本日の冒頭の1頁 ― 2025年11月14日
一千八百六十二年の春まだ浅い三月六日、恰度四旬斎の懺悔火曜の翌々日――木曜日のことであった。
巴里から程近いブウジバールという待ちの警察へ、近所のジョンシェール村の女たちが五人も揃って、只ならぬ様子で駆けこんで来た。
「大変です、人殺しがありましたから、早く調べて下さい」
という訴えだ。
署長がすぐに面会して聞いてみると、そのジョンシェール村の一軒家に住まっている独り者のルルージュという寡婦(ごけ)さんの家は、戸が開かなくなってから今日で三日になるが、窓には鎧戸をおろし、戸口は鍵をかけたまま厳重に閉めきってあって、誰が叩いても返事がないし、それ以来村で寡婦さんの姿を見かけた者がない。彼女はてっきり家の中で殺されているにちがいないというのだ。
警察では、この訴えを聞いて俄かに緊張した。
・エミール・ガボリオ『ルルージュ事件(L'Affaire Lerouge)』1866年。田中早苗訳。
旧字旧仮名表記を新字新仮名に改めた。
「世界初の長篇探偵小説」とされている作品である。ここに掲載したのは抄訳だが、現在では全訳版が刊行されている。

作者ガボリオの名は、チェーホフの短篇「安全マッチ」(1884年)や、ドイルの『緋色の研究』(1887年)にも登場する。
・補足(16日)。
“Have you read Gaboriau’s works?” I asked. “Does Lecoq come up to your idea of a detective?”
『緋色の研究』第2章「推理の科学」より、Watsonの台詞。
試訳。
「ガボリオの作品は読んだ事があるかい?」私は尋ねた。「ルコックなら君の理想とする探偵像に近いんじゃないか?」
