第七十二段2022年02月24日

まだ捜し物を思い出せないので鬱憤晴らしに「あとがき」を。


「西遊記」ほど、びろうなことを書いた小説もありませんが、そのほかのことでは、わりあいに下品なところは少く、大へんほがらかな、ゆかいな物語です。しかし青少年にあたえるためには、それでもいくらか、カットしないわけにはまいりませんでした。
方明(ほうめい)は、青少年用の西遊記の決定版をつくるために、四カ条の根本方針と、六カ条の削除方針――ながくなるので、いちいちの説明ははぶきます――をさだめて、取りかかっていますが、わたくしもそれにならって、唐(とう)の太宗(たいそう)が地獄へゆくゆめ物語や、女の国(西梁女国)へゆく章その他をはぶきましたことを、ここにおことわりいたしておきます。
(中略)
なおおわりに、一言(いちごん)したいと思いますことは、――呉承恩の時代には、期せずして、イギリスにはシェイクスピア、スペインにおいてはセルバンテスが、それぞれかつやくしていたことです。シェイクスピアも喜劇にたくみでしたが、セルバンテスの「ドン・キホーテ」は、さらにさらに、「西遊記」に相通ずるものがあります。その底にふかいふかい教理や哲理をひめた、大こっけい小説が、同じ時代に洋の東西にあらわれたことは、まことにふしぎなことといわざるを得ません。

  一九五五年六月  伊藤貴麿


苛々した腹立ち紛れに中抜きをした……のでは無く、作者(とされていた)呉承恩の略歴部分を省略した。ご興味のある向きは各種事典なりウィキペディアなりを適宜参照されたい。全訳ヴァージョンには「西梁女国」の話もあるのでご安心(?)を。
なお、一説に依れば、「能動的な探索を一旦ペンディングした際、偶然発見される事も良くある話」だそうだから、「さがしもの」は暫く放置しようかとも思う。