知るかぎり、最初にメディア(無論ネット含む)で「ジェノサイド」という言葉を発したのはプーチンである。「ウクライナ東部でロシア系住民が『ジェノサイド』されている」と発言し侵攻を始めた。欧米諸国が使用したのは、そのロシア側の侵攻に対してである。

元祖ナチの親玉に対しての如く国軍内部に暗殺計画があるかは不明だが(「砂漠の狐」と怖れられた名将ロンメル(Erwin Rommel、1891年-1944年)は無関係だったらしい)、「同じ最期を飾ってくれないかな」と内心思っている人も少くないと想像する。どんな立場にせよ公言できる筈もないが。
……仮令、その後のてんやわんやを考慮したとしても。

・追記。
「国民の安全のためウクライナは降伏すべきだ」という意見もあるそうだ。
果してロシア側はジュネーヴ条約を遵守するだろうか?
抑も前線のロシア兵は「ジュネーヴ条約」と言う言葉を「教わって」いるだろうか?
大本営発表はいずれの側の物にせよ鵜呑みに出来ないが、「民間人だろうと何だろうと皆殺しだ」と無線で叫ぶロシア語の音声が放送されていたが。

・更なる追記。
「ナチズム(Nazism)」という言葉は使用するようだが、「スターリニズム(Stalinism)」は避けているようだ。まあ、信奉しているのがバレるのを怖れているんだろう。見え見えだが。
そう言えば、何かといえば「帝国主義(imperialism)」と言いたがる某大国や某半島の国も今回は静かだ。張本人が「ロシア帝国の復活」と公言している為か。
兎角「米帝国主義」と騒ぐ癖に、「露帝国主義」と何故言えぬ。

ヘラクレスの十二の課役 22022年05月05日

(六) 九頭(きゅうとう)の毒蛇(どくじゃ)ヒドラ

 アルゴスの南に当るレルナの沼沢(しょうたく)に、ヒドラという毒蛇が棲(す)んで、附近の住民を苦しめていた。この毒蛇には九個(ここのつ)の頭(かしら)があって、その中の一個(ひとつ)は、どんな武器を用いても斬ることが出来ない。他の八個(やっつ)は、斬ることは斬れるが、斬り落す側(そば)から、直ぐに新しい頭が生えると言い伝えられている。ヘラクレスの第二の仕事は、此のヒドラを退治することであった。
 ヘラクレスは甥(おい)のイオラウスと一緒に、馬車を駆(か)ってレルナへ向う。ヒドラはアミモーネの泉のほとりにある小山の上に巣をつくっていたので、ヘラクレスは馬車を山の裾(すそ)へ乗り棄てて、只一人(ただひとり)で山を上(のぼ)って行く。イオラウスは山の下で馬の番をしていた。ヘラクレスは林を分け上りながら、盛んに火箭(ひや)を射かけて、ヒドラをその隠棲(かくれが)から追い立てた。その時毒蛇は忽ち洞(ほら)の中から恐ろしい姿を現わして、九個(ここのつ)の頭を暴風(あらし)に揉まれる枝のように振り立て、九個(ここのつ)の口から火焔(ほのお)のような舌を吐いて、彼を目蒐(めが)けて跳びかかって来る。ヘラクレスは直ぐに剣を抜いて立ち向い、互いに絡み合って向って来る九個(ここのつ)の頭を、一つ一つに斬払(きりはら)ったが、噂の如く一個(ひとつ)の頭を斬るや否や、その切口(きりくち)から二個(ふたつ)の頭が生えて、斬っても、斬っても、際限がない。その間(あいだ)に蛇はもう彼の身に迫って、手足に絡みつきながら、九個(ここのつ)の口から毒気を吐きかけるので、流石の勇士も、今は息が塞がりそうになった。ヘラクレスは急にイオラウスを呼んで、炬火(たいまつ)を造らせ、斬る側(そば)から、血の滴(したた)る切口を残らず焼かせ、残る一つの頭は、棍棒で打砕(うちくだ)いた後(のち)、大盤石(だいばんじゃく)の下へ封じ込めてしまった。この時ヘラは怖ろしい大海蟹(おおうみがに)を加勢に送って、背後からヘラクレスの踵(かかと)を咬ませたが、彼はこの怪物をも一撃(ひとうち)に打殺(うちころ)して、イオラウスと共に、馬車を駆ってチリンスへ凱旋した。
 この折(おり)ヘラクレスは、ヒドラの死骸から流れ出た毒血(どくち)に箭(や)の先を浸したので、彼の箭は怖ろしい毒箭(どくや)となって、爾来(こののち)彼の箭に当った者は、見る間(ま)にその毒が全身に廻って、怖ろしい最期を遂(と)げることになったのである。

第九十六段2022年05月06日

「歌は世につれ世は歌につれ」という言葉がある。
経済的にはそうだろう。特に、個人消費(という思い込み含む)ベースでは。
『およげ!たいやきくん』や『だんご3兄弟』などの飲食物に限らず、衣服、装飾品、化粧品などもそうだろう。『プレイバック part 2』が流行ったおかげで「真赤な車」が売れたかどうかは知らないが。

はたして、政治的にはどうだろうか?

ボブ・ディランがアルバム『The Freewheelin' Bob Dylan』を発表したのは、1963年。
石川セリのアルバム『翼~武満徹ポップ・ソングス』が発表されたのは、1995年。

西暦2022年現在、「The answer is blowin’ in the wind」の儘である。

なお、この歌は中学校の音楽の教科書に掲載されていた。
……1970年代頃は。
歴史的に言えば、朝鮮戦争は休戦(停戦?)したが、ヴェトナム戦争は終戦前の頃である。