第七十三段 ― 2022年02月26日
ドーデからの連想。
「最後の授業 アルザスの一少年の物語」
其の朝は學校へ行くのが大變遲くなつたし、それにアメル先生が分詞法の質問をすると言はれたのに、私は丸つきり覺えて居なかつたので、叱られるのが非常に恐かつた。一時は、學校を休んで何處でも好いから駈け廻らうかしら、とも考へた。
空は好く晴れて暖かつた!
森の端でつぐみが鳴いて居る。リペールの原つぱでは、木挽工場の後でプロシャ兵が調練して居るのが聞える。どれも分詞法の規則よりは心を惹きつける。けれどやつと誘惑に打勝つて、大急ぎで學校へ走つて行つた。大急ぎで學校へ走つて行つた。
役場の前を通つた時、金網を張つた小さな掲示板の側に、大勢の人が立止つて居た。二年前から、敗戰とか徴發とか司令部の命令とか云ふ樣な厭な知らせはみんな此處からやつて來たのだ。私は歩きながら考へた。
「今度は何が起つたんだらう?」
そして、小走りに廣場を横切らうとすると、其處で、内弟子と一緒に掲示を讀んで居た鍛冶屋のワシュテルが、大聲で私に言つた。
「おい、坊主、そんなに急ぐなよ、どうせ學校には遲れつこないんだから!」
鍛冶屋の奴、私をからかつて居るんだと思つたので、私は息をはずませてアメル先生の小さな庭の中へ入つて行つた。
普段は、授業の始りは大騷ぎで、机を開けたり閉めたり、日課を好く覺えようと耳を塞いで皆一緒に大聲で繰返したり、先生が大きな定規で机を叩いて、
「も少し靜かに!」と叫ぶのが、往來まで聞えて居たものだつた。
私は気付かれずに席に着く爲に、此の騷ぎを當にして居た。併し、生憎その日は、何もかもひつそりとして、まるで日曜の朝の樣だつた。友達はめいめいの席に並んで居て、アメル先生が、恐ろしい鐵の定規を抱へて行つたり來たりして居るのが開いた窓越しに見える。戸を開けて、此の静まり返つた眞唯中へ入らなければならない。どんなに恥かしく、どんなに恐ろしく思つたことか!
ところが、大違ひ。アメル先生は怒らずに私を見て、極く優しく、かう言つた。
「早く席へ着いて、フランツ。君が居ないでも始める所だつた。」
私は腰掛を跨いで、直ぐに私の席に着いた。漸く其の時になつて、少し恐ろしさがおさまると、私は先生が、督學官の來る日か賞品授與式の日でなければ着ない、立派な、緑色のフロックコートを着て、細かく襞の附いた幅廣のネクタイを着け、刺繍をした黒い絹の縁無し帽を被つてゐるのに気が付いた。それに、教室全體に、何か異樣な嚴(おごそか)さが有つた。一番驚かされたのは、教室の奧の普段は空いてゐる席に、村の人達が、私達の樣に默つて腰を下してゐる事だつた。三角帽を持つたオゼール爺さん、元の村長、元の郵便配達夫、尚、その他、大勢の人達。そして、此の人達は皆悲しさうだつた。オゼール爺さんは、縁の傷んだ古い初等讀本を持つて來て居て、膝の上に展げ、大きな眼鏡を、開いたページの上に置いて居た。
私がこんな事に喫驚(びつくり)して居る間に、アメル先生は教壇に上り、私を迎へたと同じ優しい重みのある聲で、私達に話した。
「皆さん、私が授業をするのはこれが最後(おしまひ)です。アルザスとロレーヌの學校では、獨逸語しか教へてはいけないと云ふ命令が、伯林から來ました……新らしい先生が明日見えます。今日は佛蘭西語の最後のお稽古です、どうかよく注意して下さい。」
此の言葉は私の氣を顛倒させた。あゝ、ひどい人達だ。役場に掲示してあつたのはこれだつたのだ。
フランス語の最後の授業!……
それだのに私はやつと書ける位! ではもう習ふことは出來ないのだらうか! この儘で居なければならないのか! 無駄に過した時間、鳥の巣を探し廻つたり、ザール川で氷滑りをするために學校をずるけた事を、今となつてはどんなに怨めしく思つただらう! さつきまであんなに邪魔で荷厄介に思はれた本、文法書や聖書などが、今では分れることのつらい、昔馴染のやうに思はれた。アメル先生にしても同樣であつた。ぢきに行つてしまふ、もう會ふこともあるまい、と考へると、罰を受けたことも、定規で打たれたことも、忘れてしまつた。
氣の毒な人!
