第七段2021年09月12日

母親の判定

或家(あるいへ)の主(あるじ)我妻(わがつま)の罪なきを離縁なし、豫(かね)て云交(いひかは)せし女を直(すぐ)に後妻に娶(めと)れり。然(しか)るに離縁せし前妻懷妊し、親里(おやざと)にて女子を産み養育なしけるに、此(この)娘十歳ばかりに成りし處(ところ)、生付(うまれつき)縹致(きりやう)好く發明にて、今は何方(いづかた)へ奉公に出すとも一廉(ひとかど)親の爲に成るべき程なりしかば、彼家(かのいへ)の後妻其娘(そのむすめ)を羨しく思ひ、我が方へ引取らんと掛合ひしより、竟(つひ)に先妻後妻の爭(あらそひ)となりて、奉行所へ訴へ出でける。其時(そのとき)大岡越前守(おほをかゑちぜんのかみ)殿へ兩方より己(おのれ)が實の子なりと申立(まうした)て、是(これ)と言ふ證據もなければ、先妻後妻互に彌(いよいよ)言爭(いひあらそ)ひ果てしなきゆゑ、奉行も是を捌兼(さばきか)ねて見えけるが、大岡殿(おほをかどの)兩人の女に向はれ、「然樣(さやう)ならば致方(いたしかた)なし、其子を中へ入置(いれお)きて雙方より娘の手を把(と)つて引合(ひきあ)ふべし。勝ちし方へ其子(そのこ)を取(とら)すべし」とあり。「畏(かしこま)りぬ」と娘を兩人の中へ入れ、雙方より娘の手を取り互に力を出し、白洲に於て引合ひければ、中なる娘左右の手の痛(いたみ)に堪兼(たへか)ね、思はずワツト泣出(なきいだ)しければ、一人の女はハツと驚き手を放しけるが、引勝(ひきか)ちし女は、「ソリヤこそ我が子に違ひなし」と申しけるを、越前守殿(ゑちぜんのかみどの)、「ヤレ待て女」と聲を掛けられ、「汝(おのれ)こそ僞者(いつはりもの)なり。誠の母は中なる娘の痛(いたみ)を悲(かなし)み、思はず引負(ひきま)けて手を放したり。其方(そのはう)は元(もと)他人なれば、其子の痛(いたみ)を思はず、只(たゞ)引勝(ひきか)つ事にのみ心を用ゐしならん」と睨められしかば、彼の女はハツト平伏(ひれふ)しける故、「此女は僞者(いつはりもの)なり」とて、繩を掛け拷問せられしに、終(つひ)に白状なし、疑(うたがひ)も無き先妻の娘なりとて下されける。是(これ)天地自然の情(じやう)を酌(くま)れし裁許(さいきよ)と云ひつべし。

『旧約聖書 列王記上 3:16-28』に、ソロモン王の逸話として同類の話がある。
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どれが原話かは知らないが、他の文化にも同様のエピソードがあるそうだ。