第一段 ― 2021年09月02日
三方一兩損
爰(こゝ)に靈岸島長崎町(れいがんじまながさきちやう)に疊屋三郞兵衞(たゝみやさぶろべゑ)と云ふ者あり、此(この)三郞兵衞(さぶろべゑ)は正直一偏(しやうぢきいつぺん)にて禮儀(れいぎ)も知らず、追從輕薄(ついしようけいはく)と云ふ事もなく、只(たゞ)職業一三昧(しよくげふいつさんまい)と心懸(こゝろが)けし男なるが、師走(しはす)の事にて物入(ものいり)多ければとて、和泉橋邊(いづみばしへん)の出入場(でいりば)へ行き、金子三兩(きんすさんりやう)借請(かりう)け大(おほい)に喜び、紙入(かみいれ)の中に有りし手紙に包みて、急ぎ我家(わがや)へ歸(かへ)り、彼金(かのかね)を出さんとせしに金のあらざれば大(おほい)に驚き、袂(たもと)を振(ふる)ひ帶(おび)まで解(と)きて探せども一向(いつかう)に無し。依(よつ)て女房(にようばう)娘(むすめ)も大(おほい)に惘(あき)れ、當惑(たうわく)すれども詮方(せんかた)なく、三郞兵衞(さぶろべゑ)は力を落し、よくよく貧乏神に取付(とりつ)かれしと見えたり、此上(このうへ)は稼ぐより外(ほか)に分別なしと斷念(あきら)め、夫(それ)より夜(よ)の眼(め)も寢ずに丹精(たんせい)をなし居(ゐ)たり。茲(こゝ)に小傳馬町(こでんまちやう)に建具屋長十郞(たてぐやちやうじふらう)と云ふ者あり、此(この)長十郞(ちやうじふらう)至つて情深(なさけぶか)き者なるが、所用(しよよう)有りて三味線堀(さみせんぼり)へ行き、歸(かへ)り掛(がけ)に柳原(やなぎはら)の土手下(どてした)にて小便せんとするに、傍(かたはら)に何やらん反古(ほご)に包みたる物有り、合點(がてん)行(ゆ)かずと取上(とりあ)げ見るに、小判三枚ありしかば甚(いた)く驚き、此(この)節季師走(せつきしはす)に三兩と云ふ金を落せし人は嘸々(さぞさぞ)困るならん、誰(たが)落(おと)せしぞと熟(よくよく)見るに、疊屋三郞兵衞樣(たゝみやさぶろべゑさま)とある手紙に包んで有れば此人(このひと)の金なるべし、下の名宛(なあて)は尋ねるに及ばず、鬧(いそが)しき折(をり)なれども、落主(おとしぬし)を探し求めて返さんものと、其日(そのひ)は神田邊(かんだへん)より通町京橋邊(とほりちやうきやうばしへん)、翌日は下谷淺草本郷湯島邊(したやあさくさほんがうゆしまへん)、三日目は麹町赤坂青山芝(かうぢまちあかさかあをやましば)の邊(へん)と歩行(ある)き廻り、疊屋と見れば家に入りて尋ねしに、三郞兵衞(さぶろべゑ)と云ふ疊屋(たゝみや)一兩人(いちりやうにん)あれども、金子(きんす)を落したる覺(おぼえ)なしと云ふ故(ゆゑ)、長十郞(ちやうじふらう)は困り果て、是非尋ね出すべしと、毎日々々(まいにちまいにち)股引草鞋腰辨當(もゝひきわらぢこしべんたう)にて出掛(でか)けし故(ゆゑ)、家内(かない)の者は打笑(うちわら)ひ、「世間では金を拾ひて徳をせしと悦(よろこ)べど、此方(こなた)は夫(それ)と違ひ、金子(きんす)を拾ひ、却(かへ)つて日を費し、商賣(しやうばい)もせず小遣(こづかひ)を遣ひて尋ね歩くとは、扨々(さてさて)無益(むえき)の骨折損なり」と云ふを耳にも入れず、日々(ひゞ)此事(このこと)のみに掛(かゝ)りける。斯(か)くて建具屋長十郞(たてぐやちやうじふらう)は、四日目(よつかめ)八丁堀靈岸島(はつちやうぼりれいがんじま)の邊(へん)を探し廻りしに、長崎町(ながさきちやう)に一軒の疊屋あり、立寄(たちよ)りて、「三郞兵衞樣(さぶろべゑさま)と申(まう)すは此方(こなた)で御座るか」と聞くに、四十歳ばかりの男立出(たちい)で、「私が三郞兵衞(さぶろべゑ)なるが、何の御用にて尋ねらるゝや」と聞いて長十郞(ちやうじふらう)腰を掛け、「貴殿(おまへさん)は何ぞ落し物は成されぬや」と云ふに、三郞兵衞(さぶろべゑ)は考へて居(ゐ)る中(うち)に、女房勝手より出來(いできた)り、「四五日跡に金を落したでは無いか」と申すに、三郞兵衞(さぶろべゑ)思ひ出(いだ)し、「如何(いか)にも金子三兩落したり」と云へば、長十郞は大(おほい)に悦びつゝ店先へ上(あが)り、「扨(さて)貴殿(おまへさん)で有つたか、其金(そのかね)は私が拾ひ取りたり。