彼は此の最後の授業の爲に晴着を着たのだ。そして、私は何故(なぜ)この村の老人達が教室の隅に來て坐つて居たかが今分つた。どうやらこの學校に餘り度々來なかつたことを悔んでゐるらしい。又、それは先生に對して、四十年間よく盡してくれた事を感謝し、去りゆく祖國に對して敬意を表する爲でもあつた……
斯うして私が感慨に耽つてゐる時、私の名前が呼ばれた。私の暗誦の番だつた。此の難しい分詞法の規則を大きな聲ではつきりと、一つも間違へずに、すつかり言ふことが出來るなら、どんなことでもしただらう。併し最初から間誤ついてしまつて、立つたまゝ、悲しい氣持で、頭もあげ得ず、腰掛の間で體を搖すぶつてゐた。アメル先生の言葉が聞えた。
「フランツ、私は君を叱りません。充分罰せられた筈です……そんな風にね。私達は毎日考へます。なーに、暇は充分ある、明日勉強しようつて。そしてその擧句どうなつたかお分りでせう……あゝ! いつも勉強を翌日に延すのがアルザスの大きな不幸でした。今あのドイツ人達にかう言はれても仕方がありません。どうしたんだ、君達はフランス人だと言ひ張つてゐた。それなのに自分の言葉を話すことも書くことも出來ないのか!……この點で、フランツ、君が一番惡いといふわけではない。私達は皆大いに非難されなければならないのです。」
「君達の兩親は、君達が教育を受けることをあまり望まなかつた。僅かの金でも餘計得るやうに、畑や紡績工場に働きに出す方を望んだ。私自身にした所で、何か非難されることはないだらうか? 勉強をする代りに、君達に度々庭に水をやらせはしなかつたか? 私が鮎を釣に行きたかつた時、君達に休を與へる事を躊躇したらうか?……」
それから、アメル先生は、フランス語に就て、次から次へと話を始めた。フランス語は世界中で一番美しい。一番はつきりした、一番力強い言葉であることや、ある民族が奴隷となつても、その國語を保つてゐる限りは、その牢獄の鍵を握つてゐるやうなものだから、私達の間でフランス語をよく守つて、決して忘れてはならないことを話した。それから先生は文法の本を取り上げて、今日の稽古のところを讀んだ。あまりよく解るので喫驚(びつくり)した。先生が言つたことは私には非常に易しく思はれた。私がこれほどよく聽いた事は一度だつてなかつたし、先生がこれほど辛抱強く説明したこともなかつたと思ふ。行つてしまふ前に、氣の毒な先生は、知つてゐるだけの事をすつかり教へて、一どきに私達の頭の中に入れようとしてゐる、とも思はれた。
日課が終ると、習字に移つた。この日の爲に、アメル先生は新らしい御手本を用意しておかれた。それには、美事な丸い書體で、「フランス、アルザス、フランス、アルザス。」と書いてあつた。小さな旗が、机の釘にかゝつて、教室中に飜つてゐるやうだつた。皆どんなに一生懸命だつたらう! それに何といふ静けさ! たゞ紙の上をペンの軋るのが聞えるばかりだ。途中で一度黄金蟲が入つてきたが、誰も氣を取られない。小さな子供までが、一心に棒を引いてゐた。まるでそれもフランス語であるかのやうに、眞面目に、心を籠めて……學校の屋根の上では、鳩が靜かに鳴いてゐた。私はその聲を聞いて、
「今に鳩までドイツ語で鳴かなければならないのぢやないかした?」と思つた。
時々頁から眼をあげると、アメル先生が教壇にじつと坐つて、周圍のものを見詰めてゐる、まるで小さな校舎を全部眼の中へ納めようとしてゐるやうだ……無理もない! 四十年來この同じ場所に、庭を前にして、少しも變らない彼の教室に居たのだつた。たゞ、腰掛と机が、使はれてゐる間に、擦られ、磨かれただけだ。庭の胡桃の樹が大きくなり、彼の手植のウブロン[ホップ(引用者注)]が、今は窓の葉飾りになつて、屋根まで伸びてゐる。可哀想に、かういふ總ての物と別れるといふ事は、彼にとつてはどんなに悲しい事であつたらう。そして、荷造りをしてゐる妹が二階を往來(ゆきき)する足音を聞くのは、どんなに苦しかつたらう! 明日は出掛けなくてはならないのだ、永遠にこの土地を去らなければならないのだ。
それでも彼は勇を鼓して、最後まで授業を続けた。習字の次は歴史の勉強だつた。それから、小さな生徒達が皆一緒にバブビボビュを歌つた。後(うしろ)の、教室の奧では、オゼール老人が眼鏡を掛け、初等讀本を兩手で持つて、彼等と一緒に文字を拾ひ讀みしてゐた。彼も一生懸命なのが分つた。彼の聲は感激に顫へてゐた。それを聞くとあまり滑稽で痛ましくて、私達は皆、笑ひたくなり、泣きたくもなつた。本當に、この最後の授業のことは忘れられない……
突然教會の時計が十二時を打ち、續いてアンジェリュスの鐘が鳴つた。と同時に、調練から歸るプロシャ兵の喇叭が私達のゐる窓の下で鳴り響いた……アメル先生は蒼い顔をして教壇に立ち上つた。是程先生が大きく見えた事はなかつた。
「皆さん、」と彼は言つた。「皆さん、私は……私は……」
しかし何かが彼の息を詰まらせた。彼は言葉を終る事が出來なかつた。
そこで彼は黒板の方へ向き直ると、白墨を一つ手にとつて、ありつたけの力でしつかりと、出來るだけ大きな字で書いた。
「フランス萬歳!」
さうして、頭を壁に押し當てたまゝ、其處を動かなかつた。そして、手で合圖をした。
「もうお終ひだ……お歸り。」
アルフォンス・ドーデ『月曜物語(Contes du Lundi)』(1873年)より。櫻田佐訳。
子供の頃、初めて読んだドーデの短篇である。無論、子供向けの文学全集だから新字新仮名だった。戦前は、日本の教科書にも載っていたらしい。どう考えても、当時の大日本帝國軍は、作中の「プロシャ兵」に当ると思うが。
・余談
近頃、AMでこの曲がよく流れる。まあ、トーク番組のBGMで『フィンランディア(Finlandia)』って訳にも行かないだろうが。
高校生の頃、吹奏楽部のレパートリーだった。
【CZAR】Prononcer tzar et de temps en temps autocrate.
【CZAR】「ツァール」と発音すべし。場合によっては「センセイクンシュ」でも可。
フローベール
・追記。
そう言えば、旧ソ連の元書記長アンドロポフも旧KGBの元トップだった。何だか「旧」や「元」ばかりで申し訳ないが、筆者のせいではない。主としてゴルバチョフのせいである……たぶん。