落人(おとして)は此(この)節季(せつき)に嘸(さぞ)御難儀(ごなんぎ)で有らうと存じ、金子を返さんとて、今日迄四日尋ね歩行(ある)きしに、漸々(やうやう)探し當(あた)つて重疊々々(ちようでふちようでふ)。率(いざ)請取(うけと)り給(たま)へ」と指出(さしいだ)すを、三郞兵衞(さぶろべゑ)、「否々(いないな)我等は落す程の不仕合(ふしあはせ)、貴殿(おまへさん)は拾ふ程の果報あり、返すに及ばず、貴殿(おまへ)の徳分(とくぶん)に爲給(したま)へ」とて受取(うけと)らねば、長十郞膝を進め、「能(よ)く能(よ)く聞かれよ。私は小傳馬町建具屋長十郞(こでんまちやうたてぐやちやうじふらう)と申す者、此間(このあひだ)柳原(やなぎはら)を通り、不圖(ふと)目に懸(かゝ)りて拾ひ見るに、三兩の金を手紙に包んであり、其(その)手紙に疊屋三郞兵衞樣(たゝみやさぶろべゑさま)とあるを證據(しようこ)に今日(けふ)まで四日の間(あひだ)渡世(とせい)を休み、日々(ひゞ)小遣を遣ひ、飛脚同前(ひきやくどうぜん)に貴殿(おまへ)を尋ねるは、此金(このかね)を返して進(しん)ぜたいばかり。此志(このこゝろざし)を推量(すゐりやう)ありて御遠慮なく受取(うけと)り給(たま)へ」と云ふに、三郞兵衞(さぶろべゑ)得心(とくしん)せず、「段々(だんだん)樣子(やうす)を承(うけたまは)れば、尚(なほ)さら請取(うけと)る事(こと)叶(かな)ひ難(がた)し。商賣(しやうばい)を休み小遣を遣ひ尋ねられし事、實(じつ)に氣(き)の毒(どく)千萬(せんばん)、三兩の金は請取(うけと)りしも同前(どうぜん)、其許(そのもと)の徳分(とくぶん)に致されよ」と差戻(さしもど)すを、長十郞、「徳分にする心なれば貴殿(おまへ)を尋ねは致さぬ。因(よつ)て是非御渡し申す」「否々(いやいや)受取(うけと)らぬ」と爭ひ、然樣(さやう)ならば是(これ)へ置いて參る」と投出(なげいだ)すを、「なぜ人の内へ斯樣(かやう)の物を捨てゝ行く、持つて行け」と引捕(ひつとら)へるを、振放(ふりはな)さんとする腕首(うでくび)を掴(つか)み、三郞兵衞(さぶろべゑ)聲荒(こゑあらゝ)げ、「此金(このかね)持つて行かずば踏倒(ふみたふ)す」と惡口(あくこう)に及べば、長十郞も職人の事故(ことゆゑ)氣も早く、三郞兵衞が袖を捕(とら)へ、「己(おのれ)が馬鹿者(ばかもの)故(ゆゑ)、大切の金を落せしを持つて來て遣(や)るに、惡口を吐く無法者、此(この)長十郞に指でもあてると打殺(うちころ)す」と互(たがひ)に惡口して後(のち)は掴(つか)み合ひ、髻(たぶさ)を取つて大喧嘩(おほげんくわ)となりしかば、近所の者ども中に入りて段々樣子を聞くに、雙方共(さうはうとも)鼻息荒く惡口雜言(あくこうざふごん)に及び、更に理由(わけ)分らず。人々(ひとびと)種々(しゆじゆ)に云ひなだむれども、雙方(さうはう)強情(がうじやう)を言募(いひつの)り得心(とくしん)なく、後(のち)には家主(いへぬし)も來(きた)り種々(いろいろ)異見(いけん)を加ふれども聞入(きゝい)れず、遂(つひ)には雙方共(さうはうとも)名主(なぬし)の宅へ呼寄(よびよ)せ理解(りかい)を云ふに、兩人共(りやうにんとも)命に懸(か)けても此金(このかね)は取らぬと云切(いひき)るにぞ、其儘(そのまゝ)には差置(さしお)かれずと雙方名主より大岡越前守殿(おほをかゑちぜんのかみどの)へ御理解(ごりかい)を願出(ねがひい)でけるに、大岡殿(おほをかどの)聞かれて、「偖々(さてさて)珍しき事なり」と差紙(さしがみ)を以(もつ)て兩人共(りやうにんとも)呼出(よびだし)の上、大岡殿は先(まづ)長十郞が了簡(れうけん)を聞かれ、「如何(いか)にも長十郞は奇特(きどく)なる男なり。又(また)三郞兵衞は何故(なぜ)受取(うけと)らぬぞ。其譯(そのわけ)を申せ」と有(あ)る。三郞兵衞、「恐れながら申上(まうしあ)げます。私儀(わたくしぎ)は金を落す程の者なれば、元より我身(わがみ)に付かず、又(また)長十郞は金を拾ふ程の者なれば、天より授(さづか)りしと申すもの、殊(こと)に四五日渡世を休み私を尋ねて歩行(ある)きし事故(ことゆゑ)、其金(そのかね)を返して見れば、却(かへ)つて拾ひし者が損をする道理(だうり)なり。中々(なかなか)請取(うけと)る所存(しよぞん)は御座らぬ」と申立(まうした)つるにぞ、大岡殿、「如何樣(いかさま)雙方共(さうはうとも)に言分(いひぶん)道理(もつとも)なり。然(しか)らば追つて呼出(よびいだ)す」との事に、其日(そのひ)は町役人共(ちやうやくにんども)同道(どうだう)して下りける。三四日過ぎて雙方呼出され、此日(このひ)は金銀出入(きんぎんでいり)、家督論(かとくろん)、引負(ひきおひ)、持參金取返(ぢさんきんとりかへ)し、其外(そのほか)盜賊一件の者共(ものども)數多(あまた)相竝(あひなら)ぶ中へ、長十郞、三郞兵衞の兩人(りやうにん)罷出(まかりい)づるに、大岡殿(おほをかどの)大聲(たいせい)にて、「世間には欲心(よくしん)深き者(もの)左右(とかく)欲情(よくじやう)の出入(でいり)をなす事(こと)恥ケ敷事(はづかしきこと)ならずや。然(しか)るを其方共(そのはうども)、一人は落せし金を拾ひ、渡世(とせい)を休み落主(おとしぬし)を尋ね相渡(あひわた)す眞實(しんじつ)、一人は落した上は拾主(ひろひぬし)の物なりとて受取(うけと)らず、剩(あまつさ)へ其事(そのこと)を言募(いひつの)り喧嘩に及ぶ條(でう)、正直過ぎる故なり。越前守(ゑちぜんのかみ)當役(たうやく)を蒙(かうぶ)りし以來、斯(かゝ)る出入(でいり)は始めてにて、某(それがし)も悦(よろこば)しく思ひ、右の段(だん)上(かみ)へ言上(ごんじやう)に及ぶ處(ところ)、御上(おかみ)に於(おい)ても殊(こと)の外(ほか)御滿足(ごまんぞく)に思召(おぼしめ)し、三兩の金(かね)をば御金藏(ごきんざう)に納められ、別に三兩(さんりやう)其方共(そのはうども)に下さるゝにより、有難く頂戴(ちやうだい)仕(つかまつ)れ。尤(もつと)も長十郞は拾主(ひろひぬし)なれば二兩の金を頂戴致せ、又(また)三郞兵衞も二兩戴き、雙方一兩づつ損を致せ。其金(そのかね)は汝等(なんじら)が金に非ず、公儀(こうぎ)より下さるゝ御金なれば辭退(じたい)致すな」と申渡(まうしわた)さるゝに、兩人はハツと頭(かしら)を下げ涙を流し、「有難く存じ奉(たてまつ)り頂戴は仕(つかまつ)るべく候(さうら)へども、御公儀樣(ごこうぎさま)より三兩下され候(さうらふ)上(うへ)は、一兩二分づつ分け申すべく處(ところ)、二兩づつ戴き候(さうらふ)儀(ぎ)一兩の出處(でどころ)相知(あひし)れ申さず、恐れながら御請申上難(おんうけまうしあげがた)し」と申すを、「偖々(さてさて)六ケ敷(むつかしく)吟味(ぎんみ)をする者共(ものども)かな。其方共(そのはうども)の正直(しやうぢき)此(この)越前(ゑちぜん)も悦(よろこび)の餘(あまり)、我も一兩出して遣(つかは)したり。長十郞は三兩拾ひて二兩取る故(ゆゑ)一兩の損、三郞兵衞は三兩落して二兩取る故(ゆゑ)是(これ)も一兩の損、我も一兩損、三人一兩づつの損なり」と申渡(まうしわた)されければ、皆々感じ入りて事(こと)落着(らくちやく)に及び、其後(そののち)長十郞、三郞兵衞無二の入魂(じゆこん)に成りたるは、越前守殿(ゑちぜんのかみどの)の仁知(じんち)に因(よ)れり。然(さ)れば世に一兩損(いちりやうぞん)の御捌(おさばき)と申敢(まうしあへ)りしとぞ。
※用字に責任は負えません。